さゆき
2025-11-19 19:10:36
16900文字
Public
 

とある5年後の世界線

友達関係が楽しくていつの間にか5年経っちゃった世界線のアベ星が(一応合意の上で)契約結婚することにしたお話です。

 最初こそ、大事な列車の末っ子をこんな怪しい奴には任せられないと警戒していたのだけれど。
「それじゃあ、またね。楽しかったよ星ちゃん」
「私も楽しかった。また遊ぼうねアベンチュリン」
 ……まさか、普通の友人関係を5年も続けていて未だに疾しいことが何一つないとは。
 なのかは親しげに手を振り合う星とアベンチュリンの姿を見て、半ば呆れたように溜息をついた。
……本当に何にもないなんて」
「だから言ってるじゃん、私とアベンチュリンは友達だよって」
「それはそうなんだろうけど……もう星も大人じゃん、お酒飲みに行ったりもするんでしょ?そこでこう……良い雰囲気になったりしないの?」
「おでん屋台でどうやって良い雰囲気になるの?」
「何でおでん!?あの人オシャレなバーとか行きそうじゃない!?」
「私がおでん食べたいって言ったから。寒かったし、あの星のおでん美味しいし」
「そこ合わせてくれるのめっちゃ良い人じゃん!?」
「なの。アベンチュリンは別に良い人じゃない。ごく稀に敵に回ったりする」
「でもアベンチュリンのそれって敵を騙すための作戦でしょ?アンタも別に怒ってなかったじゃん」
「あいつが私を裏切って敵方につくメリットなんてないからね。裏切られたフリをする方が勝てるって分かってるから」
 フフンと胸を張る星は、どこか楽しそうだ。信頼と呼ぶには遠い気がするけれど、互いの性格や考え方、行動理念を理解し合っている。
 印象も悪くない。なのにどうしてこう変わらないのか、なのかは不思議で仕方なかった。
 至って普通に遊びに行き、遅くならないうちに星を列車まで送ってくれる。プレゼントと称して大量の物品が届くことはあるけれど、中身はお菓子や飲み物、可愛い洋服やアクセサリー等至って健全。星宛だけでなく、列車のみんなの分も送ってくれる気遣い付き。
 遠くの星に泊まりがけで旅行に行った時は流石に進展するんじゃないかと思って、星に黙ってこっそり可愛い下着を持たせたりもしたのだが……
「ど、どうだった!?」
「すごいホテルだった……さすが高級幹部……あんな広い部屋を一人で使うの勿体無かったから、今度はなのも一緒に行こう」
「え、部屋別だったの?」
「うん。アベンチュリンが『ちゃんと部屋は分けるから安心してね。ここはセキュリティがしっかりしていて、性別でフロア分けされているから安全だよ』って」
「わあ……気遣いがすごーい……
「部屋が広すぎて寂しかったから寝るまでずっとアベンチュリンとテレビ電話してたんだけど、今思うとなんか笑えるよね。ラウンジでも話してたのに部屋戻ってからもずっと話してた」
「もう一緒の部屋に泊まれば良いじゃん……
「それはダメでしょ」
「なんで!?」
友達なんだから、線引きはしないと。そうキッパリ言い切る星に、なのかは思わず大きな声を上げてしまった。
びっくりして目をぱちぱちさせた星は、当たり前のように「やっぱりダメ」と繰り返す。
「アベンチュリンはカンパニーの高級幹部だもん。変なスキャンダルになったら困るでしょ」
……別におかしくないんじゃない?星穹列車と戦略投資部は友好関係だし。出会った頃みたいに未成年だと問題だったかもしれないけど、もう成人してるし」
「それはそうだけど、あいつ見た目良いからね。独身恋人無しってだけでも利益が出る男だから、女の影があるのは良くないでしょ」
……もう既に噂にはなってると思うけど」
 結婚適齢期のアベンチュリンが結婚せず、恋人も作らないのは意中の相手がいるからだ、という噂はそこそこ広まっている。その相手が長年の付き合いでもある星穹列車のナナシビトではないか、という点もセットで。
 それに関してアベンチュリン自身は肯定も否定もせず、黙秘を貫いているので噂だけが独り歩きしている状態。
 そんな渦中の星は噂を聞いても困ったように笑うだけだった。
「なのや姫子だったら、本当にそうかもって思われるだろうけど。なんでか私ってことになってるよね、あの噂。レイシオの耳にも入ったらしくて、この間顔を見るなり呆れられちゃった」
……多分それ、呆れたのは別の理由だと思う」
 石膏頭を被るDr.レイシオの姿が思い浮かんで、なのかは頭を抱えた。一体どうしたらこの二人の関係は変わるんだろう?
 いや、変えたいかと聞かれると悩ましいのだけれど……非常にじれったい。なのかはうぅ〜っと呻くと、机に突っ伏した。
「レイシオ教授なら、ウチと違って良いアイデアが浮かぶのかな……
「どうしたの、なの。何か悩みがあるなら聞くよ?」

***

「君は一体、どういう心算なんだ?」
「どうしたんだい教授、突然」
「僕は凡人だから寡聞にして存じ上げないが、特定の異性と長年に亘り交友関係を築き、プライベートの旅行にまで連れて行くにも関わらず、周囲から関係を聞かれて『特に何もない、彼女は友人だ』というのは余りにも不誠実なのではないか?」
「星ちゃんと僕は友人だよ、本当に。……というか、そんな回りくどいことを言わないでストレートに言えばいいじゃないか。さっさと白黒つけろって」
 はあ、と大袈裟にため息をついたアベンチュリンはコーヒーの入ったカップを揺らした。教授までそんなこと言うの?と言いたげな視線をレイシオに向けるが、彼は彼で額に手を当てて首を振る。
「分かっているなら何故いつまでも現状維持に拘る?」
「嫌がるでしょ、彼女は。僕と付き合うなんて考えてもいないだろうし」
「星は好き嫌いがハッキリしている。嫌いな奴と二人で旅行になど行くか」
「それはまあ……僕がお金出すからじゃない?食べ物も泊まる場所も買い物も不自由なく好きにさせてあげられるし」
「はぁ……自覚があるのなら君もその生き方を改めるべきだな」
「生憎、僕はこんな生き方しか知らないんだ。自分で言うのもなんだけど……遊びならともかく、真面目に付き合いたいなんて思う人はいないんじゃないかな」
「君のそれは悪癖だが、それだけが君だと知らない相手ではないだろう」
 レイシオは付き合いきれん、と椅子を回して背を向けた。
「星ももう妙齢の女性だ。彼女を慕う者も多いと聞く。……開拓者としての功績を思えば、当然の結果だろう」
「そうだね。星ちゃんの周りにはいつも沢山の友達がいる。良いことじゃないか」
「だが、彼女の噂として功績の次に聞こえてくるのは君との関係だ。カンパニーの高級幹部と遊んでいる、と聞いて君はどう感じる?」
…………それ、たとえ付き合っているとしても彼女にとってマイナスってことじゃない?」
「曖昧な関係なのは間違いなくマイナスだろうな」
 分かったなら襟を正せ、と教授は言いたいのだろう。彼女の為にも、そして彼女を想う周りの為にも。アベンチュリンはそう察して、けれど道化を装う。
「ねえ、教授。もしかして、教授も彼女のこと……
「不正解だ。それ以上馬鹿なことを口にしたら追い出す」
「冗談だって」
 へらりと笑ったアベンチュリンに、レイシオは呆れ果てた顔で石膏頭を被った。今日はもう素顔でいるのも嫌なようだ。
「友達で良いんだけどなぁ……男女の関係って難しいね。星ちゃんと離れなきゃいけないのは寂しいな」
……そこで何故、彼女から離れる選択になる?」
「え、だって受け入れるわけないじゃないか。僕が星ちゃんだったら絶対断るよ」
 当然のようにそう言うアベンチュリンに、レイシオは本日10回目となるため息を吐いた。
「面倒なことに巻き込まれる前に決着することをお勧めする。君の地位と資金力と容貌は武器にもなるが火種にもなり得るのだからな」
「あー……まあ、それは既に何度もあってウンザリしてるんだけどね……
 この後の仕事もお見合い兼って感じだろうなあ、と嫌そうな顔をする彼に、レイシオは表情の分からない石膏頭のままこう答えた。
「身から出た錆は自分で何とかしろ」
「冷たいなぁ、教授は」

***

「結局、今日のメインは仕事じゃなかったんだ」
「そう。仕事の話をするってことだったのに待ち合わせ場所に来たのはクライアントの娘さんでね。あからさまに一服盛ってきたから証拠を押さえて終わりだったけど」
「え、毒?まさかの暗殺目的?」
 カンパニーに喧嘩売るなんて怖……と身を引いた星に苦笑する。成人してもこの子は男女の機微に疎い。ナビゲーターのお姉さんはあまりそういう教育はしない方針なのかな、と頭の片隅で考えながら「違うよ」と声を潜めた。
「えっちな気分にさせて、既成事実を作ろうとしてきたってこと。怖いよね」
「え……相手、女性、だよね?」
「うん。目が血走っていたからこれは危険だなと思っていたら案の定。まあ、その杜撰な計画のお陰でカンパニーに有利な条件で取引できたから、もう会うことはないけどね」
 大企業の幹部とのアポイントメントを無断で見合いにすり替え、薬物を使用して良いように扱おうとしたのだ。犯罪行為として訴えない代わりにカンパニーが望む通りの取引をさせてもらったし、その後のご縁は当然あり得ない。
 仕事自体は命も賭けずに済んだし、簡単に終わったが気疲れが酷かった。直帰するか悩んでいたアベンチュリンが端末を開いた時、丁度星から「ご飯食べに行きたい」とメッセージが届いて今に至る。
「大変だったね、アベンチュリン。おつかれさま」
「本当に大変だったよ……はあ、最近こんなのばっかりで疲れる」
「大企業の高級幹部様だからね。ギャンブラーだけど若くて独身でお金持ちなイケメンなんて優良物件そうそうないよ!心臓いくつあっても足りないけどって、なのが言ってた」
「はは……それって褒められてるのかな……
「多分?」
 星はデザートプレートを満足そうに頬張りながら眼下に広がるピアポイントの夜景を眺めていた。アベンチュリンが予約してくれたこのお店はジェイドやトパーズも御用達のレストランで、何度か来たことがある。昼はどちらかといえば女性同士でのランチやアフタヌーンティー利用が多い印象だったが、夜はカップルや夫婦が大半を占めていた。
 その様子をぼんやりと眺めていた星が、ぽつりと呟く。
「この歳で恋人がいないのって変なのかな」
……どうしたんだい、突然」
「最近良く言われるんだよね。恋人いるんですか、とか。あの人と付き合ってるんですか、とか」
 いないけど、と答えると次に返ってくるのは決まって同じ言葉だ。
「恋人がいないなら、付き合いませんかって言われるんだけど……でも、誰かと付き合ったら他の人とは二人で会わない方が良いんでしょ?」
……まあ、一般的にはそうだね。恋人がいるなら、他の人と……特に異性とは二人きりにならない方がいい。誤解されたり、あらぬ噂を立てられたりする可能性があるから」
「そっか。それなら私、やっぱり付き合わなくて良かったかも」
 ぱくり、と星の口にアイスクリームが運ばれていく。
「誰かと付き合ったらこうしてアベンチュリンとご飯に来れなくなるんでしょ?それはなんか寂しいし」
 まるで当たり前のことのようにさらりと告げる星に、コーヒーを飲もうとしたアベンチュリンの手が止まった。
…………
「あ、でもアベンチュリンに恋人が出来たら遠慮せずに言ってよね。私、その人に恨まれたくないから」
……星ちゃん」
「ん?」
「頼みが、あるんだけどさ……
 もし嫌だったら、断ってくれて良いんだけれど。
 そう前置きしたところで、アベンチュリンは左手を後ろに隠した。大きな賭けをする時の癖。震える手を隠して、平然を装う。
「僕と、結婚してくれないかい?」

***

「お嬢さんにはこっちのドレスが良いんじゃないかしら?」
「それも素敵ですね~!星は背が高いから、マーメイドラインのドレスも似合いそう……ねえ、今度はこれ着てみて!」
「トパーズ……これでもう15着目なんだけど……まだ着なきゃダメ……?」
「ダメダメ、一生に一度のウェディングドレスなんだよ!妥協しないで最高の一着にしないと!」
「ふふ、そうね。坊やが見惚れてしまうくらい素敵な姿を見せてあげないと」
 本人以上に張り切ってドレスを見繕うトパーズとジェイドに、星は深いため息を吐いた。
(こんなに喜ばれちゃうと、契約結婚だなんて口が裂けても言えないよ……
 数週間前、レストランでプロポーズ……のような、契約結婚を持ちかけられた時のことを思い出す。
 急に「結婚してほしい」と言われて面食らってしまった星に、アベンチュリンは「ごめん、言葉が足りなかったね」と苦笑して続けた。
「僕も君も、他者からの押し売りに懲り懲りしてるだろう?なら、いっそ僕たちで『契約』して、婚姻関係になれば解決するんじゃないかと思ってね。勿論、無理に夫婦をやらなくていい。形として結婚するけれど、今のままの距離感で構わないからさ」
……それ、あんたに何かメリットある?私じゃなくて、他の企業のお嬢様とかの方が便利じゃないの?」
「そっちだと利権が強く絡むからむしろデメリットの方が多い。君なら僕のことを理解しているし、ナナシビトだからカンパニーとは良い距離でいられるだろう?」
「それはそうかもだけど……あんた、結婚なんてしたら周りが荒れるんじゃないの。営業に支障出たりしない?」
「お見合いもどき祭りで今まさに支障だらけなんだよね……結婚してその辺りがクリアになる方が有難いよ」
 アベンチュリンはため息を溢した。彼がそんな弱音めいたことを言うのは珍しいから、余程困っているんだろうなと星も眉を下げる。
 自分も別に好きでも何でもない人たちから交際を申し込まれたり、知らない人から突然「デートして欲しい」といった訳のわからない依頼を出されたりと困ったことがあるから、彼の悩みは理解できる。ただ、婚姻関係は一度してしまえば簡単には解消しづらい。すぐ答えるわけには……と流石の星も踏みとどまった。
……ちなみに、住むところとかはどうするの」
「流石に別居は怪しまれるから、共同で住む部屋を買うよ。セキュリティの問題もあるから、勿論僕の方で用意する。基本的にその家で暮らすけど、互いに仕事もあるからずっと家に居ろなんて言わないよ」
「私、家事とか全然自信ないけど」
「あはは、それは僕も同じだから安心してよ。本当に、書類上で結婚してくれるだけでいいんだ。そうしたらジェイドやレイシオも多少安心してくれるだろうし」
「うーん……
 星の脳裏に、二人が浮かぶ。教授は「僕は教師であって父親ではない」と青筋を立てそうだが、アベンチュリンが家庭を持つと聞いたら祝福してくれそうな気がする。ジェイドは勿論喜ぶだろう。ただ、一つ懸念があった。
「二人に、契約結婚だって言わないんでしょ?騙してるみたいでそれは何だか……
「僕らが同意しているなら、それがどんな形であっても結婚に変わりないさ。それに、二人ともそこまで僕のことを気にしてないと思うよ。立場とか年齢を考えて、腰を落ち着かせろって言いたいだけさ」
 そんなことはないでしょ、と星が反論しようとしたところでアベンチュリンは綺麗に微笑んだ。
「もし星ちゃんが今この話を受けてくれるなら、君が欲しがっていた1/1スケール王のゴミ箱フィギュアを共同住宅に用意するよ。リビングのよく見えるところに置こうか」
「大好きだよ結婚しようアベンチュリン」
「うーん、清々しい即答だ。よろしくね星ちゃん、これが婚姻届だから忘れないうちに今書いてね。列車にも挨拶に行かないとだから、ナビゲーターのお姉さん達に予定を聞いておいてもらっていいかな?」
「分かった」
 よく考えたら何故あの場に婚姻届があったのだろうか。初めからこうするつもりで用意していたのかもしれない……と星が冷静になった時にはもう列車にも戦略投資部にも結婚の挨拶を済ませており、後には引けない状況に陥っていた。
 互いにそれなりの立場と知名度があるため婚約を発表し、記者会見をすることになったと聞いて事の重大さに怖気づいてしまったのだが、
「やっぱりやめ……
「おやおや、マリッジブルーかい?大丈夫だよ、君は何にもしなくていいからね」
「いや、その……
……ダメかい?」
……ダメってわけじゃない……
 あまりにもシュンと落ち込まれてしまったので、根負けしてしまった。今思えばあの落ち込みも本心だったかは怪しい。
 星が思考の海を漂っている間も、トパーズとジェイドが用意したドレスをスタッフがテキパキと着付けていく。20着を超えた時点で星は自分が着せ替え人形になったと思うことにした。
「そういや記者会見の反応、凄かったね。バッシング覚悟だっただろうに上手く乗り切ったのは流石というか……そういうの上手いのよね、あいつ」
「ふふ、お嬢さんが初心な反応をするのがあまりにも可愛くて、これなら祝福するしかないって空気になったのが大きかったんじゃないかしら?」
「や、やめて……あれは本当に、恥ずかしかったんだから……
 僕に任せて、とウインクしたアベンチュリンの言う通り全てを任せたのが間違いだった。記者会見の会場に手を繋いで……しかも恋人繋ぎで……入るところからもう居た堪れなかったのに、事あるごとに彼から意味ありげな視線と声音を向けられることに気を取られて、自分が何を言ったのか星は全く覚えていない。
 後でなのかからアーカイブを見せてもらったものの、終始笑顔で幸せそうに対応するアベンチュリンと、真っ赤で視線を逸らしてもごもごと小さく話している自分しか映っていなかった。あれはもう二度と見ない、と星は心に誓っている。
「あいつ、無理させてない?ここ最近すっかりご機嫌で毎日楽しそうだけど……その、夜とか。辛かったら断っていいんだからね?」
「え、な、何言ってるのトパーズ……私達、そういうのはまだ……
 ぼっ、と目に見えて顔を真っ赤にした星に、トパーズとジェイドは顔を見合わせた。
「え、あいつ手を出してない……の?」
「あら」
「ひ、姫子達との約束なの!その、結婚するまではしないって……
 列車への挨拶に行く前に擦り合わせた内容だ。契約婚だから当然というのもあるが、誠実さをアピールする為にそう約束していた。
……それって、結婚したらヤバいんじゃない?我慢した分凄いことになりそう……頑張ってね星……
「ふふ、ドレスが決まったらランジェリーも見ましょうか。きっと役立つわ……いずれ、ね」
「え、ええ……!?」
 契約婚だから使わないと思うとは言えない。笑みを深くしたジェイドに「お手柔らかにお願いします……」と小さく呟き、星はドレスを見下ろした。
……ほんと、大変なことになっちゃったなぁ」

***

「君は風見鶏か?つい最近まで『友達でいい』等と言っていたのは僕の聞き違いだったようだな」
「あっはっは!酷い言われようだ!でも、僕の記憶が正しければ教授は『彼女に対して誠実な対応をしろ』って言ってたと思うんだけど?」
「確かにそのような内容の発言をしたが、だからと言ってすぐ結婚に走るというのは果たして誠実なのか?疑問が残るところだな」
 すぐに受ける星も星だ、とレイシオはため息をつく。
「大方、彼女の気を引く何かで釣り上げたのだろうが……あの会見を見た限り『やっぱりやめる』と言い出しかねないぞ」
「あ、それはもう言われた。目に見えて落ち込んでみせたら『会見が恥ずかしかっただけで、あんたが嫌なわけじゃない』って。焦った星ちゃん、初めて見た。あれは可愛かったなぁ」
「ハァ……それで?結婚前の忙しい時期に何の用でここに来たんだ、ギャンブラー」
「星ちゃんが、バージンロードを一緒に歩くなら教授がいいかヴェルトさんがいいか悩んでたんだ。とりあえず指名された当人の意見を聞こうかなって」
「何故そこで僕の名前が出てくるんだ?」
 どう考えてもヴェルト氏だろう、とため息をつくも、アベンチュリンは「それがね……」と苦笑する。
「ヴェルトさん、一緒にバージンロードを歩いたら嫁に行かせたくなくてブラックホール召喚しそうだって言っててね……流石に式でブラックホール出されるのはちょっとなあ」
「ちょっとどころではないだろう」
「それに君、何故かカンパニーの一部社員からは星ちゃんの父親だと思われてるんだよね。どこが噂の発端なのか調べたら、どうにも星ちゃん自身が『教授は私の父親のような存在』って言ってたみたいでさ」
…………
 レイシオは無言で石膏頭を被り、深い深いため息をついた。今は一刻も早く一人になって風呂に入りたい。この世の愚鈍を治療し、根絶するにはもはやそれしかない。
……一つ聞くが、君は僕が星と腕を組んでバージンロードを歩いてくるという絵面に耐えられるのか?」
「嫌に決まってるだろ、そんなの新郎の僕以上に様になりそうじゃないか。星ちゃんが望んでるんじゃなければお断りだよ」
「なら、ブラックホール対策をしっかりしておけ。僕をこれ以上巻き込むな」
「はぁい。……式には来てくれるよね?レイシオ」
「僕は長年の友人達の門出を無視するほど薄情ではないつもりだ」
 結婚すると決めたなら、二人で幸せになれ。
 石膏頭で表情は見えなかったが、僅かな声色の変化を感じ取ったアベンチュリンは微笑んだ。
「ありがとう、教授」
……ふん」

***

 結婚前に何もしないという誓約の上で始まった同棲だったが、誰かが家にいるというのは想定以上に安心感がある。
 それが彼女だからなのか、それとも誰でもよかったのかと問われれば、間違いなく前者だと自信をもって言えるだろう。
 星は突飛な言動で周囲を振り回すこともあるが、基本的なスタンスは和を重んじるタイプだ。アベンチュリンが仕事をしていれば邪魔をしないよう創造物たちを別室に集めてくれたり、足りない備品を買い足しておいてくれたりと、細かいところに気を回してくれる。
 自分のお喋りにも付き合ってくれるし、疲れていそうな時は互いに察して程々の距離を保ってくれる。もう少し我儘を言われるかと思っていたが、今のところ全くそういうことはなかった。むしろ、友人だった頃よりも遠慮がちになった気がする。
「お風呂、上がったよ。冷めないうちに入ったら?」
「んー……そうだね、僕も入ろうかな」
 仕事用のタブレットを軽く操作してオフにし、席を立ったアベンチュリンに星は「あ、そうだ」と声をかけた。
「ボディソープ切れそうだったから新しいの出しといたよ」
「あ、そういえばそうだったね。いつもバスルームに入ってから思い出すんだよね……助かったよ」
「ううん、別に……
 偶然気付いただけだし、と目を逸らした星に思うところはあったが、アベンチュリンは気付かないフリをしてバスルームへ向かった。
……また何か、トパーズやジェイドに吹き込まれたかな)
 星は今日、ドレスの試着に行ったと聞いている。アベンチュリンも一緒に行きたい、と言ったのだがトパーズやジェイドから「当日までのお楽しみ」と出禁を食らってしまった為泣く泣く諦めた。
 帰ってきた星はクタクタな様子だったため、先に風呂に入るよう薦めて仕事を片付けていたのだが……
(多分、原因はコレなんだろうけど)
 ちらりと視界に入ったのは、脱衣所に置かれた新しい紙袋だ。女性が好みそうなデザインの、質の良いショッパーに書かれた店名には見覚えがあった。ピアポイントのブランドショップが並ぶストリートで、唯一アベンチュリンが行かない店……女性の下着を取り扱う専門店だ。
 やっとの思いでドレスの試着を終えた星は、そのままの勢いでトパーズとジェイドにここへ押し込まれ、また試着の嵐に遭ったのだろう。
……二人とも、僕が結婚までに手を出すかどうか試そうとしてるんじゃないだろうな……
 星は多分「必要ないよ」と断っただろうが、あの二人のことだ。あの手この手で説得し、『好みそうなもの』を選ばせたに違いない。余計なことを……と頭を抱える。
(まあ、星ちゃんが使うかは別の問題だけど)
 紙袋の封が閉じたままなので、しばらくこれは封印されることになるだろう。陽の目を見るか否かは星次第だし、それを自分が見られるわけじゃない。契約結婚だから、この先も手は出さないつもりだ。彼女に一緒になりたいと願う相手が現れたなら、自分は身を引く。アベンチュリンはそう考えていたし、星が望まないことをする気はなかった。
 ……なかった、のだが。
……星ちゃん、ごめん……もう一度言ってくれる?」
「今日からは一緒に寝たい」
 普段使っている客間の枕を抱えて寝室に現れた星を見て、アベンチュリンは固まった。
……トパーズとジェイドに何か言われたの?」
……ジェイドが、『そういえば、坊やは寝相が悪くて大変だったと思うけど、お嬢さんはちゃんと寝られている?無理しないでね』って言ってたんだけど……知らないから、曖昧にしか答えられなくて。ちょっと、疑われてるかもしれない……
 余計なことを、と内心舌打ちする。ジェイドは奴隷上がりの自分をここまで教育してくれた恩人ではあるが、時折母親のような言動をするのはやめてほしい。こそばゆいというか、慣れない。
「列車に戻った時も、なのから『一緒に暮らしててどう!?』ってすごく聞かれるんだけど……具体的なことは何もしてないから、上手くかわせてる気がしなくて……
……要するに、ボロが出そうってことかな?」
 立ったままの星を「おいで」と呼び寄せて、ベッドの端に座らせる。緊張気味に枕を抱えて腰掛けた彼女を、後ろから抱きかかえた。
……これだけでこんなに緊張してるのに、ゆっくり眠れるわけないでしょ。無理しないで」
「でも……あんたに迷惑、かけたくないし……
「その気持ちだけで十分だよ。それに、君が迷惑だったことなんてないさ」
 耳元でゆっくり語りかけると、身体の強張りが少しずつ取れてきた。星がおずおずと体重を預けてくれるのを感じて、ふっと笑みが溢れる。
「今日は沢山試着して疲れたでしょ。どんなのにしたの?」
「それは内緒、ってトパーズが言ってた。聞かれても絶対言わないようにって」
「えぇ?どんな感じかくらい教えてくれてもいいと思うんだけど……
「それもダメだって。……あと、二人に言われて服とか色々買ったんだけど……
「うん」
「アベンチュリンはああ見えて清楚系に弱そうだって言ってたんだけど、本当?」
…………あの二人が僕をどう思ってるか、よく分かったよ」
 本当に、余計なことを。顔に青筋が浮かびそうなところを何とか止めて星に笑顔を見せた。
「そういうのも嫌いではないけど……もしかして、着て見せてくれるのかい?」
……せっかく買ったし。それに、結婚までのアピールデートも何回かするでしょ?」
 婚約中も仲の良さをアピールするため、目立つ場所に何回か出かける予定を立てていた。そのための服をわざわざ考えてくれたのかと思うと、胸がざわつく。
 本当の結婚でもないし、本当の恋人でもないのに。彼女は本物に近付けるよう頑張ってくれている。
……本当だったら、いいのに」
「何が?」
「ごめん、なんでもないよ」
 思わずこぼれていた言葉に蓋をして、アベンチュリンは微笑んだ。
 その夜は結局遅くまでベッドで話し込んで、気付いたら二人で眠ってしまって。
「別にアベンチュリンの寝相悪くないんじゃない?もしかして、私ジェイドに揶揄われた?」
「あはは、そうかもね。まあ、このベッドのサイズで寝相悪いって言われたらどれだけ暴れてるんだよって話になるかな……
「これ、三人くらい寝られそうだもんね」
 意味合いは違えど「同衾した」という事実が出来たので、もうこれで終わりだろうと胸を撫で下ろしたアベンチュリンに、星はそのまま爆弾発言を落とした。
「一緒に寝るの、あったかくていいね。これからも私、ここで寝るよ」
……え」
「いや?」
「嫌じゃない、けど……その、いいの?」
「うん。ベッドメイクも一つで済むし効率的でしょ?」
 昨日は彼女が疲れていたから余計なことを考えずに一緒に横になったが、これが毎日続くとなると話が変わってくる。
……僕も若い男だから、流石に女性が毎日隣で無防備に寝ているのは意識しちゃうんだけど?」
…………え」
「それは嫌だろうから、やっぱりベッドは別にしない?」
 苦笑混じりでそう言って、広いベッドから降りる。冗談めいた口調で誤魔化したが、意図は伝わっただろうとアベンチュリンは考えていた。
 ……まさか、それによって星が悩みに悩むことになるとは思いもせずに。

***

「星~」
「うーん……
「星ってば」
「何だかなぁ……
「せーい」
 ぷに、と痛くない強さで頬を引っ張られた星が慌てて後ろを振り返ると、トパーズとカブが心配そうに見つめていた。
「やっと気付いた。どうしたの?悩み事?」
「う……うん。なんて言うか、最近すごくモヤモヤすることが多くて……自分の中でぐるぐる考えが回ってるというか……
「マリッジブルー?……まさかアイツに変なことされたとか?」
「アベンチュリンはそんなことしない……というか、しないからモヤモヤするというか……
 そう言って顔を逸らした星の頬が赤く染まるのを見て、トパーズはここにいない同僚の顔を引っ叩きたい衝動に駆られた。いたら間違いなく引っ叩いたというのに。
……婚約者なんだし、触れ合いたいって思うのは普通なんじゃない?姫子さん達との約束があるにしても、それ以外のスキンシップは禁止されてないでしょ?」
「そ、そうだけど……一緒のベッドで寝たいって言ったら、『意識しちゃうから』って言われて……直接言われなかったけど、ダメってことだよね」
…………
 思った以上に清いお付き合いをしていることに驚くべきなのか、友人と同僚のプライベートを赤裸々に語られて居た堪れない気持ちをどうにかするべきなのか、トパーズは得意の暗算でも弾き出せない答えに一瞬詰まった。
……私、星は仕方なくあいつと結婚するのかと思ってた」
「え?」
「他人事、というか……星、ずっと現実味がない顔をしてたから。弱みでも握られたか、互いにメリットがあるから結婚することにしたか……その辺りかなって。少なくとも恋愛結婚じゃなさそうだし」
 その言葉に一瞬びくりと星が反応したのをトパーズは見逃さなかったが、口にするのはやめた。やはり、最初はそんな感じだったのかと納得するに留める。
「でもさ……今はそうじゃないんだね」
「え……
「最初がどうとか、本当はどうとかは置いておいて……星、結婚したいって真剣に思ってきてるんじゃない?だからモヤモヤするのかもしれないね」
……そう、なのかな」
「じゃあさ、アベンチュリンがやっぱりこの人と結婚するって別の人連れてきたらどう思う?」
 トパーズに言われて、想像してみる。自分達は契約結婚だから、いつかそんな日も来るかもしれない。『本当に結婚したい人が見つかったから』と別れを告げられる日が。
……それは、嫌……
「なら、そういうことじゃない?」
 はあ、と深いため息をついたトパーズは隣にいたカブを抱きしめる。大事な友達を任せるには色々と心配な男だけど、他ならぬ彼女が選んだ相手だ。たまには援護してあげよう、と眉を下げる。
……あいつ、見た目も仕事のやり方も派手だけど……部下だけは、絶対大事にするの。命を張らせたり、危険な目に遭わないよう気を遣ってる。そう見せないようにしてるけど、身内への情は誰より厚い。きっと家族になる相手には、それ以上に情を注ぐだろうね」
……それが、私でいいのかなって不安になるんだ。私が受け取って良いものなのかなって」
「そんなの、良いに決まってるじゃん。それに、結婚ってゴールじゃなくてスタートなんだってジェイドさんも言ってたし」
 スタート?と聞き返した星に、トパーズは微笑む。
「結婚は二人で人生を歩んでいくスタート地点。今はその準備中だから、沢山悩んだり、歩幅が合わなくて不安になったりすることもある。でも、スタートしてみたら意外となんとかなることもあるって」
……二人で、かぁ」
「そう、二人で。結婚って一人じゃできないんだから!悩むことがあったり、したいことがあるならちゃんと二人で話した方が良いよ。まだ式まで日にちもあるんだし」
……そうだね。ありがとうトパーズ。ちょっと話してみる」
「私が色々言ったのは内緒ね、アベンチュリンに知られたら五月蝿いから」
 やれやれ、と肩をすくめながらも優しい表情をしたトパーズに、星は「分かった」と苦笑した。
「やっぱり、行動あるのみだよね。当たって砕けてみる」
「それ、話し合いのことよね?大丈夫?」
「大丈夫。もう言いたいことは決まってるから、言ってみるね」
……なんだか、不安」
 星は変なところで思い切りがいいから、明後日の方向に走らないといいんだけど。
 トパーズの呟きに、カブは(もう手遅れ)と言いたげな様子でプヒと鳴いた。


***

 その日の夜、アベンチュリンの寝室へ直行した星は開口一番こう言い放った。
「キスしてみたい」
……星ちゃん?」
「結婚式でするんでしょ?誓いの口付けってやつ。今までしたことないのにいきなりするのは難易度が高いから、練習したい」
 昨日と同じ、寝室のベッドの上。少し距離を開けて横になろうとしたアベンチュリンは、近づいてくる星を抑えるために慌てて身を起こした。
「あのね、本当にしなくても良いんだよ。ヴェールで隠せばチークキスでも誤魔化せるし」
……それもしたことないから、上手く出来るか不安」
「僕に任せて。無理に動いたり、何かしたりしなくても大丈夫だから」
……嫌、なの?」
 え、と聞き返そうとした時に初めて、星が傷付いたような表情で俯いていることに気付く。
「私は、本物じゃないから……そういうのは、したくない?」
「そうじゃなくて……星ちゃんこそ、嫌じゃないのかい?僕は君の望まないことはしたくないんだ……昨日もだけど、最近何だか無理をしているんじゃないかと思って心配してるんだよ」
 どうしたの?となるべく優しく声をかけて視線を合わせる。アベンチュリンが手で髪を梳くように頭を撫でると、星は言いにくそうに口を開いた。
「私……やっぱり、あんたに釣り合ってないんじゃないかと思って。結婚の準備をしていて、どのお店でも『羨ましい』とか『幸せですね』って声をかけられるけど……本当に、私で良いのかなって考えるようになったの」
 同意の上で契約したけれど、それでメリットがあるのは自分だけなんじゃないか。本当にこのまま結婚して良いのか。星は自身の不安を素直に口にした。
「あんたは私に色んなことをしてくれて、色んなものをくれるけど……私は何にも出来てないでしょ。だから、せめて……
「身体で慰めるとでも言うのかい?」
 アベンチュリンから考えていたよりも低い声が出て、星が身体を竦ませたのが分かった。だが、それでも言わなければならない。
 星の細い肩を掴んで、ベッドに押し倒す。急に反転した視界に驚く彼女に覆い被さって、唇が触れるギリギリのところまで迫った。両手を自分の手で絡め取れば、何も出来ない籠の鳥の出来上がりだ。
……これだけで震えている子に好き勝手するほど、酷い男じゃないんだけど」
「あ、あべんちゅり……
「一緒に寝たい?キスしたい?そんな簡単に自分を安売りする子だとは思わなかったよ。君は僕以外に契約結婚を申し込まれても、同じことをするのかな?」
 絡めた手に力が篭る。アベンチュリン自身、どうして苛立つのか分からなかったが、星が自分の身を軽く差し出そうとしていることが無性に気に障った。
「二度と、自分の身体を差し出すような真似はしないで」
「ご、ごめん……なさい」
 星の黄金の瞳が、涙で潤む。縁に溜まった涙を掬い取るように唇を寄せて吸うと、彼女は目をぱちぱちと瞬かせた。
……僕こそごめん。言いすぎたね……でも、自分を大事にしてほしいのは本当だよ。こういうことは、大切な人としてね」
……うん」
「ごめん、怖かったよね。今日はもう寝ようか」
 解放しようと手を緩め、覆い被さった身体を起こそうとしたアベンチュリンの視界に黄金の輝きが迫った。
……ん」
……っ!?」
 目の前いっぱいに、星がいる。近すぎて見えないほどに。拙く唇をくっつけて、柔く喰まれている。そう自覚した時、体温が一気に上がるのが分かった。
 しばらくしてゆっくりと離れた星は、夢を見るような表情でぼんやりと自分の唇をなぞっている。
……やわらかい」
「星、ちゃん?僕の話、聞いてた?」
「聞いてたよ。こういうことは、大切な人とするんでしょ?」
 軽いリップノイズを立ててもう一度唇が触れ合った。確かめるように何度か触れ合わせた後、星は納得したように頷く。
「私、あんたのこと大切だよ。だから、差し出すとかじゃなくて、こういうこともしてみたいなって思った」
……それは」
「ずっとモヤモヤしてたんだけど、やっと分かった。私、いつの間にか本当に好きになってたんだね」
 契約のはずだったのにね、と星は悲しそうに笑ってアベンチュリンの胸に顔を埋めた。
「ごめんね、そういうの面倒だから私を選んでくれたんでしょ?結局私、あんたのこと好きになっちゃった……嫌なら、無かったことに」
「いいの?」
 懺悔を吐露していた星の耳に、震える声が届いた。え、と顔を上げると自分を見つめる瞳と目が合う。不思議な色合いの瞳が、泣き出しそうに歪んでいた。
「君を、愛しても……いいの?」
「アベンチュリン?」
 震える手で、強く抱きしめられる。存在を確かめるかのように何度も背中を撫でる手を安心させたくて、星も彼の背中に手を回した。
……愛して、くれるんだ?」
「君が赦してくれるなら」
「それ、私の台詞なんだけど。私も、あんたを愛していい?」
……僕でいいのかい」
 小さく囁かれた言葉に、星は微笑み返す。
「あんたがいいんだよ」
 
***

「星さんが懐妊したそうね。おめでとう坊や……いいえ、パパと言った方がいいかしら?」
「ありがとう、ジェイド……でも、その呼び方はやめて欲しいかな」
「ふふ……新婚旅行で一か月休暇を取っていたのに、復帰早々育児休暇の予定が入りそうなんだもの。坊やにはそれまでにしっかり働いてもらわないとね?」
 厳しいことを言いながらも、ジェイドはどこか弾むような口調だった。子育てで困ったら懇意にしている孤児院の先生方に相談するといいわ、とすでに出産後の時間へ話題が飛んでいる。
「まだ産まれてもないのに、その話は早くないかい?」
「あら、カンパニーに星穹列車、博識学会に加えて、宇宙のあらゆる星にいる医師たちがサポートするというのに、星が無事出産できないとでも?常勝のギャンブラーともあろう者が随分弱気なのね?」
 揶揄うような口調に振り返ると、トパーズが大量の資料を抱えながら笑っていた。
「トパーズ……君、どこから聞いてたんだ」
「最初から。ジェイドさん、頼まれていた資料です。私から推薦したいものにはチェックを入れてありますのでご確認ください」
「ありがとうエレーナちゃん。今回も期待しているわ」
「お任せください!」
 そう言ってドサっと机に置かれたのは、ベビー服のカタログ一式。ご丁寧に男の子用と女の子用に分けてファイリングされている。
……まだ、性別も分かってないんだけど」
「こういうのは早くからチェックしておくのが大事なの!情報は力なんだから」
「子どもの成長はあっという間よ。すぐに着られなくなったり、破けてしまったりするのだから……予備はいくらあっても困らないでしょう?」
 両親以上に熱が入っている二人に、アベンチュリンはそういえばと眉を寄せた。
「君たち、星にも色々と入れ知恵しただろ……彼女、変に意識しちゃったみたいで大変だったんだよ」
「あら、なんのことかしら?」
「私達は『いずれ必要になるかも』って予備プランを提案しただけ。その様子だと、全部実行したみたいね」
「お陰様で。彼女は意外と真面目だというのがよく分かったよ」
「ふふ……道理で。新婚とはいえあまり無理をさせてはダメよ、坊や」
「妻が頑張っているのに、それを無碍にするほど僕は薄情な夫じゃないよ」
「あらあら」
「惚気はいいから、君はさっさと仕事に戻って。新婚旅行の間に溜まった書類をなんとかしてほしいって、部下が泣いてたよ」
「はいはい。早く終わらせて定時で帰るよ。愛しい妻が帰りを待ってるからね」
「隙あらば惚気るのはやめて」
 心底うんざりという表情でアベンチュリンを睨むトパーズと、穏やかな微笑みを崩さないジェイド。そんな二人を見て、アベンチュリンは機嫌良く「それは無理な相談だ」と微笑んだ。
「星を独占できるのは、僕の特権だ。それを自慢して、何が悪いんだい?」

 ……後にトパーズからこのエピソードを聞いたレイシオは、それはそれは深いため息と共にこう呟いたという。
「友達で良い等と言っていた過去の阿呆に見せてやりたいな、それは」
「本当ですね」