ガイドブックに掲載されている店に抜き打ちで訪れて審査をする、それがインスペクターの普段の仕事だが、今日の二人の仕事は少し特殊なものだった。
イネイン社の上層部から直々に頼まれた極秘の任務。それは、洋菓子店『BUN』で予約したホールケーキを引き取ってくることだった。
なぜ極秘なのか、理由は簡単。偉い人の娘が今日11月20日、誕生日を迎えた。つまり、その誕生日パーティーで食べるケーキということになる。娘は大層楽しみにしているらしいが、仮にもアングラ世界の要人だ。無事にケーキを入手するため、その「おつかい」に優秀なインスペクター二人が選ばれた、というわけだった。報酬とは別にその店の好きなケーキをご馳走してくれるらしい。
「今回引き取るのはいかにもバースデーケーキっぽい苺が乗ったホールケーキだけど、この店はタルトも美味しいらしいぜ」
カジは他の仲間から聞いた情報を相棒にも話す。
「ふーん、タルトか」
ムギは店の資料を眺めながら相槌を打つ。そういえは自分達も好きなケーキを買ってきていいと言われていた。
「そうそう、中でもシャインマスカットのタルトが絶品らしい。結構いい値段するけど」
「まあ上の奢りだしいいんじゃねぇの。……絶対忘れちゃいけねーもの、っと」
ムギは資料のとある文字を赤いペンでぐるぐると囲む。
「なに?」
「蝋燭。バースデーケーキには必須だろ。今回は7本だ。店の方でつけてくれるみたいだけど、本数ちゃんと確認しねぇと」
「あぁ、そりゃ大事だ」
最終確認を終えた二人は車を出し、洋菓子店『BUN』に向かった。
洋菓子店『BUN』は森の中をだいぶ奥まで進んだところにあった。赤いレンガ造りにとんがり屋根のこぢんまりした店構え。店の周囲はきちんと手入れされた自然にあふれ、庭のようにも見える。そんなまるでおとぎ話に出てくるようなメルヘンチックな建物には石畳でできた小道が案内してくれる。
車から降り、石畳の道を歩いて店に向かう。スーツ姿の大人の男二人はどうにもこの景観からは浮いて見えるが当の二人は特に気にしていなかった。
あえて古めかしく加工されているような扉には「Open」の札がかかっている。扉を開ければカランカランと頭上のベルが入店を知らせた。その音を聞いて店主が奥から姿を現す。丸い眼鏡をかけた優しそうな雰囲気の妙齢の女性だった。資料によれば彼女はこの店を一人で切り盛りしている店主だ。
「あら、いらっしゃいませ」
店主はゆったりとした優しい声音で言った。
「予約してたケーキを取りに来たんだが」
ムギが予約の詳細が記載された紙を店主に渡すと、彼女はそれを見てにこりと微笑んだ。
「お待ちしておりました、ただいまお持ちしますね」
そう言って店主は店の奥へと戻っていく。その間にショーケースへと視線を移す。自分達が食べる分のケーキも選ばないといけないのだ。
ショーケースのケーキはどれも可愛らしく綺麗で自身を誇るように並んでいた。王道のショートケーキにガトーショコラ、チーズケーキにモンブラン。そして噂のタルトももちろんあった。壁際の棚にはクッキーやマドレーヌといった焼き菓子も並んでいる。いくつか好きなものを選んでギフトにすることもできるようだ。
「ムギはどれにする?」
「……ん〜、俺はこの三種のベリーのタルト」
「んじゃ俺はシャインマスカットのタルトにしちゃおっかな」
しばらくすると奥から白い箱を持った店主が戻ってきた。「こちらでお間違いないでしょうか?」と蓋を開け、中身を確認するように言ってくる。ケーキの縁と中央に等間隔に並べられた真っ赤な苺。白い生クリームで覆われたシンプルだが何よりも特別なケーキの中央にはチョコレートでできたプレートが乗せてある。白いチョコペンで書かれた綺麗な『Happy Birthday』の文字は職人技だ。
「蝋燭は何本おつけしましょうか?」
「7本頼む」
会計を済ませケーキを受け取ればあとはイネイン社に戻るだけだ。
帰るまでの道中、危ない組織の連中に目をつけられカーチェイスが発生したが、大したことはない。こういったことはいつもの仕事で慣れている。ところが、今はケーキを死守しなければならなかった。ケーキを死守するというのは、食べられればいいってものではない。箱から出した際に、確認した時と同じ綺麗な状態を保っていなければならない。楽しみにしていたバースデーケーキがぐしゃぐしゃの状態で出されようものならインスペクターの首が飛びかねない。
バックミラーで敵を確認し舌打ちをしながら助手席にいるカジに声をかける。
「おい、死んでもケーキだけは守れよ!」
「わかってるって! でもお前ももうちょっと安全運転をだな……!?」
「言ってられるか!」
ムギはハンドルを切りながらアクセルを強く踏み込んだ。
*
ここはイネイン社のラウンジ。食にこだわるイネイン社は夜のこの時間、疲れた社員のために酒だって提供しているのだ。
そんなラウンジの一角、二人掛けテーブルに向かい合って座っているのは二人のインスペクター。テーブルの上にはタルトが二つ。
「あ〜〜〜疲れたっ!」
カジは解放されたように勢いよくワイングラスを呷る。
「さすがにヒヤヒヤしたな」
ムギはフォークでタルトのフィルムを剥がす。
「お前の運転が荒いから!」
「あ? ナメた速度で走ってたら追いつかれてただろうが。それにケーキも無事だったし」
「俺が死ぬ気で守ったからな」
「それに関してはよくやった。お前なら大丈夫だと思ったんだ」
「そ、そうか? ふふん、まあ任せろって」
カジの不満そうな顔もすぐに得意気な表情に変わる。扱いやすくて助かるやつだ。ムギはそう思ったが口には出さなかった。
「今頃娘さんの誕生日パーティーしてんのかな」
「そうだな、盛り上がってるんじゃね。ケーキ美味いし。……ベリーの酸味がいい味出してる。あとタルト生地があまり他の店じゃ食べたことない食感があっていいなこれ。何か特別なもの入ってるのかもな」
タルトを口に運びながら感想を述べる。
「わかる、こっちもシャインマスカットの爽やかさとカスタードクリームの甘さがマッチしてて美味い。このタルト生地のザクザク感っていうの? クセになるな〜」
仕事以外でもついテイスティングしてしまうのはインスペクターの癖だ。
大粒のシャインマスカットのタルトとベリーのタルトを頬張りつつ、二人の夜は更けていく。
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