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Ykanokawa
2025-11-20 17:23:28
5649文字
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グリューワインとドリア風キャセロール
※覇者クリック君実装記念 おいしいものいっぱい食べてね企画参加作品
※ストームヘイルと時空をやや捏造
※クリ君が料理屋で夕飯を食べるだけの話
帳が下りた空を見上げ、クリックはほう、とひとつ息を吐いた。薄くほんのり白い呼気が宙へと融ける。
ストームヘイルは一年のほとんどが雪に覆われている。せっかく見上げた空は今日も曇天で、ちらちらと細かい雪が舞っていた。もっと夜が更けてくると、気温はさらに下がるし、雪も厳しくなる。昼過ぎに溶けた水辺の氷が夜のうちにまた凍る。そんな町だ。
吐き出した息の薄さで、クリックは自身の身体が芯から冷えていることを知った。
基本、体温は高い方だ。いつもなら、クリックが吐いた息は湯が沸いたケトルから立ち上る湯気のように白くなる。それが今日はとても薄い。体温が芯から下がっている証拠だった。
早朝は鍛錬場の雪掻き、午前は霊峰アルタヘの狩人たちと魔物の掃討、午後は大穴の発掘現場で学者たちの警護、夕刻からは町の巡回。よくよく思い返してみれば、一日中、屋外での任務ばかりだった。温かいものを口にしたのはいつだったか。ティータイムに発掘現場の学者から差し入れてもらった一杯の紅茶が最後だった気がする。身体も冷え切って当然だ。
――
とは言っても、今から自炊するのはな
……
。
身体を動かすのは好きだ。むしろ執務机で一日、書類と向き合っているのは性に合わない。しかし、寒空の下で酷使した身体は、一息ついた今、休息を欲している。
そうすると外食になるが、この時間の飲食店となると酒場かバーがほとんどである。火酒で身体を温めるのも一つの手段だが、あまり気分じゃない。どちらかと言えばどっしりとしたもので腹の底から温まりたい。懇意にしている酒場に、そのようなメニューはあっただろうか。どうしてもつまみが中心になる酒場の食事に、望みは薄い気がする。
ぐう、と唸りながら町に通じる街路を往く。雪が覆う石畳を歩いていると、対面から商人風の男が二人、腹を擦りながら近づいてきた。すれ違う直前、空きっ腹には厳しい、焼けた肉と、ミートソースのようなブラウンシチューのような良い匂いが漂ってきた。
「キャセロールの店、今日は当たりだったな」
「ああ。メイ家からライスを仕入れたとか言ってたぜ。美味かったなぁ」
ひたり、と足を止める。キャセロールの店。なるほど。あの店があった。
それもライス。メイ家から仕入れたライスということは、ク国のものだろう。ライスはク国の特産品だ。腹持ちのいいライスは、今のクリックの腹具合にもぴったりである。自然と口角が上がった。
先ほどまでの重たい足取りはどこへやら。かしゃり、とサバトンを鳴らしたクリックは、その爪先を目的の店がある町の細道へと向けた。
キャセロールの店、というのは最近、ストームヘイルに出来た新しい小さな店だ。名前もそのまま『キャセロール』という。
経営しているのは初老の夫婦二人。メニューはその日の仕入れで作る一種類の〝本日のキャセロール〟と飲み物だけという素朴で実直な店である。そんな店だが、夫である店主が作るキャセロールは大変に絶品でボリュームも十分。そして、そのボリュームと反比例して安価という若い労働者の味方のような店である。
道具屋の脇を逸れ、狭い路地を抜け、クリックはその店へと辿り着く。手作りと思しき木造りの看板が目印である。底の浅い、グラタン皿のような丸い鍋が釜戸の中で踊っているようなイラストの看板だ。
クリックも初めて来店したときに知ったが〝キャセロール〟とはそのまま、このイラストのような鍋のことを指すらしい。乱暴に言ってしまえば、その鍋で調理して出される料理は皆、〝キャセロール〟だ。
直火にかけて煮るための鍋ではなく、オーブンで蒸し焼きや煮炊きするような料理に使われる鍋。この店ではそのオーブンで調理されたその鍋のまま、料理が提供される。つまりはどんなキャセロールでも常に熱々だ。
店内が暖炉の明かりで満ちているのを確認してから、クリックはドアへと手をかけた。かろん、と軽やかなベルの音が鳴り響く。ふわりと、先ほどすれ違った男たちからしたものと同じ、いや、もっと濃厚で強い匂いが鼻腔をくすぐる。とんとんと包丁が刻む小気味よい音と、ことことと鍋蓋が小さく揺れる音が交互に優しく鼓膜を震わせる。
夕飯時をとうに過ぎているせいか。幸いにも席は空いていた。クリックの他には、二組の客が料理を前に顔を綻ばせている。
「あらあら、いらっしゃいませ。寒かったでしょう。こんな時間までお疲れさまでした」
ややふくよかなエプロン姿の夫人がこちらを振り向いた。白髪交じりの金髪を丁寧に纏めた、目尻の笑い皺がチャーミングな女性だ。店主の奥方で唯一の店員でもある。
明かりと婦人の笑顔、さり気ない労わりの言葉に心の奥がほっと解れたのを感じた。クリックにはそのように感じるような家は既にないのだけれども、自分の家、と言えるものがあったのなら、こんな心地になるのかもしれない。
「すみません。まだやっているでしょうか?」
「ええ。大丈夫ですよ。といっても、いつも通りのものしかありませんけどね」
酒場と違って深夜に営業しているような店ではない。大分、ギリギリの時間だったと思うのだが、婦人は嫌な顔ひとつ見せることなく、にこにこと暖炉の側のテーブル席へとクリックを案内してくれた。ぱちり、と暖炉の中で薪が爆ぜる。火の傍に腰掛けてから、耳の縁がじんわりと融かされていった。改めて末端から冷え切っていたことを自覚する。
「お飲み物は何になさいます?」
「えっと
……
」
「お悩みなら、フルーツ入りのグリューワインを作ったばかりなの。嫌いでなければ、どうかしら?」
「あ、ではそれでお願いします」
メニューはひとつだけなので、この店では飲み物だけを聞かれる。その飲み物もひとつひとつ手が込んでいて美味なのだ。勧められると、迷いなくそれと選択してしまうくらいには。
ふくふくと笑った婦人がカウンターの向こうへと消えていく。クリックが防寒具と最低限の手の装甲を外している間に、耐熱グラスに入れられた赤いグリューワインが運ばれてきた。浮かんでいるのは林檎の角切りだろうか。薄切りのレモンとシナモンスティックが添えられている。ことり、と隣にレモン水のグラスが置かれた。こちらは冷水だ。
林檎とシナモンの甘い香りが湯気の熱とともに頬を温めてくれた。引き締めていた顔の筋肉が緩むのを感じる。婦人が温和な声で、ごゆっくり、と告げていく。
クリックは恭しくグラスを持ち上げ、小さく掲げた。乾杯する相手はいないけれども、一日、健闘した自分への献杯だ。それくらいは許されてもいいだろう。
シナモンスティックでくるりと円を描けば、ワイン色に染まった林檎の角切りがグラスの中でころころと転がった。ふう、と一度だけ息を吹きかけてから口をつける。
「
……
はあぁー」
美味しい、と口にする前に溜め息が漏れた。甘口のワインが舌と喉を温めながら、臓腑に染み渡っていく。ほとり、と熱が胃に落ちて身体全体に伝播していく。ころりと入ってきた煮林檎の欠片に歯を立てると、まだしゃくりとした歯触りが残っていた。シナモンの甘い香りが口から鼻に抜けていく。
赤ワインの渋味が得意ではないクリックもこれなら美味しく戴ける。一口、また一口とグラスを傾けるうちに、ますます腹が空いてきた。胃が空っぽのときよりも、少しだけ何かを腹に入れたときの方が空腹を感じやすい、あの現象だ。今さら正直にくう、と鳴き始める腹を抑えて、これまでこの店で口にしたメニューに想いを馳せてみる。
ジャガイモのスライスとペシャメルソースを重ね、黒胡椒を効かせたポテトグラタンはシンプルで飽きの来ない味だった。トマトソースがよく絡んだペンネとナスのチーズ焼きには、これでもかというほどぶつ切りのソーセージが入っていたし、サーモンとほうれん草のクリームソースには太めのスパゲティが隠れていた。どれもこれも鍋ひとつだというのに満足感がある。
うっかりまた大きく腹が鳴りかけるのを、グリューワインを舐めて誤魔化した。
厨房の方からかたん、と釜戸の扉が開く音がする。つい、耳を澄ませてしまう。カトラリーが擦れる音がして、重みのあるキャセロールが火傷防止の木皿に乗せられて。テーブルの名前が呼ばれて店主の声に婦人が答え、こつこつと内履きの踵がクリックへ近づいてくる。
「さあ、お待たせいたしました」
ぶわりと湯気を立てるキャセロールがクリックの目の前に降臨した。手元にはカトラリーが入った藤編みの籠。微笑んだ婦人が今度は、召し上がれ、と声を残していく。
――
これは。
鍋の中でぐつぐつと煮えているのは、薄切りのロース肉がたっぷり入ったハッシュドビーフだった。肉の合間に大ぶりのマッシュルームが覗いている。湯気の中に漂う甘い香りで、ソースの中にたくさんの香味野菜がとろけているのがわかる。そんな熱々のハッシュドビーフの中央に、白身が薄っすらと固まる程度に温められた卵がひとつ。
口の中に溜まった唾を呑み込み、藤編みの籠から木製のスプーンを取り出した。商人らしき男たちが言っていた〝ライス〟の一言を、クリックは忘れていない。
卵を崩さないよう、鍋の縁からそっとスプーンを差し入れる。柔らかく煮込まれた肉とマッシュルームを押し退けて、底まで下げる。スプーンの先にハッシュドビーフ以外の抵抗が生まれる。わずかにスプーンを動かして掻き分けると、ハッシュドビーフのソースが絡んだ米が見えた。湯気がほこほこと強まる。
今度こそ、正直に腹が鳴るのを止められなかった。
底に敷き詰められたライスごと、大きくスプーンで一口を掬い取る。ソースと一緒に薄切の牛肉とマッシュルームがスプーンの中に入り込む。かぶりつくようにスプーンを口に入れた。
「
……
っふ、あふ、あつ」
冷ますことを忘れてしまって、具材の熱さがそのまま舌に触れる。はふはふと口の中で転がしつつ、味わい、レモン水を一口飲んで舌を冷ました。
ハッシュドビーフのソースと煮込まれた肉汁が舌の上に広がる。マッシュルームをに歯を立てると、香ばしさが瑞々しくじゅわりと口内に満ちる。ソースに蕩けた玉ねぎやセロリの甘味が後味として残った。
ライスはただの白米ではなかった。香り高いバターライスだ。そう、確かメイ家
――
ク国の名家から仕入れられたライスと言っていた。東大陸で流通しているライスよりも、ずっと甘くて香りも強い。ほのかに甘くバターが香るライスは、濃厚なハッシュドビーフのソースに負けず、口の中で調和する。
温められていた胃に、一口目が辿り着いて、食欲がさらに刺激された。もう一口とスプーンを構えたところで、中央に鎮座する卵に気がついた。スプーンの先で黄身を覆う白身を突く。ふるりと震えた白身をそうっと破ると、とろとろと黄金色がハッシュドビーフの上に流れ出す。
行儀はあまりよくないが、クリックはキャセロールの真ん中に改めてスプーンを入れた。ライスとハッシュドビーフ、そして黄身を一緒に掬う。反省とともにふうふうと息を吹きかけてから、口に含んだ。
濃厚なソースとバターライスを、卵のまろやかさが包み込んで舌の上で融け合う。たまらずグリューワインを一口飲むと、ワインの甘さと林檎の爽やかさが舌に残ったくどさを洗い流してくれる。薄切りのレモンを齧ると、またすぐ一口が欲しくなる。
――
美味しい
……
!
そこからはもう胃袋に正直に、一口ずつ食べては飲んで、を繰り返した。キャセロール自体が大きめで、小さなホールケーキほどの大きさがあったはずなのに、あっという間に最後の一口になってしまった。香ばしく焦げたライスと肉をスプーンに収めて、じっくりゆっくり味わってから嚥下する。
グリューワインも残り少ない。底に溜まったスパイスが効いていて、最初の一口よりも爽やかな口当たりになっていた。テーブルの上のすべてを平らげてグラスを置いたときには、毛布に包まれたように身体中がぽかぽかと温かくなっていた。
「はあ
……
」
やはり、今日はこの店にして正解だった。満腹感と満足感に包まれながら、今し方、腹を満たしてくれたライスの仕入れ先の名家とその故郷のことを考える。
長らく続いた戦争が終わったばかりの遠い国。戦争の傷は辛く、深く、人も町も立ち直るには年単位の時間がかかると聞いている。
聖火教会からも、聖堂機関からも、支援の手とともに、この機にと宣教師が送られている。布教については、何だか弱みにつけ込んでいるようにも見えてしまって、複雑な気持ちにならなくもなかった。
けれども、泥の底に沈んでいた幼いクリックの心を救ったのがこの信仰だということも確か。在り方がどうであれ、何かが誰かの心の支えになるよう、祈らずにはいられない。
――
でも。
新しい王は早速、その善性を発揮し、一歩一歩、復興への道を歩んでいるという。不思議な人の縁でクリックは彼の王の
為人
ひととなり
をほんの少しだけ知っている。だから、きっと、彼の国はずっといろいろなことがよくなるはずだ。どれだけの月日がかかろうとも。それだけその道が険しかろうとも。それだけは間違いないだろう。
聖堂機関としても、本部の隣に位置するメイ家の衛兵との連携を定期的に見直すことになった。かつては隣り合ったまま、睨み合いもしないが干渉もしない。近いようで遠い組織だった。未だ手探りではあるが、いつかは当然のように助け合えるようになればいい。
そうすれば、そんなふうになれば。こんなに甘くて美味しい米が東大陸中で食べられるようになるというのも、夢ではないかもしれない。
まだ見ぬ未来を瞼に描きながら、クリックは丁寧に両の手を組んだ。
「ごちそうさま」
昨日より今日、今日より明日。また美味しいものがこの世に溢れますように。
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