racmon
2025-11-20 16:48:38
5152文字
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【web再録】カラダ、ヨジレチャウ

以前発行したweb再録本『Bye-Bye,Locksmith』より、書き下ろし2本のうち表題作じゃない方を期間限定で再録します。

 バラシです、その言葉を聞き終える前に懐をまさぐった。金属が擦れる音に癒しを感じる。
 ポケットを叩いて増やしたわけではないが、気づけば大量に抱えていた。俺のオフには一つだって欠かせない。
 今日はドローンが主役の撮影だった。風が強くて危険なのであれば、無理に決行しないのがプロである。長く同じチームで仕事をしてきた為、撤収も次のスケジュール確認もスムーズだった。俺はさっさとタクシーを手配し、目的地へ直行した。
 
 スキップで向かうは盧笙の部屋。予定外の訪問が叶うと思うと鼻歌が弾む。
「おっとぉ?」
 盧笙が階段を降りてくるのが見えた。咄嗟に物陰に隠れ、様子を伺う。ややおしゃれをした格好に、しっかり荷物が入りそうなトートバッグを携えている。どこへ出かけるのだろうか。少なくともウメダへは出るとみた。
「日曜人多いのに。買いモンか?」
 声をかけてもよかったが、せっかくなので尾行を試みる。一度部屋へ引き返したため面倒になったのかと思ったが、靴をブーツからスニーカーに変えただけだった。お気に入りより歩き易さを取ったらしい。これからの行動範囲の広さを予想させた。

 最寄り駅に着くまでは人通りも少なく、隠れて進むのは至難の業。散歩中の犬に訝しげに見られようと構ってはいられない。
 盧笙はゆっくり歩いて、外出自体を楽しんでいるように見える。いつもは「チョロチョロすな! チャッと歩け!」が口癖のせいに、随分とのんびりだ。
 景色や季節の花を見上げていた盧笙が、側溝を見下ろした瞬間に飛び上がった。首を押さえてしばらく立ち止まっていたが、すぐに何事もなかったように歩き出した。可哀想に、首を痛めるほど驚くものがあったのだ。元凶を突き止めてやろうと、俺はその箇所を覗き込んだ。
 靴下が落ちている。黒のロングホーズ片方。おそらく何処かから飛んできたのか、今日は風が強いから仕方がない。それはちょうど蛇のように見えなくもない。
 おいたわしや、躑躅森盧笙氏。

 最近改修され綺麗になった駅前は、直結の施設にちょっとした店や病院が入っていた。そのぶん、勧誘なども格段に増えた。おかげで日々気が気でないのだ。
「うせやろ、あの距離からもうロックオンされてる」
 パンフレットを片手に、にこやかな男女が盧笙に歩み寄る。案の定足を止めた様子に額を押さえた。
「特にそういうのは──」 
 一応断りの文句は聞こえてきた。しかし二対一とは卑怯である。よっぽど助けに入ろうかと思った時、二人組の若い女性が盧笙に声をかけた。男女は徐々に後ずさっていき、また定位置で道ゆく人の物色をはじめた。
 今日は休みの日だし、彼女らは暁進の生徒というところか。談笑する三人を、俺は穏やかな気分で見守っていた。
「ラ、ラインはやってないです」
 しかしながらナンパであった。まったく恐ろしいほどの吸引力。バレる嘘でも、なんとか振り切ろうとしているのは評価したい。
「いや合コンとかは別に。友達作りも、そら多いといいかもしれないですけど──」
 風向きがより怪しくなってきた。こうなるとナンパの方がまだマシだったかもしれない。音楽、スポーツ、勉強会と、それ自体に罪はないが、一つの会話で並べられるとそれはもうマルチ過ぎるというものだ。
「どんな二段オチやねん……
 勧誘相手にぺこぺこと頭を下げ、盧笙はようやく改札を突破した。俺も後に続く。それにしても、電車に乗るまでにこの調子なら、大都会に放り出されたらひとたまりもないのではなかろうか。
「お前はもう一人で出歩くな……
 一瞬でも目を離してはならない。改めて気を引き締め、隣の車両に乗り込んだ。ウメダに着くまでの数駅間でも、カップルが隣同士で座れるように向かいへ移動したり、その席を今度は老婦人に譲ったり、親切に忙しない。それでもその横顔にはとても良い笑みが浮かんでいた。
 みぞおちの辺りがキュウとなる。これに名前をつけたくはなかった。しかし彼を目で追い、体でも追い、心はどこにいても隣でありたいと思う。自分の感情に蓋をできなくなったきっかけの痛みだった。
 腹を抱えて悶えていると近くの乗客に顔を指された。マスクの前に人差し指をかざすと、頭をしっかりと縦に振ってくれた。気遣いのできるファンでよかった、と思ったのも束の間、隣の学生の肩を叩いて、俺と同じジェスチャーをして見せた。ハッとして頷いた学生は、そのまた隣へと伝達していく。
 白膠木簓がいることは秘密しようネ、という配慮が車内全体に広がった。
「いや、ナイショの意味! オモロいからええけど!」
 ワッハッハ、とひと笑い起きてからは、みんな各々の時間へ戻っていった。冷静に考えると奇妙な文化である。とにかく、今は盧笙にさえ見つからなければそれでよい。
 ついにオオサカの中心部へ到着し、ここからは人混みを縫って追わなければならない。
「あれ、盧笙?」
 乗客たちと笑い合ったそのわずかな隙に、盧笙は姿を消していた。席や手すりを譲りすぎて別の車両まで移ってしまったというのだろうか。そうだったとして、そのシーンを見逃したのが悔やまれる。慌てて飛び出したが、近くにはもう見えない。オモロ生態調査ももはやこれまでかと思われた。
「あなたはAEDを持ってきてください!」
 こんもりとした人だかりの中から、一際通る号令が聞こえた。聞き間違えなどしない、盧笙の声だ。下車して五秒で人命救助にあたっていた。
「見えへんな……
 野次馬が多く、前に進めない。じわりと嫌な汗が滲む。
「すんません、通して──」
 そこに担架を抱えたレスキュー隊がやってきた。迅速な対応が出来たのは、きっと盧笙の働きがあったからだろう。
 次第に人々は散り散りになっていく。有象無象の波が引いた中心に、盧笙は立っていた。隊員と何か話したあと、深く頭を下げられ狼狽えている。
 大概の一般人にはなかなかできることではない。実際、盧笙の声かけに突き動かされてから駆けていく者が複数いたのも確認できた。人間、少なからず善いことをしたいと思うものだ。そこに下心などがあっても善は善の為、別に構わないと思う。
 しかし盧笙は違った。熱くて大きな心身でもって、一切の見返りを求めぬ善を貫く。もはや眩しいなんてものじゃない。
 隊員の背中を見送った盧笙は、一度だけ深呼吸して自分の胸をポンと叩いた。真っ直ぐな眼差しに心を打たれる。盧笙が優しいことが嬉しかった。
「ピース! って感じ……
 盧笙の歩いた後ろに緑が生える。空には雲間が見え、陽の光が放射状に降り注ぐ。雑踏は心地よい風の音に変わり、俺の頬にあたたかく触れた。盧笙がいると世界は美しい。
「この辺あまり詳しくないので」
 張り詰めた声色が俺の幻想を打ち消した。ぼんやりして距離を詰め過ぎていたが、そのおかげで盧笙の身に起きている異変を拾うことができた。盧笙の後ろをついて歩く男は、手荷物もなく、ただ道を尋ねただけの観光客とはまず思えない。しつこく盧笙の顔を覗き込み、あれこれものを言っているようだ。ズンズンと進む背中を見失わないよう、人をかき分け追いかける。俺は盧笙のスマホを鳴らした。しかしいくらかけ直してもまったく気づく様子がない。出てさえくれればこちらへ誘導ができるのに。もどかしさに歯軋りする。
 男が盧笙の肩に手を置いた。全身の毛が逆立つ。食いしばった歯はたぶん欠けた。
「あ、ちょっと職場から電話かもしれないので」
 何度目かの発信をしたときだった。盧笙は男を振り払い、バッグに手を入れた。あの中で俺からの着信を握りしめているのかと思うと、喉の奥が詰まる。
 駆け出した盧笙は物陰で呼吸を整え、スマホを取り出した。しばらくして一件のメッセージが届いた。
『ごめん今出先やねん』
 盧笙は先ほどの状況を話さなかった。見栄を張っているのか、心配させまいとしているのかは分からない。ただ、頼られなかった悔しさと、助けに入れなかった情けなさで感情が無茶苦茶になる。もう尾行を知られても構わない。『変なナンパとかされてへんやろな!』とこちらから鎌をかけてみた。
 ニヤリと上がった口角。予想外の反応に、俺は完全に油断した。
『お前の存在便利やな』
 降参、俺はもう盧笙に完膚なきまでつらぬかれて、骨抜きにされてしまった。
「ええよもう! なんぼでも俺ンことつこてんか!」
 膝は脱力し、壁に寄りかかる。ここが広大な草原だったら土に還るまで転げていただろう。初めてコンクリートジャングルに感謝した。
 生まれたての子鹿と化した己の脚を叱咤し、対して力強く大地を踏みしめる盧笙のゆく先を見届けんとする。
 たどり着いたのは酒屋だった。盧笙が選ぶ店にしては、価格帯はややお高めである。誰かへの贈り物か、または自分へのご褒美か。店内は狭そうなので、向かいの雑貨屋で待機することにした。
 俺が暇を持て余すこともなく、盧笙はわずか数分で店外へ出てきた。満足そうな顔をしているので、目当てのものは買えたらしい。バッグに仕舞われた購入品がチラリと見えた。それは見覚えのあるパッケージだった。近頃頻繁に振る舞われる酒のアテ。俺が一度絶賛してから、居酒屋躑躅森のレギュラーメニューになったものだった。
 近所のスーパーで見つけたと、何気なく言っていたはずだった。いつもそこで買っているのだと。孫の気に入った物をずっと買い続ける祖母のようだと、そのくらいにしか考えていなかった。
 盧笙は俺に嘘をついて、電車に乗ってまでして、定期的に調達しに来ていたのだ。
 すっかり騙された。盧笙が俺を想う気持ちをみくびっていた。
 これってもしかして愛なのでは? 浮かんだ期待が膨らんでいく。俺たちは次にどうしていくべきだろう。途端に慎重な考えが頭をよぎる。
 でも大丈夫。二度目はない、今の俺たちには。

 そのあと他の店も見て回っていたが、盧笙は結局、俺が好きなつまみだけを抱え帰路へついた。ところが来た道を戻る中でも、一筋縄ではいかない。野良猫と見間違えてビニール袋に駆け寄り、無視はできずに拾ってゴミ箱を探し回ったり、行きと帰りで同じ団体の別の人間から引き止められたり、散々だった。
 部屋に着く頃にはへとへとに疲れ切っているに違いない。先回りをして待つことも考えたが、今日はそっとしておくことにした。
「簓! 来とったんか!」
 溌剌とした声に呼ばれた。へらりと笑って振り返るしかなかった。こちらが偶然を装う隙もなく、盧笙は嬉しそうに手を挙げた。
「ちょうどええわ、さっきそこのスーパーでお前の好きなつまみ買うたし寄っていきぃや!」
 傍らに、行きにも見た犬がいた。今度は夕方の散歩中だ。また不審なものを見る目を向けられている。しかしそれどころではなかった。
 俺は今、路上で盧笙を抱きしめていた。
「どないした?」
 心配そうに訊ねられても、俺は一言も返せない。情けない唸り声だけが漏れる。いま口を開いたら大変まずい。いつか盧笙へ伝えたい言葉は、もっときちんと場を設けたい。
「なんかあったんか? しんどいんか?」
 ──しんどいよ、お前のことが好き過ぎて。
 信じられない! この俺がこんなにもセンチメンタルになるなんて!
「ほれ、ウチ帰るぞ」
 ウン、などとしおらしい返事をした。妙に誇らしげな顔をした盧笙は、俺の手を引いて連れ帰った。

 テキパキと晩酌の用意をする盧笙の隣に立つ。なんだか懐かしくて、どこか照れ臭い気分だ。食器を取り出す音だけがする。手持ち無沙汰さに耐えきれず、口を開いた。
「さっきもそうやけど、大事な時ほど電話しても出てくれへんよな」
「大事な時?」
 ここまで言えば大体察するだろうに、盧笙は俺が尾行していたことを疑いもしない。
「俺が鬼電するときやー」
 鈍くて世話が焼けて、唯一俺から平静さを失わせる存在。トン、ともたれかかると受け入れてくれるぬくもりに免じて、今日のところはこれ以上の追及はやめておこうと思った。
「なんや、お前まだエイプリルフールんときのこと根に持ってんのか?」
 ぶわりと体温が上昇した。喉が乾いて、まばたきが増える。日中の姿とは違う、不遜な態度。開いた口が塞がらない。
「ちゃんとメールで返したやん」
 わなわなと震える俺につまみの皿が託された。盧笙はというと、さっさと腰を下ろし、バラエティ番組のザッピングに勤しんでいる。
 俺の手の中に、不器用愛情盛りがあって本当によかった。そうでなければ今頃は、きつくよじれた体で床をのたうち回っていただろう。