てっきり、旅芸人の誰かが追われているのかと思った。そう勘違いしたのは、彼はこんな貧困街には似つかわしく無い華美な服装をしていたし、その服に見合った見目麗しい男だったからだ。
*
仕事を終えて仮眠でもしようかな、と隠れ家のひとつへ帰る途中のことだった。
僕がこの国に来たのは一週間程前のことで、旅の間に手に入れた骨董品を市場で売ったり、それを元手に珍しそうな品物を買ったりしている。数か月の滞在で物珍しそうなものを手に入れてまた次の場所へと行く予定だった。仕入れを上手くやるコツのひとつは地元の人とトラブルを起こさないこと。そう思っていたのに、盗賊とか豪族とかに追われているのなら、逃げるのを手伝ってあげよう、と口を出してしまったのは、困っている人を見るとどうしても放っておけない性格のせいだ。
逃げている美丈夫に屋根の上を走って追いつくと、路地裏から「こっち」と声をかけた。彼は一瞬僕を警戒するように瞳を細めたが、背後に響く数人の足音と「そっちは!?」「いません!」と言う言葉に舌打ちをして、意を決したように頷いた。
上れる? と崩れかけの塀の上から手を差し出せば、僕の手を無視してわずかな足場を駆使して塀の上までジャンプする。服装の通り身軽だ、やっぱり旅芸人の人だろうか、と思いつつ、「ひとまず隠れ家まで案内するよ」と服装の割には随分と筋肉質な腕を引いた。いや、見た目通り鍛えていると言うべきかもしれない。
おい、と戸惑うような声が漏れたけれど、「捕まったら困るんじゃないか?」と口にすれば、少しだけ遠くなった喧騒に眉を寄せて頷いた。
「屋根の上を行けば簡単には追ってこれないから」
建物が複雑に隣接した場所をどんどん上へ上へとのぼり、屋根の上へとたどり着く。
数メートル下でばたばたと走り回っている人たちが見上げないうちに逃げよう、と手を引くと、不愉快そうに眉を寄せられたのがわかったが、文句は口にされなかった。
*
隠れ家に無事に辿り着き、ちょっと一息つこう、と適当なところに彼を座らせて、飲み物とおやつを用意し、「それで、君はどうして追われてたんだ?」と尋ねた時のことだった。
王宮を抜け出したからだ、と僕の差し出したザクロとハイビスカスのジュースに口をつけ、酸っぱさに顔をしかめながら、彼がそう言った。
「……ごめん、もう一回。えーと、王宮? そう言う設定で活動してる……ってことかい?」
「設定?」
美丈夫は僕の言葉に不思議そうに首を傾げながら、食べる? と僕が差し出したデーツと胡麻を固めた甘いお菓子を素直に受け取り、「悪くない」と言いながら食べている。飲み物もそうだったけど、毒とか気にしないなんて大丈夫か? と勝手に心配になった。
「貴様の言うことはよくわからんが、見たところ旅の者だろう。であれば王子である俺を知らぬのも不思議ではない。しばらく滞在すると言っていたな? では、その間時々こうして俺を匿え。後程礼はする」
王子? と間抜けな声が漏れたのは、先に言った通り、彼の装飾華美、ではあるものの妙に布地の少ない服装に、旅芸人の衣装の類なのだろうと思っていたからだ。
よくよく考えてみれば、王子は国一番の美貌で……なんて話を隣国にいた際もこの国に来てすぐも聞いたような記憶はあった。だけど、それが言葉通りの意味だったとは思わなかったし、彼が王子であるなら、余計に貧困街を逃げ回っていたことに理由はつかない。逃げ足が遅かった理由は「今まで家臣たちに禁止されていて足を踏み入れたことがなかった」そうなので、逃走ルートを探すのに戸惑っていたから、と言うのは納得が行く。
「貴様の言う通り屋根の上を行けばいいと言うのは盲点だった」
「落ちたら怪我をするけどね」
「フン、そのような間抜けに見えたか?」
「間抜けには見えないけど、」
世間知らずには見える、とは言わずに、混乱する頭で「どうやら本当に王子様らしい」と自分に言い聞かせるよう考えた。確かに身に着けている宝石も布も一級品で、それが盗品でないのであれば、彼の身分を表すのに十分だったからだ。
おやつを食べ終わった彼が、汚れた指を洗うための水場か布はないかと視線を巡らせていることに気づき、比較的綺麗な布を差し出す。大人しく布を受け取った「王子様」は指を拭くと、そのまま僕に返して、物珍しそうに「隠れ家」を見回している。外壁が殆ど破壊され、かろうじて寝床には屋根のある瓦礫ばかりのボロ家だったが、高所に位置している関係で見晴らしだけはいい。晴れている日は遠くに王宮が見え、夜になれば月と星が美しく建物を照らす様子も見えていた。一歩踏み出せば、あるいはヒビが破損すれば落下死の危険性のあるふちへ片足をかけ、物珍しそうに眼下の街を見下ろしている彼に「危ないからあんまりそこに寄るなよ」と慌てて声をかける。
「時々端から崩れるんだ。あんまり体重をかけない方がいい」
「そうか」
慌てもせず、大人しく足を引いた王子様の涼しい横顔と髪が陽光に照らされて眩しい。金糸を編み合わせたような髪と宝石のような瞳に見惚れていると、その身に引っかかっているだけのような薄布を優雅に翻し、「何故こんなところに住んでいる?」と聞く必要なんてないだろう質問を彼が発する。首を微かに傾けるたびに宝飾品が擦れあい、軽やかな金属音が鳴る。その音も綺麗だった。
「なんでも何も、根無し草の冒険家だから、かな。誰も住んでないし管理もされてないから、宿代がかからないだろ?」
「だが危険だ」
「王子様が一人でこんなところをうろつくことより、危険なことなんてないと思うけどな……。大体なんで逃げ回ってたんだ? てっきり悪い奴らに追われてるのかと思ったけど、あれ、大臣とかそういう人たちじゃないのか?」
彼は僕の言葉に一瞬沈黙すると、腕を組み、じっと品定めをするように視線を向けた。下心があるのかどうか見透かすような瞳に居心地の悪さは覚えたが、敵意は感じない。
「詮索がすぎるな。旅人であるお前に関係はないと思うが」
意外と気さくな王子様なのかな、と思っていたが、突然梯子を外されて「え?」と声が出てしまう。
「いやいや、君が匿ってくれって言ってきたんだろ……。理由も知らずに手を貸して、後で絞首刑にでもなったら困る」
王子様は「理由が分かれば構わぬとでもいうのか?」と怪訝そうに首を傾げた。まあ、理由があれば納得するかも、と素直にいえば「妙な男だ」と呆れたようなつぶやきが落ちる。
「そもそも、現時点でも俺と貴様が一緒にいるのがばれれば、お前は誘拐犯となるだろう。良くて市中引き回しか鞭打ち千回か、あるいは手足の一本か目を失う程度で済むだろうが」
「怖いことをそんな真顔で……」
「要するに、既に貴様は俺の口添えなしに無事には国を出られん。であれば、俺に手を貸すより他にはないと思わないか?」
「なんでそうなる? と言いたいところだけど、まぁ、家を使いたいだけなら好きにしてくれていいよ。盗られて困るものはここにはないし……鍵もまぁ、見ての通りないしね」
鍵もなにも、扉も壁もあってないような廃墟だった。物珍しそうに部屋を歩き回っていた王子様は天井から垂れたボロ布に触れ、それをそっとめくり、「ここがお前の寝床か?」と屋根のある一画を勝手に覗いている。
「そうだけど、酷いな人の寝室を勝手に覗くなんて」
においとかはしない筈だけど、と思いつつ、慌てて彼の手を引いて引き戻す。ぼろぼろの汚れた布を敷き、穴のあいたクッションを枕代わりにしているそこをこんな綺麗な人に見られるのは住む世界が違うのが分かっていても結構恥ずかしい。
「二人寝られるスペースはありそうだったが」
「……何を言ってるんだ? まさか、今夜はここに泊まるとでも?」
「でなければついてはこないが。お前にとっては不幸な話だろうが、俺はそう簡単に死なん。寝首をかこうとは思わぬことだな」
腕を組んだ美貌の男は何故か偉そうに鼻を鳴らすと、「明日には一度王宮へ戻る。取り急ぎは今夜だけだ」と右耳につけていた大ぶりのピアスを取り、「手間賃だ」と言って僕に差し出した。
思わずそれを受け取ってしまったのは、厄介事に付き合う覚悟を決めたから……と言うわけではなく、彼の仕草と雰囲気の優美さにあてられて惚けていたからだろう。
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