毎年秋になると乱太郎が必ずカーディガンを着てくることから、友人たちがそれを見て秋が来たなあ。と茶化すのが毎年のくだりであり、秋の風物詩みたいなものになっていて、いつしか秋になると乱太郎を見習って周りの友人たちもカーディガンを羽織るようになったのである。
「乱太郎、今日だけ僕のカーディガンと交換しよう。」
「…へ?」
いつものように学校指定のシャツとベストの上にカーディガンを羽織って登校し、自分の席に着いて昨日家に持ち帰り忘れた一限目の数学の課題を教科書を見ながら解いていると、乱太郎と同じクラスで学級委員長である庄左エ門が話しかけてきた。突然のカーディガン交換という未知のワードに乱太郎は頭の中がこんがらがっている。
こんがらがった頭のまま教科書を見ていた瞳に庄左エ門の姿を捉えてみたが、彼の表情はいたって普通で乱太郎には彼が何を考えているのかさっぱりわからなかった。
まじめな彼のことだから、冗談で言っているわけじゃないのは長年の付き合いで分かるが、どうしてもなぜカーディガンを交換しなければいけないのかがわからなかった乱太郎は、素直にその理由を庄左エ門に聞いてみることにした。
「どうして…?」
「うーん、詳しいことは言えないけど、強いて言えば…僕の、ためかな?」
「…庄ちゃんのため?どういうこと?」
「まあ、それは気にしないでくれよ。きっと、あとで乱太郎はもわかると思うから…。じゃあ、カーディガン、交換してくれるかい?」
「あ、うん……。いいけど……」
疑問はまだ尽きないが、断る理由もなくいつもいろんなことでお世話になっている庄左エ門の頼みでもあるため乱太郎は承諾することにした。ただ、お互いのカーディガンを取り替えるだけでどんな変化があるというのか、今の乱太郎には皆目見当もつかないが。
「はい。」
「ありがとう、庄ちゃん。」
庄左エ門に自分が羽織っていたカーディガンを渡して、庄左エ門からもらったカーディガンを羽織る。彼から渡されたカーディガンを羽織った途端、自分の香りではない庄左エ門の香りが、乱太郎の鼻を掠める。彼がいつも着ているカーディガンを着て、彼の匂いをいつもより間近に感じた。
ただ、それだけなのに何故だか胸の中がふわふわしてなんだか落ち着かない、そんな感覚になった。
「じゃあ、放課後に返すね。」
「あ、うん。」
自分の席に戻っていく庄左エ門の後ろ姿をぼうっと見つめながら今度こそ乱太郎はカーディガンを交換する意味を考えてみることにした。だが、授業開始のチャイムが鳴り響き思考も中断されてしまう。そして、そのまま一限目の数学の授業が始まったことで、先ほど乱太郎が抱いていた疑問は、頭の片隅に追いやられることとなった。
結局、どの授業を受けても庄左エ門と交換したカーディガンから香る匂いが乱太郎の鼻を掠めて集中できなくてノートの板書も途切れ途切れになっていたり文字が乱れたりしていて乱太郎はため息を零すしかなかった。
これ以上授業に集中できないのはまずいと昼休み中に庄左エ門にカーディガンを返そうと探したのだが、クラス内におらず、結局返せずじまいだった。
そして放課後になった今でも、乱太郎は庄左エ門にカーディガンを返せずにいる。今日は委員会もないし、乱太郎は部活にも入っていないから本来ならば、放課後になればすぐに帰宅するのだが、庄左エ門が急用の学級委員長委員会の予定が入ったらしいのでこうして誰もいない教室で伊助から貸してもらったノートを見て板書し直している最中である。
教室で一人黙々とノートを書き進める乱太郎の
耳には自分が動かしているシャーペンを走らせている音しか聞こえない。
「よーし、できた。」
伊助から貸してもらっていたノートと自分のノートをパタンと閉じて、彼の机にありがとう!またなにか奢らせて!という破ったノートの切れ端を写させてもらったページに滑り込ませて置く。自分の席に戻って椅子に座り直した乱太郎は庄左エ門を待つ間に忘れ物がないか確認するために机の中を漁ったり、引き出しを確かめたりしていた。
でも、それが終わってしまえば何もすることがないので乱太郎はぼんやりと外で運動部に所属している生徒がグラウンドで練習をしている姿を眺めながら、庄左ヱ門と交換したカーディガンの匂いをスンと嗅いだ。
乱太郎の鼻の中にまた、ふわりと彼の匂いが掠めると胸の中がぽかぽかするような温かくて優しい気持ちになった。
こんな風に彼の匂いを嗅ぐたびに気持ちがむず痒くなるのは乱太郎にとって初めての経験で、乱太郎自身はどうして彼の匂いが鼻を掠めるとむず痒い気持ちになる理由が分からず悶々とした気持ちになり、それが乱太郎にとってもどかしくて仕方がないのだ。
(…どうしちゃったんだろう、私。)
今日の自分はおかしい。何かにつけて、庄左エ門のことを考えてしまっている。乱太郎は心の中でそう呟きながら、彼の匂いを嗅ぐ。
「…やっぱり、なんかこのカーディガンいい匂い、する…。」
「…いい匂いするの?」
「うん、する…ってうわあああ!?」
独り言のつもりで呟いた言葉にまさか返事が返ってくるなんて思わず、乱太郎は驚きのあまり勢いよく振り向いた。振り向いた先には自分のカーディガンを羽織った庄左エ門が教室のドアの前に立っていた。
乱太郎は驚きすぎて椅子から立ち上がり、机に足をぶつけてしまった。その衝撃で乱太郎の机の上が揺れて、カタカタと小さな音を立てた。
「…ごめん、ごめん。まさか、そんなに驚くとは思わなくて」
「…い、いや、私が勝手に驚いただけだから大丈夫だよ。」
「…そっか、ならよかった。」
乱太郎がそう言って笑うと庄左エ門は安心したようにホッとした表情を見せたあと、乱太郎の隣の席に腰掛けた。
「委員会、終わったんだね。」
「うん。ようやくね。」
「…そうなんだ。お疲れ様。」
「ありがとう。」
乱太郎は庄左ヱ門の返事を聞いてから自分の席に再び腰掛ける。そして、お互いに無言の時間が続く。普段なら沈黙があったとしても何も気にならないのに、今日はどこか居心地が悪かった。それも、彼のカーディガンの匂いを嗅いでいる所を本人に見られたからだろうか。
さっきの光景を思い出してしまって、恥ずかしさで顔が熱くなり、乱太郎は自分の膝あたりに視線を落とした。すると、庄左エ門が口を開いた。
「あのさ、乱太郎。」
「な、なに……?」
「僕のカーディガンそんなにいい匂いした?」
「え、あ、うん……。」
「へぇ、どんな匂いなの?」
「えっ、え、えっと……なんだか、包まれてるみたいな優しい感じ?」
「…ふぅん、そうなんだ。」
乱太郎がそう答えると庄左エ門は嬉しそうに微笑んだ。彼の笑顔を見ると、乱太郎は心臓がドキッと跳ねた。今まで見たことがない自分のことを愛おしそうに見つめる彼の表情に戸惑っていると庄左エ門が話し出す。
「ねぇ、乱太郎。」
「な、なあに……?」
「プルースト効果って知ってる?」
「…し、しらない…。」
「そっか。あのね。プルースト効果っていうのはね、特定の記憶や感情を呼び起こさせる香りがあって、その香りによって過去の出来事や風景などを思い出したりできるんだよ。…うん、そうだね……。例えば、好きな人の香りを嗅いだらドキドキするとか、家族の匂いを嗅ぐと安心するとかね。」
「…な、なるほど……。」
「……それでね、乱太郎。君に質問。」
「は、はい……。」
「乱太郎は僕のカーディガンを嗅いでドキドキしてるでしょ?」
「え、あ、えと……はい…っ、」
乱太郎は羞恥心から顔を真っ赤にして俯いた。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったのである。そんな反応を見た庄左エ門はクスリと笑って乱太郎にさらに言葉をかける。
「ねぇ、乱太郎。…乱太郎は、僕のことが好きなのかな?」
「えっ……!?」
「…だって、僕の香りを嗅いでドキドキしてたんでしょ?」
「そ、それは……。」
「どうなの?」
「うぅ……、」
顔を赤くさせている乱太郎は庄左エ門の問いかけに答えられずにいた。確かに彼の言う通りなのかもしれないが、自分だって目の前の彼が好きだっていう自覚をたった今、したのだから分からないのだ。…これは、ずっとドキドキとか自分がモヤモヤとしていたこの胸に燻っていたこの気持ちは、好きという感情なのか。
生まれてはじめて、この自覚をした乱太郎の顔はさっきより真っ赤に染まっている。乱太郎は顔を上げることができず下を向いたまま動かない。そんな乱太郎を見て庄左エ門はクスッと笑って彼の顔を覗き込んだ。
「図星だったみたいだね」
「………。」
「ねえ、乱太郎。教えてよ」
「………っ。」
「……沈黙は肯定として受け取るけどいい?」
「………ぅ、」
乱太郎は何も言えずに黙り込む。そんな乱太郎に対して、庄左エ門はゆっくりと彼の手を握った。びくりと肩を震わせる乱太郎を横目に庄左エ門は握っていた手を離すことなくギュッと強く握りしめた。そして、少し間を置いてからまた口を開いた。
「…僕はね、乱太郎のこと好きだよ?」
「……っ!!」
「…でも、今のきみは自分の気持ちに気づいたばかりでしょう?」
「…え、う、うん。」
「…だから、しばらく待とうと思ってたんだけど……乱太郎があまりにも可愛いからもう我慢できなくなっちゃった。」
庄左エ門の言葉を聞いた瞬間、乱太郎の身体中が熱くなるのを感じた。庄左ヱ門が乱太郎の手を掴んで、重ねた。 …今、彼の顔が見れない。だって、今の自分は変な顔をしているだろうから。乱太郎は顔を伏せたままだったが、庄左エ門の手が触れ合った箇所が熱を持っていくのを感じた。
「ねえ、乱太郎。顔あげて?」
「……む、むり……っ。」
「なんで?」
「だって、いま、わたし…っ、すごく変な顔してる……。」
「僕は乱太郎の顔が見たいよ?」
「でも……っ、」
「お願い。」
「うぅ……。」
渋々ながらもゆっくりと顔を上げた乱太郎の瞳に映るのは、愛おしげに乱太郎を見つめる庄左エ門の姿だった。その顔を見た瞬間、ドキンと大きく胸が高鳴るのを感じた。顔が、全身が、燃え上がるように熱い。まるで、沸騰した鍋の中にいるように。
「顔真っ赤だね。かわいい。」
「っ!?」
「…ねぇ、乱太郎。好きだよ。」
ねぇ、きみは?と優しく瞳で庄左ヱ門から尋ねられて乱太郎は口を開いて閉じてを繰り返し、ようやく言葉を絞り出した。
「……すき。」
「…うん。」
「わ、わたしも庄ちゃんのことが、すき。」
庄左エ門は満面の笑みを浮かべて、乱太郎のことを抱きしめる。突然のことに驚いた乱太郎だったが、ゆっくりと彼の背中に腕を回した。そして、ぎゅっと強く力を込めて抱きつくと、それに応えるように抱き締め返してくれる。
「…これから、よろしくね?」
「…う、うんっ!」
彼のカーディガンからではなく、彼自身の、庄左ヱ門の温もりをすぐそばで感じながら、乱太郎は恥ずかしながらも力強く頷いたのだった。
了
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