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Kamihito
2025-11-15 22:37:54
11709文字
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アレブラ
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Every flaw is a Jewel
アレブラの出会い。ブロードチャーチでおこった事件の被疑者の弁護人ブラム
これからアレブラになる予定の二人。以前書いた話の続き
学生らしき若い旅行者のグループがちらほらと点在している。もう11月になるがサマーバカンスの名残がこの町にもわずかに見て取れた。
「この場所で、君は彼女のバックパックから大麻が落ちたのを見たんだな?」
「はい、確かにこの場所でした。見かけない顔の少女が一人でしたので、旅行者だろうと思いましたが家族や友人が近くにいないことが少し気にかかって声をかけようとしていたところ
……
」
「このパッケージが落ちた、と」
はい、と頷いたジェームズ巡査は警帽を少し上げ額の汗をぬぐった。
マリアが拘束されるに至った経緯を聞きたいとブラムが喚くので、アレックは仕方なくジェームス巡査を伴って最初に大麻が発見された場所に着ていた。丁度商店やホテルの前を過ぎてハンガークリフへ向かう緩やかな坂道の途中。
ふむ、と自分の顎髭を撫でながら商店と警察署、丘へ続く坂道を何度も見返す。
「では、私がマリアだとしてもう一度か確認してもいいだろうか。幸い今ここに、同じくらいの袋を持っている」
無論違法性はないものだが、とつけ加えて胸ポケットから白いタブレットが入った袋を取り出す。
本当に違法性はないんだろうな。
そう口にしようとして止めた。ブラムは意味不明で支離滅裂な行動をしているようだが、最終的には筋が通っていることがある。自分の捜査が手詰りな今、おとなしくブラムの行動を見守ることが一番の解決策でもあると信じたい。
「分かりました」
素直にそう答えると、まだ二十代のジェームズ巡査は軽い足取りで十数メートル駆け足で来た道を戻った。
ブラムが手を振ると、同じく手を振り返す。
「素直で大変よろしい」
ブラムは満足そうにつぶやき、何故かアレックを数秒見つめてからわざとらしく袋を落とした。少女を意識しているのか、アレックを馬鹿にしているのか、無駄に尻を振りながら小股で歩くブラムにジェームズ巡査はすぐに追いつき「おい、そこの、えーと
……
お嬢さん。何か落としたぞ」と袋を拾いブラムを呼び止めた。
「あら、ごめんなさーい。お巡りさん」
振り返ってしなを作るブラムに、アレックは眉間の皺を深くして腕を組む。ジェームズ巡査は忠実に再現しているらしく、ブラムの事は見てみないふりをしているらしい。「これはなんだ?大麻に見えるが?」と話を続けた。
「えー私は大麻なんて持ってないから、私のじゃないわぁ」
「だが、君が落とすのを確かにこの目で見たんだ。ちょっと話を聞かせてもらえるか」
「いやー!」
ブラムの手首を掴んだジェームズ巡査が引くほどに甲高い声を出して、腕を振りほどいたあとアレックのほうへ駆けてきた。細身のアレックでは隠れようもないブラムの体躯を自覚していないのか、盾にするようにアレックを押し出す。
「あの人がなんの許可もなく私に触ったわ!」
律義に慌てふためくジェームズ巡査を気の毒に感じ、アレックは手を叩いて終了を宣言した。
「もういい。茶番は終わりだ。ジェームズ、付き合わせて悪かったな。満足か?ローランド・ブラム」
「まぁ、何となく状況は確認できた」
両手をポケットに突っ込んで、いつものふてぶてしい態度に戻ったブラムが社交辞令程度の礼を言ってジェームズ巡査を解放する。その後姿を、やはり顎髭を擦りながら見送っていた。
第二話
アレックの自宅は朝日が差し込む、独身者用の手狭な家だ。
リビング、キッチン、ベッドが順番に出迎える一方通行のような自宅で、一番落ち着くベッドをとられたアレックは玄関の前にある階段とも呼べない段差に腰掛けコーヒーを啜る。
インスタントの薄いコーヒーでも、空きっ腹にはこたえるのかキリキリと痛む。狭いソファで寝たせいか腰も痛い。身体がいつも以上に重い。ストレスもあるのだろう。何せ自分のベッドに悪徳弁護士が大の字で寝ているのだ。
今しがた生まれたばかりのような太陽が真っ直ぐに瞳を撃ち抜く。眉間のシワを深くして、瞼を閉じる事で誤魔化すが陽の光は瞼の裏さえも真っ白く染めた。
後ろめたいことがないと言ったら噓になる。なりふり構わず仕事に邁進し家族を見失った。ついてきていると思っていた仲間も振り返れば誰も居ない。五十年近く生きていれば綺麗事では片付けられない事もある。
ふと、あの弁護士もそうだろうかと考えてやめた。
他人の事情なんて知ったこっちゃない。少なくとも今一番の被害者はひとつしかないベッドをとられ、硬いソファで腰を痛めた自分だ、とアレックは自嘲した。
陽気な着信音が早朝の川辺に響く。一斉に川面を飛び立った鳥の羽ばたきをぼんやり眺めながら緩慢な動作でポケット探る。着信名を確認せずとも、こんな時間にかかってくる電話は仕事か緊急事態。どちらにしても早く出なければならない。震えるモバイルを取り出すと名前を告げる前に「sir、朝早くにごめんなさい」と同僚が応えた。
「
……
あぁ、エリー。大丈夫だ、起きてた。それで、どうしたんだ?」
エリーはたった今ブラムの共同パートナーから連絡があった事を告げた。ローランド・ブラムはきちんと依頼を受け彼女を迎えに来たのだが、依頼を受けたのは大学に入学した時、つまり今年の四月だと言う。それから月に一度は彼女に面会していたというのだが、依頼の詳しい内容はマイアも知らないという。
『彼女が言うにはマリアの叔父から依頼されて探偵まがいのことをしていたらしいわ』
「探偵まがい?弁護士は廃業か?」
『詳しい依頼内容はブラムしか知らないらしいわ。何でも〝さすがにまだリンデルの血を絶やすことは出来ない〟とか何とか言って。まぁ彼が大げさなのは今に始まったことじゃないらしいから』
「それでも、今一番情報を持っているのはあの男ってことだな」
「どの男だ?」
背後から聞こえた声に、尻が浮いた気がした。アレックは早鐘を打つ心臓を無意識に抑えながら「急に話しかけるな」と振り返る。
そこにはシャツ一枚でマグカップを傾けるブラムの姿があり、今度こそ立ち上がると「服を着ろ!」と叫んだ。受話器越しに「えっと、お邪魔だったかしら?また連絡するわ」とエリーが早口に捲し立て電話を切ってしまった。
弁解の余地も与えられず、なにか思い違いをしたままのエリーがニヤニヤと笑う姿が思い浮かぶ。「F××K!」と手にしたモバイルを地面に叩きつけようとして、思いとどまった。壊れた後の面倒と、自分の苛立った姿をブラムにみられていることが癪に障ったからだ。
「いいのか?ストレスは身体に悪いぞ。モバイルくらいまた買えばいい」
肩をすくめながらそうそそのかすこの悪魔を一瞥し、部屋へ戻る。
簡単に身なりを整えて、くたびれたジャケットを羽織ると玄関に手をかけて振り返った。
「お前も行くぞ、ローランド・ブラム」
「何故?私は今からゆっくりブランチを食べるんだ。お前だけ行け」
我が物顔でカウンターに肘をかけて、マグカップを啜る。そういえばほのかにアルコールの香りが漂っているが、ヤツのマグカップの中身はなんだ。
「おい、朝から呑んでるんじゃないよな」
ん?とトボケ顔で小首をかしげると「これか?」とマグカップを掲げる。
「紅茶だよ、ブランデー入りのな。イギリスに来たんだ。私だってそれくらいの気遣いは出来る」
何の気遣いだ、と思ったがここで返してはブラムの思うつぼな気がして思いとどまったアレックは「とにかく行くぞ」と不愛想な父親のような返事だけを返す。
だが、やはりブラムのほうが一枚上手ったようだ。思いきり口角を上げて、喜色満面に「一人じゃお出かけも出来ないのか?アレック坊や」とハグを求めるように両手を広げてきた。
アレックは、もはや返事をすることも忘れて素早く自宅を出発した。
背後で「行ってらっしゃい、ダーリン」と聞こえてた声は幻聴だったと思い込むことにして、足早に署に向かう。
家の裏の空き地は今は何もないふきっ晒しの状態だ。だが時期によっては移動遊園地や地域の催しが開かれる、意外と騒がしい野原だ。
署に向かうのに最短距離で行くには、ここを突っ切るのが一番はやい。すでに通勤経路とかした野原を大股で過ぎるとすぐに道路に出る。署に向かい歩き始めたところで、クラクションを鳴らされた。振り向くと手を上げたエリーが緩やかにスピードを落としてアレックの横で停車した。後部座席にはマリアが頬づえをついてそっぽを向いている。
「よかったら乗っていく?」
促されるままに助手席に乗り込むとシートベルトを装着する前に発進させたエリーが「それで?」と尋ねてきた。
「なんだ」「彼とは仲良くなれたの?」
奥歯を噛み締めながら眉根を寄せる。聞こえなかったふりをしたかったがエリーが追い打ちをかけるように「電話越しには随分仲良くしてるようだったけど」となおも問いかける。
「仲良くなんてしてない」
「そう?まぁ実際あなたが彼を見ていてくれたら、私も少し気が楽だわ」
少しスピードを上げたエリーが「だってまさか半年もたたないうちに彼の顔を見ることになるなんて思わないじゃない」と早口で捲し立てた。
そうだ、まだ半年しかたっていない。
*
初めてローランド・ブラムに出会ったのは半年前。
あれは旅行者の事故だった。
ブロードチャーチに観光で訪れていた高齢の夫婦がボートで沖合まで流されてしまい、三日間行方不明になったのだ。脱水症状は見られたが、妻が持っていた菓子などで何とか食いつなぎ二人そろって無事に帰国することができたのだ。
だが、ただの事故では済まなかった。
旅行者の二人が勝手にボートを沖合まで出すことが不自然だと、アメリカから乗り込んできた弁護士がローランドブラムだった。
「ボートを貸したやつがいるだろう。そいつはどこだ?」
「貸したんじゃなくて、無くなっていたと報告を受けている」
「おいおいおい、まさか爺さんたちが自分でボートを運んだっていうのか?土地勘もないイギリスの田舎町で、わざわざ窃盗までして、自分たちの命を危険にさらした。何故?」
「
……
何故、盗まれたと?」
「彼らがそう言ってるからだ。私の大事な依頼人!彼らの望みはあるものを取り返すこと」
「何か盗まれていた?」
ローランド・ブラムはやや面倒そうに肩をすくめてから「ボートの持ち主はどこにいる?」とアレックの問いを無視した。アレックは奥歯が欠けるほどに噛み締めてから「着いてこい」と地を這うような声を出す。
「最初からそうしてくれればいいんだよ、アレック警部補」
今度こそ耐え切れなくなったアレックがブラムの肌触りのいいジャケットの襟を締めあげる。
ブラムは口笛を吹いて「いい顔になったじゃないか」と口角を上げてアレックのネクタイを掴み、勢いよく頭突きをした。
*
思い出しただけでも頭が痛くなる。あの石頭め、と無意識に完治したはずの額を押さえた。
「結局、ジャックがボートを貸したんだけど夫婦が遭難してしまったことで自分が殺人未遂になるんじゃないかって恐ろしくなって黙っていたって話だったわね」
「荷物を盗んだのが誰かは分からずじまいだった」
そうそう、とエリーが署の駐車スペースに停車しながら頷く。あの後もしつこく住人や署で聞き込みまがいの事をしていたブラムは、数日したのち弁護士事務所の同僚からアメリカの税関で盗まれたらしいという新たな情報を聞き「では、また来る」と謎の宣言をして帰国していった。
「もう来なくていいと言ったんだが」
「来ちゃったものは仕方ないわね」
あなたもおりて、とマリアに声をかけたエリーを待たずに署に入ると自分のデスクに新しい書類の束が見えた。
マリアの叔父から届いたそのメールの束は署のホームページの連絡先に送られてきたものらしい。広報課の職員が慌てて印刷し、今朝がたアレックの机に置いたのだという。
内容はマリアの身上に関する事で、本人の証言を補足するものだった。だが、叔父も彼女がなぜイギリスへ来たのかは知らないらしい。とにかく安全に、アメリカ本国へ返してくれるようにと懇願する内容だった。
老眼鏡と共にメールの内容を脇に置いたアレックが「彼女のメールの内容は?SNSは」と自分のデスクに座ったエリーの背に投げかける。彼女も「今座ったのに」と呟いてから、アレックのデスクに片手をついて「私も、今見たところだけど」と念を押して紙束を渡した。
「このSって相手が彼女をイギリスに呼んだらしいわ。IPアドレスは確認中。目的もはっきりしないけど、とにかく旅費もこの人物が出しているらしいの。プリペイドカードで支払われていてクレジットの痕跡はなし。年齢も性別も不明」
手渡された資料にはエリーがすでにマーカーを引き、一目でSとのやり取りが分かるようになっていた。
ただのナンパではない、どこかマリアを崇拝するような、そんな丁寧な文章が並ぶ。
最後のやり取りはマリアがイギリスに入国した際に送ったものだ。一通り目を通すが彼女が、結論から言って薬物に関与しているような疑わしい文章はひとつもなかった。
「いったい何の目的で呼んだんだ?」
口角を下げ、肩をすくめたエリーが「本人に聞くしかないわね」と踵を返す。
アレックは一瞬ブラムの顔が浮かんだが、マリア以上に本当のこと教えてはくれそうにない。
やれやれ、と重たい腰を上げて取調室に向かう。こんなことならもう少しちゃんとデイジーと話しておけばよかった。少女と何を話せばいいのか見当もつかないまま、重たい扉を開いた。
*
「ここはいい風が吹く。実に健康に良さそうで、居心地が悪いな」
シャツ一枚の姿でコーヒーを啜りながら窓から上半身を乗り出す。ブラムはアレックの自宅で存分のくつろいでいた。
あの恐ろしく無口で不愛想な男は、刑事としては優秀だ。それは前回の事件で十分知っていた。ほっといていても今回も事件を解決に導いてくれるだろう。
だが、それとは別にブラムには大事な使命があった。マリアを無事に本国へ返すことだ。それもできるだけ早く。
「報酬は十分の弾んでもらわねば」
そうでなければ割に合わない。
腹の底が淀んでいる。こんな仕事をしていたら誰だってそうなるだろう。だから欲にまみれた都会が自分には合っているのだ。こんな田舎町で癒されてしまったら、自分の何かが変わってしまいそうで。
アレックの真っすぐな視線を思い出すと、違った意味で下腹部が熱くなる。ははっ、と知らず笑いが漏れた。
「本当に居心地が悪い」
今更自分を変える存在など邪魔なだけだ。
さて、とソファに移動し足元に広げたキャリーケースの中からクリップで止められた書類の束を確認する。
今年四月にマリア・チャールストンの叔父、カール・チャールストンと交わした契約内容と彼女に関する身辺調査資料だ。
アメリカには様々なセレブがいる。スターやIT関係で金持ちになった者、以前からの富豪や何らかの階級を有する者もいる。だが、彼女はそのどれにも値しない。それなのに叔父のカールは彼女が十八歳になるまで様々な法的トラブルをブラムに対処するように依頼してきた。前金で百万ドル。彼女自身もどちらかと言えば大人しい才女だ。いったい何のトラブルがあると言うのか。
「まぁ、蓋を開けてみれば確かに厄介な物件ではあったが、な」
無造作にまとめられた書類の中に、ひとつだげ閲覧禁止と書かれたファイルがある。中に挟まれた紙はたった一枚。だがそれこそがブラムがイギリスまで彼女を迎えに来た理由だ。
「誰かに話せば、命の保証はないんだろうな」
再び開きっぱなしのキャリーケースに書類を投げ入れる。
ごろんとソファに寝転べば、今朝早くに出ていった家主であるあの男の匂いがした。
アレック・ハーディ警部補。年は同じくらいだろう。痩せて疲れた顔のあの男。だが貧相でもひ弱でもなさそうなのは、あの鋭い眼光のせいだろうか。
寝返りを打つとより一層匂いが濃くなった。今朝まで占領していたベッドよりも彼の匂いを感じるという事は、日常的にソファで寝ているのだろう。家族はいないようだが、マリアに対する態度を見ているともしかしたら離れて暮らす娘がいるのかもしれない。
「あーくそっ、そういえば最近ヤッてなかったな
……
」
時差のせいだろうか。何となく体がだるくて、自身も緩く兆している。
スラックスのチャックを下ろし自身を握るとやわやわと扱きだす。共寝をしたこともない男の匂いを感じながら自慰するなんて、我ながらよくわからん。そう思いながらも頂点を求めて動き出した右手を止めることは出来ない。瞼の裏に眉間に皺を寄せた彫の深いあの男の顔が映る。誰かを抱くときもあんな苦虫をつぶしたような表情をしているのだろうか。はぁ、ぁっ、と短く息を吐きながら濡れ始めた先端を擦る。きっと疲れているせいだ、と自分に言い訳をしながらあっという間に手を汚す。いつもより早い吐精に余計に疲れた気がした。
「仕方ない。シャワーを浴びたら出かけるか」
どうせ食べ物なんてあの冷蔵庫には入っていないだろう。果物ひとつ、ビスケットの一枚も見当たらないリビングを一瞥し、早々に浴室へ向かった。
*
「ところであの弁護士はどうしたの?」
「知らん」
「ちょっと、マリアの弁護はどうするの。同席してないと取り調べも出来ないのに」
取調室には連れて行けないマリアをフロアの隅にあるソファに座らせてかれこれ一時間は経っただろうか。エリーは遅れてくると思っていたブラムが一向に姿を現さないことに焦りを感じ始めていた。
だが、いつもはエリーよりも事件に対し早期解決に向けて動き出すせっかちなアレックが全く焦る様子もなくインスタントの紅茶を啜りながらたまった事務仕事を片付けている。
「マリアは何をしてる?」
エリーが振り向いて様子を窺うと、少女らしくスマホを眺めながら姿勢を崩してソファに寄りかかっていた。口にはキャンディの棒が加えられ、ほとんど表情のない顔で指先だけが忙しなく動いている。
「なんか、スマホ触ってるわ。誰かと連絡を取ってるのかも」
「その心配はないだろう」
なんでそう言い切れるの、とエリーがアレックのデスクに近付いた時、彼が手元もノートパソコンの画面をくるりと変えてエリーに見せた。
そこにはSNSの画面が映し出されていた。アカウント名はマリア、アイコンはすぐそこでキャンディを舐めている少女の姿。
「それ
……
っ!」
見ている傍からどんどんタイムラインが更新されていく。彼女が今見ている画面がアレックのパソコンにも表示されているということだ。個人情報の観点からは完全にアウトだろう。だが、今実際に彼女を取り調べているわけでもなく、証拠にもならないとわかっていて泳がせている状態ならどうなのだろうか。
エリーは頭を抱え「そんなの、ほかの人には絶対に見せないでね!」と念を押して、マリアのためにココアとクッキーを差し入れることにした。
アレックは再びSNSを眺めながら、ブラムがよこした彼女の情報を再度確認する。だが、やはりこのイギリスまで一人で来た理由は分からない。それに彼女の周囲は極端に人が死んでいる。親族と呼べるのが叔父しかいないと言うのも気にかかるところだ。
――
多分、まだ何か隠してることがあるんだろうな。
挑発するような笑みで見つめるブラムの表情を思い出し、思わず手にしたボールペンにひびが入る。被疑者以外にこんなに腹を立てたのは久しぶりだ。いや、結局リーやクレアだって被疑者だったのだ。
そう考えるとブラム程感情を煽られる存在は初めてかもしれない。
今のままでは情報不足で何の進展もない。仕方ない、とモバイルを取り出して昨日勝手に登録された番号を呼び出すことにした。
『Hello?』
「今どこにいる」
名乗りもせずに用件だけを告げたアレックに、ククっと愉快そうに笑って『なんだ、私が恋しくなったのか?Darling』と答える。その余裕のある態度にも若干の苛立ちを覚えながら「すぐに署まで来い」と早口に伝える。
『マリアが迷惑でもかけたのか?まさかおもらしでもしたんじゃないだろうなぁ。困るぞ、さすがの私だって人のパンツを変えたことはない』
「その言葉、一言一句たがわずマリアに伝えたらお前は即解雇だろうな」
『
……
ったく、冗談の通じない奴だな。ユーモアのないやつは嫌われるぞ。お前、友達がいないタイプだろう』
「お前だっていないだろう」
『私はいないんじゃない。作らない主義なんだ。友達がいないことは否定しなんだな』
愉快そうな笑い声に奥歯を噛み締めて、早く来いとだけ単語で伝えると即電話を切った。自分でもこめかみに青筋が立っているのを感じる。ペースメーカーを入れた心臓が規則正しく働いてくれているのに、今度は頭の血管が切れてしまいそうだ。
どちらにしても長生きは出来ない性分なのかもしれない。
大丈夫?とエリーが顔をのぞかせるが、片手をあげて答えるだけで精一杯だった。そうでなければ、彼女に八つ当たりしていただろう。
気分を変えるために給湯室へ足を運ぶと、紅茶のティパックを入れて水を注いだカップをレンジに入れた。
*
ブラムは署にもほど近いカフェで優雅にカフェラテを嗜む。紅茶もいいが、やはりコーヒーだな。そんなことをぼんやり考えながら、窓の外の通りを眺めていると目当ての人物がやってきた。
ブラムより二十は年上だろう。初老の紳士はステッキを手にしていたが足元がおぼつかないと言った感じはなく、むしろ姿勢は最近の若者たちよりよっぽどいい。護身用に持っているのだろうか。
カフェの入り口に立ち店内を見渡す様子に、ブラムが軽く手を上げた。すると真っすぐに近づき、帽子を取って会釈した。
「お待たせしました、ブラムさん。Wの騎士団のリチャードと申します」
「これはこれはご丁寧に。カールに連絡したら貴方なら力を貸してくれるだろうと聞きまして。ご足労いただきありがとうございます」
ブラムは立ち上がり、リチャードに手を差し出した。
リチャードはブラムとほぼ背丈の変わらない、細身だが洗練された身のこなしで隙を与えないような立ち振る舞いをする男だった。どこか貴族などの執事をしていると言われれば納得するような、そんな男だ。
席に着くなり紅茶を頼むと彼はにこやかに「それで、彼女は?」と微笑む。
「まぁ、そんなに慌てなくてもいいじゃないか。まずは紅茶でも飲んで、近況でも語り合おうじゃないか。私もちょっと、イングリッシュマフィンでも食べようかな」
後半は目の前のリチャードではなく、紅茶を持ってきたウエイターに話しかけながら軽く手を上げて無駄にウィンクする。まだ年若いウェイターは若干引き気味に、だが一応微笑み返しそそくさとキッチンに消えていく。
「あなたの近況にはあまり興味はないんですよ、残念ながらね。私にとっての関心ごとはいつでも彼女だ」
「WOW、それは残念だ。君たちにとってはそれが当たり前なんだろうがな。『Wの騎士団』、高貴な血筋を守る騎士たち。その幹部ともなればいち弁護士の近況どころか、命にさえ興味はないのだろう?とにかく、その物騒な杖をどこかへ移動させてはもらえないか。なんだか落ち着かない」
向かいの席で何気なく置かれた木製のスティックの持ち手が、テーブルの下で不自然にブラムのほうを向いていた。今までにも何度かやばいヤツを弁護したことがある。その時に感じるこちらを信頼していない雰囲気をこの男からも感じる。さらに言葉では言い表せない緊張感が漂い、その原因は杖に仕込まれた何かしらの武器であると、ブラムの第六感が告げていた。
冗談めかして肩をすくめると、微笑んだまま「Mr.ブラム。私は簡単な質問をしただけだ。そうだろう?」
「彼女はどこだ?」
「今ここには居ない。ちゃんと近くに居る。もちろんね」
さて、この食えない男からどう情報を引き出すか。なかなか骨が折れる。
ブラムは対面に座った人間から主導権を奪う事が何よりも重要だと信じ、実際に今までもそうしてきた。
プライドの高い高学歴な弁護士たちの前では奇怪な行動をとり冷静さを欠かせ、知識のない傍聴人たちの前ではさも何でも知っているかのように振る舞い自分が正義だと信じ込ませる。
だが、今日目の前に座るこの男からは何も感じられない。押しても引いても、びくともしない。まるで壁を目の前にしているようだ。
仮面でも貼り付けているような薄っぺらい微笑みの奥に、何を思っているのか。ただ、確かなことは彼にとって彼女を守るはずのアメリカの弁護士がなぜ非協力的なのだと僅かな苛立ちを感じていることぐらいか。
その時、丁度ウェイターがブラムの前にイングリッシュマフィンを置いた。ブラムは内心、これでしばらく話を誤魔化せると内心安堵し、ハムと目玉焼き、チーズとレタスのが挟まった香ばしいマフィンの香りを堪能しナイフで切り分ける。
「んん!これだけは美味いな!もちろん、アメリカのエッグベネディクトもいいがこのシンプルさがいい。ヴィクトリアンサンドも捨てがたいがな。それ以外はイマイチだ」
ことさら優雅に、紳士らしくマフィンを堪能していると目の前に座るリチャードとの間に妙な沈黙が流れた。おそらく相当イラついているのだろう。微笑みを崩さないが、頬の微妙な筋肉の動きが奥歯を食いしばっていることを表していた。
「いつまで私を待たせるんだ?ローランド・ブラム。たかが弁護士が深入りする事じゃないんだぞ」
「私にとってはどうでもいい事だ。彼女だって、ただの小娘」
次の瞬間、口元にあったはずのフォークの先端が喉に刺さっている。刺さると言っても、先端がわずかに皮膚に食いこみわずかに赤い滴を垂らす程度だが、ブラムは口腔内のマフィンを飲み込むことは出来なかった。
「いいか、彼女の身に何かあったらそのもじゃもじゃの頭は明日にはないぞ」
音もなく顔を寄せ、ブラムの耳元に早口で告げると、リチャードは初めてその口元から笑みが消す。
それでは、と再び微笑みながら足音もなく去っていくその後姿をブラムは見送ることができない。まるで蛇に睨まれた蛙だ。それなりに修羅場をくぐってきたつもりだったが、法廷で命のやり取りをしたことはない。いや、稀に過去の依頼人や関係者に命を狙われることはある。それでも、今回のように目の前で、真正面から殺意を向けられることはない。
まだ、首はついている。
そっと自分の頸部に触れたブラムは、初めて自分の指先が震えていることに気付きハハッと乾いた笑いがこぼれた。
*
ブラムがふらっとウェセックス署に訪れた時、すでにエリーがマリアを連れて帰宅したところだったらしい。
17時を過ぎた署内は、大きな事件がないせいか半分以下の職員しかいないようだった。太陽は地平線に近付き、背に夕闇を背負っているような時間帯。ワシントンの日没とほぼ変わらないようで、だがこちらの方が物悲しく感じる。
窓に映る自身の首の絆創膏をひと撫でして、わずかに襟のシャツを伸ばす。念のため、と自身に言い聞かせるようにネクタイを締めなおしてから「いや、アイツは気づかなそうだな」と思い直す。
アレックのデスク前に立ち、入り口の扉をノックする。すでに半分は室内に足を踏み入れているのだが気付かなかったのだろうか。それとも敢えて無視したのかは分からないが、ブラムの姿を視界にとらえるといつも以上に苦虫顔のアレックが眼鏡を外しながら、書類を投げ出した。デスクには様々な書類が散乱し、アレック自身も皺がよったシャツの袖を折った状態で髪も乱れている。
「どこに行ってた。もう彼女は帰ったぞ」
「疑いは晴れたのか?」
「馬鹿言うな。弁護人がいない状態で未成年を取り調べることなどできるか
……
、おい、その首どうした」
くたびれているとはいえ、さすが刑事と言ったところか。ブラムは妙なところで感心しながら「ちょっとひっかけただけだ」と肩をすくめた。
アレックはおもむろにブラムに近付くとその顎に人差し指をかけ上向かせた。まるで恋人同士がキスをするかのような態勢にさすがのブラムも無意識に半歩下がると、今度は腰を抱かれ「ただの怪我じゃない」と覗き込む。
「的確に頸動脈を捉えている。誰かに脅されてるのか?」
アーモンドのような瞳だな。それかネコ科の動物。いや、大型犬かもしれない。脅威は感じないが、理性の薄い、動物的な直感を持つような瞳だ。
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