ugatuno
2025-12-05 19:00:00
5956文字
Public 二次小説
 

その心臓は世界のかたち 21話


 
窓のカーテン越しに、朝の光がうっすらと差し込んでいる。
唐突に、エンマダイがジンペイの病室を訪れた。
「顔色が戻らないな。……横になっておけ」
「元気そうに見えない?」
「見えない。どこからどう見ても」
エンマダイは足音を立てずにベッドの近くまで来て、カルテのようなものに一瞥をくれる。
――“次”が来たら、意識は戻らない可能性がある。……そういう状態だ」
……そうか」
「今はまだ、“人間の体”で踏みとどまっている。でも、限界は近い。“器”である以上、逃れられない構造だ。わかるな?」
ジンペイは黙ってうつむいたまま、枕元のイヤーカフに手を添える。
……で、どうすればいいんだよ」
「何もしなくていい。お前が決めることじゃない。……まだな」
……“まだ”?」
「時期が来れば話す。“お前を生かす”ことと、“お前を止める”こと、両方の準備は進めている」
その言い回しに、ジンペイが僅かに眉をひそめる。
「“止める”?」
「器の維持に失敗すれば、内部が崩壊する。“外側”も巻き込む。そうなれば、誰も助からない。……だから、事前に処理する手段が要る。それだけの話だ」
……冷たいな」
「そうかもしれないな。ただ、俺は“選ばせる”主義だ。“強制”しないぶん、まだ人間らしいと思ってくれ」
エンマダイはそれきり何も言わず、踵を返す。
ドアの前で立ち止まり、背を向けたまま声だけを残す。
……少しでも眠れ。“まだ大丈夫”って顔をしてるうちは、“まだ無理がきく”と思ってしまうからな」
そして、ドアの外へ。
部屋に再び、静寂が落ちる――
 
 ――――

——エンマダイが部屋を出ていったあと。
ジンペイは、しばらく何も言わなかった。
ただ、ぼんやりと天井を見ていた。
どこか、見えないものを探すような目で。
握りしめたシーツの皺が、ゆっくりと、少しずつ緩んでいく。
その手が震えてるのは、寒いからか、それとも——
…………
静けさの中、かすかに、ジンペイの喉が鳴った。
何かを言いかけたけど、声にならなかった。
……俺、ってさ……
ぽつりと言葉が落ちた。
誰に話すでもなく、ひとりごとのように。
「ほんとに……戦いたくて戦ってたのかな」
苦しそうに、眉が寄る。
体じゃない。今は、心のほうが痛い。
「父さんみたいになりたかっただけで……でも、それって俺の意思だったのか……?」
息が浅くなる。胸の奥が、鉛のように重い。
考えれば考えるほど、足場が崩れていく。
……俺の“強さ”って、最初から……どこまでが、俺のもんだったんだろ……
「“ジンペイ”って、誰なんだろうな……
掠れるような声が落ちる。
誰にも見せなかった“本当の弱音”だった。
ジンペイはそっと目を閉じた。
なかったことにしようとするように。
でも、さっきまでの会話が、耳の奥でこだまする。
……このままでは、人間のままではいられないかもしれない」
「決めるのはお前だ」
——決めるのは、俺。
なら、俺はどうしたいんだ?
心臓の奥、
――そこに埋まった“器”が、
ギリ、と音を立てて軋んだ気がした。




「俺が……俺としていられるのって、どこまでなんだろ……
喉の奥が焼けるように熱くなって、
声を出すたび、咳き込むのをこらえるように唇を噛む。
「人間やめろって言われてるみたいだったな……あれ……
笑おうとしたけど、出たのは、かすれた、空気の抜ける音だった。
……いや、違うか。俺が勝手に……そう思っただけか……
——そう。エンマダイは、何も強制していない。
ただ、事実を提示しただけ。
それだけなのに、どうして……こんなに、苦しいんだ。
……決めるのは俺、ってさ……
「そんなの、……誰にも、決められないのに……
ふいに、ぐらりと視界が歪んだ。
頭の奥に、ズンッと鈍い重み。胸のあたりも、また始まった。
ぎゅう、と握りつぶされるような重圧。
「っ、ぐ…………!」
喉をついて、咳がこみ上げる。
体を少し起こしかけて、それすら叶わず、ベッドに沈む。
視界の端が、白くチカチカする。酸素が薄くなるような、妙な感覚。
さっきまで平静を保っていた顔が、苦痛で歪む。
……ちょっと、ヤバい、な……これ……
冗談めいた言葉が、口から漏れる。
けど、茶化す余裕なんて、もうほとんどなかった。
……誰か……
誰でもいい。
今だけは、ひとりでいたくなかった。
でも、声はかすれて、部屋には響かない。
——そのまま、ジンペイは胸元を押さえて、震える指先で、何かにすがるように、もう片方の手でシーツをぎゅっと握り締めた。


静まり返った病室。
目を閉じると、耳鳴りが強くなった。
……何も聞こえないのって、こんなに怖かったっけ)
冷たい汗が頬をつたう。
手足が冷えて、息もうまく吸えなくなってきた。
「ダメだな…………
かすれた声は、自分の耳にすら届かない。
……誰か来るって……思ってたのに……
少しだけ、涙が滲む。
でも、泣くほどの力ももう残っていなかった。
ギュッと胸を押さえたまま、何度も何度も、浅い息で耐えようとする。
——そのとき。
……ジンペイくん!?」
病室のドアが乱暴に開いた。
……っ、ジンペイくん、大丈夫!?」
駆け寄ってきたのは――コマくんだった。
「ごめん、朝、気になって……様子見に来たんだけど……
——ベッドの上のジンペイを見て、コマの表情が固まる。
ぐったりと力なく沈み込んだ姿。
呼吸は浅く、胸を押さえたまま冷や汗を流している。
……ジンペイくん……これ、ほんとに、ヤバいやつじゃん……!」
コマが慌ててナースコールを押しながら、片手でジンペイの肩を支える。
「ジンペイくん、……ねぇ、声、届いてる?」
少しだけ、ジンペイが瞬きする。
……コマくん……
わずかに目を開けたジンペイの瞳は、安堵と、申し訳なさと、弱音が混ざったような色をしていた。
……ごめん……ほんとは……ずっと……つらかった……
コマが、そっと手を握る。
……うん、わかってる。でも今は、謝らなくていいから――ちゃんと助け呼ぼう?」
ジンペイの指が、ほんのわずかに動いた。
握り返す、力もなかった。
けど――コマくんが来てくれた。
それだけで、少しだけ、ジンペイの呼吸が静かになった。



……ジンペイくん、ほら、水……
コマがストロー付きのコップをそっと差し出す。
ジンペイはわずかに顔を横に振った。
……いらない、気持ち悪いから……
かすれた声。
言葉の終わりが、震えていた。
……吐き気もあるんだね。うん、無理しないで」
コマはそう言って微笑んだ。
だけど、その手はずっとジンペイの額を拭い続けていた。
……ほんと、バレんの早いな、コマくんは……
「えっ?」
「俺さ、もうちょい、隠せると思ってたんだけどな……まだイケるって……思ってたんだけど……
そう言って、ジンペイは少し笑った。
でもその笑みは、すぐに苦痛に歪む。
……っ、ああ……く、っ……!」
再び、胸を押さえて身をよじる。
枕元のシーツを握る指に、うっすらと血の気が引いていた。
「ジンペイくん……!」
——胸の奥で、何かが強く締めつけるように脈打つ。
呼吸が早くなり、意識が少しずつ曖昧になっていく。
「(これ……ダメなやつ……かも)」
視界がゆっくりと暗くなっていくのを感じながら、
ジンペイは、静かにまぶたを閉じようとする。
「ダメ! ジンペイくん、目、開けて!」
コマが必死に呼びかける。
「もうすぐ先生たち来るから……! お願い、もうちょっとだけ頑張って……!」
その声も、もう、遠くて。
——ジンペイは、
ただ胸を押さえたまま、静かに、
少しずつ意識を手放していった。

ナースと医療スタッフが駆けつけ、
病室は一気に緊迫した空気に包まれる。
コマはベッドから少し離れて、ただ祈るように立ち尽くしていた。
……ジンペイくん……お願い……



病室の朝。窓の外は眩しく、太陽の光が静かに差し込んでいた。
ジンペイの呼吸が浅い。
まぶたは閉じていて、でも眠っているわけじゃない。
コマはずっと、ベッドの横の丸椅子に座っていた。
夜中に少しだけ意識が戻ったとき、手を握ったままジンペイに声をかけたけど、返事はうわの空だった。
今も、コマの手の中には、少し冷たいジンペイの手がある。
ぬくもりは、かろうじて生きている証みたいだった。
……ジンペイくん、少しは楽になった……?」
問いかけは小さな声で。
応えるように、ジンペイの眉がほんのわずか動いた。
……コマ……くん……
その声は、いつもの元気な響きじゃない。
かすれて、震えて、ただ苦しげだった。
「うん、ここにいるよ。大丈夫。もう、無理しなくていいからね」
ジンペイは、うっすらと目を開けた。
焦点は定まっていない。
「あは……そっか……また見られちゃったか……
と、弱々しく笑ってみせるけど、それは明らかに作られた笑顔だった。
……何が『見られちゃったか』だよ……
コマの声が震える。
……もう、ずっと前から……無理してたくせに」
ジンペイは答えない。
胸に手を添えて、じっと息を吐いている。
何かを堪えるように、何かを閉じ込めるように。
――そこへ、静かなノックの音。
……入るぞ」
ぬらりの声。
そして、すぐあとに続いて――
……まだ、意識はあるな。間に合ったか」
低く淡々とした、エンマダイの声が病室に差し込んだ。


  病室のドアが静かに開いた。
先に足を踏み入れたのは、長身の男。
ぬらりは、変わらぬ冷静な目でジンペイの様子を一瞥すると、何も言わず、そっとベッドに近づく。
その後ろに続くエンマダイは、わざとらしい冗談のひとつも口にしないまま、無言で立ち止まった。
……状態は?」
エンマダイの声は、思ったよりも低く、固かった。
ぬらりが簡潔に答える。
――限界寸前です。……いや、もう越えているかもしれません。目を離していたのが失策でした」
……ああ。そうかもな」
エンマダイは歩を進め、ジンペイの真横に立つ。
……よう、ジンペイ。まだ喋れるか?」
……エンマ……ダイ……
ジンペイはかすれた声で返すが、その目は焦点が定まらないまま天井を見ている。
口元には、かすかに笑みを浮かべて――けれど、笑ってなどいなかった。
……へへ、大丈夫……俺、ちょっとだけ、疲れてるだけ……だからさ……
その一言に、エンマダイは表情を変えず、ぬらりの方を見る。
……心臓ですね。中心部に負荷が集中している。“器”としての共鳴が起きているようです」
「もう誤魔化しは効かないな……出力が完全に限界を超えた。……処置する。今すぐに」
エンマダイは即断した。
「時間がない。ぬらり――封印術の補助を」
「御意」
ぬらりが上衣の裾から、封印用の符を取り出す。
エンマダイは、まるで躊躇うことなくジンペイの胸元に手を伸ばした。
――強制的に、器を鎮静状態に落とす。ジンペイ、お前の意思は関係ない。これは“処置”だ」
…………っ」
エンマダイの手が触れた瞬間、ジンペイの身体がビクリと震えた。
胸の奥から、何かが暴れようとする気配――
「ッ……が、ッ……ッ、ぅ……!」
呼吸が、急激に乱れ始める。
まるで喉元を絞めつけられるような苦悶の吐息。
コマが思わず、椅子から立ち上がった。
「ジンペイくん!? な、なに、今の……!?」
「下がれ、コマ。これは……“中身”が暴れているのだ」
ぬらりの言葉は落ち着いていたが、その手つきは迅速だった。
――指先がわずかに震えていた。けれど誰も、その震えを見てはいない。
封印符を額と胸に貼り、即座に術式を展開していく。
「鎮めろ、ぬらり。……俺は、核心を封じる」
エンマダイの指先が光り、ジンペイの胸元に淡い光が流れ込んでいく。
だが、それに反応するように、ジンペイの身体が再び大きく跳ねた。
「っ、ぅ……ああ……ッ!」
苦しげに胸を押さえ、唇を噛む。
その痛みは、もうただの負荷ではなかった。
――器が、限界を迎えようとしていた。


ぬらりの術式が、最後の封印符にまで及んだ瞬間――
エンマダイの掌が、ジンペイの胸に淡く深い光を送り込む。
その光は、暴れる「何か」をじわじわと包みこみ、まるで深い霧の中に沈めていくように、静かに、確実に沈静化していった。
……終わったか」
エンマダイが、ようやく手を引く。
ジンペイの呼吸が、かすかに整いはじめる。
………………っ」
意識はまだ戻っていない。
まぶたがうっすら開いていても、焦点は虚ろで、まるで夢の中をさまよっているようだった。
「ジンペイくん……!」
コマが、ベッドの縁に手をかけて身を乗り出す。
ジンペイの視線が、ほんの一瞬だけコマの方向をかすめ――
……コマ……くん……?」
「うん、僕だよ。もう、無理しなくていいから……
……おれ……だいじょうぶ……だから……
――いつもの口調だった。
けれど、そこには張りつけた元気も、明るさもなかった。
空っぽの声だった。
「嘘つかなくていいよ……
 コマの声は震えていた。
……へへ……ごめん、な……
そのまま、ジンペイの瞼が、ゆっくりと閉じていく。
……ジンペイくん……?」
名前を呼んでも、もう反応はない。
それでも、呼吸は――ある。
命は、まだここにあった。
けれどその顔には、痛みを乗り越えた安らぎでも、眠るような穏やかさでもなかった。
ただ、深い疲労と、昏い重さだけが残っていた。
……しばらく目を覚まさないだろう。あれだけ“器”を酷使していればな……
その声音に、聞き慣れない掠れが混じった。
ぬらりの言葉に、エンマダイは静かに頷く。
……目を覚ましても、“前と同じ”ではいられないかもしれない。……それでも、まだ人間だ。今のところはな」
その言葉を聞いたコマの肩が、かすかに揺れた。
ただそっと、ジンペイの手を包む。
その手は、いつものようにあたたかくはなかった。
でも、手放したくはなかった。
――まだ、ここにいるから。



病室からエンマダイとぬらりが去ったあと。
照明の落ちた廊下で臼見沢が記録をとっている。
……彼の“器”は安定しましたか?」
ぬらりが頷くと、臼見沢は静かにメモを閉じた。
……本当に、これでよかったんでしょうか」
二人の背中を見送りながら、誰にともなく呟いて、歩き出す。