ORANGE*AXE/小野美歓
2025-11-22 00:00:00
1366文字
Public 風花
 

「魔除け」の刻印【ディミメル】

いい夫婦の日2025小話。ディミメル夫婦の朝の日常風景。短編再録集「CANDY BOX 4」収録。

※イングリットが王家の騎士として伺候してますが、ソロエンドに限定してません。ペアエンドでも結婚までの空白期間に夢を叶えてるかもしれない。

 窓の幕間から朝日が差す頃に目覚め、二人で揃って寝台を降りる。
 昨夜の内に用意された装束を纏い、身支度を調えて寝室を出ると、程なく従者が朝食の支度にやってくる。
 手際よく食卓に料理の皿が並べられていくその横で、一日の大まかな予定を互いに伝え合う。支度が調ったと声が掛かるのを待って席に着き、他愛ない話をしながら食事を済ませる。
 朝食を終えれば、互いに仕事に向かうことになる。今日の迎えはどちらが先か――食卓の始末を終えた従者が退出してからややあって、来訪を告げる声が室外から掛かった。イングリットだ。

 彼女自身が優れた魔道士であるとはいえ、王妃という身分で街に出れば、誰に命を狙われるとも知れない。そのため、城外での復興作業に携わる際には、イングリットを護衛として連れて行くことを必須条件としていた。
 当然ながら、イングリットには妻から目を離さないようにと厳命している。だから不安に思うことは何もない。……ないのだが。

――メルセデス」
 並んで座っていた長椅子から腰を浮かせかけた妻を、名を呼ばわり、腕を回して引き寄せれば、状況に反した行動に驚いて彼女は目を瞬かせる。
「ディミトリ?」
 閉じた襟の釦を外して寛げて、柔らかな髪と細い鎖を指先で軽く払い。顕わになった首筋に強く吸い付く。腕の中で藻掻くように身動いだメルセデスの唇から、熱を帯びた吐息が零れたのが音だけで分かる。

 イングリットの技量も、メルセデスの心も、何一つとして疑念を抱く余地はない。分かっていても、こうして印しておかないと気が済まないのは、寧ろ――
……もう。イングリットを待たせているのに」
 腕を緩めて、首筋に埋めた顔を上げると、呆れ顔の彼女が溜息と共に小言を吐いた。
「あなたって、本当に心配性よね」
「う」
「私があなただけのものだってことなんて、もうみんなに知れ渡っているのに」
 誰とも知れぬ実体のない相手への牽制だと見抜かれ、返す言葉に詰まって情けない声が漏れる。

「でも、ね」
 狭量な夫の醜態を目の当たりにしても、メルセデスの微笑みは優しい。
 細く白い指先が伸び、戯れるように頬に触れて。それから身を預けてきて、胸元でそっと囁く。
「そんな風に思っちゃうのは、私も同じだから」
 
 我知らず、驚きの声が落ちた。メルセデスの心が自分に向いていることは疑いようがなく、逆もまた然りだ。確固とした愛情と信頼が互いにあると知っている。それでも、だ。
 彼女はいつも落ち着いていて、誰と話していても穏やかに微笑んでいた。だから、自分が抱いているような嫉妬心や独占欲は、彼女にはないと思っていたのに。
 
 驚いた拍子に緩んだ腕から抜け出したメルセデスが、軽やかに踵を返す。その動きに遅れて伸ばした手は、彼女には届かず空を切った。
「ダメよ~。続きは日が沈んでから……ね?」
 上目遣いの悪戯めいた様に、毎日目にしていても飽きない愛らしさについ見惚れ――気がつけば、彼女の姿は扉の前だ。

 行ってくるわね、と残すメルセデスの向こう側にイングリットの姿を認めて、咄嗟に表面を取り繕う。が、今更なのだろう。本当に俺は、どうしようもないくらい彼女に夢中で、そんな伴侶を得られたことは、他に例えようがない幸福なのだと思う。