hatoko_mzot
2025-11-15 20:25:24
9703文字
Public 傀暮
 

真夜中の鐘が鳴るまで

2025年11月15日AiS#4で配布いたしました無配です。
新刊『昼下がりの舞踏会』に時間切れで入れられなかった後日譚に当たるお話でございますので、単独で読んでも意味が分からない箇所が多々あるかと思います。大変申し訳ございませんがご了承いただけましたら幸いです。

傀暮にジャイブを踊ってほしくて書き始めたお話でした。ワルツも良いけど、個々の動きが結構独立しているラテン系のダンスも良いよね、という話です、はい。
あの跳ねるようなステップを踏みながら、二人向かい合って楽しく踊ってくれ……。

ブレイズ姐さんが友情出演している理由は、弊ロドスではブレイズ姐さんS2の前にシャレムさんS1を立たせてすべてシュレッダーにかけることで物量ステージを凌いでいたからです。脳筋万歳。

あ、そうそう。全ては幻覚です。
お楽しみいただけましたら幸いです。

本編『昼下がりの舞踏会』はBOOTHにて通販をいたしております。お手に取っていただければ幸いです。
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 磨き上げられた床板の上を、きゅ、きゅ、という小気味よい音を立てながら、艶やかな黒い革靴が、華やかなピンヒールのパンプスが、可愛らしいエナメル靴が、軽やかにステップを踏みながら次々と通り過ぎていく。
 大勢の人間が二人組を組んで揺れ踊る多目的室。自由に動かせる仕切りの壁を最大限に取り払って即席のダンスホールに仕立て上げられたそこは、煌びやかなシャンデリアや揺れる蝋燭の炎こそないが、天井には電灯の明るく真っ白な光が燦然と輝き、広々とした空間はスピーカーから流れる録音などでは無い、やや偏りの見られる少人数編成とはいえ、ピアノとドラム、それから管弦楽器からなるバンドが奏でる生演奏の音で満たされている。踊る人々の向こう側、部屋の最奥には簡単なバーカウンターすら設えられており、出張してきたバーテンダーによってアルコールやソフトドリンクといった飲み物は勿論のこと、遠目で見る限りどうやらちょっとした軽食までもが提供されているらしかった。
 ――まさか、これほどとは。
 会費さえ払えば誰でも参加自由の気軽な舞踏会、もといダンスパーティーだとドクターからは聞いていたのだが。壁際に並べられたテーブルの一つに着いてダンスホールの中を見渡しながら、ロドス艦内で定期的に開催されているのだという舞踏会の、その予想外なほどの力の入りように内心で目を見張る。
 また一組の男女が息ぴったりの踊りを披露しながら目の前を通り過ぎていく。人々の中には隙無く正装を身につけている人もいるにはいるが、大抵は気軽な舞踏会という触れ込みの通りに少しばかりカジュアルダウンをした自由な服装をしており、格式張った縛りが無くなった分、その色彩は眺めているだけで目が回りそうになるくらい千差万別だった。
 女性陣は舞踏会の主役らしくとりわけ華やかで、流石にボールガウンを着ている人はいないものの、軽やかなサテンやしっとりと濡れたベルベットのロングワンピースの裾がステップを踏む度に華奢なヒールの上で翻り、生地に縫い付けられた金や銀の刺繍が、クリスタルビーズが、スパンコールが、照明の光を弾いてきらきらと瞬く。
 そんな眩い人々の群れの中に目を凝らして、ここ三ケ月の間、毎日のように終業後に顔を合わせてきた「生徒」の姿を探す。舞踏会が始まる前に一度会場前で落ち合って、「大丈夫ですよ。会場内で見守っていますから、何かあったら呼んでください。」と緊張しているのか、珍しくそわそわと落ち着かないその背を擦って励ましてきたのだが、果たして。
 音楽に合わせて渦巻く人々の中に、何やらぽっかりと空いた不自然な空間がある。どうやら皆、その辺りを通りすがる時に少し距離を置いているようだった。周囲から何か微笑ましいものでも見るような、くすくすとした笑い声と温かな視線が注がれるその空白の中央で、黒いフルフェイスに覆われた頭がぴょこぴょこと大きく上下している。
 ――あぁ、見つけた。
 生徒、もといドクター。いかなる戦場においても冷静に、怜悧に、そして緻密に指揮をし、大勢の命を救ってきた、ロドス・アイランドが誇る我らがドクターの踊りはというと、…………まぁ、辛うじてステップらしきものは踏めている……のかもしれなかった。
 思わず口の端に苦笑が滲む。やはり本番を迎えるにはまだまだ時間が足りなかったらしい。いや、これでも以前に比べたら随分ましになったのだ。三ケ月前はステップどころか音楽に合わせてリズムを取ることさえ出来なかったのだから。
 おっかなびっくりといった様子で踊るドクターを見ていると、もっと何か出来たのではないか、というもどかしさが込み上げてくるし、僭越ながらダンスの先生として今晩のドクターの踊りは及第点かと問われると答えに窮してしまうが、ドクターの腕の中で嬉しそうに笑っているミス・アーミヤの姿に、きっと結果としては上々な方のではないか、と少し慰められた気がした。
 ふぅ、と一つ溜息をつくと、カツン、という硬いヒールの音が近くで鳴った。音のした方に目を向けると、青みを帯びた長い黒髪に深紅のサテンのカチューシャを頂いた、戦場で幾度か肩を並べて戦ったことがあるフェリーンのオペレーターが立っていた。
「ここ、空いてる?」
 きらきらと快活に輝く青い瞳。繊細なレースの長袖が付いた黒のタイトなロングドレスに、カチューシャと揃いの深紅のパンプス。ドレスの裾に深く入ったスリットからは真っ白な太腿が大胆に覗いているが、「妖艶」というよりも「強そう」という印象が先立ってしまうのは、彼女がロドス艦内でもごく少数かつ精鋭のエリートオペレーターである所為か、それとも噂に流れ聞く数々の豪胆かつ破天荒なエピソードの所為か。
「ええ、空いておりますよ。どうぞお掛けください、ミス・ブレイズ。」
 隣の席を手で示す。ヒールの音も高らかにミス・ブレイズが着席したかと思うと、テーブルの上についた肘に顎を乗せ、何故か含み笑いをしながら意味深にこちらをじっと見つめてきた。
「あの……?」
「君が、噂の敏腕のダンスの先生だってね?」
 口元に悪戯っぽい笑みが閃き、その拍子にちらりとフェリーンの鋭く真っ白な牙が覗いた。
「アーミヤちゃんから聞いたよ。毎日レッスンしてたんだって?」
「ええ、まあ。ただ、敏腕かどうかはわかりかねますが。今までの経験上、他の方々よりも多少踊りについての知識がある、それだけのことですので。」
「またまたぁー、そんなに謙遜しなくてもいいのに。……ま、いっか。でもまさか、あのドクターにダンスを教えられる人が遂に現れるなんてね。もー、待ちわびたよ。」
……『遂に』? それは、どういうことですか?」
「あれ、知らなかった? ドクターはね、ダンスを教わるのは今回が初めてじゃないんだ。」
「それは……初耳です。」
 ……前にもレッスンを受けて、ああだったのか。三ケ月前の初レッスン時の衝撃が、上塗りされて再び襲いかかってくる。
「前にも何人かダンスを教えようとした人がいたんだけど、何というか、その、アレじゃない、ドクターって。」
「そう……ですね、あまり運動が得意ではないとお見受けいたしました。」
 ここだけの話だが、あそこまで脳の回路と身体の回路が繋がっていない人を見たのは初めてだった。きっと頭に色々なものが集中しすぎて身体の方に割けるリソースが極端に少ないのだろう、とにかくこちらの教えた動きを再現することが全くといって良いほど出来なかった。口頭で伝えるのは早々に諦め、目の前でゆっくり動いて手本を見せたり、失礼ながら身体に触れて文字通り手取り足取りをして教えたりもしたのだが、それでも何故か上手くいかない。何なら思い切り違う動きをされて、お互いに顔を見合わせて戸惑ってしまう始末だった。
 本人もどうしてそうなってしまうのか全くわからないらしいのもまた問題で、ダンス云々の前にまずは身体の動かし方を教えた方が良いのかもしれない、とストレッチの指導方法を混乱する頭の中で思案しながら、長い道のりを思って何度途方に暮れかけたことか。
「そうそう。だからみんな途中で匙投げちゃってね。そもそもドクター自身、忙しいからなかなか時間も取れないし。だから全然踊れるようにならなくてね、アーミヤちゃんも表には出さないけど、ずいぶんと残念がってたんだよ。」
「そうだったのですね……。」
「そこで君の登場だよ。あのドクターを踊れるようにしちゃうなんて、一体どんな魔法を使ったの?」
「魔法だなんて、そんな。懇切丁寧に、身体の動かし方から始まって、ホールドの仕方やステップを、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しお教えしただけです。…………本当に。」
 本当にそれだけしかしていない。いや、それだけしか出来なかったというべきか。ぶり返す無念に堪らず溜息が零れ落ちる。
「今の溜息に君の苦労が見えちゃった気がするよ……本当にお疲れ様。……でもさ、君、人に教えるのに向いているんじゃない? 君と組むと訓練がはかどるって重装オペレーターの間で評判だし。ね、教官とか目指してみない? 私、推薦するよ。」
「まさか、滅相もありません。私はそのような才は持ち合わせていませんから。荷が重いです。」
「そうかなぁ?」
「そうですよ。」
 人を教え導くよりも、人に合わせる方が得意だ。骨の髄まで染みついてしまったこの性分を、今更きっと変えられない。重装オペレーターの訓練の時だって、いわば相手の鏡を演じているようなもので、相手の苦手としている部分を目に見えるように映しだすことで、それと気付かせているに過ぎない。
……そういえばミス・ブレイズは、もうどなたかと踊られたのですか?」
「んー? いや、誰とも。だって私、踊りに来たわけじゃないし。」
 では一体、何をしに来たというのか。その答えは彼女の手の中にあった。華奢なフルートグラス。微細な泡の弾ける琥珀色のお酒がグラスの中でくるりと一回転した後、薄桃のルージュの引かれた唇の奥へと消えていく。
「どこの誰がスポンサーについてるのか知らないけど、こんなに良いシャンパンが会費さえ払えば格安で飲めるんだよ? 見逃す手はないでしょ。それにね、みんなが楽しそうに踊っているのを眺めながら飲むお酒も乙なものなんだよ。しかも今晩は君のおかげでアーミヤちゃんの嬉しそうな顔を見られたから、お酒が進んで進んでしょうがないよね!」
 まるでジュースでも飲むようにシャンパンが飲み干されていく。余り酔っているようには見えないのだが、果たしてそれは一体何杯目のシャンパンなのだろうか。
「そういう君は、誰かと踊ったの?」
……いいえ。」
「ダンスの先生なのに?」
……貴女のことならともかく、私を誘おうという方はいませんから。」
「あ、なんだ、お誘い待ちなの? じゃ、私から誘ってもいい? こういうダンスはあんまり得意じゃ無いんだけど。」
「ああ、申し訳ありません。女性に誘わせてしまうとはとんだ失礼を。……ですがすみません、今晩はご遠慮させていただけますか? 私も踊りに来たわけではありませんので。」
「え、じゃあ君は何しに来たの?」
「ドクターの見守りに、ですかね。」
「そんなにおめかしして?」
……おめかし、というほどでもないと思うのですが。」
 こういった場所では男性は女性の引き立て役に回るものなので、むしろ普段よりも地味に纏めてきたつもりなのだが。いつもの胸元にドレープが重なるシャツではなく、至ってシンプルなスタンドカラーのシャツに、しっかりとアイロンで折り目をつけた黒い細身のスラックス。いつもの金の首飾りを外す代わりに、髪に銀のベルベットのリボンを編み込んで片方の肩から前に流し、リボンの色に合わせて、耳飾りも銀の細いチェーンが滝のように流れ落ちるデザインのものに変えた。地味すぎず派手すぎず、会場に上手く溶け込めていると思っていたのだが、もしかしてそうでもないのだろうか。
「えー、なんか色々と勿体ないなぁ……。ま、まだ夜は長いんだし、ゆっくりしていきなよ。さて、私は新しいお酒を取ってこよっかな。君は何か飲む?」
「いえ、結構です。お気遣いありがとうございます。」
 颯爽と立ち上がり、じゃあね、とひらりと手を振って歩きだそうとしたミス・ブレイズの足がピタリと止まった。
……君に、お誘いが来たみたいだよ?」
「え……?」
 笑みに煌めく青い瞳が見つめる先を追って振り返る。目と鼻の先に目も眩む純白があった。慌てて視線を上げると、ホワイトタイの上からじっとこちらを見下ろす金色の双眸と目が合った。
「ル、ッ……ミスター・ファントム⁉ どうして貴方がここに?」
「ドクターから君がドクターの付き添いで舞踏会に出席すると聞いて、……責任を取るべきかと。」
「責任……? 一体何の話です?」
……恥を忍んで告白するが、私ではドクターにダンスを教えることが出来なかった。その埋め合わせをしようとしたわけではないのだが、もしかしたら、と思い、ドクターの前でつい君の名を口にしてしまった。その結果、君がこうして私の代わりをする羽目になってしまったのだから、その責任は取るべきだと思ったのだが。」
「へぇー、君も失敗した先生達の一人だったんだ。」
「そんな経緯で私にお鉢が回ってきていたのですね……。ですがミスター・ファントム、責任を取る、とは……?」
…………。」
「まさか、パートナーになりに来たと……?」
「そのつもりで来た……のだが。」
 そんなに鯱張った舞踏会では無いのだ。パートナー同伴では無い参加者などいくらでもいるというのに、わざわざこんな……燕尾服まで着て。
……君は、ミス・ブレイズと来ていたのだな。すまない、余計なことを。」
「ちょ、待ってください、ミスター・ファントム! 違います、誤解です……!」
「待って待って! 私はただ、たまたま絡んでただけだから!」
 潔いほどにあっさりと踵を返したルシアンの背を慌てて呼び止める。本当に、誤解にも程がある。
……違うのか?」
「違います。彼女とは偶然お喋りをしていただけで……。」
「そうそう、ちょーっと付き合ってもらってただけ。」
……そうか。」
 その肩からほっとしたように、少しだけ力が抜けたように見えたのは、果たして目の錯覚なのだろうか。コツリ、と革靴が深く豊かな音を立てて目の前に立つ。
……ミスター・シャレム。君の了承もなく突然押しかけて悪いが、私をパートナーに一曲踊ってくれないだろうか?」
 すっ、と白い革手袋に包まれた手が差し出される。その手を取れずにいると、静かな声が降ってきた。
……私が相手では嫌か?」
「いえ、そうではなく。……今夜は踊らないつもりでいたので。」
……まさか君は、一曲も踊っていないのか?」
「ええ、まあ……。」
「何故?」
「何故って……私は別に、ただドクターを見守りに来ただけですから。」
 しかし、それは結局のところ建前なのだ。本音を言ってしまうならば、こういった社交の場で無闇に人前に立ちたくない。ドクターへの心配が勝ったから今回は来ただけであって、出来ることなら余計なことはせず、このままひっそりと壁の花として終わりたい。そういった心の機微をルシアンならわかってくれそうなものなのに、白い手袋は依然として差し出されたまま、引っ込む様子はない。
 そこで運営からのアナウンスが入った。未成年のオペレーターは次の曲がラストダンスだと。ガリアか、それともリターニアのおとぎ話だっただろうか、心根の清い美しき娘の門限は真夜中だったけれども、現実の年若いオペレーター達に課せられた門限はそれよりも遙かに早い。すなわちドクターとミス・アーミヤのダンスも残念ながら次で最後だ。
「ありゃ、もうそんな時間か。」
「ええ、次の曲でドクターも最後ですね。」
「え、じゃあ、もうその後はダンスの先生達の自由時間だよね。良かったじゃない!」
…………はい?」
「だってそうでしょ? 踊らないドクターを見守っていてもしょうがないし。」
「ええ、ですから、私もドクターと一緒にもう帰るつもりで……。」
「そうなの? じゃあなおさらだよ、会費払ってるんだから一曲くらい踊って少しでも元を取らないと。しかもワンドリンク付きなのに、見たところ飲み物も飲んでいないみたいだし。じゃあ、やっぱり代わりに踊らなきゃ。ね? 君もそう思うよね?」
 ルシアンの無言の首肯。ミス・ブレイズの熱弁に背を押されたのか、差し出された手が、ずい、と距離を詰めてくる。
……ミス・ブレイズ。」
「ん? なあに?」
「一体、何をお望みで?」
「あれ? 私、さっき言ったよね。みんなのダンスを肴にお酒を飲みに来てるんだって。そりゃ良いお酒だもの、今のままでも十分美味しいんだけどさ、敏腕のダンスの先生の踊りを見ながら飲むお酒の味ってのも、やっぱり気になるじゃない?」
 私利私欲にまみれた告白だというのに、その笑顔は実に眩しくあっけらかんとしていた。追撃のように飛んできた華麗なウインクに思わず脱力してしまう。
…………わかりました。」
「あ、踊ってくれるの? ありがとう!」
「ええ。でもこの一曲だけです。」
「うんうん、行っておいでー。ドクターのことは私が代わりに見てるよ。と言っても本当に見てることしか出来ないんだけどね!」
 渋々、白い手袋に指先を重ねる。きゅ、と軽く握られる感触と共に優しく腕を引かれ、既にワルツを踊り始めている人々の中にそのまま合流する。
 す、と背中にルシアンの手が回る。温かな掌が優しく背に触れる感覚に、あぁ、と思わず声が出そうになった。
……何だ?」
「ふふ……いいえ。」
 ふわりと柔らかく支えてくれる、正にお手本のようなホールド。もし次に誰かにダンスのレッスンをする機会があったら、これがお手本です、と一度ルシアンのホールドを体験させるのが一番手っ取り早いのかもしれない。それほどに、手を置く位置も力加減も、何もかもが完璧で、心地よくて、そして昔と何一つ変わらないホールドに、胸の奥が切なく震える。
 ――懐かしい。
 脳裏にいつかの光景が蘇ってくる。陽光の降り注ぐ天窓。その向こうに見えた青空。古びた絨毯を靴下で踏む柔らかで少し頼りない感触。温かな腕。それから、間近で見上げた金の瞳。
 フェリーンらしくすっきりと切れ上がった鋭い目元。化粧などなくとも、その精悍な魅力をやはりルシアンは手に入れていた。眼差しはあの頃に思い描いていたものよりもだいぶ陰を帯びてしまっているが、それでも惹きつけられてしまうことに変わりはない。
 その目を見つめながら、弦楽器が主旋律を務める緩やかなワルツの調べに乗って三拍子のステップを踏んでいく。眩い照明が、見上げるルシアンの頭の後ろをゆったり流れ去っていった。
……ドクターとのレッスンはどうだった?」
「正直なところ、驚きと困惑の連続でしたね……。」
……君でもそうだったか。」
「ええ……。」
 首を巡らして、揺れ動く人混みの中にドクターとミス・アーミヤの姿を探す。…………うん、何とか大丈夫そうだ。さっきと比べて上下の頭の揺れが収まっている。最低限、とにかくワルツだけでも、とみっちり教えた特訓の成果がようやくこのラストダンスで花開いてくれたらしい。
「おっと、失礼。」
「いえ、こちらこそすみません。」
 ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、隣の組とうっかり肩がぶつかり掛けて、咄嗟に身を捻って避ける。ラストダンスということもあって、今までの曲の中でも格段に人の出が多い。大人しくステップを踏んでいるだけでもこうなるのだ、大きく動く華やかなターンなど出来るはずもない。
 まあそれでも良いのだろう。こうして間近にお互いの体温と息づかいを感じながら、音楽に合わせてゆらゆらと揺れるこの一時だって、刺激こそないが穏やかで十二分に心地よい。
 最後の一音が余韻を響かせながら消えていく。終曲。一先ずのラストダンスを終えて会場が拍手で湧き上がる中、お互い胸に手を当てて丁寧に一礼をする。顔を上げると、金の瞳が何やら怪訝そうな色を浮かべてこちらを見降ろしていた。
……あの、どうかしましたか?」
「君…………少し、背が伸びたか?」
「いえ、ここ十年ほど据え置きだと思いますが……。」
 いきなり何を言い出すのかと思えば。ロドスに来て再会してから何度か肩を貸し借りして、お互いの背格好などわかりきっているはずなのに、本気で不思議そうに首を傾げている様子が何だか可笑しかった。
 未成年のオペレーターの帰宅を促すアナウンスが鳴り響き、舞踏会を切り上げようとする人達がぞろぞろと移動を始める。お休み、また明日、と別れの挨拶が飛び交う中を身を縮めてすり抜けていき、ミス・ブレイズが座るテーブルまで何とか辿り着く。
「お帰りー! いやー流石、息ぴったりだったね。」
 景気よく高々と掲げられたグラスは、いつの間にかシャンパングラスではなくワイングラスに変わっていた。ぽってりとした丸みを帯びたグラスの中で、ほとんど飲み干された赤ワインが大きく揺れている。
「お気に召していただけましたか、ミス・ブレイズ?」
「うん、とっても! もー、ワインが進んで進んで。……ねぇ、本当にもう帰っちゃうの? 私、もうちょっと飲みたいんだけどなー?」
 期待の込められた上目遣いに、ちらり、と隣に立つルシアンを窺う。
……どうします?」
「君が踊りたいのなら、私は付き合うが。」
「ええと、そうですね……。」
 どうしようか。捌けてきたばかりのダンスフロアの方を一度振り向く。
…………では、もう少し元を取ってこようかと思います。」
「そう来なくっちゃ! じゃ、私はお代わり取ってこよーっと。」
 残っていたワインを一息で飲み干し、うきうきと席を立ったミス・ブレイズの後ろ姿を見送ってから、ルシアンと連れだって、人数が減って少し物寂しくなってしまったフロアへと舞い戻る。
 第二部を待つ人々の間に満ちる、細波のような緊張と興奮。そのざわめきに掻き消されないよう、少しだけ顎を上げてそっとルシアンに耳打ちをする。
……いつかみたいに煩わしい格好もしていませんし、もう少し振り回してくださっても結構ですよ?」
……何の話だ?」
「いえ……何だか先程から『物足りない』というお顔をしていらっしゃるので。」
……それを言うなら君の方だろう。」
…………そんな顔してますか?」
「ああ。」
 そうだろうか。鏡を見ているわけではないので、自分ではわかるはずもないのだが、でも、もしかしたら、そうなのかもしれなかった。
 ドラムのカウントの音に続いてバンドが再び演奏を始め、賑やかなアナウンスとともに華々しく第二部が幕を上げる。拍手と歓声と共に聞こえてきたのは、今度は管楽器がメインの、先程とは打って変わって随分とアップテンポでリズミカルな、確かクルビアが発祥のダンスの音楽だった。劇団にいた頃はついぞ聞くこともなければ踊ることもなかった類いの調べ。
……ルシアン。」
「何だ?」
……この手のダンスの経験は?」
……残念ながら、ない。」
「ですよね……。」
 早速出鼻をくじかれてしまったが、もう既に周りの人達は皆飛び跳ねるようなステップを踏んで軽やかに踊り始めている。仕方がない、見様見真似でしかも即興だが、棒立ちよりはずっとましだろう。
「っ、こんな感じですかね……?」
…………。」
 前に、横に、膝のばねを使って忙しく蹴り出すような動きなど余り馴染みがない。これで合っているのだろうか、と恐る恐る向かいのルシアンに目を向けると、本人としては出来栄えに納得がいっていないのだろう、いたく不服そうな顔をしているが、もう既にそのしなやかな長い足は鮮やかにステップを踏んでいて、何となくそうなるのではないかという予想はついていたものの、やはり少しだけ悔しくなってしまう。
……ルシアン、リードをお願い出来ますか?」
……善処しよう。」
 差し出した手は革手袋を嵌めた手にしっかりと握られ、そのまま二人で片方の手を繋いだまま飛び跳ねる。細かいスキップのようなステップの合間に素早くターンを入れた途端、ほんの少しだけ目が回った。うっかり勢いを付けすぎてしまったらしい。
……頼むから倒れないでくれ。」
「善処します。」
 繋いだ手に傾き掛けた身体を引っ張り戻される、その懐かしい感覚にどうしたって口元が緩む。いや、笑っている場合ではない。しっかりペースを考えて、間違ってもひっくり返らないようにしなければ。
 だって、夜はまだまだ長いのだから。

Fin.