蜜のようにあれと(甲子+藤)

イケダヤ特異点にカルデア産伊東先生もいたらIF設定。

 本来は同行するつもりはなかった。
 新選組しか入れないという特異点の発生に管制室まで呼び出されたはいいが、カルデアには特異点を制圧するに充分すぎる面々たる隊長たちが在籍する。不本意ながら特性を持ち合わせてはいる伊東や服部がわざわざ打って出る必要もないと伊東は即座に踵を返すことにする。
 一度断って管制室を出たところで、卑弥呼に呼び止められた。
「伊東君、行ってみてくれない?」
「それは予言ですかね、邪馬台国の巫女さま?」
「うーん。なんとなくよ」
「なんとなくかあ」
 以前、超五稜郭の特異点にて沖田に水着のジェットを持ち込むよう助言を与え、予感通りに特異点の伊東を出し抜いたという卑弥呼は。伊東の心底関わりたくないという態度にもまったく怖気づくことなく、気の抜けるようなウインクをしてみせた。
「ああ、たぶん伊東君だけで人数は足りるわよ。服部君はお留守番してなさい」
 ——ひどく、無視しようとした胸騒ぎを云い当てられたような気がした。



 レイシフトするなりマスターとはぐれたのはもはや予定調和。到着してすぐに一般斬りに襲われるのもまた同様のこと。
 たとえ足元がおぼつかなくなるほど酔っていたとしてもただ刀を振りまわすだけの荒くれに遅れは取らない伊東である。三人ほどを一太刀で斬り捨てて、見覚えのあるような路地を見回す。
「さて……と。マスターと合流するまえに情報収集するか。どうせその辺の凄腕の人斬りでも拾ってるでしょ」
 薄く短い付き合いだが、マスターがいかにお人好しで人たらしなのかは、伊東はよく分析していた。なにせ心のない包丁のような沖田を制御下に——どころか、一人前の少女のように懐かせているのだ。マスターが沖田に、飼い猫にするように膝枕してやっている光景を目撃したときには伊東は驚愕で本を取り落とした。
 マスターについてはあまり心配していなかった。それよりも、ずっと後をついてきている人影の対処が先だ。
「僕に何用?」
 袋小路におびき寄せられていることは察知していたので、先んじて伊東は十字路で対峙した。もし敵が大人数であれば四方から攻められることになるのを知っていながらの選択だったが、逃げ道は多いに越したことはない。
 赤い絡繰の兵士が次々と現れる。八、九、十……。十二体になった。十字路を塞ぐように三体ずつ、正方形に囲む。伊東は柄に手をかけた。この数を同時に相手をするのはちときついが大仰な動きの機械じかけの兵士ごときに圧倒されるわけがない。
 ——とん、かつん、と左右違う靴音が隙間を縫ってくる。伊東は眼を見開く。
 胸騒ぎの正体はこれかと、伊東は卑弥呼を恨みたくなった。
「お久しぶりです——伊東先生」
……藤堂君」
 あの日、油小路で果てた伊東のために突撃し、命を散らした若人。先に果てた伊東は、カルデアで未来の記録を読み、気に病まなかったと云えば嘘になる。藤堂には未来があったはずだった。若者らしい青さと努力を欠かさない才を重ね、いずれは大成するような予感をさせてくれる弟子でもあった。
 二十四で喪われたままで。けれども記憶と異なる義手を持つ藤堂が、伊東に相対していた。
「刀を収めていただけませんか? できれば、お話がしたいのです」
 大人しく、伊東が抜きかけていた刃をしまい込むと、藤堂はらしくなく憂いをたたえてほころんだ。
「ありがとうございます。やっぱり、伊東先生は他の奴らとは違う」
「他がいるのかい?」
「ええ、新選組を呼び込みました」
 伊東は得心する。呼び込んだ、と云い回すからには特異点のサーヴァントであり、特異点を維持する黒幕であり、カルデアの敵だ。
 あらゆる種のサーヴァントが集うカルデアにもいまだ藤堂はいない。聖杯戦争に呼び出されれば敵対することもあるだろうと覚悟していただけに衝撃は内面に呑み込んだ。
 伊東は冷たいような指先で鍔を撫でる。
「じゃあ、御陵衛士の僕はお役御免ってことかな。せっかく会えたけれど見込み違いで悪かったね」
「そんな! 伊東先生が訪ってくださって僕は嬉しいです。お話というのも、お誘いをしたく参ったのです。どうか伊東先生のお力、僕らにお貸しください」
 いつかの訪ねてきてくれたときのようだと懐かしさを覚えながら、伊東は笑みを崩さないままに考える。現状は少しでも情報が欲しい。藤堂の目的、協力者、特異点の成り立ち、新選組。ざっと巡らせてみて、目的次第では協力もやぶさかではないと思い至る。
 罠とわかっていながら伊東の遺体を回収しようと奮戦した藤堂には、伊東も個を優先して報いてやりたいと思わなくもない。
……詳しく話を聞かせてもらえるかな。藤堂君たちは新選組を集めて、どんな愉快なことを成し遂げようとしているの?」
 藤堂は見るからに紅潮してはしゃいだ。
「復讐ですよ」
 まるで甘味を目の前にしたときのように。焦がれて仕方のない星のように。藤堂はいまにも燃え尽きようとする彗星のごとき薄青の眼を細める。
「先生もご存じでしょう? 新選組の最期を。僕らを卑怯で最低なやり方で粛清しておきながら、新政府に近藤さんを差し出して、最期はみんな逆賊ですよ? そのくせ、隊長格が離反して生き汚く逃げおおせて。はは、僕らいったい、何のために殺されたんでしょうかね?」
 藤堂は喉から乾いた笑みをこぼす。伊東は鯉口に親指を引っ掛けたままに、藤堂の違和感の正体をたしかめようとする。
「あんな無惨な終わり方をするくらいなら、最初から新選組なんかなかった方がいい。そうは思いませんか」
「まーね。考えなかったわけでもないさ。そんなの土方君が許すわけないけどさ。五稜郭にまで行って、なんも護れずに死んだっていうのにぜーんぜん終わってないんだよ。なんなの、俺が新選組だってやつ。本物の馬鹿だよねえ。五歳児にもわかるように説明したところで無駄なんだもん。ほんっと、いまだに馬鹿やってていやになっちゃうよねえ」
 伊東はやれやれと肩をすくめて本音を混ぜる。今回の件も土方は真っ先に手を挙げていたのが腹立つ。油小路の事件を経て、伊東は土方とは分かり合える価値は毛頭なくなった。マスターに付き従ううちは共同戦線もやむを得ないが馴れ合いはしない。
 いまや土方は話を聞かないバーサーカーだが、いまだに彼の下には斎藤や沖田らが集まっているのもまた馬鹿らしい。近藤もいないのにどうしてそうも猪突猛進になれるのだか。
 生前よりも悪化した土方評にも、藤堂はくすりと愉しげな笑みを広げる。
「土方さんならそう云うでしょうね。——でも、近藤さんならどうです?」
……あ」
 伊東はその場に膝をついた。
 警戒は怠っていなかったはずだったが、間近に迫るまで気づけなかった。
 地べたに鞘が当たって鈍い音を響かせた。まるで令呪で縛られたかのように、伊東の身体は頭の先から指の先まで痺れたように動かない。よく回る舌は急激に渇き萎んでいく。藤堂が間合いに踏み込んでくる。
「平助。喋りすぎだ」
 伊東の背後に何者かが立っていたが、首を動かせないせいで誰とわからない。聞き覚えがあるような声だ。まさか、と脳裏がひらめく。
「申し訳ありません。でも、伊東先生なら僕たちの志をわかってくださると思うのです」
「だが、カルデアのサーヴァントだ。馴染み深いおまえに親しく接して、ここぞという機に寝返られたら生前の再来だろう」
 さあっと藤堂の眉間が苛立ちに軋む。
……! 僕が、いまさらあなたを裏切るとでも……!?」
「おまえのためだ、平助。伊東先生も結局、口八丁でおまえを丸め込み、御陵衛士に引き込んでおきながら、結局はなにひとつ成し遂げられずに死した。あれは無駄死にだった……。俺ならばおまえに意味を与えてやれる。この世から新選組を失くし、過ちを正してくれよう。安心してください、伊東先生。あなたも平助も俺が救ってみせよう」
……ぬけぬけと、貴様……! 救ってみせよう、だと? 僕を、藤堂君を、御陵衛士を馬鹿にするな……!」
 虎の尾を踏まれ激情する。たしかに伊東は間違った。
 斜陽の新選組を抜け御陵衛士を結成し、揺れ動く情勢に少しでも多くの選択肢を得ようとしたが、結局は信用を築けなかった。否、土方は危険だと知っていながら防げなかった。最後まで間諜を見抜けなかった。伊東自身が討ち死に、服部も藤堂も道連れにし、残った仲間は散り散りになってどこへ行ったのか定かでない者も多い。
 伊東の判断が新選組を揺るがしたのも、御陵衛士を危険に晒したのも、その通りだ。歴史の敗者であることは受け入れよう。
 だが、後から間違っていたことを正せば良かったのだと薄っぺらい訳知り顔で評されるのは我慢がならない。伊東は最善を尽くしたつもりだ。伊東だけでなく、服部も藤堂も考え抜いて選び取った結果だ。認めたくはないが、暗殺に走った土方とて対立に足る理屈は相当にあった。
 魔術拘束を解くのは尋常でない気力を要したが、伊東はキャスター補正のおかげか膝が抜けたままに抜刀した。背後に現れた禍々しい気配のサーヴァントの気を緩ませることができれば。一撃に全神経を込めて突き刺す。
 金属音が響き渡った。
 サーヴァントの威力で放たれた刀を素手で掴んだ藤堂は、きりきりと拮抗しながら忌々しそうに伊東を見下ろした。死人じみた顔色に紅色が灯る。瞳孔の奥に怨嗟の火が舐めるように燃えているのを見つけて伊東は愕然とする。
……なんだ、伊東先生も邪魔するのか」
 感情が抜け落ちたような冷ややかな声。
 藤堂は伊東の刀を取り上げて乱暴に地面に叩きつけた。生前の彼は決して仲間の刀に雑な扱いをすることはなかったはずだ。
「ぐぅ……!」
 容赦なく鳩尾を藤堂に蹴られて伊東は頭から崩れ落ちた。ただの蹴りではなかった。左右の足音が異なり、刀を素手で受け止める正体はこれかと目を背けていた事実に思い至る。
 藤堂の手足はどこからか機械仕掛けの義肢に切り替わっていて、そんなものは伊東は知らない。痛みを噛み締めて堪えながら、カルデアで読んだ記録を思い返した。藤堂はそう、原田の隊が付け回して真っ先に狙われ、抵抗したがゆえに身体はずたずたに斬り刻まれた——
 伊東の爪は乾いた土を引っかいたが、頭が割れるような激痛に気が遠くなってゆく。
「すみません、伊東先生。あなたに罪をかぶせたくはない。これは俺の罪なのだから」
 どこかで聞いたことのあるやわらかな声が、記憶をまさぐった。



 身体が動かせないというのに伊東は牢の中にいた。
 いつぞやの特異点とは真逆だなあ、と伊東は自身の鼓動で時間を数えながら思う。特異点の記憶はカルデアの伊東にはないが、氏真を主と仰ぎ特異点を支配し、新選組を追い詰め、カルデアに敗北して氏真と最期を伴にしたと記録を閲覧したときには胸がすくような思いだった。特異点の自分は良い主を得たのだ。
 いまの主はカルデアとそのマスターだった。はなはだ不本意ながら新選組とも協力関係にもあるが、人理のため忠義を尽くすのはなかなかにやりがいのある仕事だと伊東は考えている。
……また勧誘してくれるのかい? 藤堂君」
 金属の重み独特の足音は聞こえていた。鉄格子越しに伊東は藤堂を横目に見やった。光源のおかげでお互いに表情がよくわかる。藤堂は唇を噛んでがりがりと鉄の腕に爪を立てていた。
「先生が云うことを聞いてくださるなら」
 しんと静かな地下牢に藤堂の声は茫洋と響く。牢には伊東がひとり。伊東の他にまだ誰も捕まっていないといい。当然、新選組を心配しているのではなくマスターの身の安全のためだ。
「僕は従うしかないだろう? わざわざ牢に入れなくても、ほら、身じろぎもできない」
 伊東は両手を挙げてみせようとしたが、ぴくりとも筋肉は反応しなかった。これでは腰に刀が収められていようが意味がない。
「たしかに近藤さんのスキル『裏・局中法度』で新選組の行動は縛れます。でも精神や記憶に干渉はできない。伊東先生のように虎視眈々と裏切る算段をしている人には情報を余計に与えかねない」
「そう、近藤局長が云ったの? やだなあ、近藤さんにはともかく、藤堂君にまで疑われるのけっこう堪えるのだけど」
「何を、いまさら!」
 藤堂は考えるのも悍ましいとばかりに吐き捨てる。
「一度はカルデアと敵対したくせに、召喚されたらあっさりとカルデアに与して! 僕をのけ者にして、新選組と馴れ合って! そんなにカルデアは楽しいところですか、そんなに人理は大事ですか!」
「いや、僕らサーヴァントってそんなもんでしょ、陣営が変わるのなんてさあ……
——じゃあ、先生はなぜ僕を疑ったんですか」
「疑う?」
 まったく身に覚えがなかったので伊東は瞬きをする。
 それは常日頃の煙をまくような返しの癖だったが、藤堂を逆上させるには充分すぎるほどの効果を発揮した。
 鉄格子にボロボロの刀剣が叩きつけられる。サーヴァントといえども力任せのたった一度で破壊する威力はなかったことに伊東は思わず仏に感謝した。自由に動けないいま、なぶり殺されてもおかしくないような藤堂の剣幕に保身に走る。
「ちょ、ちょっ、待って。藤堂君。僕利用価値あるから生かしてるんじゃないの?」
「ええ、人質の価値があるなら。どうせ代わりはいますし、伊東先生はいまも御陵衛士の自覚がお有りのようですし。万が一退去なさっても僕らの計画には差し障りがない」
「オーケー、どうどう。それで、僕がいつ藤堂君を疑ったって?」
 何か、大きなズレがあるのだ。
 伊東の認識にズレが生じているのか、あるいは現界にあたり藤堂自身が歪められているのか。どちらもだろうか。
「どうせ僕は新選組を捨てて御陵衛士に鞍替えするような裏切り者だ。内通者がいるなら僕だとあなたもお考えだったのでしょう。だから、他の隊士にも僕が裏切り者かもしれないと伝えた。そうでしょう?」
 抜き身の刀を突きつけ、藤堂はせせら嗤う。殺されそうなのは伊東であるはずなのに、藤堂は言葉で己を斬り刻んで見るも痛々しい有様を晒している。
 哀れだ。
 霊基の在り方すら変えて、諸悪の根源たる新選組を壊滅せしめようとしている近藤も。
 新選組も御陵衛士も信用できず、破壊衝動に委ねるほか精神状態を保てない藤堂も。
 復讐とは気持ちのいい行為だと、伊東は考えている。時間は巻き返らない。喪ったものは取り戻せない。だから人々は心に折り合いをつけるために復讐をする。その方が気持ちがいいからだ。
 けれども二人は違う。自滅するための復讐だ。これでは、崇高な計画を完遂したところで、後に残るのは虚しさだけだ。
 伊東は深呼吸をする。
……僕は、藤堂君は新選組に戻るかもしれない、とは云った。だって僕とは違って、きみは創立メンバーで、古巣を懐かしがって帰ることは何もおかしくはないだろう。たとえきみの選択が、僕らと袂を分かつことになろうともね」
……先生まで僕の覚悟をお疑いですか」
「聞きようによってはそうかもね。ほら、僕は色々誤解されやすいし? 実際、いまここでは近藤さんに喜んで従っているみたいだもの。懸念は間違ってなかったわけだ」
 わざと、突き放すような物言いで試してみる。藤堂の眼に動揺が走るのを見つめながら伊東は云い放った。
「きみの云う復讐って、きみ自身のため? 局長のため? 僕ら御陵衛士のため? それとも、新選組のためかい?」
……何、を」
「計画は近藤さんの発案なわけだ。近藤局長が願いをかけるとしたら、新選組のために他ならない。——じゃあ、きみは?」
 酷な質問であることは理解していた。まっすぐで前しか見えていないように常に魁て、若いままに命を散らしてしまった歳下の同志。彼が取りこぼしたものはあまりにも多かった。
 伊東はあえて訊いておかなかった。当然に藤堂を見込んで贔屓したのだとしても、新選組のかれらのためと言葉巧みに誘ってやれば、伊東を純真に慕ってくれる藤堂はきっと頷くだろうと打算はたしかにあったからだ。
 もしかしたら、と藤堂が新選組に戻ろうとした場合の条件を近藤と話し合う前に、そのことを他の隊士にこぼす前に、藤堂の意見に耳を傾けておけば——せめて絶望させずに済んだのではないか。伊東はいまさらながら後悔している。
 白すぎる相貌がさらに血の気が失せてわなないている。伊東はにたりと悪役らしい笑みをはりつけてトドメを刺した。
「誰のためかさだかじゃない中途半端な復讐をさせるくらいなら、藤堂君は、誘わなければ良かったね」



 ……足音が遠ざかっていく。
 伊東は岩壁に背をつけたまま五体満足であることに安堵した。下手すれば斬られると覚悟しての口撃だったが、まだまだ藤堂は青い。
……あーあ。意地の悪い師匠にけちょんけちょんにやられて可哀想に」
 現状はまだ、伊東は動けない。物理的にも計画の段階でもだ。まずは藤堂の望みを藤堂自身に気づかせなければならなかった。その過程に精神を折る荒療治を選ぶ伊東に、ついに幻滅されても文句は云えまい。
 いずれはカルデアが乗り込んできて、すべてを暴いてくれるだろう。カルデアのマスターならば、近藤も、藤堂をも、ひとしく救ってくれる。そのくらいには信頼を置いている。
 馬鹿なのはどっちなんだか、と伊東は口の中で笑った。