来客が訪れたのは、アムロが寝る支度を終えそろそろベッドに横になろうと考えていた時だった。控えめに部屋のドアを叩く音に首をかしげる。眠っていたら気がつかないほど小さなノックだった。こんな夜更けに誰だろう。
ベルトーチカか、あるいはハヤトだろうか。当たりをつけてドアを開いたアムロはぽかんと口を開けた。目の前には、先ほどお互いにグラスを空にして「おやすみ」と笑って別れたばかりの男がきまりが悪そうな顔をして立っている。
「シャア?」
「やあ」
思わず驚いた声で名前を呼ぶと、シャアはアムロの視線から逃げるように目を逸らした。サングラスは部屋に置いたままらしい。表情から気まずそうな心情が筒抜けだ。
「あなた、まだ起きていたのか? 疲れているだろう?」
「ああ、まあ。いや、すまん……。君はもう寝るところだったか?」
「俺になにか用が?」
どうかしたのだろうか。心配と疑問が混ざったアムロの問いかけに、シャアは一度口を開き、閉じる。そしてたっぷりと間を置いた。
不思議な沈黙にアムロは瞬きをする。地球で再会してからシャアを前にするとつい物言いがきつくなってしまうことが多かったが、今日ばかりは労る気持ちがアムロを寛容にさせた。急かすことなく、シャアを見上げて返事を待つ。
「………………君と、話がしたくて」
眠れない、とシャアはアムロを見つめ返した。
彼の口からは初めて聞く、心を許した人間に甘えるような声。ドアを開けた時にアムロがシャアをまるで迷子の子どものようだと感じたのは間違いではなかったようだ。
「いっしょに歩きながら少し話そう」
このまま断ることは憚られ、しかし部屋に入れることもできず、アムロは上着を羽織りシャアの背中をそっと押した。シャアが小さくうなずいたことを確認して、並んで歩き出す。
艦内は静かだった。駆動音と、ふたり分のかすかな足音と呼吸音。昼間の喧騒が遠いむかしに感じられるほどの穏やかな時間。話がしたいとシャアは口にしたが、ふたりはほとんど黙って歩いた。
ふと雨音が聞こえた気がして足を止めた。窓に近寄ると、窓ガラスに雨粒が滴っている。この時期には珍しく雨が降り始めていた。今日は珍しいことが続く。そのせいか、アムロの心もゆるんでしまっていた。
「……ララァと初めて会った日も、雨が降っていたんだ」
叩きつけるような強い雨、美しい湖畔、ひとけのないコテージ。
――きれいな目をしているのね。
アムロとララァの目の前で息絶えた一羽の白鳥。
目の奥が熱い。背後でシャアの驚く気配がする。
アムロがララァとの出会いを誰かに話すのは初めてのことだった。その相手がまさかシャアになるなんて、想像すらしなかった。
まぶたを下ろすと、いまも彼女の声がすぐそばで聞こえる気がする。彼女の瞳に、アムロはどう映ったのだろう。あの時、彼女はなにを感じたのだろう。
うつむいたまま動けずにいると、シャアがアムロの腕を引いた。あやすようにこめかみを撫でられ、そのまま抱きしめられる。アムロの頬がシャアの胸に押しつけられるのと同時に、こぼれた涙がシャアのシャツに吸いこまれていった。
抵抗はしなかった。できなかった。
「あなたはひとが自分になにを望んでいるかはわかるのに、なにを求めていないかはわからないんだ」
「アムロ、これは君が望み求めたことだろう?」
その通りだ。でも、こんなつもりじゃなかった。よりによってあなたの腕の中で泣くなんて。この男にはそれがわからないのだ。あるいは、わかっていて目を逸らしているのか。
「君は私の望みに応えてはくれないな。君だけだよ、アムロ」
シャアは苦しそうに、その苦しさを吐き出すようにアムロの肩を強い力で掴んだ。アムロにわかってほしいというシャアの気持ちが、痛いほど伝わってくる。シャアの手が触れている場所は、奇しくもかつてシャアが傷をつけた場所だった。
「君だけが私の手をとってくれない」
ひとは変わっていけるのに、どうして俺たちはいつも近づけば近づくほど戸惑い傷つけ合うことしかできないのだろう。
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