ルシフェルの雄大な白き羽に赤が混じる。それは血だ。ルシフェルの胸から羽にかけて剣が貫いている。致命傷だった。
膝をつき、吐血するルシフェル。
「サンダルフォン
…!君を正しく導く事ができず
…済まなかった
…」
ルシフェルは最期の力を振り絞って話しかける。その顔は蒼白であの頃のものとはかけ離れていた。
サンダルフォンは後退りし変わり果てたルシフェルをただ見つめる。どうして、どうしてこうなってしまったのだろう。本当であれば自分が災厄を起こした元凶としてルシフェルに処される筈だった。ルシフェルの一緒消えない心の傷になれればと思っていたのに
…。
「サンダルフォン
…!」
自分の名を呼びながらゆっくりと腕を伸ばすルシフェル。慌てて駆け寄り手を取ろうとするがルシフェルの手は空を切り身体ごと地面に倒れた。
「ルシフェルっ
…!」
サンダルフォンは慌てて駆け寄りルシフェルの身体を起こす。彼の顔に掛かった髪を手で退けると、彼は目を閉じていた。蒼穹の瞳がこちらに向けられることは永遠にない。サンダルフォンは自分の頬に涙が伝うのを感じた。
* * *
あれから悠久の時が経った。漸く、漸く会える。
草原の向こうに建物が見える。そこがサンダルフォンの目的地である。そよ風に吹かれながら歩いていると子供達の笑い声が聞こえてきた。ここは広い身寄りのない子ども達が集う孤児院であった。
「院のものには我々で話をつけますので補佐官様は天司長様を
…」
「分かっている。そちらは任せた」
扉をノックするも返事を待たずに開ける。院内にいた者は皆サンダルフォンを見て驚いた様子だったがサンダルフォンは無視して奥に進んだ。
当時とは比べ物にならない程微弱だがルシフェルの気配がする。その方向に進むと一人ポツンと木の椅子に座っている銀髪のヒューマンの子どもが見えた。歳はヒトの子で6〜7歳といったところだろうか。良かった。まだ、間に合う。
「君、ちょっといいかな?」
1人ポツンと座っていた子どもは振り向き、息を呑んだ。茶髪の青年は純白の羽を背に携えている。背中にある傷が疼く。見た事が無いのにどこか懐かしい気持ちになった。
子どもにサンダルフォンは優しく話しかける。
「俺は「天司教」のものだよ。君を迎えに来たんだ。君は今日からは天司長ルシフェルとして信徒の皆の為に生きるんだ」
* * *
天司教。それは今の空の世界を名を知らぬ者はいない程の巨大な宗教組織だ。創立者はサンダルフォンである。彼は自らを天司長補佐官と名乗り当時の空の民にこう告げた。
かつての世界の平穏は天司長ルシフェルによって守られていたが、幽世のものとの戦いで相打ちになりの消滅した。それが世界が混沌と化した原因であると。しかし案ずる事はない。いずれ、天司長様が復活なされる。それまで自分が代理として君達を守ろうと。
信仰すれば救われる。それを体現したサンダルフォン。信者が増える事は必然だった。
* * *
「もう、朝?」
子どもは目を擦りながら呟く。
ここは天司教の聖地で、かつてルシフェルが命を賭した場所だ。そこに大聖堂を建て、発展し街が出来た。
「おはよう、ルシフェル。よく眠れたかな?今から朝の支度をしようね。今日は9時から10時まで読み書きのお勉強、10時から11時は剣のお稽古で
…」
サンダルフォンの説明をぼんやり聞く。毎日朝から晩まで天司長になる為の教育を受けており心身共に疲弊していた。
「サンダルフォン、もう勉強したく無いよ。一緒に遊ぼう?」
「ダメだよ、ルシフェル。覚えているだろう。君が真の天司長になるのを信徒の皆が期待して待っているよ」
子どもはここに来た時のことを思い出す。大聖堂に通じる大通りの左右を信徒達が取り囲む。馬車に乗りながらそれを見る子ども。皆一様にルシフェル様と読んでいる。圧巻の光景だった。
そうだ、自分を待っていてくれていた人が大勢いる。誰かに期待されるのは初めての経験だった。それに応えたいと思う気持ちが強くなった。
子どもの背には大きな傷があった。今思うと羽の形をしているように見える。生まれ付きあるものらしい。それで親に見捨てられ孤児院で保護されたと聞いた。何かの呪いではないのかと皆が気味悪がって子どもと積極的に関わろうとしなかった。天司教の教えが無ければ子どもはとっくに死んでいただろう。
ここでは皆んな子どもを丁寧に扱う。特に天司長補佐官であるサンダルフォンは親のように子どもを慈しんだ。愛情に飢えていた子どもがサンダルフォンに懐くのは必然だった。
「
…分かった、勉強する。頑張って天司長になるよ、サンダルフォン。」
そう子どもが言うと、サンダルフォンは満面の笑みを浮かべ、子どもの頭を撫でる。
「偉い子だ、ルシフェル。夜は少し時間があるから一緒に遊ぼう」
* * *
「それではルシフェル様に祈りを」
何度か聞いたことのある声が聞こえた。サンダルフォンの部下の人だろう。今日は月一の巡礼の日である。選ばれた信徒だけが大聖堂に入る事を許され子どもへ祈りを捧げる。子どもはただ仰々しい椅子に座って大人しく式が終わるのを待つのみであった。ここに来た当初と比べて椅子が幾分か小さく感じる。あれから3年の時が経っていた。
手を合わせて目を瞑る大勢の信徒達を眺める。正直退屈だ。しかし、ちゃんと天司長のお役目を果たさないと後でサンダルフォンに悲しい思いをさせてしまう。今日こそサンダルフォンにきちんと「自分」を見てもらいたい。大好きなサンダルフォンの笑顔を思い浮かべて欠伸を耐える子どもだった。
サンダルフォンからの愛情を一身に受けて成長した子ども。いつしかサンダルフォンが自分を通して自分とは異なる誰かを見ている時がある事に気付いた。それがとても悔しい。ちゃんと「自分」を見て欲しい。その一心で天司長になる教育を受けている。一番辛いのはエーテルを取り込む修行だ。エーテルが身体に入れられると悪寒が走り吐き気が止まらない。だか、子どもは一度もやめたいとは言わなかった。ただただ必死だった。
* * *
あれから更に時が流れ、子どもは成長し、立派な青年になった。その姿はかつて世界を守護していたルシフェルと瓜二つだ。
今日もエーテルを取り込む修行に勤しむかつての子ども。これだけはいつまで経っても慣れないなとひとりごちる。しかし今日はいつもと様子が違った。背中の傷が熱い。傷だけでは無く、身体中が暑くなり身を割くような痛みを感じる。痛みに悲鳴をあげる。
「ルシフェル!もうすぐ、もうすぐなんだ。耐えて欲しい。遂に君は真の天司長になるんだ。あのルシフェル様となるんだ!」
サンダルフォンは必死に、だがどこか嬉しそうに自分に伝える。まただ。サンダルフォンが「自分」を見てくれていない。ズキリと心身に鋭い痛みを感じて意識を手放した。
* * *
ここはどこだろう。どこかの庭に迷い込んでしまったのか。いや、感覚に違和感がある。これは夢だろうか。することも無く庭を探索するとテーブルとイスが見えた。その上にはカップが2個置いてあり、中に茶色い液体が見えた。誰か2人、向かいあって珈琲を飲んでいたのだろうか。カップを眺めていると突然声が聞こえた。声の主を探るべく辺りを見渡したが誰もいなかった。
「ルシフェル様。今日もいらしてくださったんですね」
と自分を呼ぶ声。その声はサンダルフォンのものにそっくりだが、あどけなさが残るものだった。その声は次第に悲痛なものになっていく。
「どうしても悩んでしまいます。なぜ俺には未だ役割がないんでしょう?」
「貴様の愛するモノを全て!この俺が粉々に破壊してやるぞ!ルシフェルゥゥゥ!」
胸が苦しくなる。上手く呼吸ができない。次の瞬間、自分の頭の中に大量の記憶が流れ込む。頭が割れそうな程の痛みが走り、しゃがみ込む。涙が止まらない。
「そうだ
…。そうだった。サンダルフォン、君はどうして
…」
* * *
重たいまぶたをどうにか開けると涙を溢しながら微笑むサンダルフォンが見えた。
「ルシフェル様、お帰りなさい!」
「サンダルフォン
…。ただいま」
漸く、「あの子」が帰ってきた。
漸く、サンダルフォンが「自分」を見てくれた。
歓喜にルシフェルも涙を溢す。
2人は抱擁し、互いの熱を、存在を感じ合う。もう、2度と離れないようにと。
* * *
大聖堂の屋上に立つ2人。心地よい風がふく。今日は快晴だ。
「ルシフェル様。行ってらっしゃいませ」
そう言ってルシフェルとキスを交わすサンダルフォン。
「行ってきます。サンダルフォン。留守の間は任せたよ」
そう言ってルシフェルが一度背を向けたが、またくるりと正面を向けた。
「如何なされました?」
「サンダルフォン
…。頭を撫でて欲しい。今回は暫く君と離れ離れなってしまうから寂しくて
…」
ルシフェルは少し顔を赤くし、小声で呟いた。
「ふふっ。いいよ、ルシフェル」
サンダルフォンは優しく頭を撫でる。
ルシフェルは満面の笑みを浮かべた。
曇一つない、澄んだ蒼い空の中をルシフェルは飛んでいく。どんどんと小さくなるその姿をサンダルフォンは眺め続けた。
今日も空の世界は平和だ。
終
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