ひやめし
2025-11-20 13:54:51
6493文字
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彗星さえ知らない彼方

調子にのったカカシが「俺たち宇宙人なんだよ」って先生をだますハッピーラブコメ?です?

 魔が刺す、というのはこういうことかと、カカシは口元を歪めてニヤリと笑った。

 里の領内に入ってほどない藪の奥に、人の気配を感じてのぞいてみれば、見知った顔の中忍がかろうじて身を隠すように倒れていた。
 横倒しになっている体を起こして、二度三度と揺すってみると目を覚ましたが、ぼんやりと遠くを眺めているばかりでカカシの存在などまるで気にも留めていないようだった。
「イルカ先生?大丈夫?何かありましたか?」
 ざっと見る限りケガを負っている様子もなければ服装が乱れているわけでもない。ここが昼間の本部の中庭であったならば、隠れて昼寝でもしていたのかと笑うところだ。
 イルカは問いかけの声を聞いてようやくカカシの存在に気がついたらしいが、目があった途端青ざめてひどく怯えたように肩に置かれているカカシの手を振り払った。
「ここは……? 俺は……どうして? 何が……
 イルカは何かを確かめるようにあたりをキョロキョロと見渡している。目に入る何もかもが自己の認識と齟齬を起こしているらしく、恐れ危ぶみ悲観していることはカカシから見て手に取るより明らかだった。
 イルカの意識ははっきりしているものの、その目は術にかけられた者特有のどこか焦点が合わないそれで、カカシはイルカが任務中に何者かに襲われ、必死でここまで逃げ帰り力尽きたのだろうと推測した。
 カカシは斜めがけにした額当てを持ち上げると、普段はまぶたの奥に隠している赤い瞳でイルカをじっと見つめた。
「俺たちが乗ってきた艇は壊れちゃったけど、大丈夫。俺が側にいるからね」
 その言葉を聞いたイルカは安心したように息を一つ吐き再び意識を失った。脱力したイルカを担ぎ上げたカカシは一目散に木ノ葉病院を目指して夜の森を駆け出した。

 医療班にイルカを預けたカカシはとりあえずの処置が終わるのを、そのまま外来のソファーで待つことにした。
 外傷はないが明らかに何かの術をかけられた形跡がある。写輪眼を使って探ってみてもその痕跡すらつかみ取れなかった。普段滅多なことで外に出て行くことがないアカデミー教師に託されるような任務。襲うだけ襲って無傷のまま里へ帰されたイルカ。今夜帰宅を許されることはおそらくないだろうが、できればもう一度会って話をする機会がほしかった。
 人気のないロビー、真夜中だというのに忙しなく働く複数の人影。いつもなら扉の向こうで処置をされる側になることが多いカカシは、向こうとこちらとを隔てるドアの上で煌々と光る「処置中」の赤いランプをぼんやりと眺めていた。
 どのくらい経ったのか、ウトウトと微睡んでいたらしいカカシはドアの開く音に慌てて顔を上げた。
「カカシ、ちょっと来い」
 いつの間に来ていたのだろう。逆光を背負った火影がどんな顔をしていたのか、カカシにはわからなかった。

「何があった」
 人払いをしていたのか処置室の中は無人で、すでに病室に運ばれた後らしくイルカの姿もそこにはない。唯一事情を知っていそうなカカシを火影が探るような目つきで見つめている。
「何がもなにも、帰還中に人の気配がしたのでのぞいてみたら倒れてたんですよ」
「他に何か見たり気づいたりしてないのか?」
「特に何も。先生以外の人の気配もありませんでしたし交戦した様子もなかったので、どこかで襲われてあそこまでたどり着いて力尽きたのかと」
「なぜ襲われたと思ったんだい?」
 なぜも何も真夜中にあんな里の端っこで意識を失い倒れていたのだ。任務で負傷する以外の理由があるだろうか。あるいはもしも同胞に追われていたということも無きにしも非ずではある、が。
「まさか里抜けじゃないでしょうね?」
 念の為のカカシの問いかけに綱手は心底呆れて軽蔑の眼差しを向けてくる。
「そんなわけがあるか!」
 それはそうだろう。イルカはあの三代目がナルトを預けたような人物なのだ。それを抜きにしたってイルカと里抜けなど一番遠いところにあるように思える。
「俺もせいぜいチャクラ切れか何かだと思ったんですよ。声をかけたら目を覚ましたんで」
「何か話をしたか?」
「綱手様も先生を診たのならわかるでしょう。あれは何かの術がかけられてますよ」
 こと医術において現火影の右に出る者などいないのである。カカシですら一目見てわかったことを綱手が気がつかないなどということがあるだろうか。
 おそらくはカカシ以上にイルカの状態をわかっていて、唯一現場を見たカカシが何か知らないか綱手はそれを探っているのだろう。
「誰に何をされたのかはわかりませんが、おそらく先生は記憶を無くしているんじゃないですか?」
 そして綱手をもってしても現時点で解術はできなかったに違いないとカカシはふんでいる。
「俺も解術を試みましたけど無理でした。なのでここへ運んで、それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうか、わかった」
 カカシの入れた探りに綱手は応とも否とも答えなかったが、否定の言葉が出ない以上概ね的を射ているのだろうことはわかった。
「イルカがお前に会いたがっている」
「俺にですか? 先生は意識が戻ったんですか?」
 もう正気を取り戻して自分のちょっとした愚行が綱手にも筒抜けになっているかもしれないとカカシは一瞬焦った。どさくさに紛れて里の同胞に暗示をかけたのである。そのことが明るみに出たのならばこんな間怠いやりとりを綱手がするとも思えない。
 そうであればカカシの愚行は未だ誰の目にも明らかにはなっておらず、イルカは今や「唯一の人」となってしまったカカシをただひたすらに待っているということなのだろう。
「意識は戻ったし肉体的には健康そのものと言っていい。だがなぁ……説明するよりも会った方が早いだろうよ。ついてきな」
 綱手の背を追って薄暗い病棟の廊下を進む。
 見知らぬ人間に囲まれて抵抗する暇もなくあれこれと探られたはずだ、イルカはきっとカカシの存在だけを頼りに孤独と不安に立ち向かっているに違いない。カカシの顔を見ればきっと安心するはずだ。イルカから向けられるであろう顔を思い浮かべたカカシは思わず口元に笑みを浮かべた。
 覆面で隠れているとはいえその表情がだらしなく緩みきっていることは間違いない。綱手が自分に背を向けているのをいいことに、カカシはニヤつく口元を抑えることができなかった。

 イルカに当てがわれたのは個室らしく一人分の名札しか掛かっていないがそこにイルカの名前は書いていなかった。代わりに面会謝絶の札が掛けられ扉にも結界が施されている。
「随分と厳重なんですね」
「念の為な。場合によっては帰宅しても構わないんだが……
「帰れるんですか?」
「体は健康そのもの、術の詳細も判らない。正直にいえばできることは今の時点では何もないからな」
 掛けられた術の影響がはっきりしない以上監視がつくのは必定、であれば病室でも自宅でも里の目の届く所ならどこでも同じという判断のようだ。
「入るぞ」
 綱手は一声かけてから病室の扉を開けた。ベッドを取り囲むカーテンの向こう側でイルカが身じろぐのがわかった。随分と夜も更けたはずだが、まんじりともせず一人その身を抱えているらしい。
 カカシは視線だけで綱手に確認を取ってカーテンを少し開き中の様子をうかがった。
 扉に背を向けて膝を抱えるイルカは肩をびくりと震わせて、恐る恐るという態で振り返る。カカシの姿が目に入ったのか全身に張り詰めていた力が抜け、イルカはふにゃりと笑みをこぼした。
「カカシさん、よかった。もう会えなかったらどうしようかと思ってました」
 伸ばされた手をカカシが握ると、イルカは予想以上に強い力で縋りつきカカシの手の甲を涙で濡らした。
 あえて言葉をかけることなく背を摩ることに留めたカカシの様子を、綱手は少し離れた場所から何かを探るようにじっと見ている。カカシは下手にしゃべってボロを出す前に、自分がイルカにかけた暗示がどの程度作用しているのか、イルカが話し始めるのをじっと待つことにした。
 ひとしきり泣いて落ち着いたらしいイルカが手のひらで顔を拭う。
「この男、カカシのことは知っているのかい?」
 綱手は一歩進んでカカシの横に立ち、イルカと目線が合うように少し屈んで話しかけた。イルカは無言で頷き、何かを探るようにカカシと綱手を見てしばらく黙り込んだ後ゆっくりと口を開いた。
「俺は……俺とカカシさんは、宇宙船に乗って、それで……
 カカシが隣に視線を向けると「会った方が早いと言ったろう」と綱手がつぶやいた。
 病院に運び込まれたイルカは自分がどこか別の惑星の住人で、気がつけば知らない星の見知らぬ人間に囲まれて同行したはずのカカシの姿も見当たらず、あちこちと調べられこの先どうなるのかと狼狽し全く話にならなかったらしい。
「宇宙船とやらが何かはよくわからないが、お前はこの里の外れの森の中で一人で倒れていたんだよ。カカシ、お前は何か乗り物、船か?それらしいもの見たのか?」
「いや……特に何も」
 ようやく会えた、唯一頼りになると信じていたカカシが自分の言葉に同調せず困惑する様子にイルカの顔が歪む。何もかも拒むように背を向けてしまったイルカにかける言葉もなく、カカシは綱手を連れ立って一旦イルカの病室を後にした。
「わかっただろう、イルカは記憶を無くしているというより別の……木ノ葉の忍ではない別のうみのイルカとしての記憶を植えつけられているらしい。ケガもなければチャクラを封じられてもいないが、そもそも忍者という概念がない」
「このままなら忍は廃業、ですか?」
 子供たちにするように一から教えれば再びやっていけるかもしれないが、里が期待するうみのイルカには程遠いだろう。カカシがかけた暗示はともかくとして、それ以前に掛けられた術の正体がわかっていない以上、いつどこで何がどうなるかは判らない。そんな人間を忍として信用するほど木ノ葉もお人好しではないのだ。
「廃業どころか、あんな状態でヤケ起こさないかそっちの方が心配だよ。お前も話しくらい合わせてやったらどうなんだ!本当に気が利かない子だねお前は」
「気が利かないって、突然あんな話されたら誰だって驚くでしょうよ」
 驚かずにすんなり同調していたらそれはそれで疑わしい。カカシが少しでもボロを出せば綱手が尻尾を掴むことなど赤子の手をひねるより簡単だ。
 今は誰にも疑われずにそばに寄り添うフリをしてイルカの監視と護衛につくポジションを得ることこそがカカシの最優先事項だ。
「もう一度イルカ先生と話をさせてもらってもいいですか?二人きりで。今度はちゃんとうまいこと話を合わせますから」
「お前にそんな器用なことができるのかね……まあいい、今はお前だけが唯一の接点になりうることだし。下手こいて危険な目に合わせたりするんじゃないよ!」
 綱手を廊下に残しカカシは今度は一人でイルカの病室に足を踏み入れた。カカシが開けたカーテンはそのままで、膝を抱えて嗚咽を漏らすイルカの背中がひどく小さく見える。
 カカシは自分が歩み寄ることがわかるように、わざと足音を立ててベットの傍らまで足をすすめた。イルカは肩に触れた手から逃れるように身を捩る。
「イルカさん、さっきは何も知らないフリをしてごめんね。心細かったよね」
 ベットの端に浅く腰を下ろしたカカシから距離を置こうと腰を浮かせたイルカはカカシの言葉に動きを止めた。
「イルカさんは目を覚ましたばっかりだから、急に何もかも話をしたら余計混乱するんじゃないかと思って」
……あなたは、俺の知っているカカシさんなんですか?」
「もちろん。一緒に艇に乗って遠ざかる故郷の星を眺めたでしょう?」
 イルカは今度こそ心の底から安心したようで、カカシを思い切り抱きしめると「良かった」と繰り返し言葉を漏らした。
「ここはどこなんでしょうか、俺は、俺たちはどうなったんですか?カカシさんはあの人たちを知っているんですか?悪い人、ではなさそうでしたけど」
「イルカさん、落ち着いて、俺の話を聞いてくれる?」
 カカシはじっとイルカの瞳の奥をのぞきこむようにゆっくりと話を続けた。カカシを信用してだろう、先ほどまで病室の中にあった暗部の気配は今は感じられない。それでもわずかでも怪しい気配がすればさすがに綱手は何かに勘づき病室に踏みこんでくるはずだ。
 今度は写輪眼は使えない。イルカにかけられた暗示をより強固にするためには、イルカの心の隙につけこんでカカシを特別に信頼するよう誘導するより他になかった。
「あの日俺たちが乗っていた艇は無事に星から逃れたように思えたんだけど、どうやら超新星爆発の影響を受けていたらしく予定していた移住先にはたどり着けなかったの。この星にも墜落同然に着陸して、その時の衝撃のせいかな、イルカさんはずっと目を覚さずに眠ったままだった。俺は幸いここの人たちに助けられた時に割とすぐ気がついたんだけどね」
「ずっとって、どのくらい……どのくらい俺は寝こけてたんですか?どうして何も、覚えてないんですか……
「二年くらい経つかな。故郷の星とは少し時間の経ち方が違うみたいだけど、そのくらいだと思う。何も覚えていないのも墜落の衝撃じゃないかって綱手様、さっき一緒にいた女の人ね。ここで一番偉い人でお医者様なんだよ。ともかく俺はイルカさんよりも早く回復したからこの里で仕事を覚えて稼ぎながらイルカさんが目を覚ますのを待っていたの」
「そんなに、長い間……俺はカカシさんに何もしてやれなかったのに、カカシさんはずっと一緒にいてくれたんですね」
 イルカは何かに感じ入ったのかカカシのでまかせに目を潤ませてぎゅっとカカシの手を握った。
 イルカの純朴な心根と真っ直ぐな瞳に罪悪感を覚えないわけはなかったが、ここで引き返すつもりも毛頭ない。イルカの肩をそっと抱き寄せて畳みかけるように話を続けた。
「何もしてないなんて思わないで。俺にとってイルカさんの存在がどれだけ心強かったか。里の人はいい人ばかりだしここで残りの人生を過ごすことに異論はないけど……それでも、やっぱり、ね。みんなとイルカさんは違うから」
「俺たち二人きりなんですね……
「そうだね。でも俺にはイルカさんがいるもの。こうして命は助かって、艇は壊れてしまったし生まれ育った星も散り散りになってしまった。でもイルカさんがいれば、それでいいの。俺は幸せ」
 カカシが笑いかけると、イルカは失ってしまった過去に諦めをつけるようにじっと目を閉じた。イルカの黒く澄んだ瞳がもう一度カカシを見た時、そこにはもはや迷いはなくたった一人になってしまったカカシへの信頼と親愛が清く輝いていた。
「俺も、ここでの生活に馴染めるでしょうか」
「俺がなんとかなってるんだもの、イルカさんにはわけないよ。でも、しばらくはゆっくり体を休めて俺のことだけ見ていて。明日何をするとか目の前の楽しいことだけ考えていよう?」
「そう、ですね。俺も元気になります、カカシさんのためにも」
 イルカの言葉にひとつ頷いて、カカシは今度こそ誰に隠すこともなくうっそりと微笑んだ。
 願わくばイルカにかけられた術が永遠に解けないように、イルカがずっと自分のことだけを見ていてくれるように。
 初めて言葉を交わした時からずっと心ひそかに慕っていたのだ。
 イルカという光に照らされてカカシの後ろ暗い欲望はより一層闇を深くしたかもしれないが、このまま里もイルカも欺きながら幸せを手にすることくらい、カカシにとっては苦労でもなにもない。
 あの時倒れたいたイルカを見つけたのは自分にとって人生で一番の褒美だったのだと思うと、カカシはこれまで負ってきた苦労が全て報われたような気がして、傍らのイルカが離れていかないように強く抱きしめるのだった。