望月 鏡翠
2025-11-15 00:49:07
997文字
Public 日課
 

#1905 リュネストの領地で、ある日のこと5

#毎日最低800文字のSSを書く/我らが王の身罷りて 二次創作

 目覚めかけた意識に、声を潜めた子守唄が聞こえた。柔らかい温もりがトルガの頭を支えている。指先が、 黒い巻き毛を弄んでいた。
……起きた?」
「ああ」
 朝になっている。外の明るさと、窓の外から聞こえる海鳥の声で、そうとわかった。
 従者の男は、さぞや怒っていることだろう。トルガがどこにいるかなど、一番の新入りの娘でも知っている。歌が聞こえたどこかの酒場か宿屋。朝になったら窓が開く部屋にいる。
 夜の楽しみに、後ろ暗いところはない。一晩楽しんだあと、そそくさと宿を後にすることはしないし、酒に頭をやられて昼過ぎまで眠っていることもない。
「あんた、貴族になったんでしょ?」
「そうらしい。全く重たい荷物を背負わされたよな」
「軽そうに見えるけど」
 そう見えるならば、光栄だ。
 不本意ながら、リシーの連中には見る目があったということだ。
 国を治めるのがもう少し蒙昧な連中だったなら、生きるのは楽だっただろう。貴族連中も本国の人間も、騙し仰せて手のひらで転がすことができるほど簡単ではない。
 船の上で綱渡りをするような命をかけた曲芸を、ずっと続けている。
 女は聡い方だが、トルガが今背負っていることを理解できるほどではない。そして部外者に、そんなことを話していいわけもなかった。
 だから代わりに、髪を弄ぶ指を引き寄せて口づけるだけにした。
「それだけお前が好きなんだと、思ってくれないのか?」
「心配してるのよ。貴族の責務とか、色々あるんでしょ。いいの、港の女なんかで」
 彼女が思い浮かべる貴族の責務とは、妻を娶って妾を作り血筋を残すことなのだろう。それも間違いではない。トルガもそうした責務から生じたのだろう。
「貴族の女になりたかったか?」
「少しだけ」
「やめとけよ。俺は何をされても怒らないが、自分の女と子供が死ぬことだけは、耐えがたい」
 この国で貴族にいる限り、敵わない夢だろう。家族というものになってみたい。妻や子供に、自分よりも長生きしてもらうこと。
「でも、トルガ。あたしが死んでも泣かないでしょう?」
「そうだよ」
 あえて、否定はしなかったし、それは真実だった。
「ふふ、ひどい男」
 彼女もそれはわかっていて、傷ついた顔もしなかった。
「臆病な人」
「他のやつには秘密にしてくれ」
「きっと全員にそう言うわ」
 それもまた、トルガは否定しなかった。