2025-11-15 13:12:03
8153文字
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空を泳ぐ鳥

Re:valeの百さん、お誕生日おめでとうございます。
貴方に、青春の傍らにあった推しとのひとときを。

とりとめもなく、万理と百のサシ飲み。思い出話。
自分ごと、他人ごと。変わっていくこと。

・展開上、リンウイ後となっていますが、時間軸は第5部~第6部あたりを想定しています。
・『Re:member』を下敷きにした部分がありますが、過去エピソードは殆どが捏造・妄想です。
・ラビチャ「大神万理 [過去から未来へ]」の内容を踏まえています。(直接のネタバレなし・未読でも問題なし)

……雨になるかな」
 色褪せた和障子が半開きになった居酒屋の窓の外、うすく雲の垂れ込めた銀鼠色の空を見上げながら、大神万理は小さく呟いた。
 頭をよぎるのは、マネージャーとして担当するアイドルのMEZZO"のことだ。壮五は終日スタジオ作業の予定だが、環とは、ついさっき今日の仕事を終えて別れたところだった。ひとりで帰れる、と押し切られてしまったけれど、傘は持っていただろうか。晩秋の雨は冷えるだろう。寮に着くまでに降られないと良いのだが。
「あ、環には、おかりんに頼んでうちの事務所から車を出しました。寮までしっかり送り届けます!」
 雲を割る陽射しのように、明るく快活な声が、万理の懸念をふわりと連れ去る。
 掘りごたつの座卓を挟んで、万理の向かい側に座っているのは、同業他社のトップアイドル。Re:valeの百だ。
「ありがとう、百くん。手間かけちゃってごめんね」
「とんでもないです! 今日のこと、オレ、ほんとにめちゃくちゃ嬉しくて、環にもバンさんにも、こんなんじゃお返しにもならないんで!」
 ぶんぶんと頭を左右に振り、果ては額を座卓に擦りつけはじめたのを苦笑交じりに押しとどめつつ、心の内では、いつもながらの百の手回しの良さ、機微の聡さに瞠目していた。
 ずっと昔、ライブを手伝ってくれていた学生の頃から、何かと気の利く子だった。敏に賢しく、けれど、小賢しく感じることがないのは、根っこの部分にひとを想う優しい気遣いがあるからだろう。
 ひとを想う気遣いと言えば、今日の環もそうだった。
「俺も嬉しいよ。こうして、百くんとゆっくり話す時間が取れて。俺こそ、環くんになにかお返ししないとなあ。岡崎さんと、社長にもきちんと話を通してくれてたなんて」
 雨催いの昼下がり、陽はだいぶ短くなったとはいえ、酒席を囲むにはまだ幾分か早い時間。万理と百は、大衆居酒屋の小さな個室で、差し向かいに座っていた。
 今日の環の、そして百の仕事は、以前に共演した作品のソフト化に伴った宣伝記事の対談だった。いささか珍しい組み合わせとなったのは、その作品『Link Ring Wind』で、環と百が同郷の主従という役柄を演じたことによる。
 グループ、ひいては事務所ぐるみで仲が良く、付き合いも長く、心安い相手だ。対談は和やかに、極めてスムーズに終わり――その後、環が言ったのだ。
『あのさ。今日だけ、バンちゃんをももりんに貸してあげる』
 えっ何? 何の話? と、聞き返したのは百だけではない。万理もだ。彼もまた、寝耳に水だったのだから。
 この対談が決まった日から、計画していたらしい。百の誕生日が近いことで、なにかプレゼントを、と考えるうちに思いついたのだという。
 万理としては、当人でありマネージャーである自分にはあらかじめ話しておいて欲しかったところだが、小鳥遊社長も快諾したとのことで、おそらくはワーカホリックな万理への慰労も兼ねているのだろう。
 百には、推しとの時間を。万理には、休息の時間を。相手を想う、優しい贈り物だ。
「ほんと、びっくりしました。環ってば、今日だけはももりんのバンちゃんってことにしていいよ、なんて言って……オレのバンさん、なんて……うわあぁ……
「百くんに所有格をつけて貰えるとは、光栄だな」
 とととととんでもない、とまた額を卓に擦りつけるのを慌てて止める。
「ごめんごめん、ちょっと調子に乗っちゃった。それより、料理を決めよう」
「はっ、はい! ええと、オレのおすすめは、このへんです」
 年季の入った和綴じのメニューを開き、百がいくつかの料理を指し示していく。ぎんなん串焼き、牛すじ味噌煮込み、鶏軟骨の梅水晶。居酒屋と割烹のいいとこどり、といった趣きだ。
 対談企画の収録スタジオから程近い、駅前商店街の横丁に佇む大衆居酒屋。一階フロアは広く開けたホールとなっていて、地元の常連らしき人々が思い思いにコップ酒を傾けたり、茶色い煮物をつついたり、緩々と漂うように過ごしていた。
 暖簾をくぐった百の顔を見た店員が、心得た様子で案内してくれた中二階には、こぢんまりとした個室が一室だけあった。掘りごたつの床下に足をおさめると、穴ぐらの小動物のように落ち着いて、ふうっと肩の力が抜けた。
「いいお店だね。顔馴染みみたいだけど、よく来るの?」
 万理の言葉に、百はにこにこと笑って、ありがとうございます、と店員めいた応えを返した。
「Re:valeとして活動を始めた頃、ここでバイトをしていて。早い時間から店を開けてるから、ちょっと時間が空いた時とか、別のバイトのシフトの合い間とかに働かせて貰って、すごくお世話になりました」
「へえ。昼から通してアルコール有りで営業しているお店なんだね」
「そうなんです。フルで入ると、昼と夜、まかないが二回出るのも嬉しかったなあ」
 まかない料理もおいしくて、夜はたまに残り物を持たせてくれたりして、と懐かしそうに語る百を眺めながら、ずっと以前――小鳥遊事務所で働き始めた頃に、オフィスのテレビで見たトークバラエティを思い起こす。
 Re:valeは、芸人に混じって、新人のアピール枠としての出演だった。めちゃくちゃ貧乏で、築五十年くらいの事故物件にふたりで住んで、バイトを掛け持ちしています、と。自虐ではあっても決して卑屈にはならず、朗らかに語る百の話術に感心し、その隣でカメラではなく百に目を向け、淡い笑みを浮かべて座ったままの千にやきもきしながら、テレビ用にいくらか話を盛っているとしても、実際、千のお守りをしながら暮らすのは大変だろうな、と遠い景色を眺めるように思ったものだった。
 それが急に、過去から現在へと繋がる、百の――Re:valeの歴史として、目の前に立ち現れた気がした。
 居酒屋でバイトに励み、まかないを大事に持ち帰り、事故物件の安アパートに暮らしながら、燦然と輝くトップアイドルの座へと登り詰めた、Re:valeの百。百のRe:vale。
 過去は現在へと連なり、その先へと進んでいく。
「そんなわけで、この『賄いあら煮』もおすすめですよ! 魚は日替わりで、白髪ねぎをたっぷり添えてくれます。あとは、焼物ならこっちのページの……
 百のメニュー解説が続いていたところに、襖の向こう側から店員の声がかかった。飲み物が来たのだろう。万理はとりあえずのビール、百はこの後の深い時間にまだ仕事があるとのことで、ソフトドリンクを頼んでいた。
 ビールメーカーのロゴが入ったコップとともに、長手盆の上でガチャガチャと音を立てるかわいらしいピンク色の瓶を見て、百が不思議そうに言う。
「あれ? 店長、オレはウーロン茶を頼んでたはずだけど、これって……
 運んできた壮年の男性が、皺の深い顔に茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「ウーロン茶もあるよ。これはうちの奢り」
「まじで? うわあ、ありがと! ガラス瓶のももりん貴重すぎ、っていうかももりん置くようになったんだね」
「たまに昔のことを聞きつけたお客さんが来るからさ。サービスみたいなもんよ。ま、ささやかだけど、お祝いだと思ってくれ」
 お祝い? と、百が首を傾げた。
「何のお祝い? あっ、オレの誕生月だから、バースデーサプライズとか?」
「ええ? 誕生日とか覚えてなかったわ。履歴書見たの、何年前だと思ってんの」
 そう言って呵呵と笑い、膝を進めて、座卓にコップと瓶を並べていく。最後に、百の前に栓抜きを置いた。
「古馴染みと飲むには、泡の出るもんのほうが似合うだろう」
「えっ、……と、店長……バンさ……
――百くん」
 置かれた栓抜きから店主へ、そして、万理へと。迷子のように揺らぎ彷徨う百の視線を受けとめて、穏やかに微笑みかけ、大丈夫だよ、と言った。ついでに素早くウインクをすると、百の顔が微かに赤くなった。てれてれと笑って、栓抜きを手に取る。
「じゃあ、遠慮なくいただきます。店長、ありがとね」
 店主は鷹揚に頷き、ひとつ会釈をして万理の前にもコップを置いた。空になった長手盆を引き寄せ、膝を正して、ゆっくりと口を開く。
……少し前のさ。週刊誌とか、テレビとか。一般人の顔を晒して、下衆の勘繰りばっかりで、うちのかみさんも、古株のバイト連中も、えらく怒ってて」
 まあ俺もね、腹は立ったよね、と。低く穏やかな声で、ひと言ずつ、思い起こしては噛み締めるように。
「でも、探していた人が見つかったことだけは、本当だったらいいなって思ってたんだよ、俺は。だって、百ちゃん、あんなに一生懸命だったもんな。頑張ってたもんな。だからさ。……お祝いさせてくれ。おめでとう、百ちゃん」

 料理の注文を終えて、店主が退室した後。
 並べられたコップのひとつに、百が金色の泡を注いだ。
 もうひとつのコップには、万理がピンク色の泡を注ぐ。
 ふたりともに手に持ち、目と目を合わせる。
「乾杯しようか、百くん」
「はい。あの、乾杯って……
 何に。
 どちらに?
 言葉にはしない問いかけに、万理は、悪戯っぽく笑って言った。
「ここはひとつ、Re:valeに乾杯ってことでどうかな」
……Re:valeに、乾杯?」
 大きな瞳で、何度も瞬きをしながら、百がおうむ返しに呟く。
 それから、ほっとしたように、とても晴れやかに笑って、はい! と元気に返事をした。
 Re:valeに、乾杯! と、ふたり声を合わせ、コップを掲げる。天井の吊り下げ灯が、コップで揺れる金の波とピンクの波をきらきらと透きとおらせて、とても綺麗だった。

 ×     ×     ×

 万理はビールから焼酎のお湯割りを一杯。百はももりんとウーロン茶を料理にあわせて飲んだ。
 お通しの小鉢から始めて、百のおすすめ太鼓判で注文した料理は、焼物も煮物も、蒸し物に至るまで、どれもこれもめっぽう美味しかった。箸が進みすぎて、今日はここまでにしておこう、と真顔で頷きあうほどに。
 伝票は万理が手にした。誕生日プレゼントなんだから、格好つけさせて。それに、ここで奢られちゃったら環くんに申し訳がたたないよ。そう言うと、百は意外と素直に、ありがとうございます、ご馳走さまです、と頭を下げた。――ひょっとしたら、こうなることを見越して、リーズナブルなこの店を選んでくれたのかもしれなかった。
 日が傾くにつれ人の増えてきた一階のホールを早足に通り抜け、厨房で立ち働く店主に目礼をして、店を出る。
 案じていたとおり、雨がぱらつきはじめていた。まだぽつぽつとした小雨だが、垂れ込める雲は厚みを増しており、じき本降りになりそうだ。日の入りを前にして、すでにあたりは仄暗く、通りに立ち並ぶ店の看板にはライトが点りはじめている。
 酔い覚ましがてらに、駅の周辺をふらりと歩く。駅直結のステーションビルは、正面がガラス張りになっていて、吹き抜けのエスカレータースペースに満ちた光が、宵闇に沈みつつある雨の街を照らしていた。
「ユキはあの駅ビル、全フロアコンプしてるんですよ」
 皓々と光るビルを眺めながら、思いついたように百が言う。
「コンプ?」
「ビルのなかに、テナントの求人掲示板があるんですけど、アパートから近いし、手っ取り早く面接が受けられるから、片っ端からバイトに応募して、片っ端からクビになって……一階から五階まで、全部のフロアにそういうお店があるんです」
「なるほど……
 あの千ならば、あの頃の千ならば、さもありなん。
 駅前広場を横切って、懐かしそうにあたりを見まわしつつ、百がぽつぽつと思い出を語る。
 この先にあるリサイクルセンターで家具の抽選を申し込んだけれど、凄い倍率で全然当たらなくて。
 そこの八百屋さんの、見切り品の端切れ野菜でユキが作ってくれたスープ、めちゃくちゃ美味しかった。
 あのへんに座っていた辻占いの人に、事故物件に住んでることを言い当てられて、びっくりしたなあ。

 柔らかく降りそむ雨に紛れて、ひそやかに笑いながら、ふたつの影が通りすぎていった――ような気がした。
 まだ黒い髪の百と、まだ短い髪の千。この街でふたりはともに暮らし、ふたりでともに新しいRe:valeとなっていった。
 ならば万理は、『MEZZO"のマネージャーさん』として。環に、壮五に。百に。推して貰えるように、歩み続けよう。


 隣を歩く百のどこからか、バイブレーションが響いた。
 失礼します、と断りを入れて、百がスマートフォンを取り出す。素早く画面に目を落とし、口もとを僅かに曲げて、ふうっと息を吐いた。
「すみません、そろそろ迎えが来るみたいで。バンさんは、今日はもう帰られるんですよね? 良かったら一緒に乗っていってください。そうしたら、もう少しお話が出来るし、それに……あの、良かったら、ですけど」
 言葉は控えめに、けれど、訴えかけるような上目遣いでそう言われ、笑って頷く。
「そうだね。お言葉に甘えようかな。俺もちょっぴり名残り惜しいし」
「わあ、やった! ありがとうございます、バンさん!」
 おずおずとした表情が、ぱっと輝く笑顔へと変わる。離れがたさも嬉しさも、はっきりと見せてくれるのがいじらしくて、かわいくて、微笑ましかった。
 迎えのドライバーに伝えます、と言ってスマートフォンを持ち直した百を置いて二、三歩先へと進み、会話が漏れ聞こえない程度に距離を取った。通話する横顔を見るとはなしに見守る。メッシュの髪を覆うキャップから雨粒が滴り落ちて、百の肩をじわりと濡らした。細い糸のような雨は、いつしか密度を増して降りはじめ、路上のアスファルトを濃い色に変えつつある。
 ふと、道路の向かいに建つドラッグストアが目についた。店頭の軒先には、色とりどりの傘を並べたワゴンが置かれている。
 しばし思案する。車に乗れば無用になるかもしれないが、安傘の一本、あって悪いことはないだろう。
 百はまだ通話中だった。何やら話し込んでいる様子からして、この後の仕事の打ち合わせをしているのかもしれない。声掛けのタイミングを計っていると、気配を察してか、ちらりと視線を寄越した。買い物、と口だけを動かしながら、ドラッグストアを指差す。小さな頷きが返されたのを見て、歩き出した。
 通行量は多くないが、駅へと繋がる幅広の幹線道路だ。少し離れた横断歩道まで足を延ばし、しっかりと信号を守って道を渡る。
 藍色の長傘を買って店を出ると、道路の向こう側、ちょうど百がスマートフォンをしまうところだった。
 買ったばかりの傘を開き、目深に差して、微笑みながら軽く手を振る。
……百くん?」
 道を挟んだ向かい側、傘越しに透かし見た百の顔が強張るのがはっきりと見てとれた。
 長い手足がしなやかに動いて、一瞬の逡巡もなくガードレールを飛び越える。
 眩く光るヘッドライトが近づき、道路に降り立った百の影を浮かび上がらせた。雨を切り裂いて、鋭いクラクションが鳴らされる。
「百くん!」
 アスファルトを蹴り、四車線の道路をひと息に駆け抜けて、百が飛び込んできた。勢い余って転げそうになるのを、傘を放り出して両手で受けとめる。
「危ないじゃないか! どうしてこんなこと……
「バンさん……!」
 支えた万理の腕に指を食い込ませ、零れそうなほどに目を見開いて、百が叫んだ。
「大丈夫ですか、バンさん!」
「いや、それはこっちの台詞だよ。百くんこそ大丈夫?」
「オレは大丈夫です……大丈夫だった……オレ、ちゃんと、バンさんを、……
 震える語尾は小さく萎んで消えた。掴んでいた指から力が抜け、雨に紛れた雫が頬を伝う。
 落ちていた傘を拾い上げ、差し掛けながら、微かな嗚咽を漏らす背中をそっとさすった。
 この街で千とともに暮らした百を、千とともに新しいRe:valeとなっていった百を、万理は知らない。万理には分からない。彼の負った痛みも、悩みも、何も知らない。
 あえて聞くことはしない。
 きっと、それで良いのだ。過ぎ去ったすべては、今に繋がっている。先へと繋がっていく。
 過去から、未来へと。

 ×     ×     ×

 大きな藍色の傘をふたりで使い、百の迎えが来るという駅前のロータリーへと向かった。
 一般車両の乗降口、小さな庇の下に入ってひと息つく。荷物から乾いたハンドタオルを取り出し、百に手渡すと、ひどく恐縮しつつも受け取ってくれた。
 傘を畳んでいるところに、背後からハイビームの光が差す。パッシングと、短く軽やかなクラクション。迎えの車が到着したのだろう。
 大型ミニバンがゆっくりと寄せてきて、万理と百の前に停車した。運転席のドアが開き、ドライバーが滑らかな動作で立ち上がって、車外へと降り立つ。
 雨よりも真っ直ぐな長い髪が、さらり揺れる。
 立ち尽くす万理と百をかわるがわるに眺めて、殊更に百が手にした青色のハンドタオルをじっとりと眺め、ドライバー――Re:valeの千は、小さくため息をついた。
「ちょっと、万。前も言ったと思うけど、うちのモモ、泣かせないでくれる?」
……は? 千? なんで?」
 思わず隣に目を向けると、まだ赤い目のまま、百は困ったように、少し申し訳なさそうに笑っていた。つまり、彼は知っていたのだろう。迎えのドライバーとはすなわち千であると。
「なんで? じゃないでしょ、迎えに来てやったのに。僕の車で環くんを送った後、もういちど事務所に戻って、わざわざ社用車に乗り換えてさ。まあ、全部モモの頼みだし、モモのついでだけど」
……環くんも、お前が?」
「モモから連絡があった時、ちょうど事務所に居たから。気分転換にね」
 なんということもない口調でそう言って、もうこの話は終わったとばかりに万理から目を逸らし、隣の百へと向けた。
――モモ」
 短く名を呼び、確かめるようにじっと見つめる。その視線を正面からふわりと受けとめて、百は何故だかはにかむような笑みを浮かべた。
「ユキ、ごめんね、心配かけて。バンさんに泣かされたわけじゃないよ。このあたりを歩いていたら、なんだかすごく懐かしくて、いろいろ思い出しちゃって……嬉しかったんだ」
「嬉しかった?」
「うん。嬉しかった!」
 言葉のとおりとても嬉しそうに、百がまた笑う。目尻に涙の名残りを残しながら、不思議と清々しくて、ひと足さきに雨の上がったような笑顔だった。
 千が、少しだけ頬を緩める。
「涙もろいモモらしいね。僕はあんまりこの街、特にこの駅ビルには良い思い出がないけれど」
「じゃあさ、良い思い出に変えちゃおうよ。ネクリバの企画でお世話になりましたスペシャルやるのはどう? バイト先のお礼参り!」
「お礼参りの意味、それでいいの? 金属バットが要るやつ?」
「どっちかっていうと、うさぎ人間かな。あっ、うさぎの着ぐるみを着てバイトするのもいいかも?」
「うさぎの着ぐるみ……確認だけど、それ着るの誰? 僕じゃないよね? そんなかわいく笑ってもごまかされないからな」
 息の合った会話、軽口の応酬。遠慮のない、いつもどおりの空気が、いつもより少しだけ優しい千の声が、百の涙を乾かしていく。見る者の心も、温めていく。
 ――千を見て、そんな風に感じる日がくるとは、思いもしなかった。

 喧々と言いあうふたりをしばし眺めて、ふと、頭上を仰ぐ。
 雨の降る空を、泳いでいく鳥が見えたような気がした。
 比翼――いや、双翼の鳥だ。ゆったりと、力強く。どんな天気の空であっても、どんな色をした空であっても、ふたつの翼を大きく広げ、渡っていく。
……Re:valeに、乾杯」
 聞こえないようにこっそりと、口の中だけで呟いた。
 誕生日、おめでとう。
 誕生してくれて、ありがとう。

 Re:valeの百くんへ。
 百くんのRe:valeへ。


〈Fin〉