ひやめし
2025-11-20 13:51:17
5011文字
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せんせいのおにんぎょう

拗らせた先生がカカシ人形を自作して一緒に暮らしてます

 目の前に立つ不機嫌を立体化したような男の顔を見て、カカシは「なるほどねぇ」と己の有り様が腑に落ちた気になった。
 カカシ自身その他大勢の男達と同じように頻繁に鏡をのぞきこむ趣味など持ち合わせていないが、目の前の男が自分と瓜二つだということは火を見るよりも明らかだ。うみのイルカのはたけカカシに対する並々ならぬ恋着を身をもって理解できた。
 覆面姿なので確かではないが、きっと目の前の男の口元にも黒子が一つあるのだろうことは窺い知れる。
「お前は何者なんだ」
 目の前の男が不機嫌そうな顔から不機嫌極まりない声を出す。カカシは男のむき出しの敵意が面倒で、後ろ頭をがりがりと掻きながらひとつ息を吐いた。
「何者もへったくれも、今ここで不審者なのは俺じゃなくてお前だからな」
 男は家主であるイルカの留守を狙ってこの家にやって来た。常識を伴った玄関からの訪問ではなく、天井裏から忍び込み音もなくカカシの背後に現れたのだった。
「うるさい。余計な口を聞かずに質問に答えろ」
 男は聞く耳など持たぬといった風情だ。
「俺が何者だって?それくらい一目見ればわかるだろう。まさかわからないなんてことは言わないよな?」
 なにしろ相手は現火影にして広く他里まで名の知れた木ノ葉の看板忍者だ。カカシがイルカに害を及ぼすような力を持つどころか人ですらないことはとうにお見通しのはずだった。
「俺ははたけカカシだ。それ以上でもそれ以下でもない。他に聞きたいことがあるのならまずはその泥だらけのブーツを脱げ。仕事でもないのに人様の家に土足で上がりこむんじゃないよ」
 路地に面した窓からは昼日中を過ぎ柔らかく赤みを増した日が差し込んでいる。朝玄関でいつも通り見送った時イルカは今日は特に急ぎの仕事もないから定時で帰ってこられそうだと言っていた。
 めずらしくねだられた夕食のメニューのことを考えるとカカシにはもう一人のカカシに拘っている暇はあまりない。
 万が一、二人が一緒にいるところをイルカが見れば、きっと混乱して最悪の事態にもなりかねない。カカシはそれだけは避けたかったので、もう一人のカカシ、つまり自分がこの世界に産まれ出るきっかけとなったオリジナルの存在にさっさとお暇願うことにした。

 ◆ ◆ ◆

 カカシがこの世に生を受けてぼんやりと視界に初めて入ってきたのは、鼻筋を横切る一本の傷跡だった。二度三度と瞬いた後、意志の強そうな黒い瞳が自分を見て安心したように細められたことがわかった。
 頭の中は霞がかかったようで何もかもがはっきりとしないが、目の前の存在が人であり男と類されるものであることは何故かわかっていた。
 そして自分がその「人」と寸分違わぬ見た目をしているにも関わらず「人」ではないこと、生き物と呼べるようなものでもないことはカカシの意識にはっきりと刻まれていた。
「カカシさん?わかりますか?」
 優しい呼びかけにカカシが自分の名前なのだとわかった瞬間、体の中に一本の芯が通ったような感覚がして、カカシは今この瞬間に自分がこの世に存在し始めたことを悟った。
 目に映る手のひらの大きさや手足の長さなどから、いわゆる成人男性と分類されるだろうこともわかる。おそらく話すことも可能だろうと思い声を出そうと喉を震わせれば、乾ききっているのかうまく音にできずに咽てしまった。
 男がカカシの側を慌てたように離れて何かを手に戻ってくる。
 手渡されたものが何かよくわからなくて、カカシは助けを求めるように男の顔をじっと見つめた。
「あー……えっと、ゆっくりのんでください」
 のんで?あぁ「飲む」か、と思ったカカシは手のひらの中の器に注がれた液体をゆっくりと口に含んだ。
 熱くもなく冷たくもない液体が、口の中から喉の奥さらにその先へ流れ込んでカカシを潤していく。ますます自己が鮮明になったカカシは、今度こそ己の存在を問うために自らの意思を声に出すことに挑むことにした。
「あなたは誰ですか?そして俺は何なのでしょう?」
 男は自分のことを「うみのイルカ」だと言った。カカシはそれが男の名前なのだろうと考えて「イルカさん」と呼びかけてみたが、イルカは戸惑ったような困ったような顔で微笑むだけだった。
「あなたはカカシさん。はたけカカシさんといいます」
「カカシ、それは俺の名前ですね?」
「そうです。そしてあなたは……傀儡、人ではなく人形で、俺が作りました」

 イルカは長いこと一人の相手を想い過ごしてきたのだという。例えその恋が実らなかったとしても、ただの同僚ちょっとした顔見知り程度でも構わない。互いに昔関わりのあった子供たちのとこでわずかでも言葉を交わす、そんな仲を細く長く続けられれば十分幸せなのだと納得してこれまでやってきたらしい。
 実際は階級も経験も何もかも違うにも関わらず、イルカの考えていたよりももう少し親密な関係性に落ち着いてきたところで二人の道は大きく別れたのだという。
「もしかしたら知り合いの中忍の中でもほんの少し特別なんじゃないかって、勘違いしたバチが当たったんです」
「何か怒らせるようなことでもした?」
「まさか!そんな人じゃないんですよ。あの人は俺みたいな階級が下の人間が馴れ馴れしくしても、いつも穏やかで優しくて。でも、もう手の届かないところに行っちまったから」
「死んだ?」
「生きてます。ピンピンして……いや、ちょっと疲れてるかな」
 今でも好きな気持ちは変わらないのであろうイルカは、カカシの知らない誰かを案ずるように笑っている。
「それで?俺はそいつの代わりに何をすればいいの?」
「何、って……それは、その」
「あれ?違った?」
 きっとイルカのいうあの人も「はたけカカシ」というのだろうとカカシは思った。そのカカシと、理由はわからないがこれまでのように親しい友人を続けられなくなったイルカによって作られたカカシ、つまり自分は代役でイルカの寂しさを埋めるためのお人形。そういうことなのだ。
「代わりだなんて。俺は、また一緒に飯食ったり、くだらないことで笑ったり……そういうことが忘れがたくて」
「わかった。じゃあ今日から俺はあんただけのはたけカカシね。一緒にいてくだらないことで笑って、あんたが寂しくならないようにずっと側にいる。ところで俺って飯食えるんですか?」
「もちろんです。食べないと体の維持ができないんで。ごめんなさい、俺のわがままにカカシさんを付き合わせるようなことになって」
 言い終わった後もイルカは床に手をついてじっと動かずにいる。
 イルカの手によって生み出されたカカシの存在意義はイルカの側でイルカの寂しさを紛らわすことだが、当のカカシは自分の元となったイルカの片思いの相手がどのような人間なのか全くわからない。
 カカシを見るイルカの目にうっすら熱がこもっていることから、見かけだけは間違いなく本人と遜色ないのだろう。だが為人まで似せるとなると難しい。
 カカシは今特に何かを真似たり演じたりしている自覚はないので、傀儡として持って産まれた本性のようなものでイルカに対峙している。
 一方イルカも自分が作った人形がうまいこと意思を持って動き出したことに満足しているようであるが、いずれ見た目が同じだけでカカシとはまるで違う存在を受け入れられなくなる日が来るかもしれない。
 そうなればカカシを待ち受ける未来はイルカによって破棄されるより他はないのかもしれないが、そのいつ来るかわからない未来の日までイルカと共にあることが己の運命なのだとカカシは不思議とすんなり受け入れることができた。
「ところで、俺はあんたのことなんて呼んだらいいの?」
「なんて、とは?」
 カカシはついさっき「イルカさん」と呼びかけた時のイルカの反応を思い出した。名前で呼ばれることをあまり好意的に感じていないようだったので、何かもっと別のオリジナルの存在が呼びかけていたものがあるのなら教えてほしいと思ったのだった。
「あ、あれは!別に嫌とかそんなんじゃなくて」
「そうなの?じゃあイルカさんて呼んでいいの?」
「えっと、あの、だったら……

 ◆ ◆ ◆

「そういうわけ。わかった?じゃあもう帰ってくれる?イルカ先生もうすぐ帰ってくるから晩飯の準備したいんだよね。今日は俺の手作りの餃子がいいって言うからさ、もう始めないとなの。待たせたらかわいそうでしょ?お前に!こき使われて!イルカ先生疲れてお腹空かして帰ってくるんだから」
「こき使ってなんかないね!それと、お前さっきから先生先生って馴れ馴れしいんだよ!」
「馴れ馴れしいもなにも、先生が言ったの!イルカ先生って呼んでほしいって!」
 昔カカシがねだられた通りに呼んでみれば、イルカは少し恥ずかしがってはにかんでいたが、それでもとてもうれしそうに見えた。それからずっとカカシはイルカのことを「イルカ先生」や「先生」と呼んでいる。
 お互いの呼び名などあっという間に日常になってしまったが、イルカは今でも時々カカシに呼びかけられてうっすらと頬を染めることがあり、カカシはそのさまがとても愛おしいと思っている。
 はじめこそあっという間に破綻するだろうと思っていた関係も予想外に長く続いてきた。イルカはカカシと本当のカカシとの違いに戸惑ったりイライラしたりすることはないのかずっと疑問だったが、ある時ついに我慢しきれずに聞いてみると「カカシさんとカカシさんは別の人でしょう?」と反対に不思議がられてしまった。
 その時からカカシはゴチャゴチャと余計な事に気を揉むことを一切やめることにした。自分は自分のまま、それでもイルカが必要としてくれていることがわかったからだ。
「そもそもさ、何の用?火影ともあろう者が仕事抜け出して部下の家に忍び込むとかさ。いい歳して恥ずかしいんだよ」
「何の用って……それは……
 イルカが秘密の恋人を囲っているらしい、最近の受付はその噂で持ちきりだ。受付の中忍だけでなくアカデミーの教員連中も折に触れては誰も見たことのないうみのイルカの恋人について、ああでもないこうでもないとかまびすしいことこの上ない。
 隠しておきたい程の美人なのではないか、顔に似合わず極度の束縛したがりなのかもしれない、相手は上忍で内勤の中忍風情と付き合ってると思われたくないのではないか、他里の草に色仕掛けの諜報を仕掛けられているに違いない、これだけ頑なに表に出さないということは出せないということ即ち不義の関係だ!などなど、人の数だけ勘ぐりが湧いてくる始末である。
 色仕掛け、は万が一にもないだろうが不義の関係なのであれば別れた方が身のためであるし、面食いもしくは腕のたつ忍びが好みなのであれば自分にもつけ入る隙がある。ともかくイルカが誰を何を隠しているのか、それを知らぬうちは策の立てようもない。
「それで忍びこんできたの?恥ずかしくないの?俺は今すごく恥ずかしいけどね!」
「うるさいな、それくらい焦ってるってことでしょうが。まあ、それも杞憂だったみたいだけどね」
「杞憂?どういうこと?」
「どうもこうも、先生は俺のことが好きだったんでしょ?それでお前を作ったんでしょ?めでたしめでたしじゃない」
 カカシはやに下がった火影の顔を見て心底うんざりした。自分の元となった男はなるほど見た目こそ瓜二つだ。だが人間性においてはどうやら違うらしい。
 自分とはまるで別人のように感じるオリジナルの存在を前にして、イルカが望んだ二人で暮らす決して短くない年月の重さをカカシはとても愛おしく感じた。
「あのさ、わかってないようだから教えてあげるけど、今、イルカ先生の好きなはたけカカシはお前じゃなくて俺だよ」
 外側だけがそっくりで中身は別人の自分とイルカが一体何年生活を共にしてきたと思っているのか。イルカが自分という存在を生み出してしまったことの責任感だけで一緒にいるわけではないことは、誰よりもそばで過ごしてきたカカシが一番よくわかっている。
 そこを疑ってしまうことはイルカに対する侮辱にもなる。
 カカシは呆気に取られて言葉もない六代目火影の顔を見て、恥ずかしいを通り越し不憫とすら思えるようだった。