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月見
2025-11-19 00:58:43
5016文字
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傷口に生まれる(竜龍、以龍、晋りょ)
ワンドロワンライお題「誕生日、傷口、残り香」全部盛りのごちゃごちゃ
薄暗い、曇り空の下に赤が散った。
「坂本さん!!」
上がった高い悲鳴はマスターの少女のものだった。
悲痛さと狼狽を籠め切ったそれと、彼女から放たれたなけなしの魔力は正しく場の全員に行き渡り、皆の正気を引き戻す。
そう、蠢く魔に浸された悪鬼たちと人理の星見台に与する者たち。両者が歪に崩れかけた世界、所謂特異点でぶつかりあい、剣を交えたその果てで、無残なほどにうつくしい赤が散ったのだ。
真正面から切り裂かれた坂本龍馬の赤と、ふんわりと翻り宙に浮く深紅の髪。
二つのあかがあでやかに、毒々しく花開いて、駆け抜けたのは紅を宿した漆黒だった。
「龍馬!!」
群がる魔物を、使役する魔術師を、全てを薙ぎ払いお竜が倒れていく龍馬を受け止める。
彼を切り裂いた高杉晋作と、彼に庇われた岡田以蔵の前で、彼らに眼もくれずただ龍馬の傷と流れる血にだけ目を向けていた。
何故こうなったかと言えば、相手取っていた敵のキャスターが齎した混乱のデバフのせいだった。
以蔵と高杉は放たれたその魔術に絡め取られ、お竜の影響で対魔力の高い龍馬だけがあの混戦の中で正気を保っていたのだ。
そんな龍馬は敵味方を入れ違えて認識した高杉の一刀が以蔵に狙いを定めていることを察し、以蔵は以蔵でやはり混乱の影響下にあり高杉からの攻撃に容赦のない反撃を繰り出すことは目に見えていて。
だから、咄嗟に身を投じた。ちょうどお竜が別方向の魔獣を相手取り、龍馬自身の刀も別の魔獣の爪と鍔競りあっていて咄嗟に振える状態ではなかったのだ。
龍馬は黒灰の目を見開き、なんの躊躇いも無く刀を手放し地を蹴ると高杉から以蔵を庇った。以蔵から高杉を庇った。
真白い海軍服を真っ赤に染めて崩れ落ちていく身体で、マスターが発動した魔術により二人が正気を取り戻し、更には疵一つなく無事であることを見止め安堵して。
坂本龍馬は、深く大きく切り裂かれて倒れたのだ。
その日の宿で、龍馬とお竜、以蔵に高杉は今各々の自室ではなく龍馬の部屋に揃って険しい顔をしていた。正確には、以蔵と高杉が苦虫を嚙み潰したように顔を歪めて、お竜は表情こそ変えないものの赤い瞳には隠しきれない焦燥に揺れていた。
「えーと、お竜さん、ほら僕もう大丈夫だから。ありがとう」
お竜は龍馬から離れない。マスターの礼装を通した簡易治療だけでなく、お竜自身の唾液ですっかり治癒されたはずの裸身を見つめ、撫でながら、どれだけ龍馬が宥めようと礼を言おうと、あるいは心配かけてすまないと謝罪しようと離れなかった。
「その、二人もごめん、ご覧のとおりすっかり治ったし、本当に気にしないで」
お竜の頭を労わるように撫でながら、龍馬はむっつりと黙り込んで胡坐をかく二人に申し訳なさそうに笑う。気にすることは無い、大したことなどないのだと。
それがどれだけ、二人の精神をひしゃげさせるかも知らないで。
ギリッと高杉は奥歯を軋ませる。以蔵も、チィッとあからさまに舌打ちをした。
「あの、二人とも?」
そんな両者の反応に龍馬が本当に困ったように戸惑うが、高杉も以蔵も、腹に抱えた鬱屈が晴れることは無い。
嗚呼、こんな日だというの。こんな日だからこそ、二人は、三人は龍馬の傷と笑顔にたまらなくなる。声が、言葉が喉の奥で詰るのだ。
そんな中で口火を切ったのは、ずっとはだけさせた龍馬の胸元に顔を埋めていたお竜だった。
「すまん、龍馬。いつだって、特に今日は絶対にお竜さんが守りたかったのに、絶対に絶対に、龍馬を傷付けたくなかったのに」
今日だけは。そう繰り返すお竜に、以蔵も高杉も一層眉間の皺を深くする。それは彼女の言葉の意味を理解しているからであり、同意に似たものを抱えているからでもあった。
「今日
……
」
「君まさか気付いてないことないよな?」
「おまん、今日誕生日
……
」
だというのに、龍馬はお竜が拘った、二人も同じである今日という日事態にはきょとんと目を瞬かせるものだから。
思わず、高杉は呆けながら龍馬を指さし、以蔵は困惑を滲ませながら答えを口にして。
「あ、そうだった」
あっけらかんと、あんまりにも呑気に気付いた龍馬に三者三葉、頭をひっ叩き頬を抓り噛みつきにかかったのは、きっと無理も無いことだ。
そんな、当初の重々しい空気もどこへやらのすったもんだの末、スパンと障子を開けたマスターの「もう夜中だから静かに! 坂本さんも安静に!!」の一声で場は収まって。
やがてお竜は「今日はもう寝る。龍馬の中で寝るぞ。あとはもう全部、明日だ」とくしゃりと唸るように言い残して姿を消した。
いつもの泰然とした、気丈な声からはかけ離れた、弱々しいそれだったことを正確に感じ取ったはきっと龍馬だけで。
「うん、おやすみ、ありがとう」
へなりと眉を八の字にした龍馬はひそやかに優しく、労わりだけを籠めて囁くと己の胸を撫ぜた。
悪いことをしてしまった、とぽつり落とされた声は残り二人の耳にも届く。
一拍の沈黙の後、龍馬は生白い、もう傷痕の一筋すら見えない素肌を衣服を整えることで静かに仕舞う。真っ青のシャツも、純白の軍服も、編み直したのだろう、布地に解れも無く赤黒い血の染みも何もない。それでも、どうしてか一瞬あの灰色の空に散った血臭が残り香のように鼻孔を擽った気がして、以蔵はすんと鼻を鳴らす。
高杉の方はただ、流れた赤とは違う紅い眼をなんの痕跡も残っていない龍馬の胸元にだけ向けていた。
「
……
この時代は暦の読み方も変わっていたから、敢えて教えもしなかったし意識しないようにしていたんだけどね」
憶えてたかあ。再び、龍馬が口を開く。先ほど己の誕生日を忘れていたことを叱られたことを受けてだろう言葉だった。
「ほら、僕って誕生日と死んじゃった日が同じだからさ。お竜さん、あの日のことを凄く気にしてて、だから、それだったら、日にちなんて意識しない方が良いと思ったんだけど」
というか僕自身が忘れててよりによって今日下手を打つなんて。龍馬はばつの悪そうに頭を掻く。少し癖のある黒髪がくしゃくしゃと乱れた。
「二人も、ごめん。でも無事でよかったよ」
そう微笑んだ龍馬に、常の勢いで捲し立てられれば良かったのだろうか。
それこそ高杉が深く関与した特異点で多くの言葉を真正面からぶつけ合い、一歩も二歩も踏み出した彼らにとって、あれこれと一人溜め込み悩むべきではないことは身に染みているのに。
それでも、以蔵も高杉もそれ以上龍馬に何を言うことも無く部屋を後にする。引き結ばれたままの縊るに、顰められたままの眉根に果たして龍馬は何を感じただろうか。
「ぁ、」と小さく零れた声が新たな言葉に変じるより前に、高杉が「大蛇じゃあないが、明日、というかこの特異点が解消されたら覚えておきたまえよ! まったく、アレコレと用意して君の度肝を抜いてやるつもりだったのにキマりやしない」といつもの調子をようやく発揮して。
「おまんは要らん事考えすぎなんじゃアホ龍馬が。誕生日はめでたい、それでええやろうに」
以蔵も、やはり以蔵らしくぶっきらぼうな思いやりに満ちた叱責を置いて。
そんな二人に龍馬は改めて「ありがとう」と、今度は憂いの影を消してふにゃりとわらった。心の底から、嬉しそうな笑顔だった。
ふわふわと、じんわりと柔らかで温もった好意が伝わる声と、顔。『坂本龍馬』という人間が浮かべる表情に、抱く感情に相応しいそれらを高杉も以蔵も受け止め、飲み込んで。
「うん、僕は大丈夫だから」
そう、芯を持ち輝く黒灰の眼と声が紡いだそれが果たして何にかかる「大丈夫」なのか、二人は深堀をすることなく部屋を後にした。
静かな摩擦音だけを立てて締められた障子。
薄紙一枚を隔てた部屋の中が見えなくなり、脚を進めて遠ざかり、龍馬の気配も遠く音も届きはしないだろうところまで廊下を進んだ、そこで。
暗い朧月の頼りない光の下、二人は示し合わせたように足を止める。高杉の素足がペタペタと板張りを踏む音も、以蔵の足袋が音も無く進む気配もひたと消えた。
「へったくそな斬り方しよって。混乱なぞ言い訳にもならん。ま、お竜とマスターのお陰でなんも残らんちゅうのはええがな?」
「その混乱にやられて、へったくそな剣からも守れなかったのは君だろ?」
みしり、と互いが互いの踏むべきでない場所を敢えて踏み抜いた。剥がすべきではない鱗に手をかけた。
互いに、向ける眼差しは冷たく、あかい。そして血の香りがしていた。
とっくに消えたはずの、二人が被った龍馬の血のにおいが、気配が、残り香のように漂っている。
否、残り香すべく、両者ともに纏わせているのか。
少しでも、欠片でも、あの男の存在を自分に繋ぎ止めたいという本能がそうさせているのか。
「
……
さっきの、龍馬を斬った時とさっきのおまんの目ぇ、わしには誤魔化せんぞ。けんど無駄じゃ、お竜も居る、わしが居る、あの阿呆におまんが残せる傷なんぞ無いわ」
ぐつりと煮え燻るように以蔵が吐き出す。龍馬の真白い服、肌を裂いた一閃とその痕に、高杉の眼が確かに熱をもったこと、それらが消えていくことを微かでも惜しむ無念が宿っていたことを、突き付ける。
「へえ? 分かったように言う。ひょっとして体験談かい?」
高杉は吐き捨てるように笑った。自己嫌悪で割れそうな頭に追い打ちを喰らった心地だった。
以蔵の指摘はもっともで、本当にその通りで、正気を取り戻した自分が倒れていく龍馬に戦き、それを成した己に憤慨すると同時に、あの真白い男に自分の紅を刻み込んだような光景は、どうしようもなく仄暗い歓喜を呼び起こしもした。
今日という日だからこそ、それはきっと余計にだった。稀有な男がこの世に生まれ落ちた喜ばしい日であり、その羽ばたきが無残に叩き落された忌むべき日でもある今日。その忌々しさを、名残を、あろうことか上書きでも出来た気がして。
その下らない、下劣といって良い欲を以蔵は看過した。何故? その理由を、高杉もまた見通す。お前も同じだったからだろうと。どこまでも飛んでいく龍に、自分を刻みたいと唸ったことがあったのだろうと。
「そうじゃ。龍馬を斬って、泣かして、怒らせて、わしを分からせたかった。気っ色の悪い」
以蔵は淡々と認め、心底忌々し気に吐き捨てた。肚の中ではかつての自分が龍馬に向けた鬱屈が渦を巻き、しかしそれが再び鎌首を擡げることは無く踏みつぶされている。
先ほども、高杉に斬られ倒れていく龍馬を見て一瞬過った『妬ましさ』より、今日という日に自分の剣があの男を守れなかった事実への悔しさが遥かに勝った。高杉への怒りが勝った、己への侮蔑が勝った。それでいい。
以蔵はぎらりと研いだ眼差しを高杉に向けた。
「じゃけん、わしは龍馬を守っちゃる。わしと、おまんみたいな阿呆からの」
そう、口端を歪に歪めて鼻を鳴らして。
「はは、面白い。良いね、頑張ってくれたまえ」
そんな以蔵に高杉は軽快に、棘を孕んで笑う。心底愉快で、腹立たしくも有難い。
「じゃあ僕も、坂本君が僕や君みたいな馬鹿者に付け込まれないよう精々叱り付けてやるさ」
どろりと底で揺蕩う欲は押さえ込む。以蔵も高杉も、それをどうせ完全に消せやしないことは分かっていた。今もなお網膜に、鼻孔に焼き付き纏わりつくあの赤い色と匂いがその証左だろう。
坂本龍馬という男はどうにも、そういうものを抱かせる厄介な男でもあるのだ。そうしておいて、本人はなにをどう思われようとされようと、己を保ちただただ立って進んで、高く遠く飛んで行ってしまう男でもあった。そこに付いていけるのは彼の対たる大蛇だけ。
どこまで飛ぼうがひとりになることは無い事実はきっと喜ばしく、祝福すべきで。
嗚呼、しかし口惜しい、忌々しい、ただただ、悔しい。
湧いて弾ける入り組んだ感情を二人で均し、互いが互いを牽制するように、戒めるように言葉と視線を交わして。
今はただ、ことを終えた後、自分たちと、そしてお竜と共に、坂本龍馬が生まれ落ちたということだけを祝い潰してやろうと決めた。
ただ、それだけの夜だった。
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