ugatuno
2025-12-26 19:00:00
2957文字
Public 二次小説
 

その心臓は世界のかたち 24話



——次の日の午前。雨上がりの雲が、窓の外に薄くかかっていた。
ジンペイはベッドに横たわったまま、静かにまぶたを開く。
ほんの少しずつ回復してきたとはいえ、朝の身体はまだ重い。
胸のあたりが、じわりと重苦しい。まるで、冷たい鉛を流し込まれたような、そんな圧迫感。
呼吸も浅く、喉に微かな乾きを覚える。
……起きたばっか、なのに……もう、しんど……
ゆっくりと体を横に向けようとした——その瞬間、
……っ」
ズシン、と心臓の奥で何かが沈み込んだ。
「っ…………、あ……っ」
——握られるような感覚。中から何かが、心臓を掴んで、じわじわと締め付けてくる。
ジンペイは無意識に胸元に手をやった。そこに何もないのは分かってるのに、何かに縋らずにはいられなかった。
……やべ……また……来る……
頭がぼうっとして、視界の端が滲む。
耳の奥で、心拍音だけが妙に響いていた。
「っ……く、そ……
苦しさに耐えながらも、ジンペイはなんとか右手を動かし、ナースコールのボタンを探る。
けれど、指先にはほとんど力が入らない。
……マジか……こんな、ちょっとしたことで……
押せない。
ただ、それだけのことが、どうしてこんなに遠く感じるのか。
「っ、は……、ぅ…………!」
呼吸が浅くなる。
喉の奥から、かすかな喘鳴(ぜいめい)が漏れる。
ちょうどその時だった——
「ジンペイ君っ!」
扉が開いて、コマの声が飛び込んでくる。
コマは手に花瓶を抱えたまま、ジンペイの顔を見て、そのまま花を落とした。
——駆け寄る。
……だめだ、また発作……!」
迷わずナースコールを押し、ベッドの脇に膝をつく。
……ジンペイ君、大丈夫、大丈夫だよ……!」
——でも、ジンペイの表情は苦しげなまま。
薄く開かれた瞳が、焦点の定まらないまま宙をさまよう。
…………ごめ…………
かすれた声。喉の奥から、血のにじむような咳が漏れた。
「っ——!」
コマはすぐに枕元のティッシュを引き寄せ、ジンペイの口元を押さえた。
布の白が、わずかに赤く染まる。
看護師が駆け込んでくる。コマはすぐにベッドを譲り、少し離れた椅子に腰を落とした。
——その間も、ジンペイの息は浅く、肩が小刻みに震えていた。
……また、だ……また遠ざかった……
目を閉じながら、そんな声が頭の中をかすめる。
……戻れるのか、こんな身体で……
(俺って……ほんとに……
意識が、遠ざかっていった。
 ――――
 
——病室に入った瞬間、直感で分かった。
「あ、ダメだ」
ジンペイ君が、苦しんでる。
ベッドの上。横たわったまま、胸を押さえて、呼吸が浅くて、手が……震えてた。
目は開いてるのに、どこも見てなくて。
耳には、ジンペイ君の荒い息と、心拍モニターのアラーム音が混ざって響いてた。
——瞬間的に頭が真っ白になった。
……ジンペイ君っ!」
声が出たときには、もう走ってた。
手に持ってた花瓶なんか、いつ落としたのかも覚えてない。
ただ——あの顔が、怖かった。
普段のジンペイ君じゃない。
いつもの軽口も、笑いも、強がりもなくて。
ただ、苦しそうで、弱々しくて。
……こんなの、見たくなかった……
ナースコールを押して、口元を拭って、できることは全部やったつもりだった。
でも、それでも。
……ごめ…………
って、あんな声で、あんなふうに言われたら。
……謝らないでよ……っ)
こっちが、泣きそうになるじゃないか。
——医療スタッフが駆け込んできて、ジンペイ君の周囲に集まっていく。
僕は邪魔にならないよう、椅子に腰を落として、震える手を握りしめることしかできなかった。
……苦しいの、ジンペイ君なのに……
……なんで、こんなに僕のほうが……悔しくなってるんだよ……
今までだって何度も、倒れるジンペイ君を見てきた。
なのに、今日のは違った。
ほんの少しずつ、良くなってきたと思ってた。
昨日は、スープも飲めた。
笑ってた。手も伸ばしてくれた。
それが、今日またこんなふうに崩れるなんて。
……戻ったみたいだ。あのときに)
——あの夜。
器の負荷が限界を超えて倒れて、必死で呼吸してたときの、あの光景。
あのときは、怖くて、ただ「死なないで」って、祈るしかなかった。
そして、今。
またその祈りが、喉元までこみあげてくる。
……ジンペイ君……
静かに名前を呼ぶ。
彼に届かないって分かっていても、どうしても言いたくなった。
……ごめん、ね……。僕……なにもできないな……
花瓶は、床に落ちて割れていた。
でも、そんな音よりもずっと——
ジンペイ君の、浅い呼吸の音のほうが、痛かった。
……お願いだから、負けないで……
心の中で、何度も願う。
……どんなに時間がかかってもいい。どんなにカッコ悪くたっていい。……だから——
……生きて、いてよ)
 
――――
——ジンペイがうっすらと目を開けたのは、しばらく経ってからだった。
……ジンペイくん……?」
僕は、できるだけ小さな声で呼びかけた。
耳元で名前を呼ばれるのって、きっと、目を覚ましやすいと思ったから。
…………
弱々しいけど、ちゃんと返事があった。
それだけで、少し安心した。
……大丈夫?」
ジンペイくんはゆっくりとまばたきをして、天井を見つめたまま、小さく首を振った。
……ちょっと、……変な感じ。……起きてるのに、起きてないみたいな……
……そっか。でも、ちゃんと目、開いてるよ。……僕には、ちゃんと“起きてるジンペイくん”に見える」
僕がそう言うと、ジンペイくんは、かすかに笑った。
でも、その笑顔には、まだ芯が戻ってない。
……頭、ぼーっとするし……体も、まだ重い……でも……
「でも?」
……コマくんの声、ちゃんと聞こえるから……
……うん」
言葉の続きを待つ僕に、ジンペイくんはほんの少しだけ目を細めた。
……安心した……かも」
その一言が、胸にきた。
なんだろう、ちょっと、泣きそうだった。
でも、泣いたらきっと、ジンペイくんは困る。
だから、代わりに笑った。
「僕も、安心したよ。……目、覚ましてくれて、ありがとう」
……はは……なにそれ……俺、死んでたみたいな言い方……
……ちょっと近かったと思うよ?」
…………
ジンペイくんは視線をそらした。
自分でも、冗談にならないってわかってたみたいだった。
……でも……戻ってきてくれて、ほんとによかった」
僕がそう言ったとき、ジンペイくんは、ようやく僕のほうを見た。
……俺、戻ってこれた……かな……?」
「うん。……ちゃんと、ここにいる。……ほら」
そっと、ジンペイくんの手を取る。
細くて、まだ力がないけど、でもちゃんと温かい。
「この手があるってことは……もう、大丈夫ってことだよ」
ジンペイくんは、何か言いたげに口を開きかけたけど、結局、何も言わずに、目を閉じた。
そして、僕の手を、ほんの少しだけ、ぎゅっと握り返した。
それだけで、今日はもう、十分すぎるくらいだった。
弱いままのジンペイくんを、僕はちゃんと受け止めたいんだ。