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もち屋
2025-11-14 03:24:46
25711文字
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ファイモス
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EveryDayDreamHour
3.7後ファイモス
ピノコニーでデートをしていたら、ファイノンが小さくなってしまった話。大体ドタバタラブコメ。捏造と妄想多め。
ファイノンが小さくなった。
宴の星に訪れ、黄金の刻で観光を楽しんでいた矢先のことだ。ファイノンがくしゃみをした瞬間、軽い爆発音と共に煙が辺り一面に立ち込め、煙が収まった頃には白髪の少年だけが残されていた。先ほどまで自身の隣に並び立っていた男の姿は、影も形もない。
どうしてこんなことになってしまったのか。
美しい夢の世界では何でも起こり得ると耳にしたことはあるが、まさか本当に珍妙な事態に行き当たるとは。
「
……
ファイノンか?」
「
……
ああ。どうやら、愉快な出来事に巻き込まれてしまったみたいだ」
あはは、と困ったように笑う少年の頬は丸く、声もいつもより高い。背丈は自身の膝ほどもなく、やわらかな指先に鍛錬の形跡は刻まれていなかった。困惑するように下がった眉は、この状況をうまく飲み込めていないようで。小さくなってしまった手を緩く握ったり開いたりしている。
そのうちに、何かを思いついたのか服のポケットをひっくり返し始めた少年を横目に、モーディスは石板を開いた。
美しい夢の中での類似例がないかと検索しようと指先を動かして、ここがオンパロスではないことを思い出す。開拓者とのチャットは繋がるものの、ディアディクティオへのアクセスはできない。
そういえば事前に説明を受けたな、と思い出して石板を閉じたところで、目当てのものが見つからなかったのか、がっくりと肩を落としたファイノンが弱ったような声を上げた。
「ダメだ
……
石板がない。すまないモーディス、相棒に連絡を取ってくれないか?」
この大きさに変化するのと同時に、服装もオクヘイマによくある形式の子供服へと変わっていたからなのだろう。美しい夢の中でも外の世界と連絡が取れるように、と持ち込んだはずの石板が無くなっているらしい。
分かった、と頷いて開拓者へとメッセージを送ると、間を置かずに返答がくる。
『姿が変わるのはよくあることだから、気にしなくていいよ』
曰く、美しい夢の中では日常茶飯事なのだとか。
共感覚夢境の中では、誰もが自分の思い描いた姿になることができる。幼い姿になることも、動物になることも。無機物へと変身することだってできるのだから、何かの衝撃で幼くなろうとも、所持品が消えようとも問題がないのだと。天外に存在する夢のような世界は、どうやら言葉通りのものらしい。
『放っておいたらそのうち元に戻るよ。頑張ってイメージした方が早いかもしれないけど』
『そういうものなのか』
『うん。なんならモーディスもキメラにでもなってみたらいい。想像したらちょっと面白くなってきた』
『
……
今はやめておこう』
『そっか、残念』
感謝の言葉でチャットを閉じようとしたところで、開拓者から次々と宴の星の観光スポットが送られてくる。ファイノンには事前に共有してたんだけど、石板無くしちゃったならモーディスにも、とのことだ。
クラシックスラーダは美しい夢の中でしか飲めない、とか。星空を仰ぐケーキは必見だ、とか。オススメのスポットがひっきりなしに届き、端末が忙しなく通知音を響かせている。
『あと、エディオンパークにあるUFOバーガーは絶品だ。一度食べるといい』
『分かった、覚えておこう』
『あ、そうだ。パークの中でドリームアイスは食べちゃダメだからな。大変なことになる』
続けて、慌てたようなアライグマのスタンプが送られてくる。これでおすすめスポットの紹介は終わりなのだろうか。ひとまず落ち着いた通知を前に返事を打とうとしたところで、新たなメッセージが届いた。
『それと、丹恒がヘルタに連絡しておいてくれたってさ。何かエラーがあったらすぐに対応してくれるみたい』
開拓者とのやりとりを見かねたのだろうか。モニタリング上の問題はないらしいよ、と続けられた言葉に安堵する。どうやらファイノンが小さくなることはエラーに含まれないらしい。
『手間をかける』
『どういたしまして。まあ、あんまり構えず気楽にデートすればいいんじゃないか? 大抵のことはどうにかなるし』
これで本当に送りたかったものは最後なのだろう。『必見の絶景スポット!』と注釈のついた地図と共にキメラのスタンプが返ってきて、開拓者がオフラインになる。
そのまま石板を閉じようとしたところで、わずかに端末が震えた。
丹恒からも念の為、という前置きと共にメッセージが届いている。樹庭と宇宙ステーションの両方で俺たちの状況をモニタリングしているから、安心して欲しいとのことだった。
美しい夢の中ではおかしなことも多く発生するが、慣れてくれ。と続けられたメッセージには彼の苦労が滲んでいる。丹恒がそういうのであれば、そこまで深刻に捉えるほどのことでもないのだろう。感謝を返せば、問題ない、とスタンプが返ってきた。
今度こそ端末を閉じれば、足元にいた白髪が待ちきれないといった顔でこちらを見上げていた。
「相棒と連絡はついた?」
「ああ。ここではよくあることだから、気にせず観光を楽しんで問題ないと」
「よくあること、で済ませていいのか
……
? 相棒がそういうのなら、受け入れようと努力はするけどさ
……
」
頬をふくらませ、小さく唸るように言葉を落とす姿は子供にしか見えない。本人としてはやはり不服ではあるようだ。
「この空間では願った姿になれるとも言っていた。元の姿をイメージしてみるのはどうだ?」
あくまで、今自分たちが普段と変わらない姿をしているのは、それが一番自分をイメージしやすいものだからだ、と丹恒が言っていた。美しい夢の中で、動物や無機生命体になることを楽しむ者もいると聞く。
「一応さっきから試そうとはしているんだけど、全然上手くいかないんだ。君だって、今の姿から変化させるのは難しいんじゃないか?」
できるならとっくにしている、と肩を竦めるファイノンは、自分が子供の姿になったショックはなかなか抜けないよ、と言い訳じみた言葉を続けた。なるほどたしかに、自身の状態を認識した上で別のイメージで上書きするというのはなかなかに難しい。一度そうであると理解してしまった以上、固定されたそれを払拭するには訓練を要するのだろう。夢境に長く留まっている者であればできるのだろうが、あいにくと俺たちは初めてこの世界に足を踏み入れたばかりだ。一朝一夕で常識を塗り替えるようなことはできそうにもない。
この姿だとちょっと困るんだけどなぁ、と頬をかくファイノンは、普段よりもかなり視線が低い。
抱き上げてやろうか? と問えば冗談はよしてくれ、と弱ったような声が落ちる。別に冗談のつもりはなかったのだが、まぁ奴としても子供扱いは受け入れ難いのだろう。ましてや、不可抗力でそうなってしまっているのだから、なおのこと。
どうしたものか、と考えていると不意に隣から腹の音が響く。時間感覚が曖昧だったが、石板に表示されている時刻としては、そろそろ昼時に差し掛かる頃合いだ。
「とりあえず、ご飯でも食べに行かないかい?」
相棒から店を教えてもらったんだ、と言いながら差し出してくる手を握り返す。人が多いからはぐれないように、と繋いだもののやはり身長差があるせいか腕を上げているファイノンは少し辛そうだ。オクヘイマで子供達に付き合っていた時はどうだったかと思い返してみたが、基本的に彼らと手を繋いだことはない。様子を見て気遣ってやるか、と結論づけて、ファイノンに合わせて歩調を緩めた。
◆
レストランよりは手軽に食べられる屋台の方が良いだろう、とエディオンパークへ移動したところで、モーディスは自身の目を疑った。
パラソル席に見慣れた白髪が座っている。元のファイノンの姿をしているそれは、白の鎧をきっちりと着込んだ姿で机の上のカラフルな料理を黙々と口に運んでいて。思わず自分のそばにいる少年へ視線をやれば、同じようにこちらを見上げてくる空色と目があった。
「おい、あれは
……
」
「僕にも分からないよ。僕が二人いるなんて
……
」
夢境世界では何でも起こる、とはよく言ったものだ。どうしたものかと考えていると、自分たちの視線に気がついたのか、バーガーを食べようと開いていた口を閉じて、白銀の戦士が立ち上がる。
「やあ、モーディス! 君もご飯を食べに来たのかい?」
席なら空いているよ、と笑いかけてくるファイノンに促されるまま、幼いファイノンと共に席に着けば、山盛りのポテトを差し出される。アイスが真ん中に入っている珍妙なそれは、美しい夢の名物らしい。
「
……
お前はここで何をしている?」
「見ての通り天外の食事を楽しんでいるところだよ。ここのUFOバーガーは絶品だって相棒に聞いたんだ。ほら、君も食べるといい」
机に乗っていたバーガーの包みを一つこちらによこして、ファイノンは食べかけていた自身のそれを口に含む。うん、美味しい、と続けられた言葉に、手元にあるバーガーを開いてみるがどうにも綺麗に食べられそうになかった。
モーディスの隣の席に座っている少年は、特に気にした様子もなく包み紙を開けてバーガーにかぶりついている。真ん中に皿状のチップスがはみ出ているそれは、口を大きく開けて食べるのだと理解できるものの、うっかりすれば具材を食べながらこぼしてしまいそうだ。
「
……
食事をしているのは分かったが、お前はどうしてここにいる?」
「それを君が言うのか? 僕がくしゃみをしたらいなくなったのは君の方だろ」
口端についたソースを指で拭いながら、ファイノンは唇を尖らせる。
「土地勘なんてないから、君を探しに行こうにも難しいし、石板は無くなっているし。そうしたら、相棒にオススメされた店があったから、つい」
お腹が減ったら正常な判断もできなくなっちゃうからね、と再びバーガーとの格闘に戻ったファイノンは、これ以上話し合う気がなさそうだった。
まあ、合流できたしいいんじゃないか、とは少年の彼の弁だ。言わんとすることは理解できるものの、どうにも釈然としない。この男はこんなにも食を優先しただろうか。
オクヘイマにいた頃、黄金裔全員分の食事を作るのはモーディスの役割だった。孤軍時代から料理を作っていたし、何よりも食は身体の基本だ。ファイノンは放っておくと食を疎かにしがちだったから、ことさら目をかけていた自覚はある。なんなら、ことあるごとに食事を適当にするなと小言を並べたくらいだ。それが今になって実を結んだのであれば喜ばしいことではあるが、やはり違和感がつきまとうもので。
言葉を続けようと口を開いたけれど、せっかくの天外の料理がまずくなるような話をしたところで得られるものは少ない。少年のファイノンもあっという間にバーガーを平らげ、ポテトへ手を伸ばしているところだ。
視線に気付いたのか、大きい方のファイノンもポテトに手を伸ばす。
「ほら、君も食べなよ。ここのポテト、塩気が効いているのに甘くて美味しいんだ」
君が作るパイには負けるんだけどね、笑いながらポテトを摘んだ指先と、少年の姿のファイノンの手が触れ合うのはほぼ同時だった。
「うわっ!?」
途端に泡が弾けるように大人のファイノンが消え、ガタン、と大きな音が隣から響いた。椅子ごと倒れてしまったのか、少年のファイノンが地面に手をついている。
「大丈夫か」
「あ、ああ
……
ちょっとビックリして
……
」
モーディスが差し出した手を握って起き上がった少年は、先ほどまで大きいファイノンが座っていた席をじっと見つめている。
「一体何が起きた」
「あー、説明するのはちょっと難しいんだけど
……
そうだな。あえて言うのなら、一つになった?」
一つに、と繰り返す自身に対して、ファイノンは困ったように頬をかく。やっぱり説明が難しいんだけど、と前置きをしてから、こちらに一歩近づいてくる。
「ほら、ちょっとだけ成長しているだろう? 多分、くしゃみをした時に僕が分裂してしまったんだと思う」
繋いでいた手を離し、両手でモーディスの手のひらを握り直したファイノンは、こちらを見上げた。たしかに、先ほどまでは膝よりも小さかったファイノンの背丈が腰ほどまで伸びている。指も少しだけ長くなっているし、輪郭のカーブも緩やかになっている。剣を握り始めた頃なのか、豆のようなものが幼い手のひらには残っていて、少しだけ痛々しい。
オクヘイマへ訪れた頃のファイノンはこのくらいだったのだろうか。彼が村を旅立った時の年齢を正確に把握はしていないが、鎌を振るうのさえも母親が手を怪我しないようにと布を巻いてやるほどで、およそまだ木剣しか許されなかった頃が多かったと聞く。
「前に丹恒から、くしゃみで分裂してしまった人の話を聞いたことがあるんだ。その時は調和の行人の手で調律されて元に戻ったみたいなんだけど
……
たぶん、僕たちはその人よりも、少しばかりこの世界に馴染みやすいみたいだから。触れることでこうやって統合できるんじゃないかなって」
元は僕だから、分裂も統合もないんだけどね、と笑う姿は、先ほどよりもやや落ち着いて映る。
エディオンパークに移動するまでの間、子供の姿に精神が引っ張られて騒がしかったのが嘘のようだ。
「だが、あの姿のお前と統合されたのに元の姿には戻っていないな」
「うん
……
まだあと数人はいるんじゃないかな」
そもそも何人いるのかは分からないんだけど、と困ったように笑って、ファイノンはパッと手を離す。
「大丈夫だよ、モーディス。きっとすぐに全員見つかるよ」
僅かな不安が表情に出ていたのか、ファイノンは穏やかな声でそう告げる。
「異邦の地に二人でやってきてるのに、君一人を残すなんてことしないさ」
きっと、すぐに君のところへ向かうと思うよ、と続けるファイノンは自信満々だ。先ほどまでモーディスを放っておいて、バーガーを食べていた男のことは無かったことにされているようだが、本人としては食べ終わったら俺を探しに行くつもりだったのだろう、おそらく。
そういうことにしておいた方が奴の名誉のためなのかもしれない。
ああ、と頷いて屈み、ファイノンの頭を撫でる。子供扱い、と少しむすくれる姿がやっぱり幼い子供のようで。大人の姿よりもいくぶんか柔らかなその癖毛を撫でていると、少しだけ落ち着くような心地がした。
「とりあえず、バーガーを全部食べきっちゃおう。せっかく注文したんだし、食べないともったいないからね」
明るい口調でそう切り替えると、モーディスの手から逃れるように身体を捩ったファイノンは、椅子に座り直す。そうして、手を伸ばしかけていたポテトを摘んで口へ運んでいった。先ほどのファイノンの分も食べるつもりなのだろうか。
ファイノン本人としては分裂した彼らの行き先に何か心当たりがあるようだが、口にしないのなら自分が知る必要のないことなのだろう。
一応、丹恒に連絡だけ入れておいて、目の前のバーガーと向き直ることにした。
◆
#2691
モーディスは変な男だ。
獣のような野生的な一面が強いかと思えば、ひどく理性的で。偉そうに振る舞ったかと思いきや、僕たちの食事を作ってくれる。やること成すこと、全ての理由も理屈も分からないのに、彼が最終的に決定する計画や判断はファイノンと一致するのだから面白い。本当に不思議な男だ。
火を追う旅に合流したモーディスは、一族をオクヘイマに移住させることを条件に手を貸してくれる事となった。彼が今までどのような道行を歩んできたのか、本人は深く語ってくれない。けれど、彼が作る食事とその気遣いが、多くの戦場を経験してきたことを物語っていた。
モーディスは誰よりも早く起き、その日の皆の体調と食材の状況に合わせて最適な献立を作ってくれる。
なぜか僕に対してだけは、味も食感もよくわからないメニューが出されることが多かったけれど、それも彼なりの気遣いなのだろう。
好みを把握されているのか、ことさらに食べにくそうな塊が出された時には何故か甘く煮てあったり、塩気が欲しいな、と思った日には適量の塩気がきいた肉が出されたり。どこから僕の体調を測っているんだ、と空恐ろしくなるほどに。モーディスが出してくる料理は僕の体調と食べたいものに合致していた。
もしかして、他のみんなの分もこんなふうに調整しているのだろうか、と思ったけれど。どうやらそんなこともないようで。
なおさら、彼がこうして僕のためだけに料理を分けて作ってくれることが不思議だった。その疑問を抱いた時には、すでにモーディスの手によって胃袋を掴まれていた後だったから、理由を知ったところで意味などないのだけれども。
一度だけ、皿洗いを手伝いながら彼に「どうして僕が食べたいものをいつも分かっているんだ?」と問いかけたことがある。
その時は、黄金の瞳が猫みたいにまあるく開かれて、数秒ほど固まっていた。何を言っているんだ、と言わんばかりの表情をしていたから、彼としては無自覚だったのかもしれない。
「お前の口に合っているようで何よりだ」とだけ返されて、会話は終わってしまったけれど。もう少しだけ詳しく聞けばよかった、と今では後悔している。
彼が何を思って僕の
――
僕たちの食事を作り続けてくれていたのか。
敵国であるオクヘイマに民を移住させて、クレムノスへ戻りたいと口にする彼らに新たな地で生きろと告げて。そうして、ただの同盟関係であるだけの僕たちのために、毎朝食事を振る舞ってくれる。
食は身体の基本だ、とは彼の言葉でもある。であるのなら、少量の毒を混ぜて無力化し、国ごと乗っ取ることだってできただろう。彼はそういう卑劣な手段を好まないからしないけれど、食事を用意する以上、内部から黄金裔を瓦解させることだってできる。協力関係をよりクレムノスへ有利に働くように動かすこともできたはずだ。事実、元老院は何度か宴の場で祝杯に毒を盛ろうとしたこともあるくらいで。全て未然に防がれてはいるけれど、だからこそ余計に、モーディスが用意する食事は、黄金裔達にとって安全の象徴だった。
基本的にモーディスが僕のために用意する食事は、一体何が入れられてるのかはよくわからないけれど、身体作りに重きをおいたものが多かった。
けれど、一度だけ。本当に一度だけ、敵の毒矢を喰らって寝込んだ時に出てきたミルク粥がとても美味しくて。
母さんが作ったミルク粥が食べたい、と熱に浮かされながら呟いた僕の言葉を覚えていてくれたのか。ろくに動けない僕の口に粥を運んでくれた時のモーディスは、今までにないほど優しい眼差しをしていたことを覚えている。
その時に食べたそれは、母の味とは全然違っていたけれど。とても穏やかで優しい味がして。いつかもう一度食べたい、と彼に伝えればよかった。
それは、ごちゃごちゃとした感情を言葉にしたり、欲望や熱をぶつけるなんかよりも簡単なはずなのに。
けれど、あの時の僕にとっては「君の作るご飯が一番好きだ」と真正面から伝えるのは、何よりも難しいことに思えたんだ。
偽りの黎明が崩れ、オクヘイマが崩壊へと向かっている。
紛争を継いだモーディスは、混沌が迫るオクヘイマに戻ってきてくれた。暗黒の潮が押し寄せる中、世界の果てで守護者をする必要がないからなのだろう。ならば、再創世を共に見届けてほしいという欲が湧くのだって、仕方のないことだとも思う。
処刑人の足音が響く中、創世の渦心でモーディスに告げた「共に神託の運命を超えられることを証明して欲しいんだ」という言葉に偽りはない。
彼がこの日のために、僕の身体を気遣い、戦士として鍛えてくれたのだから。ならば、運命を見届けるのだって共に為すべきだ。モーディスには一笑に付されてしまったのだけれども。
彼の判断が間違っていたことは一度たりともない。モーディスの考えることは最後まで分からなかったし、何故そうなったのかも理解できることはなかった。
けれど、最終的に下す判断だけはいつも間違っていなくて
――
それはきっと、自分も冷静であればそうするだろうとも。
だからこそ余計に、彼が最後の最後で僕一人に再創世を託したことが寂しくもあり
――
また彼の作った食事を、共に食卓を囲み、言葉を交わしたいという願いになったのかもしれない。
西風の果てで祝杯を交わそう。そんなことを言って、彼は旅立って行った。僕はメーレはそんなに得意じゃないし、モーディスだって身体に悪いと言うのに。
けれど、あまり健康に良くなさそうな食べ物を、気兼ねなく口にすることはきっと、モーディスが作ってくれた食事のように平和の象徴なのだろうと思う。
願わくば、彼と共に。
再創世の先の世界では
――
お腹いっぱい、好きなものを食べられますように。
◆
クロックボーイ広場の前に、特殊メイクをした大柄な男がいるという噂を耳にしたのは、ちょうど食事を終えて少しした頃だった。
ハンバーガーとポテトを平げたファイノンは、そのままデザートにアイスを食べたいとねだってきて。こんな時ばかりは子供の顔をするのだから、仕方がない、と甘やかしたのが良くなかったのだろう。
『エディオンパークの中でドリームアイスを食べてはならない』開拓者がなぜかチャットで送ってきた忠告を忘れていた俺たちは、その後しばらくは動けないほどに酷い目にあった。
ファイノンは相棒に忠告されてたのを覚えていた、と悔しげに言っていたが、覚えていたとしても守らなかったのなら意味はないだろう。
けれど、口直しが欲しい、と甘えてくる少年の姿がどうにも庇護欲をくすぐってならないからか。普段であれば皮肉の一つでも口にしているところを、結局はファイノンの望むままにスラーダを買い与えてやっている。
喉を潤す弾けるような泡は、オンパロスのメーレに似たような味わいがした。ノンアルコールのそれは、口に含むとわずかながらに多幸感がある。夢のような心地に包まれるという謳い文句は、あながち間違いではないらしい。
ファイノンにとっては少し苦かったのか、渋い顔をしていた。存外、この男は煮詰めたような甘いものを好む。その点、ドリームアイスは口に合ったのだろう。エディオンパーク以外のところで見かけたら、また食べたいと呟いていた。
そうして口直しにスラーダを飲んでいたところで、行き交う人々が『特殊メイクの男』の話を口にしていた。色を失った白髪に、青白い肌。顔面に亀裂が入ったかのような特殊メイクのフードを被った男。撮影でも始まるのだろうか、とにわかに色めきだった声が聞こえてきて、ファイノンと顔を見合わせる。
ファイノンが分裂し、一人と統合を果たしたものの、まだ完全な姿には戻っていない。彼らはそう遠くに行っているわけではないだろう、というのがファイノンの見立てだったが、思った以上に近くにいたようだ。
この黄金の刻だけを切り取ってもピノコニーは広大で、入り組んだ地形はオクヘイマと同程度の広さを有しているように感じられる。その上、人口密度もこちらの方が高い。他の刻に移動でもしていたら、旅程の全てを費やしても全てのファイノンを見つけられないのではないかと思うほどだ。そもそも、全員で何人いるのか見当もつかないのだけれども。
クロックボーイ広場には、思っていた通りの男
――
火盗みの処刑人が座っていた。
三人がけのベンチの真ん中に一人ぽつんと座っている男の周囲には人気がない。黒いフードを目深に被り、金の籠手で武装している、色のない処刑人の姿は異形にも見えて、たしかに今から映画の撮影でも始めるのではないかと思うほどの重たい空気を纏っていた。
美しい夢の中に不釣り合いなモノトーンの男は、微動だにせず、じっとクロックボーイの像を見つめている。
繋がれたファイノンの手が、不安げに強くモーディスの手のひらを握る。どうしたのだろうか、と視線をやれば、パッ、と手が離された。
「すまないモーディス。多分、彼と話すときに僕はいない方がいい」
「そうなのか?」
「ああ
……
これは直感のようなものだけどね。あそこの椅子で待っているから、話が終わったら声をかけてくれ」
じゃあ、と有無を言わさずに椅子の方へ駆けて行った背中を見送って、どうしたものかと息を吐く。改めて男の方を見れば、いつの間にか処刑人の視線はこちらへと向いていた。
「
……
」
「
……
」
なんとも言えない沈黙が落ちる。永劫回帰の輪廻の中で、処刑人とは何度も相対していたが、改めてこうして言葉を交わすのは初めてだった。
奴の姿を目にすると思い出すのは苦々しい記憶が多い。とは言っても、モーディス自身は戦士として挑み、散っていった記憶でもある。正面対決の末に負けているのだから、それ以上の感情は特にない。恐ろしいと思うことも、憎んでいるということもないのだが、処刑人の方は、どうもそうではないようで。
口を開こうとしたモーディスの前で、びく、と男の肩が僅かに震えた。
「モーディス
……
その、この姿は
……
」
「美しい夢の中に来てまで、処刑人の真似事とは
……
良い趣味をしているな『救世主』」
「
……
僕の趣味じゃないよ。気がついたらこんなふうになっていただけだ」
普段よりも低く、掠れた声が落ちる。ひび割れたようでさえあるその音には喘鳴が僅かに混ざっていた。顔面に入った罅は、おそらく声帯まで至っているのだろう。苦しそうな呼吸が漏れて、ガチ、と歯噛みする音が響いた。
「僕は
……
君を何度も殺した
……
そんな僕が君の隣にいる資格なんて
……
あまつさえ、こんな素敵な空間で共に過ごすなんて」
許されることではない、と続ける声を塞ぐように、ベンチに座り込んでいる男の胸ぐらを掴んだ。ぐい、と引っ張れば、驚いたように割れた瞳が見開かれる。
「お前が今までに相対した俺のうち、誰か一人でもお前に恨み言をこぼしたものはいたか?」
「
……
いない。君はいつだって、次の輪廻のメデイモスに伝えよと言葉を残して、僕の勝利を願ってくれた」
「そうだろうな。俺の記憶の中にも、お前への恨み言を残したものはいない」
なのに何故、お前が気にしている。と言葉を続ければ、弱ったように眉が下がった。感情が磨耗し切って人形のように成り果てていた顔面が、徐々に色を取り戻していく。亀裂の入った頬が塞がっていき、見慣れた空色が今にも泣き出しそうに涙を溜めていた。
「
……
僕は、君の隣にいる権利はない」
「王が許可しているというのに、何を躊躇うことがある」
「君が許しても、僕が僕を許せないんだ」
落ちていく雫が頬の稜線を伝って、黒い外套に染みを作っていく。何度伝えたとしてもこうなのだろう。輪廻が閉じられてすぐ、平穏を取り戻したオクヘイマで再会した日の夜に、気にする必要はないと伝えたのに、この男は一人にするとすぐにそういったことを考えては落ち込むのだ。
掴んでいた手から力を抜き、自分よりも一回り大きな男の背に腕を伸ばす。あやすように背を撫でてやれば、腕の中の身体が震えた。
「気にするな。何度も言っただろう。お前がお前を許さなくとも、俺はお前を許し続ける」
火追いの旅は終わった。もう、処刑人などしなくても良いのだと繰り返せば、強く抱きしめられる。
「すまない
……
本当に、僕は
……
こんなところで、君に迷惑を
……
」
嗚咽が漏れ、言葉もろくに形をなさない男の背を撫で続ける。自身の肩に顔を埋めて声を上げずに涙をこぼす男には、昔日の処刑人の影はもう無かった。そこにはただ、一人の繊細な救世主がいるだけで。
男が落ち着くまでそうしてあやしてやっていると、にわかに周囲が騒がしくなっていることに気がついた。視線を向ければ、そこにはモーディスたちから少し距離を空けて石板を構えたギャラリーができていて。
モーディスが視線を向けたことで、わっ、と小さな歓声が上がった。映画の撮影か何かだと思われていたのだろう。まぁ、撮られたところでさして問題になるわけでもない。いつの間にか落ち着いていた男の方へと向き直ると、拗ねたように唇を曲げていた。
「
……
よそ見をしていた」
「俺に迷惑をかけるなんて、と言っていたのと同じとは思えないような口ぶりだな」
「それとこれとは話が違うだろう。君は僕を探しに来たはずだ」
そう拗ねるな、と口付けをしてやれば、周囲から大きな悲鳴が上がる。大きく開かれた空色は、こんなところで、とでも言いたげにぱくぱくと口を動かしていた。
「モーディス、そろそろ行かないとここから動けなくなる!」
ギャラリーの間を縫って転がり出てきたファイノンがこちらへ駆けてきて、呆気に取られたままの男の手に触れる。
そうして、一瞬のうちに自身を抱きしめていた腕が消え、代わりに声変わりを迎えたくらいの少年がモーディスの手を取った。
「こっちへ!」
ギャラリーの薄いところへと駆け出していく少年についていくように、モーディスも走る。
開拓者と同じくらいの身長のファイノンに手を引かれて駆け抜ける美しい夢の中は、なんだか映画のワンシーンのようだ。逃避行めいていて、けれど別に何かに追われているわけではない。なんだか少し面白くなって、不意に笑いが込み上げてくるが、前を走っているファイノンは「笑い事じゃないだろ!」となぜか悔しそうな声を上げていた。
◆
#108642
その男は、世界の果て
――
クレムノスの玉座にいた。
生まれながらにステュクスに投げ込まれる時もあれば、捨てられることもなく後継者として育てられた輪廻もあった。けれど、どの道を辿ろうとも結局は紛争を継いで戴冠し、世界の果てで暗黒の潮と対峙するのだ。その結末だけは、何度繰り返しても変わりようのない事実だった。
どれほど世界と対立していようとも、モーディスは僕のことを『救世主』と呼んだし、次の輪廻の自分に言葉を託して散っていく。
彼の図書館を焼き、尊厳を踏み躙ったことだって数え切れないくらいあるというのに。
奇跡的に書物が燃えていなかった時だって、そこに残された文字を読み取ることはどうしてもできなかった。
古代クレムノス語が読めないわけではない。アレが言語として生まれた時から、その地に生きる者たちを見届けてきた。だから、彼がいくら古代クレムノス語で罵倒しようとも、永劫回帰を繰り返している僕は、正しくその言葉を汲み取ることができる。文字だって、同様に。
図書館に残されていた書物の多くは、彼の友人であるプトレマイオスが書いたものだ。中には戦争記録人による戦果の記録もあったけれど、法律や歴史書の多くはプトレマイオスが後に編纂したものばかりだった。
だが、中にはモーディスが編纂したものもいくつか含まれていて。彼はあれでいてまめな方だったから。
救世主と呼ばれたファイノンが、からかい混じりに「書き物とかするのか」と問いかけた時にだって、彼は静かな怒りを露わにしただけで怒鳴ることはなく。いつかの輪廻の中で、樹庭へ進学したモーディスは、手製の辞書を編んでいた。
それが、クレムノスには辞書が存在しないのだと馬鹿にされたからだとしても。彼は、いつだって誠実に自国の文化と向き合う男だった。
文字を書くこと、後世へ文献を伝え残すことが軟弱だとされる文化の中でさえ。クレムノスの伝統を体現したようだと言われた男は、知性こそが文化を未来へと継承させるものであると理解をしていた。それはきっと、友人たちから伝えられたことであり、ゴルゴー王妃の方針でもあったのだろう。
彼が編んだ辞書は、文献の少ないクレムノスの文明において歴史的な価値を持つ史料となる。もしかしたら、彼が嫌う野史となってしまうのかもしれないが。それでも、後世に残せるものがないよりは良いと考える。
モーディスは、そんな男だった。
彼と世界の果てで対峙する時、いつだって『救世主』と呼んでくる。そうして、彼からすれば荒唐無稽な永劫回帰の話を聞いてくれるのだ。結局は、刃を向けることになるのだけれども。けれど、その姿勢は何千万回と繰り返しても変わることはなかった。
ファイノンの
――
救世主の歩む道は他にもあるはずだ、と嘆く者は多かった。この身は「救世」のためにあるものではないというのに。
どれだけ言葉を尽くしても、確証のない輪廻のために火追いの旅を終え、火種を譲るという選択を拒む者は多かった。その一点において、モーディスはどの輪廻でも僕の言葉に耳を傾け、肯定した。
彼を死に至らしめられる弱点を知る僕は、背中からの奇襲という形で幕を引いてしまうのだけど。しかし、それさえも戦法の一つだと理解をしているのか。その死に顔はいつも穏やかだった。
卑怯な、およそ救世主とはかけ離れたような戦法で彼の尊厳を損なったというのに。モーディスはいつも背中を押してくれるように、常勝を祈る、と言葉を送ってくれる。モーディスの優しさに甘えている自覚はあるけれど、彼のそばで彼の祈りを聞くことが、自身がひとときだけ羽を休めることができた安寧の場所だったから。
どれだけ輪廻を繰り返したとしても、彼の元へ足を向けてしまっていた。
次の輪廻のメデイモスが、またどんな道行を歩むにせよ。きっと、僕は彼の人生を美しいと思うし、その道行の果てで祝福を受け取ろうとするのだろう。
『運命とは、人々が門を潜って、花の海に向かった足跡でできている小さな道である』トリビー先生はよく、そう言っていた。
彼が門を潜るまでに歩む道は、いつも変わらない。僕が変えてあげることもできない。
だからせめて、彼の敬意だけは僕が受け取って。いずれ輪廻が終わった西風の果てでは
――
彼の意思を大切にしたい、と思っているんだ。
◆
撮影をしていた観客たちは追いかけてくることもなく、ファイノンに連れられるままショッピングモールの一角までやって来た。
「もう逃避行は終わりか? 『救世主』」
不意に立ち止まった男を見下ろせば、不機嫌そうに眉が寄っている。それでも手は離さないのだから、なんだか面白い。
「ああ。でも、君は随分と楽しそうだったじゃないか。熱烈なシーンを撮られていたっていうのに」
「別に何からも逃げていないからな。撮りたいのであれば好きにするといい」
何を隠すことがある、と返せば、そういえば君はそういう奴だった、とファイノンはガックリと肩を落とす。口付けの一つや二つ、誰に見られたところで困るようなものではないだろうに。まあ、たしかに嗚咽をこぼして泣き縋る姿は、衆人に見られたくはないのだろうが。
はぁ、とため息をこぼしたファイノンは、ぐ、と近づいて腰を抱き寄せる。その手はまだ未成熟ではあるが、着実に大人へと近づいていた。
「ダメだ」
こちらに向かってくる唇を手で塞いで、嗜めるように声を低くすると、ファイノンは不機嫌そうに眉を寄せる。腰を抱く指先に力が込められて、少し痛い。
「あいつには口付けするのに?」
「アレは大人の姿だったろう。今のお前はまだ子供だ」
「ただの外見の話だろう!? 僕の中にはさっきのあいつの記憶だってある。君と触れた唇の感触だって
――
」
言い募る男の頬をむぎゅ、と掴めば、言葉にならない抗議の声を上げ始めた。
「自分が大人であると主張をするのなら、先ほど子供の特権を振りかざすべきでは無かったな」
「うっ
……
でもそれは、身体に内面が引っ張られた結果というか
……
」
「ほう? 外見に内面が引っ張られるのであれば、なおさらだな」
うう、と弱りきった声が落ちて、ファイノンは叱られた犬のようにしゅん、と大人しくなる。一応自覚はあったようだ。普段であればいいように言いくるめられるところだったが、やはり外見に内面が引っ張られるというのは事実なのだろう。子供の姿では得意の弁舌もできないようだった。
「はぁ
……
そういえば、場所の心当たりが一つあるんだ」
「分裂したお前が行きそうなところ、か」
「ああ。さっきの君と処刑人のやりとりを見ていて思い出してね。たぶん、クラークフィルムランドにいると思う」
ピノコニーの人気キャラクターを模した映画館とテーマパークが集合している場所。開拓者からもおすすめスポットとして紹介されていたが、なぜそこにいるとファイノンが感じたのかはよく分からない。
以前、永劫回帰の中で、映画を撮ろうという話が持ち上がったことがあった。なんでも、黄金裔をもっと身近に感じてもらうことで、火を追う旅への反感を抑える目的なのだとか。
アグライアが出資し、ディアディクティオで配信された映画は3000万以上もの高評価をもらったのだとキャストリスが話していたのを覚えている。あの時の自分はたしか、黄金アウルムの副コック長をしていて、ファイノンはコック長。主演はキャストリスで店長役を務めていた。
思い返せば、あの時の映画の脚本はキャストリスが書いていたが、全体のディレクションはファイノンがやっていたような記憶がある。配役は果たしてどちらが決めたのかはもう覚えていない。どのみち、同僚であり、ライバルであり、高めあう仲間としての役回りは俺とファイノンに回されるのだろうとは思っていた。
あの頃は、台本の読み合わせのために夜遅くまで俺のルトロで演技の確認をしていて。細かな表情や間の取り方について、ファイノンと議論したのを覚えている。終末へと向かう輪廻の中ではあったが、あの時間だけはひどく穏やかで、とても温かかった。
そういえば、その時のファイノンは随分と熱心に演技について語っていた。口にこそしていなかったが、映画というもの自体が好きなのかもしれない。火を追う旅を続ける過程において、そういった娯楽とは縁遠かったし、自分は本を読む方が好きだったからあまり映画を熱心に見たりはしなかったのだが。
クラークフィルムランドの一角、クロックボーイ上映エリアのシアターに、その男はいた。
ファイノンよりもやや跳ねた、色素の薄い金髪の男は、観客のいないシアターの真ん中に、一人座っている。
ちょうど映画の切り替えのタイミングなのだろう。客席灯がついて静まり返ったシアターには、男とモーディスたちしかいない。
「
……
モーディス」
こちらに気がついたのか、視線を向けた男
――
カスライナは、僅かに嬉しそうに目元を緩めた。そのまま立ち上がると、こちらへと近づいてくる。
「ここで何をしている」
「映画を見ていたんだ。クロックボーイの往日の美しき夢、だったかな。相棒が編集を手伝ったと以前聞いたことがあってね」
なんでも、この星の成り立ちと歴史をアニメ映画にしたものなんだって、と続けながら、カスライナはスクリーンに視線を移す。
「良い映画だったよ
……
とても面白かった。開拓の精神を持っていた彼らだったからこそ、この星をこれほどまでに発展させることができたのだと思う。きっと、ここに語られることのなかった様々な苦難もあったのだと思う」
「
……
そうだな」
「オンパロスも、クロックボーイの物語と同じように、ようやく始まりに立てた。僕はこの身に宿す火を消さないようにすることしかできなかったけど
――
」
「何を考えている」
俯いたカスライナの頬に手を伸ばす。ハッとしたように目を見開いた金の瞳は、すまない、と目尻を下げた。
「万人の理想を背負った者でさえも、壊滅の悪意しか継ぐことはできなかった。僕には
……
この映画の主役のような、星を救う役割はできなかった」
全部、相棒たちが成したことだ、と言葉を落とす男の顎を掴み、引き寄せる。ごつ、と額同士をぶつければ、当惑したように黄金が揺れる。ようやくこちらを見た。ずっと、この男は俺に話しかけているようでいて、どこか遠くにしか語りかけていない。それがなんだか妙に苛立って、この男の底にある寂寞を和らげてやりたくなった。
「お前はいつ終わるとも分からない悠久の時間の中、救世主を待ち続けた。心火を一度も絶やすことなく。物語の主役ではなくとも、お前は十分にその役割を果たしていた。そうではないのか?」
お前と共にいつかの時に撮った映画の役では、物足りなかったのか? と続ければ、はは、と困ったような声が落ちる。
えいが、と小さく発された音は、そのまま静まり返ったシアターにとけていく。
「映画、か。懐かしいな
……
撮影のことや演技の打ち合わせをしている間は、火を追う旅のことを忘れて芝居に夢中になれた。あの映画はキャストリスさんが主役だったけど、間違いなく君と僕は、あの物語を支えていたと思う」
そうだね、君のいうとおりだ。と続けた男は、納得しているようでも、まだ何かを思い悩んでいるようでもあって。
何か言いたいことがあるのなら言えば良い、と口にしても。きっと、この男は飲み下してしまうのだろう。弱音も、自身の願望も。身の裡に生じたとしても、それよりも優先するものが多すぎるが故に。今までそのようにしてきたから。だから、俺の怒りの言葉を受け止めて、それで良いのだ、と納得してしまう。そんな必要は、もうないというのに。
じ、と視線を向け続ければ、観念したように苦笑が返ってくる。
「こんなことを言えば、君に怒られてしまうのかもしれないけど
――
こうして、輪廻の話をしていても、君は僕の知っているメデイモスではない気がしてしまうんだ」
僕には全ての記憶がある。始まりから、終わりまで。と続けたカスライナは、でも、と僅かに声を潜める。
「君の中には、全ての記憶があるわけではないだろう? あの西風の果ての楽園で、いくら噴水から記憶を取り出したとしても
……
君は、僕の知るメデイモスではない」
「
……
くだらん。言っただろう、たとえこれから何億と輪廻を繰り返すことになろうとも
――
俺は自分の弱点をお前に託すだろう、と」
「ああ、そうだね。それは僕も分かっている。だが
――
」
「未来の話ではない、か。それほどまでに、原初のメデイモスが大切なのだな」
「否定はできない。ただ、君のことも大切ではあるんだ。すまない、僕の中で整理がつくまで、少し放っておいてくれないか」
つい、と視線が自身の隣に向けられる。俺とカスライナのやりとりを無言で見守っていたファイノンは、カスライナの視線を受けてゆっくりと頷いた。
「君の言いたいことは分かった。でも、居場所がわからないと困るから、僕たちと共に他の僕を探すのを手伝ってはくれないか?」
「それは構わない。それと、おそらく分裂した僕はあと一人だけだ。多分、居場所もわかると思う」
「
……
何故、居場所を特定できる」
クラークフィルムランドに行こうと言い出したファイノン然り、心当たりがあると続けたカスライナ然り。最初の幼いファイノンは、そもそも分裂した自覚さえもなかったというのに。
俺の言葉が意外だったのか、カスライナは、うーん、と顎の下に手を当てて唸る。隣にいるファイノンも、同じようなポーズをして言葉を探しているようだった。
「なんというか
……
僕がもしもこの星を観光するなら、まずここに行くだろう、という場所だね。クラークフィルムランドなんかはまさにそうで
……
」
曰く、エディオンパークで分裂した自分と統合した時に、別行動をしていたファイノンの記憶と感情が流れ込んできたのだとか。ファイノンの後に続いて、カスライナも困ったように笑う。
「こう
……
他の僕たちって、君と一緒にピノコニーへ訪れたことは覚えているけど、どこではぐれたのか分かっていない、というか。記憶がだいぶ曖昧になっている、というか
……
」
「だから、モーディスと事前に調べていた夢境世界のことや、相棒から教わった場所に足を運んでいたんだ。そこにいれば、きっと君は探しにきてくれると思って」
石板もないし、無闇に動き回る方が良くないとも思っていたんだけどね、と続けるカスライナは少しだけバツが悪そうに視線を逸らす。土地勘のない場所において、はぐれた際に片方が動かないのは鉄則だ。緊急時に落ち合う場所を決めておかなかったのが悪いと言われれば反論はできないが、それにしても軽率がすぎる。幼いファイノンと共にいたから良かったようなもので、俺が探しに行かなかったらこの男は一生観光スポットで待ちぼうけていたのだろうか。
「ま、まあ! だから、多分次が最後の一人なんじゃないかな。相棒から教わって、行きたかったポイントも次が最後だし
……
」
ほら、絶景スポットを教えてもらっただろう? と続けられて、開拓者から送られてきたメッセージを開く。黄金の刻の端、マンホールに印が付けられた地図には、『ここからドリームボーダーへ行く』と書かれていた。
夢境世界を作る者たちの建設局。派手なオブジェの下に、美しい景色が広がっているのだとか。
行こう、モーディス。と差し出してきたファイノンの手を握れば、嬉しそうに蒼穹が細められる。処刑人と統合したこの男からは、カスライナのような苦渋の色は感じられない。
先導しているカスライナは振り返らずに黙々と進んでいて、果たしてこれでいいのかと疑問が生まれる。とはいえ、他に行く当てがあるわけでもないし、自分に対してのカスライナの眼差しに、決して温度がないとも言えない。ただ、男の中での整理がすぐにつくものなのかは分からなかった。別に、この美しい夢の中で不自由しないのなら、必ずしも統合しなければならないわけではない。だから、カスライナがそのまま好きに放浪したいというのなら、それでも良いと思っている。奴の中の空白がそれで埋まるのなら、だが。自分がその空白を埋めることができるのならば、最善だったのだろうけれど。
それほどまでに、原初のメデイモスがカスライナにもたらした影響は大きかったのだろう。自身の中にその記憶は残っているが、それは幾万回もの記憶と統合されていて、明確に区別できるようなものではなく。
今のモーディスを形作っているのは、幾万回もの記憶の断片だ。あらゆる記憶が一つになっているから、どれが正しいというものでもない。ただ、同じように辿った運命の足跡が一番強い記憶として定着していて、それがモーディスとしての、メデイモスとしての連続性を保っている。
過去の自分を今の自分と同一だと考えることができるのは、連続性があるからだ。その連続性から逸れた輪廻の記憶は、そういったこともあった、程度の薄い思い出に留まっている。だからこそ、メデイモスはメデイモスであり続けると言えるのだけれども。
果たして、ファイノンはどうなのだろうか。幾万回と生まれ直し、人生を歩んだ自身と比べて、ファイノンの人生は一言で言い表せるようなものではない。四百万回を経てようやく自身と統合し、未来を託したとは耳にしたが、それまでの道行で、カスライナは一体何を感じ、何を背負ってきたのだろう。
きっと、広場にいた処刑人も同じだったのだろうと思う。奴はどうにも自身に対する自罰感情が強いように見えたから、まだ俺の言葉が届いたと言える。
けれど、ここにいるカスライナには届かない。それは、今分裂しているあの男の諦念や感情が、原初のメデイモスに対して向けられているものだからなのだろうか。
足早に進む金髪の背を追いながら、普段であれば考えることのない、取り止めのないことに思考をやっていた。
◆
長い暗闇を抜けた先の世界は、黎明の訪れる美しい夜空だった。
美しい夢の建設場。まだ作られている最中だという夢の世界の果ては、朝焼けに向かう流れ星が空を駆けている。たしかにこれは、絶景スポットと言えるだろう。
「いた!」
後ろからついてきていたファイノンが大きな声をあげる。彼の指差す方向を見れば、白い石造りの手すりの上に、小さな背中が見えた。
けれど、そこにいたのはファイノンではなく
――
鮮やかな金髪にクレムノス風の衣服を纏った子供と一匹の白い犬で。
「あれは
……
俺、と犬?」
先ほどのファイノンの声に驚いたのか、びく、と肩を震わせた少年は、隣に座っている大きな白い犬を抱き寄せて、警戒するようにこちらを見つめている。
背丈は俺の膝くらいだろうか。最初に小さくなったファイノンと同じくらいの年頃だった。細身の身体は、年齢以上にやや大人びて見える。
幼い自身が抱えている白い犬は座っていてもかなりの大きさがあって、犬の中でもかなり大型の分類といえよう。もはや狼に近いかもしれない。
座っている幼い俺と同じくらいの大きさの犬は、こちらに気付いても警戒する素振りもなく。むしろ、俺の姿を目にするや耳がピンと立たせて大きな尻尾が左右にぶんぶんと振り始めた。
「もしかして、あの犬は
……
」
ちら、とカスライナの方に視線を向ければ、気まずそうに逸らされる。次いで、ファイノンを見れば、あー、と困ったように頬をかいていた。
「夢境世界って、本当になんでもありなんだな」
わん! と犬が吠える。そのまま、待ちきれないとばかりに立ち上がり、こちらへと駆け出してくるのが見えた。
「おい、待て! ココボ四世
――
」
幼い俺が止める間もなく、こちらに突進してくる白い犬がファイノンへと統合するのと、倒れ込んだ幼い俺がカスライナに抱き止められるのはほぼ同時だった。
「
……
お前に助けられるとはな、新兵」
「君は
……
」
ゆっくりと床に下ろされた幼いモーディスは、腕を組んでふん、と鼻を鳴らした。ファイノンの時と同様に、身体が小さいだけなのだろう。なんとなく、彼は自身の中の記憶の一片
――
原初のメデイモスのような気がした。
ファイノンが分裂した時に、自分も煙を吸い込んで咳き込んだ記憶がある。知らぬうちに小さな破片がファイノンと共に分裂していたのだろう。自分自身にほとんど変化はないから、きっと彼しかいないのだろうけれど。
カスライナを見上げた幼いメデイモスは、そっと拳を突き出す。応じるようにカスライナが拳を合わせれば、幼かった姿がカスライナと同じほどにまで成長した。あのメデイモスは、ずっと彼を待っていたのかもしれない。嬉しそうに破顔する姿は、自身の記憶にはないものだ。
「この地で、お前と再会できることを嬉しく思う」
西風の果てで祝杯を交わせれば、それでよかったのだが。と笑うメデイモスに、カスライナは僅かに目元を緩める。君はあまり飲まないだろう、と茶化した言葉に、祝杯は別だ馬鹿め、と返す姿は穏やかだ。
二人は手すりに身体を預けて、鮮やかな朝焼けに視線を向けていた。
「天外でこんなに美しい黎明を迎えることができるなんて、思っても見なかったよ」
「そうだな
……
これは、お前が掴み取った栄光であり、未来でもある」
とん、と胸を叩いて、メデイモスがカスライナに笑いかける。そうだな、と応える男の声は、わずかに震えていた。
「黎明は訪れた
――
いまさら、何を悔いることがある」
「君にはわからないよ。僕は
……
」
「ああ、分からないだろうな。それがどうしたというのだ」
お前が成したことが変わるわけでもないだろう、と続ける言葉は、どこまでも穏やかだ。はは、と笑い声がカスライナからこぼれ落ちる。
「君ってやつは、本当に
……
そうだな。僕がずっと、こだわりすぎているだけなんだろう」
「一体何にそこまでこだわっているのか、理解できんがな」
いつまでも苦しむ必要などないだろうに。朝焼けへと視線を促すようにメデイモスは示して、言葉を続ける。
「迎えた黎明は偽りではない。誇るがいい。お前が繋いだ未来が
――
ここに俺たちを連れてきた」
「
……
そう、だね。そう、思っていいのかな」
「くどい」
「はは、相変わらず手厳しいな君は。付き合わせてしまってすまないね。感謝する
……
メデイモス」
もう心残りはないよ、と笑って、カスライナはこちらに向き直る。奴の中で、答えを得ることができたのだろう。憑き物が落ちたような表情でファイノンの方へと歩を進めると、カスライナはファイノンの手に触れた。
一瞬のうちにカスライナの姿が朝焼けに溶け、ピノコニーへ入った当初のファイノンへと戻っていく。
「
……
最後まで面倒をかけたな」
次いで、こちらへと歩いてきたメデイモスは、俺の肩を叩いて消えていった。統合の実感はあまりないけれど、先ほどよりも原初のメデイモスの記憶が幾分か鮮明になったような気がする。なんだか不思議な心地だった。今まで統合してきたファイノンも同じような状態だったのだろうか。
ファイノンの方へ視線をやれば、なんだか少しだけ不服そうな、悔しそうな表情とかち合った。
「ただいま
……
モーディス」
「ああ
……
おかえり、ファイノン」
色々と言いたいことはあったけれど、ファイノンとて分裂したくてしたわけではない。まさか自分も同じように分かれていたとは思いもしなかったし、幼いファイノンと共に黄金の刻の観光自体もできている。
まぁでも、改めてファイノンと美しい夢の中を見て回るのも、良いのだろうと思いながら。
こちらに抱きついてくる男の背を撫でて、唇を重ね、詰めていた息をそっと吐いた。
◆
分裂騒動が落ち着いたところで、ホテルの一室へと戻ってきた。星穹列車はピノコニーの株を所有しているというだけあって、整えられたVIPルームは広く、豪奢だ。
ファイノンはふかふかのソファに座って、ようやく手元に戻ってきた石板を開く。無くしたと思っていたそれは、分裂した誰かが持っていたというよりは、統合が終わったから石板のイメージができるようになったという方が正しいのだろうか。ともあれ、もう二度と夢境世界でくしゃみなんかするものか、と心に固く誓う。
自身が小さくなった噂は瞬く間にオンパロス中に広まっていたようで、メッセージの通知は三桁に及んでいた。
その中に、開拓者と丹恒とモーディスとのグループチャットを見つけて、噂の発信源がここであると確信する。
最後のメッセージは、おそらくモーディスがエディオンパークから送ったものだろう。分裂した事実が端的に送られていて、それ以降のモーディスの発言はない。
開拓者からの返答は『分裂したファイノンを集めておいてくれたら調和の行人を手配する』というものだったが、触ったら勝手に統合した、と伝えれば、後で詳しく話を聞かせて欲しいと返ってくる。
『多分、共感覚夢境と相性が良いみたい。今回の実験は良いデータが取れたってヘルタが言ってた』
『それなら良かったけど
……
この後の僕たちはどうすればいいんだい?』
『んー、気が済むまで遊んでていいんじゃないか? 特に実験の期間とかは聞いてないし』
現実世界のドリームプールを使っているわけでもないから、ホテル側としてはいつまでいても構わないってさ、と他人事のような返答に苦笑する。ともあれ、今すぐに戻らなければならないわけではないようだ。
憶質の世界であるオンパロスの実存は、開拓者が銀河に物語を広めたことである程度確立された。とは言え、自分達はまだ弱いミーム体だ。誰かの記憶になければ現実世界で存在を確立することは難しく。けれど、逆を言えば開拓者が物語を届けた世界であれば、人々の記憶の中に存在しているため実存が担保されているとも言える。
特にピノコニーのような憶質で満たされた世界であれば、現実世界を介さずに憶質を通じて入ることができるのではないか、というのがアナイクス先生と天才たちの見解だった。
文明の芽はまだ出たばかり。天外と繋がったのであれば、オンパロスが天外とうまく交流できるよう世界を見て回ることも、輪廻を断ち切った自分達の次なる課題だった。今はまだ博識学会と天才クラブが研究をしてくれているものの、今後数百年と同じ状態が続くわけでもない。
だから、樹庭とヘルタが試験段階まで開発した『記憶域間跳躍テスト』を使った天外での実存確立実験に、ファイノンが手を上げるのは自然な流れだった。
ちょうど平和になったオンパロスであまりやることがなかったのもある。それならば、と王位継承者だけど指導者ではなくなって暇をしていたモーディスを、天外での実存実験という名のデートに誘ってみたわけだ。
デートという単語には何故か苦い顔をしていたけど。それがオンパロスの未来に繋がるのであれば、とモーディスも快諾してくれて。
まるで新婚旅行みたいだ、とピノコニーの情報を眺めながら口にすれば「プロポーズをされていないが」と真顔で返された。それじゃあこうして一緒に暮らしているのはなんなんだ、と返せば、冗談だ、と笑われる。
まぁ、彼としてはプロポーズは既にされているとも思っているみたいだけど。からかいたかっただけみたいだし。
無事実験の第一段階は終わり、ピノコニーでは安定して過ごすことができると確約されたらしい。もう数年もすれば、一般市民もピノコニーへと旅行ができるようになるかもしれないとのことだ。
『といっても、今回うまくいったのはファイノンとモーディスの二人だったからかもしれないけどな』
『それは
……
どういう意味だい、相棒?』
『あー
……
なんというか。二人の物語って、色んな星ですごく人気があるんだ。羅浮じゃ人気の講談の一つになってるし』
『
……
つまり、僕たちのことを好いてくれている人間が多いってことでいいのかな?』
『まあ、そんな感じ。もしかしたら、分裂したのは共感覚夢境にいる人たちの影響も受けてるかも、ってヘルタが言ってた』
詳しいことは分からないけど、と続いたメッセージの後に、肩を竦めたアライグマのスタンプが送られてくる。
『また何かあったら連絡する。とりあえず、あと三日くらいは好きに観光してていいってさ』
ありがとう、と返して石板を閉じると、無言で隣にいたモーディスがこちらに頭を預けてきた。なんだかいじけているみたいで少し可愛い。
「開拓者はなんと?」
「とりあえず、実験の第一段階は終わったってさ。三日くらいは好きに観光していいって」
せっかくだからデートしないか、と続ければ、もう増えるなよ、と皮肉が返ってくる。君が増えるなら歓迎なんだけどな、と返せば、むぎゅ、と鼻先をつままれた。冗談じゃないのに。
「俺は増えないし、お前も増えない。一人しかいないからな」
「
……
君、クラークフィルムランドのこと、ちょっと根に持ってるだろ」
「さてな」
統合した今になってみても、あの時どうしてカスライナが原初のメデイモス以外の言葉を受け取ろうとしなかったのかはよく分からない。記憶を辿ろうとしても、まるでそこだけ焼けこげてしまったみたいに、思い出すことができないのだ。おそらく、モーディスの方も同じようで。なんだか釈然としないけれど、きっと思い出す必要がないものでもあるのだろう。記憶と忘却は密接につながっているもので、忘却しているということは、今の自分にとって必要のない記憶だということなのだから。
気持ちを切り替えるように、開拓者から送られてきた観光スポットのリストを開く。
モーディスと行きたかった場所はまだまだたくさんある。けれど、まずはお腹が空いたからご飯を食べに行くところからだろうか。
不意に、視線を感じて顔を上げれば、穏やかにこちらを見つめる黄金の瞳とかち合って。
「なんだ、またお腹すいたノンなのか?」
レストランの一覧を指さして、からかうようにモーディスが笑うものだから。
「そうだな
……
まずは君をいっぱい、味わってもいいかな?」
やわらかい唇にそっと吸いついてそう囁けば、仕方がないやつだ、とモーディスの腕が背中に回ってくる。抱き寄せられて、また唇を合わせて。あたたかくて、心地良い。そういえばこっちに来てからほとんど触れ合えていなかったな、と思い出しながら。
欲に蕩ける蜂蜜色を、そっと口にした。
◆
「たまに、全てが白昼夢なんじゃないかって思う時があるんだ」
夢境ホテルのバーカウンターで、朝焼けのようなカクテルを口に含みながら、ファイノンはぼやいた。
一体何をいっているのだろうか、と思ったけれど口にはしないでいると、俺の視線を察したのか、弱ったように眉が下がる。
「だってほら、まるで夢のような時間じゃないか。君にはご両親がいるし、僕も
……
みんなが笑っていて、穏やかで。ずっと描いていた未来が訪れている実感が、全然湧かなくて」
「では、お前とこうして天外に来ている俺も、幻だと? くだらん」
「はは、まさか。君と過ごしている時間はいつだって夢のようだとは思っているけど
……
うん、そうだね。ごめん」
不謹慎だった、と続ける言葉は、まだ弱々しい。いつまでも現実を受け止めることができないのは、この男の悪いところだ。それほどまでに永劫回帰を繰り返し続けたがゆえであることも、理解はしているが。
「
……
これが現実であることは、お前が一番よく知っているだろう」
「そう、だね
……
そうかもしれない」
穏やかな西風の楽園において、男が眠りにつくことを恐れているのは、自分が一番よく知っている。眠ってしまえば、この世界が夢として消えてしまうのではないかと強い不安に駆られているのだ。きっと、この男は未来永劫その恐怖を抱えて生きていくのだろう。それを緩和させてやることはできても、根本の解消は難しい。根気強く、これは現実だと伝え続けるより他はなく。その役割は、自分しかできないとも思っている。それが、男にとって良いのかは分からないのだが。
「どうやら、この夢のような場所に、少し酔ってしまったみたいだ」
「
……
安心しろ。目が覚めても、そこはお前がもたらした黎明の先にある」
だから今は、このモクテルを楽しむといい、とグラスを掲げれば、そうだね、とファイノンは頬を緩める。
「夢のような世界は、きっとこれからも続いていく
……
今はまだ、ピノコニーくらいしか接続が難しいって言ってたけど。いつか、天外と完全に繋がるようになった時には、一緒に旅をしてくれないか?」
きっと君となら、楽しい旅路になる。と微笑むファイノンに、先ほどまでの翳りは見えない。
「
……
考えておこう」
「そこは即答するところじゃないのか?」
「俺はクレムノスの王位継承者だ。そう易々と国をおいていけるわけがないだろう、馬鹿」
「こういう時は、言葉くらいでも合わせるものだろう」
ブツクサと文句を言いながらも、まぁ、それが君らしいか、と空色がゆるりと笑む。その瞳があまりにも穏やかだったものだから。そっと、唇を重ねて、愛している、と告げた。
「君、そういうことは外じゃなくて部屋の中で!」
慌てたように口を開閉するファイノンの姿を横目に、願わくば、この男がこれからも、この夢のような時間を穏やかに享受できるように、と祈りながら。
そっとモクテルグラスに残った甘いシロップを喉に流し込んだ。
――
毎日が夢のよう!
Everyday Dream Hour!
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