宮腰
2025-11-15 21:47:40
27208文字
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ソーマセーマ【2】

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ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋と真実を知るお話。


 水の上で過ごしてきたこれまでの数百年間、全く人間に興味を持たなかったのかといえば、そんな事はない。
 最高審判官と言う名の重い衣を身に纏い、歌劇場の一番高い所から様々な物語を眺めてきた。殺人、窃盗、誘拐、政治犯、時には反吐の出るような欲望を。そして時には衆人が涙を流すような物語を。己からしてみれば瞬きをするよりも短い命しか持たぬ、小さな存在。だがそんな彼等にも、その数だけ物語があるのだと知った。

『私をここへ連れて来てくださり、ありがとうございます。ヌヴィレット様』
 ──カロレ。ああ、君か。
『あの朴念仁! 聞いて下さいよ、ヌヴィレット様。ヴォートランったら……
 ──彼は誠実な男だ。きっと君の力になる。
『なら、ヌヴィレット様は?』
 ──……私?
『ヌヴィレット様のお力になってくれるのは、一体どなたなのでしょう?』
 プネウマとウーシア。ふたつのアルケーがぶつかり合い、混じり合い、生み出されるエネルギーは、やがて物語の礎となる。





…………夢、」
 建て付けの悪い窓が、凍えた指先で叩くようにカタカタと揺れた。貨物ゴンドラの振動音がここまで響いてきているのだろう。雨漏りの跡が幾重にも重なった天井を眺めながら、ヌヴィレットはゆっくりと上体を起こした。髪を束ねようと手を伸ばしたところで隙間風がうなじを掠め、そこでようやく思い出す。
 ここは、パレメルモニアではない。法無き異国ナド・クライだ。
……君は優しい子だから。夢の中で会いに来てくれたのか」
 カロレ。水の上で自分の存在意義を探したい。かつてそう瞳を輝かせ理想を語った彼女を、かつてヌヴィレットはフォンテーヌ廷へ連れて来た。結論は、やはり異種族との共生は非常に難しい。所詮、私達は他所者にすぎないのだと思い知らされた。
 それから年月を経て、メリュジーヌと人間は互いに理解を深め、いまでは彼等が手を取り合う光景が日常となっている。月日とは一番の特効薬。そう初めに語ったのは誰なのかは分からないが、それはおそらく真理のひとつと呼んでも差し支えないのだろう。
 ──なら、ヌヴィレット様は?
 その問いに対しての答えを持てぬまま、今日へと至る。
 現実へ頭を切り替えようと小さなバスルームで顔を洗い、身支度を整えた。本日のナド・クライはたな雲り。リオセスリの情報によれば闇市は昼前から。それまでに一雨来てこの機械油の匂いを少し洗い流してもらえると、個人的には嬉しいのだが。
…………
 シャツのボタンを留めつつ隣室の気配を探ってみたが、やはり誰もいないようだ。昨夜フラッグ・シップで勤務していた彼は深夜になっても部屋へ戻らなかった。ナド・クライでの定宿はここだと話していた。だが、ここへ戻らなかったと言うことは、他の場所で昨夜は休んだのか、それとも。
 ──止めておこう。
 詮索したところでどうしようもないし、する権利も義務もない。
 フラッグ・シップで男達が彼へ執拗に声を掛けていた光景が浮かんでしまい、ふつふつと込み上げてきてしまったドス黒い感情を無理やり飲み込んだ。くだらない、自分には関係のないことだ。彼曰くヌヴィレットの加護とやらも与えてやった。それで十分な筈だ。
 昨夜はここへ戻っていないのだから、当然本日の朝食も用意されていない。これまで通り水分だけ摂取をし、ヌヴィレットは港湾局内にあるフォンテーヌの領事局へと向かった。今日は大型船が多数入港するらしく、港はいつもに増して人が多く慌ただしい雰囲気だ。
「やあ、おはよう。昨夜はよく眠れたかい?」
 そして、情報を提供してくれた本人は港湾局の前にいた。ヌヴィレットが来るのを待っていたのだろう。いつもの白いハイネックにブルゾンを着た彼は、ヌヴィレットの姿を見付けるなり木箱から腰を上げた。ニコッと朝に相応しい爽やかな笑顔を浮かべるリオセスリを、ヌヴィレットはじっと観察する。
「ごきげんよう。君はあまり眠れなかったらしいな?」
「おっ……と? はは、さすが鋭い。朝早くに秘聞の館へ立ち寄っていたものでね」
 秘聞の館。スメール出身の女主人が営む、非常に腕の良い情報屋だ。彼女は裏の情報網にも通じており、各勢力のエージェントと秘密裏にやり取りをしている。マレショーセ・ファントムとも付き合いがあるが、大きな情報のやり取りは時に危険が伴う。彼女と対等にやり取りができ腕も立つ人材が欲しいとヌヴィレットは常々考えていた。
……ふむ。君の顔が広いと言うのは本当らしいな」
「まあな、昔からここには良く出稼ぎに来ていたから。その縁さ」
「出稼ぎ?」
 そう雑談の続きをしようとしたところで、にわかに波止場が騒がしくなったのに気が付いた。モンドからの貿易船がやって来たらしい。桟橋へ水夫達が集合して行くのを眺めていると、リオセスリがそっと背中へ囁いてきた。
「モンドからの品物が到着したみたいだな」
……ああ。闇市のか」
「ああ。下手に足が付かぬよう商品を積んだ船は当日に入港する。ナタの船も向こうの桟橋にあるだろう?」
 向こう、とリオセスリが示した方向へ目を向けると、ナタの特徴的な装飾が施された船が停泊していた。ナタからの船は夜が明ける前に到着していたらしい。その後も続々と各国の船がナシャタウンの港を訪れ、闇市が開かれる午前十一時も近くなっていた。
「ふむ……? なあ、ヌヴィレットさん」
「うむ」
「フォンテーヌからの船がまだ到着していない気がするんだが、何か事件でも?」
 確かに。周囲を見渡してみてもフォンテーヌ製らしき船は一隻もない。
「いや、貿易や港に関する事件は特に無い筈だ」
 今は休暇中といえ、船が出航できないレベルの事件があればすぐにヌヴィレットへも報告が届くだろう。領事局へ立ち寄った時も何も言っていなかった。ただし、現在進行形でなければ、だが。二人は静かに目線を合わせ、リオセスリが事前に入手していたらしい今日の入港予定リストをもう一度確認してみた。
「やはり、フォンテーヌからの船が遅れているな」
「ああ、そうだな」
 船主の名前はヌヴィレットでも聞き覚えがある。ガブリエール商会、棘薔薇の会の姉妹会社でもある、フォンテーヌでは知らぬ者のいない組織だ。ガブリエール商会が扱っている商品は多岐にわたる。美術品から日用品、有価証券や投資など金融市場にも進出しているので、ナド・クライだけでなく他国との取引が多いのも頷ける。
「不審な点は見当たらない。不測の事態に見舞われたと考えた方が自然だ」
「あんたがそう言うのならば間違い無さそうだ。それじゃあ、俺たちもそろそろ集合場所へ向かおう。案内するよ」
「ああ、頼む」
 リオセスリが一歩先を歩き、闇市の集合場所である港のはずれへと向かった。そこには様々な国の商人達が既に集まり始めており、中にはフォンテーヌ人らしき者も数名、みな和やかに談笑していた。今から闇市が開かれるとは思えないほどの、賑やかで活気溢れる雰囲気だ。
「ここでは闇市もホットドッグの屋台も、同じようなものだからな」
 想像していた雰囲気と違う、そんな感想を見透かされていたのだろうか。リオセスリは視線を前に向けたまま、そうポツリと零した。
「所変われば水変わる。土地が違えば風習も言語も価値観も異なるのは、自然なことだ」
「ハハッ! ……あんた、やっぱ面白い人だな」
「私が?」
「ああ、フォンテーヌ人ってのはもっとお上品で排他的な、お高くとまっているもんじゃないのか?」
「それは……個々の性質によるだろう」
 過去の苦々しい記憶を含め、否定はしない。どんなに美しいドレスや宝石で着飾ったところで醜悪な魂は隠せないものだと、ヌヴィレットも重々承知しているからだ。逆を言えば、どれだけ巧妙に隠そうとしても光り輝く魂があることも。
「リオセスリ殿」
 ザ……と、岸壁へ波が打ち付ける。
 今日はナド・クライにしては晴れている気候らしいが、これが凍晴と言うものだろうか。刺すように痛む寒さと日射しがアンバランスな、油と潮の薫りが混ざり合う冬風が吹き抜けている。
 寒さを紛らわす為に口が開いてしまったのか、氷に隠された魂に触れてみたくなってしまったのか。自分でもどちらなのかは分からない。
「君は、フォンテーヌに縁があると話していたな」
「ん……そうだな。記憶も曖昧なほど昔の話だけど」
「フォンテーヌに縁者でも?」
 つい出てしまった悪癖で、問い詰めるような口調になってしまったのだろう。リオセスリは肩を竦めて笑った。
「ハハッ! それは尋問かい?」
「いや……違う。気に障ったのならば発言を撤回しよう。すまない」
 尋問、ではない。尋問でなければ何だろうかと、ヌヴィレットは今まで見聞きしてきた様々な感情から探ってみた。真剣に言葉を探すヌヴィレットを見てリオセスリはどう思ったのだろう。一歩後ろを歩くヌヴィレットへふと視線を向け口元を微かに緩ませたかと思うと、再び前を向いてしまった。
「親戚か……いるかもしれないな」
「しれない……?」
 フワリと、雪の薫りがヌヴィレットの鼻先を掠める。それはリオセスリの薫りだ。氷と雪に閉ざされた彼の魂がときおり放つ、思郷と諦観、深い悲哀と血の匂いが混じった、芳しくも切ない匂いだった。
 だが、それ以上は彼も答える気がないらしい。こんな時にどんな言葉を掛けるべきなのか。歌劇場では流暢に動くヌヴィレットの舌は何もできずに、ただ沈黙するしかなかった。やはりフリーナの言う通り、談笑を交わせる友人を作って社交術を学んでおくべきだったのか。そう後悔したところで、一度出てしまった言葉は口の中へと戻ってはくれまい。
……そろそろ山の上では雪が降る季節だな」
「ああ」
 白い。彼の吐息も自分の吐息も、白い。まるで煙のように白い吐息が唇の隙間から漏れ、ふたつの呼吸はひとつに交わり、やがて灰色の空へと消えて行く。そんな光景をぼんやりと眺めているうちに、ふと先ほどの答えを見付けてしまった。
 ──懇願。
 ああ、そうだ。懇願だ。
 私はもっと君を知りたい。氷に閉ざされた君の魂をこの目で見てみたい。そう憐れみを乞い願っているのだ。