ステージで唄う若者と、実際に聞こえてくる歌声は違う。指の動きも口の動きも合っていないが、それを気にするには客の男たちは酔いすぎていた。 気づく者がいたとして、そこから「もしやあの声の主はさる貴族で、人前に出ると不都合があるから隠れて歌いに来ているのだろうか」などと推測するのは流石に論理の飛躍がすぎる。
貴族は船乗りなどのためには歌わぬものだ。これはバンデイアだけの常識ではなく、レシーでも変わらない。貴族の手にする音楽というものは、サロンの中で、少数の選ばれた教養人のために差し出されるものだ。そのために腕を磨くことを、音楽の道に進むことだという。
酒場で、船乗りのために奏でられる音は、では一体なんなのだろう。そっと舞台の袖から店内を見る。
まだ民草に不安は広がっていないように見える。船乗りが多い港町と内陸では状況が違うということは考慮に入れなければならないが、誰が王になるのかという貴族たちの緊張と不安は、まだここまでは広がっていないらしい。
あとは物の出入りも確かめておかねばならないが、酒場で客席を観察していてもわかるものではない。それこそ席を同じくしなければならないだろう。人の見知る顔だとは思っていないが、万が一ということもある。
それに、顔が分からなくとも船乗りでないことは、指先や肌や髪を見ればすぐにわかってしまうものだ。
トルガは数曲、気分が良くなるまで唄うと、二階に上がった。
お馴染みの女は、客を取らず部屋で待っていた。
「他の子も呼ぶ?」
トルガの好色を知る彼女は、気を悪くするでもなくそう訊ねた。
「いいや、お前だけがいい」
「あら、ふふ」
笑うようなことは言っていないと思ったのだが、女はおかしそうに笑う。トルガはベッドに身を横たえながらその真意を問うように、横顔を見上げる。
「あなたほどの人でも、仕事で疲れると精力が衰えるのね」
「お前なぁ、後悔するぜ」
揶揄うような言葉にやり返すように、腕の中に抱き寄せる。
その気になればうんざりするほど、確かめさせてやることができるのだ。
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