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高尾
2025-11-19 11:08:26
3438文字
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左手【実福】
実福成立済の実福
※流血・欠損表現あります
福島が手入れ部屋の重い扉を内側から開いたとき、本丸は黄昏の金色の光に包まれていた。
夕陽の色の暖かさに反して、皮膚に触れる風は瞬く間に指先の熱を奪う。小春日の過ごしやすい時間は日を追うごとに短くなり、鮮やかだった山の緑もいつしか枯葉色のグラデーションを帯びていた。
内番も終わり一日の汗を流す者、夕餉までの時間をゆったりと過ごす者、暮れてゆく空を眺めながら刀達が思い思いの時を過ごす穏やかなひととき。手入れ部屋から自室へと向かう福島に、馴染の顔が「よう、久しぶり」「手入れ終わったんですね」と声をかけてゆく。奥へ進むに従って刀の姿はまばらになり、居住棟まで来ると誰にも会わなくなった。歩くたびに装備の金具やベルトがチャリチャリと音を立て、その音を聞きながら2階までの階段をゆっくりとのぼった。
自室に辿り着くと、ちょうど山の稜線から真っ直ぐに伸びてきた光線ががらんとした部屋を照らしていた。
灼け付くような光の中に、同室の兄の姿はなかった。
片腕を失う重傷を負った体は、手入れで治癒された。治癒というより、感覚はリセットに近い。肉体的疲労感も後遺症もない。資材を足されて鍛ち直された、あたらしくてきれいな体。なのに言いようのない疲労感が福島の全身を浸していた。
痛まない筈の左腕が痛むのだ。切断された瞬間が幾度もフラッシュバックする。飛んでいく己の腕と血飛沫が目に入った次の瞬間に灼けるような痛みが来た。目の前が眩み、足が縺れて、次の斬撃を避けられたのは奇跡に近かった。
いらない記憶だ。万全の状態で出陣しなければならない男士にとって、製造側の欠陥としか思えない。傷を負うたびにそれをなぞるように追体験していてはきりがない。勘弁してくれよ
…
という苛立ちが体を重くする。夕餉に向かうのも億劫で、起きたばかりなのに寝巻に着替えて床に入りたかった。それを留めたのは、心配性の兄の顔だった。
ひとつ、溜息をついて、福島は装備を外し始めた。肩当てとポーチは黒漆塗りの浅い木箱の中へ。上着はハンガーにかけて、鏡台に向かいながら指輪を外したとき。
「あ」
左の親指から外した指輪が、指から離れて畳の上に落ちた。一度軽く跳ねたそれは美しい弧を描いて戸口の方へ転がってゆく。慌てて追いかけようとした福島の目前で、指輪を拾い上げた手があった。
「活きの良い指輪だね」
「一期さんかな」
「ふふ、彼がいつも弟くん達とそう言って笑っているから、移ってしまった」
内番姿で戻って来た実休の髪からは、かすかに清々しい草花の香りがした。彼のハーブ加工用の小部屋の匂いだ。すぐに自室をドライフラワーやプランターで一杯にしてしまうので、離れの土間の一部を審神者が貸してくれたのだった。
この部屋の壁に干してある草花も、次第に壁の一方を侵食する勢いで増え続けている。実休の香りが濃くなって、部屋の隅々まで浸透してゆく。福島は時折、己がこのまま彼のなかに包み込まれ呑み込まれて消えてしまうのではないかと思うことがある。特に、熱に溺れる夜などに。
「着替えていたの?」
「うん、さっき手入れが終わったから」
「そっか」
実休がちらりと福島の左腕を見た。福島はそれに気付いたが、伝える言葉に迷い視線を彷徨わせた。
『ちゃんと治ったよ』『もう大丈夫だから』。どれも違う気がする。
「おいで、福島」
実休は福島の左手を取り、戸惑う福島を窓際に座らせた。その向かいに腰を下ろして、自分の両手から内番の手袋を外し始める。何をするつもりなのかと眉間に皺を寄せている福島に、にこりと笑った。
「着替え、手伝うよ」
先の出陣で、福島と実休のいた隊は予期せぬ検非違使の襲撃に遭った。
戦場は城下で、通りには町人の姿もあり、それを守りながらの戦闘中に福島の左腕は肘上から切断されて虚空を舞った。間髪入れず御手杵の槍が背後から大太刀の心臓を貫いて、首に飛びついた厚の短刀が深く延髄に突き刺さる。辛くも検非違使を退けたものの、重傷の太刀が一振り。これ以上の進軍は不可能だった。
迅速に自らの襟巻で福島の腕の止血をした同田貫は、俺の襟巻に感謝しろよと笑ってみせた。福島にごめんと言わせないための同田貫の気遣いに応え、福島もまた痛みに顔を歪めながら今度奢るよと軽口を返した。本丸に帰還の要請をしていた山姥切国広が顔を上げて、「あれは何をしているんだ
……
」と呟いたとき、その視線の先にいた実休が慌てたように駆け戻って来た。右手に福島の左腕を持って。
「福島
…
! 腕、あったよ」
「
……
それはもうだめだよ、実休」
実休が拾ってきた左腕が、指先から炭化して徐々にぼろぼろと崩壊してゆく。最後には細かな霧となって消えた。まるで遡行軍のそれのように。
実休は、福島の腕が消えたあとも、それを握っていた自分の右手を見ていた。
紫の貴石のような静かな瞳から、感情を推し量ることはできなかった。
「指輪、ここに置くね」
最初に拾った指輪を、実休は鏡台の上のレザーのアクセサリートレイに丁寧に乗せた。赤いレザーが福島、黒が実休。それぞれの特の祝いに審神者から贈られたそのトレイは燭台切のセレクトで、それを知っていることを、二振の兄は大切な秘密にしている。
「あたたかい」
福島の左手を捧げ持ったまま、実休は独白のようにそう呟いた。福島は小さく肩を揺らしたが、福島の手を見詰める実休の瞳は不思議なほど穏やかだった。手の甲と手首に嵌められたバンドをひとつずつ丁寧に外されながら、わけがわからず高鳴っていく自分の動悸が厭わしくて福島は細い眉を顰めた。何なんだこの状況、と気を逸らしていないと呑まれてしまいそうで、何か喋らなきゃと思うのに、こんな時に限っていつもの軽口が出て来ない。
「
…
っ」
「くすぐったい?」
「
……
そりゃ、」
指輪を抜く実休の指が福島の小指をなぞったとき、軽く背筋が震えた。
「やっぱり、福島の手は綺麗だね」
以前までの手と寸分変わらない先細りの長い指を、実休の手がそっと撫でた。さほど背丈が変わらない割に実休の手は福島の手より厚くて大きい。しっかりと筋と関節が浮き出た手は、刀を握る男の手だった。その手が福島の手の甲を愛おしげになぞるたび、福島は息を詰め、喉の奥からこぼれそうになる声を嚙み殺した。
実休の指先は、乾いていて熱かった。対峙しているだけでは体温を感じさせない男が、どれほどの熱をその身に蓄えているのか福島は知っていた。
あたらしい腕なのに、幻肢痛のように感触を憶えているのはなぜだろう。
腕を強く敷布に押し付けられたときの、手首を包むてのひらの熱さ。縋るものをもとめて伸ばした手をやんわりと掴み取られたときの、震えるような安堵。手首から這い上がって来た指が手掌をなぞり、五本の指の間にそろりと分け入って、ぎゅっと握り込まれたときの、喉奥からせりあがるような興奮を。
普段乾いている実休の手は、閨ではいつもしっとりと濡れていた。そしてじんわりと染み入るように痛いほどの熱を福島に伝えた。体温と一緒に、それ以上の熱量で押し寄せる快感に福島は喘いだ。
体の一部を失うたび、それを作り直されるたびに、自分が自分ではなくなってしまうような気がしていた。
けれど実休の指先にそっと肌をなぞられると、彼に触れられた記憶がまざまざと呼び覚まされる。この体は確かに実休を憶えている。そのことが、どれほど嬉しいか。
もっとそれを確かめたくて、もっと触れてほしくて、溢れ出しそうな熱情を堪えながら「実休
…
」と呼べば、目の前の男は顔を上げて、美しい貌でふわりと微笑った。
薬指の指輪に実休の指がかかり、それをゆっくりと引き抜かれたとき、違うことを想像して福島は奥歯を噛み締めた。下腹に熱が溜まってゆく。
ぽとり、と音を立てて赤いレザーの上に落ちる指輪。福島の手を覆うグローブと肌の間に差し込まれた指は少しだけ性急で、いつしか夕闇に染まった景色のなか、実休の紫の瞳だけが内側から燃えるように光っていた。
「もう少しもなくさないで」
するりとグローブが抜かれ、つめたい外気が触れた手の甲へ、熱い唇が落とされる。
実休の髪から香る、およそ刀剣男士から香るとは思えないような草花の清しく甘い香りを、福島は深く吸い込んだ。
いつしか左腕の痛みは消えていた。
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