小話倉庫(深上)
2025-11-17 21:54:01
6260文字
Public 悠アキ/haruwise
 

アキラくんのとなり、特等席(悠アキ/haruwise)

頂いたタイトルで書きました第四弾。
片思いの自覚がある悠真と、無自覚お兄ちゃんの話。

 アキラのそばには常に誰かがいる。
 バカンスで浮かれる面々の中に彼の姿を認めて、悠真は船上バーの船べりに体を預け、ノンアルコールカクテルを片手に観察する。
 海辺を歩いている彼の隣にいるのは、確かモッキンバードに所属するビビアンという女性だ。時々アキラを見つめる眼差し、さり気なさを装った接近、砂に足を取られたふりをしての接触。そのすべてをやんわりと受け止める様はまるでできた彼氏のようだが、彼にその気がないことを悠真はよく知っている。
 彼は誰にでもそうなのだ。転びかけた少女に手を添える時ですらスマートさを披露し、眼差しも常と変わらない。ただその様を眺めている悠真の胸の奥がほんの少し軋むだけだ。
 しかし、季節外れとはいえ水着姿の男女が砂浜を歩いていたらカップルだと思われて然るべきシーンなのだが、彼はその辺りを正確に理解しているのだろうか。罪作りな男だと改めて思う。勘違いした誰かがどれほどその気になろうが、彼が心から隣にいることを許すのは妹のリンだけだというのに。
「どうしたぁ? 物憂げな顔で砂浜を見つめて……ははーん、なるほどなるほど」
 ぬ、と横から視界に入り込んできたパイパーが、悠真の視線を追いかけてアキラたちの姿を見つけ、にんまりと口角を上げた。彼を見ていたことを悟られ、居た堪れずに目を逸らしたら、ぼん、と肩に手が置かれた。
「あんたもキラキラした青春を送りたいんだなぁ」
「ちょっと論点ズレてますけど、それでいいですよもう」
「捻くれてるなぁ〜。プロキシの人たらしは今に始まったことじゃないだろぉ?」
……ノーコメント、です」
 鋭い指摘から咄嗟に逃げる。悠真が観察していたのはあの二人の間にある「青春」の体現ではなく、アキラのビビアンに対する行動だ。しれっと図星を突いてきたパイパーは、悠真に倣うように船べりに両腕を乗せ、その上に怠そうに顎を置いた。
「あいつのアレは処世術だろぉ。ああやって優しくするのも自然と出てるようでいて、実際は計算された行動だと思うぜい。ま、その甘い顔に騙されるやつは後を絶たないけどな〜、うちのボスとか……いや、うちのは恋に恋してるって方が正しいか」
 あはは〜、と笑いながら自分の組織のトップの恥ずかしい秘密を暴露するパイパーを一瞥して、悠真は再び砂浜に視線を戻す。ビビアンの姿がなく、いつの間にかアキラは一人になっていた。
 砂浜に佇み、夕焼けを反射する海の向こう――ホロウをぼんやりと見つめるアキラの銀糸のような髪が、潮風にそよいでいる。そのまま夕日に溶けてしまいそうな後ろ姿を見ていると、ちくり、と心に不安が滲んだ。手を伸ばしたい衝動に駆られるほどに。
 悠真がもどかしい気持ちを抱えている間に、両手にドリンクを持ったビビアンが息を切らせながら戻ってきた。彼女が片方をアキラに差し出すと、彼は先ほどまでの愁いを帯びた印象を一瞬で消し、温和な笑みを浮かべて受け取った。
 またいつもの笑顔に戻ってしまったアキラからそっと視線を外し、悠真はその光景から逃げるように身を翻した。
「ん、もう帰るのか〜?」
「サボ……じゃなくて、ちょっと仕事のついでに寄っただけですし、アキラくんに会う予定もないですからね。彼を見つけたのもあなたに会ったのも、偶然です」
「なんだぁ、連絡もしてなかったのか。プロキシも、あんたなら優先して会う時間を作ると思うけどなぁ」
「はは、買い被りすぎですよ」
 所詮は数いる知り合いの中の一人に過ぎない。そこそこ親しい自覚はあれど、これ以上に近しい関係の誰かがいても不思議ではない。彼の友人という枠はあまりに広すぎて、自分の存在も「数ある中の一つの関係性」でしかない。は、と自嘲気味の息を吐くと、それを横目で伺っていたパイパーはなぜかドヤ顔で顎を上げた。
「ふふん、そうやってせいぜい高をくくってな〜。この年寄りの目は誤魔化せないんだぜい」
 腕を組んだパイパーの予言めいた言葉をはいはいと軽く流して、悠真は空になったドリンクのカップをゴミ箱に放り投げた。


 アキラの姿を再び見たのはその数日後、ホロウに関する緊急要請で慌ただしいH.A.N.D.の作戦本部だった。急遽招集されたにも関わらず、アキラは本部の様子から緊急度を察してすぐに作戦に加わった。ボンプの体でホロウに飛び込んだ彼は、中にいる六課の執行官たちに正確な分析結果とそれを元にしたホロウ内の変化予測を伝え、エーテリアスの討伐に一役買った。
 原因の根絶とともに突発的に湧いたホロウは力を失ったように萎み、跡形も残さずに消えてしまった。危機が去ったことに安堵するH.A.N.D.の執行官たちに待ち構えているのは、事後報告、活動記録の提出、緊急会議――と多忙極まりないスケジュールだ。
 被害を最小限に抑えるべく必死に戦ったというのにこの仕打ち。横暴だと思いつつ、アキラの協力もあって泣く泣く処理をこなし、予想よりは早い退勤がかなった。それでも、H.A.N.D.のオフィスを後にしたのは時計の短針が真上から少し右に傾いた、深夜だった。
……あ〜疲れたぁ〜」
「そうだね……お腹も空いたな」
 腹を押さえて弱々しい笑みを浮かべるアキラを見ていると、釣られるように自分の腹が鳴った。くぅ、と気の抜ける音が響いて、悠真は肩を竦める。お揃いだ、と茶化してくるアキラにますます羞恥を深めていると、彼は到着した自分の車の前で振り返った。
「イアスは先に帰したから、急いで帰る必要もない。だから悠真――僕と少し、悪いことをしないかい?」
「え」
 言葉の響きに一瞬跳ねてしまった心臓を、いやいやないないと落ち着かせつつ、悠真は恐る恐る尋ねる。
「悪いことって、具体的には……?」
「深夜のラーメン、なんてどうかな」
 ですよね〜、と心中に言葉を浮かばせて小さく息を吐く。元々期待などしていない、と再度自分に言い聞かせて、車の前で待つアキラのそばに寄る。
「こんな夜中にラーメン? またリンちゃんに不摂生とか言われるんじゃない?」
「リンはリンで、こっそり夜中に映画を見ながらスナック菓子を食べているからね。変わらないだろう」
「分かってて言わないんだ。そっちも不摂生だよって」
「ふふ、下手に指摘したら、『太ったってこと?』って言葉を最後にしばらく口を利いてくれなくなるからね」
 どうやら経験済みのようで、やれやれと肩を落とす彼からは妹に逆らえない諦めが滲んでいる。しかしすぐに気を取り直したのか、真剣な表情で悠真を見据えてきた。
「君の体的には、こんな時間のラーメンは望ましくないかい?」
「んー……あんま食べたことないかも。夜中にそんなこってりしたものを食べたら、翌朝胃もたれしてるかもしれないし」
「悠真はそもそも、食事をしっかり摂っていないイメージがあるな」
「ちゃあんと摂ってるって。結構食べる方だと思うよ? ……まぁ、忙しい時とか一人の時は、簡単な食事とサプリで済ませることが多いけどね」
 でも、と悠真はアキラに向けて口角を上げてみせる。
「あんたとなら、悪いことってのをしてみるのもいい」
 サプリと聞いて眉をしかめていたアキラは、悠真の乗り気な返事を聞いた途端、嬉しそうに目尻を緩ませた。
「ルミナスクエアのラーメン屋は、夜でも食べやすいあっさりめのメニューを考案してるんだ。君の今の気分に合うものもあると思うよ」
 そうと決まれば早速、とばかりに機嫌良さそうに運転席に回る彼を見て、本当にお腹が空いていたんだなぁと理解する。たまにはこういうのも悪くないな、と車内から呼ぶアキラに気分よく応えて、悠真は助手席に乗り込んだ。


 繁華街も真夜中ともなれば人影も電飾の明かりも薄れ、静謐な空気を漂わせている。中心街から少し外れたこの公園は特にひっそりと静まり返っており、耳を澄ましてようやく川のせせらぎが聞こえてくる程度だ。
 苦しいお腹を擦って、悠真はベンチで休憩していた。やはり慣れない時間のがっつりとした食事は胃に優しくはなかったらしい。アキラと楽しく食事をし、空腹を満たした満足感と、体に無理をさせた罪悪感が混ざり合い、ぐるぐると胃のあたりで気持ち悪さが渦巻いている。
「何か飲み物を買ってくるから、ここで待っていてくれ」
 アキラはそう言うと、動けない悠真を置いてどこかへ走り去ってしまった。遠ざかる背中を見送りながら、彼との食事に浮き足立ってつい食べ過ぎてしまった自分の不甲斐なさを思い、悠真は苦く笑った。
 ふと、以前ファンタジィ・リゾートで見たアキラとビビアンの姿を思い出す。あの時とは逆転してるなぁと思いながら、暇を持て余した悠真は空を見上げた。今日は月が眩しい日のようで、深夜にも関わらず街灯と見紛うほどの輝きを放っている。こんな夜でも暗闇を感じない。
「悠真」
 静かな空間に、柔らかい声が響く。振り向くと、缶を二つ持ったアキラがわずかに息を切らせて駆け寄ってきて、片方を悠真に差し出した。本当にあの時見た光景と逆だな、と苦笑いを押し殺しながら受け取ると、指先から温もりがじんわりと広がった。
 冬の訪れを日に日に感じはするものの、まだ夜が僅かに肌寒い程度だ。冬用に切り替わっている自動販売機を探すのは手間だっただろうに、わざわざ温かいものが売っているところを探してくれた彼の優しさを思うと、手のひらだけではなく心まで温かくなった。
「温かくてスッキリと飲めそうなものは、その黒豆茶しかなかったのだけれど……良かったかい?」
「そこまで考えて買ってくれたものを、飲めないとは言えないなぁ〜」
……、もう少し、君に合う飲み物を探してこようか?」
「ははっ、うそうそ。あんたが選んでくれたのなら何でも嬉しいよ」
 本心からそう返すと、そうか、と小さく相槌を打った彼は悠真の隣に腰かけた。先ほどまでラーメン屋で存分に他愛のない話をしていたのもあり、今のアキラは口数が少ない。
 黙りこくる彼は両手でコーヒーの缶を弄びながら夜空を見上げている。何を考えているのかまでは横顔からは推し量れないが、飾らないアキラを見ているようで少しだけ気持ちが高揚する。きっとこの姿は、あの時共に海辺を歩いていたビビアンや、他の友人達には見せない部分だろう。彼が素の姿をさらけだすのはそれくらい、珍しい。
「あ……すまない。ぼうっとしてしまった」
 悠真の視線に気づいたのか、アキラは思案気な表情を和らげて悠真と目を合わせた。柔らかい翡翠の眼差しに射抜かれ、悠真は口にするつもりのなかった言葉を吐いた。
「アキラくんってさ、割と謎だよね」
「謎? 何がだい?」
「あんまり本心をさらけ出さないでしょ。いつも一歩引いてる感じがする」
 悠真の指摘に思うところがあったのか、アキラは自分の手にあるコーヒーの缶に視線を落とした。
「よく見てる、と言いたいところだけど……それは君もじゃないかな」
「え、僕?」
「何事も、一歩引いて見ているように思っていたけれど」
「そう……かな?」
「少なくとも僕はそう感じていたよ。だからこそ第三者的な視点が持てるのだろうと、感心していたんだ」
「あー、それはまぁ、全体の役割分担を考えた結果そこに落ち着くことが多いってだけで。そういうアキラくんはどうなのさ」
「僕は……そうだな。保険をかけている、のかもしれない。一点にのめり込むと、足がもつれてうまく動けないこともあるからね」
 そこまで言ってから、アキラはふっとおかしそうに息を吐いた。口元には笑みが形作られている。
「ここまで誰かと切り込んだ話をするのはなかなかないから、新鮮だ」
「僕もあんまりしないけど、アキラくんもそうなのは意外〜」
「そうかい?」
「あんた友達たくさんいるし、誰とでも仲いいでしょ」
 言ってしまってから、嫉妬心が出てしまっていないかとひやひやしたが、悠真の懸念に反してアキラは柔らかい空気を保ったまま、夜の静寂に溶けそうな声でぽつりと呟いた。
「誰とでも、というわけではないよ。特に自分から仲良くしたいのは一握りだ」
「え、そうなんだ?」
「僕からするとね、君の方が謎なんだ。こうして誰かの隣に座っていても、いつもなら身構えるところなのに、君が隣にいると何故か気を抜いてしまう、というか……
 アキラが何かを言いかけて、うまく言葉にできなかったのか少し黙り込む。沈黙の中、ひゅうっと冷たい風が吹いて身を強張らせた。缶の温もりは少しずつ失われていく。僅かな居心地の悪さを覚えて腕をこすると、それに気付いたのか、アキラが少し身を寄せて肩同士がとんと触れた。
「どうやら君は、僕にとって特別みたいだ。リンほどではないけれど、感覚としてはそれに近いな」
 肩からじわりと体温が伝わって、冷えかけた体と心に浸透していく。赤くなりそうになる顔を誤魔化すように、悠真は掠れた笑いを零す。
「みたい、って……他人事みたいに言うなぁ」
「何分、あまり湧かない感覚でね。夜中のラーメンも、今までは偶然知り合いに会うことはあったけど、誘いたいと思ったのは君が初めてだよ」
「ははっ、僕、あんたの初めてを貰っちゃったんだ。光栄だね」
……言い方に含みがないかい?」
「ないない。でも、リンちゃんと同じような感覚かぁ……アキラくんの中で、僕ってそんな家族みたいな存在だったんだ」
「家族、なのかな? だけどそうだな、親友くらいには思っているかもしれない。……すまない、一方的に」
「謝ることじゃないでしょ。でも、そっか……うん」
 意味のない相槌を重ねて、悠真は言うべき言葉を探す。親友? 家族? どうだろう、自分にとっての今の彼は――
「そうだね、僕にとってもあんたは唯一無二の『相棒』だしね」
 ――欲を言えば。
 ここで、悠真がアキラに対して抱いているのが恋慕だと、暴露してやりたいのだが。
 きっと今の彼は、それを望まないだろう。恋どころか、親友だと思っている、と気まずそうに告げてくるくらいだ。ここでいきなり告白してしまえば、予想以上に近かったことが判明した距離が、また遠くなる。避けられるのだけは勘弁してほしい。
 これは長期戦になりそうだ、と息を吐く。――けれど。
 他の連中よりも一歩リードしているらしいことがわかって心が軽くなった。彼に好意を寄せる誰もが求める「彼のとなり」という特等席を、今は彼の妹を除けば自分が独占しているのだ。物理的にも、気持ち的にも。
 パイパーの観察眼には恐れ入る、と。人を食ったような笑みを思い出して、はぁと息を吐く。
 ゆっくりでいい。彼に意識させるように、自分にとっても特別な存在なのだと滲ませてみよう。少し自信がついた今なら、色んなことに彼を誘ってみるのもいいだろう。
 そんなわけで早速勇気を出して公園の隅にあるバネのついた遊具に誘ってみたら、「薄暗くて気味が悪いし、男二人が乗るのは恥ずかしい。それに、耐荷重も気になるから」と理屈を重ねてきっぱり拒絶されてしまった。
 隣を許されたとしても、ここから距離を詰めるのはなかなかに難しそうだ。それでも今日という日は、彼の心へと近づく確実な一歩になっただろう。少し気分を浮つかせながら、頑なに拒否の姿勢を見せる相手に、悠真は「しょうがないなぁ」とわざとらしく苦笑してみせた。