黎明が半身だけ起こした時、肩から毛布が滑り落ちた。身震いする。寒い。当然だ。全裸である。時折、そういうこともある。暑かったからとか無意識で脱ぎ散らかす。酒を飲んで記憶が飛んでいることもまあ、頻繁ではないが、ある。ただ、黎明のいる場所があまり、良くない。常人には言い難い趣味、の手伝いだとか、普通に遊びに来たりとか、たまにお邪魔する友人宅が悪いわけではなく、暑くもない冬の日に全裸で酒で記憶が飛んでいて、仲の良いあの自称神様の寝台にいるのがまずい。
今、黎明しかこの部屋にいないのでそのようなあれ、に至ったこともまだはっきりと決まったわけではない。しかしそろそろと自身の身を見るとなんだか赤い色がある。強く掴まれた故の指の、痕にも見えなくもない。室内に立てかけてある大きな鏡で確認すると、やはりそれは指の形をしていて、背に縋り付いたような、そんなふうにも思えるし、何よりもっと確実的なもの、キスマークと歯形までくっきりとある。
ほぼ決定的な証拠を観測してしまったわけで、溢れた嘆息に酒の名残かずきりと痛む頭をおさえる。
確か昨日は石灰で白骨化が進むだとか何だとか、そんな話を訊いて、試した結果を確認する日だった。こんなこと、ユミピコとしかできないな、なんて笑い合いながら他にも色々やった気がする。その後、たまには酒でも飲むかと幾分か流し込んで、そこから記憶がない。
何、した。いや、問題はもうそこじゃない。
合意じゃなきゃ、黎明はこの部屋で物言わぬ物体になって吊り上げられていただろう。だからたぶん、合意だ。と思う。どうしてそうなった。
そんな事態が発生するほど相手に友人以上の好意を覚えているのだろうか。それともなんとなく、その場の雰囲気で、だとか。そんな雰囲気になるか、あの神様と。
魅せられている、とは思う。
咎人だとか天罰だとか言いながら側から悪人に見えるものばかり殺しているけど最後に決めている天堂の信仰する神様は、きっと神様にとって単純に快か不快か、それだけで選んでいるに過ぎない。そんなの黎明と何が違う。
隣人は黎明はどう見ても咎人なんだけど、どうして吊るさないんだろな、ユミピコ。
脇に逸れた思考を切り替え、昨夜の方向へ再び動かしたが、記憶一つ蘇らない。そこらにいる信者よりずっとこんなにあの神様のことを考えたのに。
しかし、このまま思い出せないと良くない、気がした。もう生命の危機だ。天罰は神さまの匙加減なので覚えていない、ことが不誠実だとみなされれば、死ぬ、かよくて怪我を伴う暴力だ。
とりあえず周りに散らばる服をたぐりよせながら考える。正直に告白するか、覚えているふりをするか。
結論を出す前に、扉が開き、考えていた相手がすでに整った格好で現れる。首まできっちり詰められているいつもの服。あの下に黎明と同じものがあるかもしれない。たぶん、黎明のせいなのに、背徳的だよなあ、なんて他人事のように思った。
「黎明、神が朝食を作ってやった、有り難く食せ」
天堂も食パンは焼けるし、黎明には良し悪しがわからないが紅茶を入れるのはたぶん上手だ。
たまに気まぐれで用意してくれる朝食だがその様子がなんだかあまりにいつも通りだったので、あ、うん、ありがと、なんて言って、黎明は着替えを続ける。
今、情交の痕らしきものを晒した下着だけの男が自分の寝台に座り込んでいるのだが。
たまに泊まらせてくれる時は、お前はソファで寝ろと言われて毛布を渡されるから、普通ではないくらい天堂にわかっているはずだった。
まあ、あの神様を自称する神父がこれくらいで動揺なんて見せるわけもなく、内心どう考えているかなんて簡単に見透かせるなら黎明の国には入れない。
とりあえず上下服を一枚着た状態でのろのろと立ち上がる。冷めるからさっさとしろ、と訴える目に急かされて、そんなふうにいつもと変わらず泰然と佇んでいる天堂を見ていると黎明だけ平静さを取り繕っているのが不意に馬鹿らしくなってきた。
「……ユミピコ」
踵を返そうとする天堂の腕を掴んで引き留める。
僅かに下にある顔。なんだ、とその唇が動く。
合意の上でのものならこの目の前の神様は、恋人ということになるんじゃないか。形式的なやり取りがなければその身に触れるのは赦されない厳格さがあるし。それにしても、この神様が恋人だなんてよくよく考えれば面白い気がした。友人としての振る舞いとはまた違う姿が観測できるかもしれない。黎明だけが知ることができて、それにあの天堂が恋人として唯一、黎明を見てくれるのは、悪くない。
飛びこんでくる赤い赤い唇。
これなら殴られるくらいですむだろ。
顔を近づけても避けられない。そのまま吐息が混じる。甘い、ような味は唇に乗った色のせいだろうか。
何処かしらに拳がめり込む覚悟していたが黎明が唇を離すまで天堂は微動もしなかった。
鼻先が触れそうなほど傍で、黒い一つの目が黎明を見ている。探っている。
深く覗かれるのは決して悪い気分ではないけれど、いちばん観測したかった天堂の顔色は黎明の望みには値せず、冷えた頬のままその赤い唇だけが吊り上がっていく。
いつもみたいに呼ばれて、脈絡のない口づけは天堂のほとんど正しいであろう予測を確定的にした。
昨日の記憶がない。祝杯のようなものをあげたまで、天堂は覚えている。その辺りのコンビニで買った安い酎ハイから自宅にある高いワインも出してきて飲んだ。普段あまり飲み交わすこともなかったから容量を見誤ったのだろう。
そのあたりから途切れて、次にある情景は、見慣れた寝台の上、だった。自室で飲んでいたのでおかしなことではなかったはずだが、何故か全裸の黎明が隣で眠っている。己の姿もどうしてだか、下着一枚だった。
天堂が掛け布団を全て奪い、寒そうにしていたから神の慈悲でかけてやった時、見えた赤い痕が黎明にも散らばっていて、数秒思考し、思い至る。
これは情交の名残ではないだろうか。
何故、黎明と、という疑問が浮かんだが、覚えていなくとも生きた黎明が隣にいるのは赦した、という事実は在る。それ以外の有象無象の人間であれば、このような所業、吊るす程度では物足りないが黎明ならその時、まあ、良いと思ったのだろう。
初めから人を殺す選択肢をいれていない他の友人たちとほんのすこしだけ外れている黎明に天堂は安心のような、憐れみのような愛しさのような何かを覚えているから、ちょっとだけ神への暴挙も許容してやることにしている。
今、の口づけもすこしでも不快であれば腹でも殴っていたかもしれない。
黎明が神を愛するのは、自由であるし、本来であれば、神の身に触れるなんて畏れ多いことだろうが黎明ならばそれに報いてやっても良いだろう。
そう思ったのでなんだか不服そうな顔を晒している黎明に薄く笑って、頬に指先をそわせる。そのまま髪を掻き分けた。
あのプラスチックに覆われていない瞳が天堂だけを映していたから、満足して触れていた掌を離す。
「……なんだその顔は。神に赦されることを光栄に思い、もっと喜びに満ちた顔をすべきだ、黎明」
「喜び、ね、じゃあその喜びのために神サマは何でも赦してくれるわけ?」
「いれてやった紅茶に牛乳を入れることも赦してやろう」
「はは、なんだよそれ」
そもそも。
「お前のことはずっと赦してやっているだろう?」
咎人か決めているのは神様だし、天堂の気に入ったものは咎人じゃない。
ひととき、瞬いた黎明の両眼が可笑しそうに細まっていく。
「早く席に着け、冷める」
「砂糖も好きなだけいれていいよな」
「二つまでにしろ」
いくつもの空の瓶、空の缶、空のコップと対照的に並々と酒が注がれたもの、がこの部屋には混在している。
その中で先に脱ぎ出したのがどちらだったのか。天堂が脱げと言い出した気がするし、理由もきっと下らないものだった。
上半身だけでよかったのに黎明は何故か全部脱ぎ散らかした。たぶん、天堂もそこまで求めていなかったと思うけどぱかぱか開けた酒でどちらも頭が回ってなかったので特に何も指摘されず、会話が流れる。
「腹に筋肉がない。それになんだこの、白い腕は」
「あんまり部屋から出ないからな〜、ユミピコは……すごいな……」
腕の長さしか勝てない。
天堂は腕やら胸やら腰やらべたべた触って、その体躯を確認するように腕を回す。
頭の片隅でなんで全裸で抱き合ってるんだとか、その異常さに気づきかけていたが酒で鈍った脳で、疑念は繋がらないまま終わる。それどころか二人分の体温のせいか暑い。服を脱いで正解だとか黎明は自分の選択に称賛すら送っていた。
不意に天堂のぐ、と抱きしめる腕に力が入る。
「……細い腰だ、ちょっと力をこめたら折れそうだな」
「いや、ちょっと、ユミピコ!? ストップ、ストップ! 痛い痛い痛い!」
「……つい、いけそうだと思うと…」
「いや、折ろうとするなよ…あーあ、ひでぇ、指の痕、ついてんじゃん……」
「仕方ない、神の身に同じものをつけることを赦してやる。有り難く思え」
「えぇ〜オレ、力加減とかわかんねーし……」
不満は口にしたが大して報復したいわけでもなく、別につけなくても良いのに、その時の黎明は、せっかくだしな、なんて思っていた。神様が珍しいことを言い出したから。だから回らない頭で考えて、考えて、痕と言えば最適なものがあることをその時は天啓のように閃いたと信じていたから目についた白い首筋に口をつけた。
離せば、いつもの天堂の唇みたいな色が肌に浮く。
「これでいいだろ」
「何だこれは」
「キスマーク」
「神もやりたい」
黎明が頷くのも首を振る間もなく、天堂は唇を無造作に押し付ける。くすぐったい。その感覚はすぐに終わって、何もない生白い肌が晒された。
「神サマのくせにヘタクソだなあ」
「神は全能だ。次はできる」
そう言い張りながらも一向に成功しない天堂にけらけら笑っていれば、突然、鋭い痛みが走る。
「ちょ、おい、噛みつくな! それはまた違うだろ! 痛いってユミピコ!」
「つけば何でもいいだろう!」
「よくねーよ!」
つけてつけかえして、何をしてるんだろう。と思いながらも笑って、笑い疲れてじわじわと睡魔がくる。天堂も同じだった。どちらからともなく白いシーツに倒れ込んで、瞼を下す。
酒と眠気で霞む意識が完全に飛ぶのも時間の問題だった。薄らと半眼で覗った神様もこちらを見て笑っている、そんな気がした。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.