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kanaco
2025-11-12 16:57:08
5559文字
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【四信】ともだち
《四信》屋上で綺麗な夕焼けを見ながら信一と話しているうちに、四仔が心を決めたおはなし。
日暮れ。オレンジに染まった美しい空。
窓から覗いたその景観に誘われるようにして、四仔は人知れず屋上に出た。
少しだけ肌寒さを感じる、しっとりとした秋の空気が心地よい。いつだって人の声や生活音に溢れる九龍城砦にもいくつかは静かな場所がある。人のいない屋上は喧騒から離れることができ、心を落ち着かせるにはうってつけの場所の一つだ。
九龍城砦を王九一派から取り戻して数か月。主管を失った城砦を復活させ、まずは住人たちの暮らしを確保すること先決だった。四仔は医師としての立場も含め、主管代理となった友人を支えることに尽力していた。忙殺されるような毎日が続いている。だから数分でも息抜きできる時間や場所は貴重だった。
落下防止のフェンスに手をかけて思考を止め遠くを眺めていると、ボンヤリとしていた四仔の耳へ軋んだ音が届いた。屋上の古びたドアが開いた音だ。
「なんだ、お前も休憩中?」
後方から声をかけられて四仔はゆっくりと振り向く。
「よぉ!」と片手を上げた信一が立っていた。
四仔が挨拶返しに片手をヒラリと上げれば、信一はこちらに向かってスタスタと歩いてきた。当たり前のように四仔の隣に立つ。フェンスを前にして横並び、空を見上げた信一は感嘆した。伸びをするかの如く気持ちよさそうに両腕を上げて、ひんやりと澄んだ外の空気を思いきり吸い込む。
「うぉー、なんだよこの空。めっちゃ綺麗じゃん」
こんなの独り占めしてたわけ?林先生はずるぃねぇ。
夕陽に顔を赤く染められた信一がイタズラっぽく無邪気に笑う。少しだけ甘ったれた、気安くて砕けた口調。瞳をキラキラと輝かせて子供っぽい表情を見せる友人に、四仔は自然と表情を柔らかくした。穏やかな四仔を見て信一はますますニッコリ笑い再び空を見上げる。四仔の方は信一に気がつかれないよう安堵の息を静かについた。
信一に降りかかった仕事量と責任とストレスは誰よりも大きい。どうしても信一自身のことが後回しになっているように見受けられた。医者としても友人としても看過できるような状態ではなく、一方で“がむしゃら”に頑張る信一の気持ちを汲まずにもいられず、四仔はそのバランスに苦心していた。
素直に言うことを聞いてくれるのは最高、憎まれ口を叩きあえていれば上等で、口下手ゆえに心配を上手に伝えられず衝突することもあったし、それでお互いがへそを曲げて周りを困らせたことも一度ではなかった。
それでも後悔はしたくない。だから四仔は信一から目を離さずにはいられない。
信一が明るい笑顔を見せ、朗らかに住人たちと喋り、軽やかな足取りで九龍城砦を駆ける。食べ物を美味いと言い、よく眠れたとノンキにアクビする。
今となっては見る機会が少なくなった、そういう瞬間に立ち会えば“安心”を覚えるだけにとどまらなかった。その姿は四仔の心を軽くし、もっと彼のために何かできることはないかと活力を湧かせた。健やかでいて欲しいなどと、そんな小さな子供に願うようなことさえ四仔は心に秘めている。
たった一人の人間に影響を受け、いつだって心を砕いていた。
その理由を四仔はもう随分と前から気がついてる。
目の前に美しい赤の風景が広がっているのに、空に夢中になっている信一の方ばかりを熱心に見つめてしまうのと同じ理由だ。
そうとは知らぬご機嫌な信一がポケットからタバコを一本取り出した。美味しそうに一服を始める。四仔の機嫌が少し降下する。それが分かったように信一は両眉を八の字にして宥めるような顔を作った。
「こえー顔」
「おい
…
」
「いいじゃん。お前がうるさいから最近はちゃんと量を減らしているだろう?俺は今日頑張ったし、ごほーびに1本くらいちょうだいよ」
ねぇ、と愛嬌よく笑う。四仔は呆れたような目をしながらも肩を竦めて許した。信一のこういう表情に四仔は弱い。ここのところ拍車がかかっているとも思う。
「分かってるって」
不満そうなのに受け入れる友人を見て信一は温和に言った。
「お前が心配してくれてるってのは、承知してる」
信一がフェンスに片肘をついてタバコの煙を上へくゆらせた。四仔は立ち上る煙をなんとなく目で追い、誘導されるように遠い空を見つめた。新鮮な外の空気の中に、望まずにも四仔の鼻に馴染んだスモーキーな臭いが漂う。
「俺は人間観察はけっこう得意な方だし、視線に気づく方だよ」
そうだろう、と四仔は思った。九龍城砦主管の右腕。城砦には色々な人間がいる。幼い頃から住んでいる信一にとって重要な能力であるに違いない。
「だから今も、辛うじて主管代理なんてできていると思うし」
「知っている。そうしてお前は気を回しすぎる方だと、俺は思っている」
「あら、誉め上手」
「褒めているつもりはないが」
「ひでぇ!」
「気を回しすぎて自分をすり減らすのは、うまいやり方とは言えない」
「厳しいねぇ、センセ」
「お前をすり減らせてるのは城砦だとも言えるから、その一部である俺が言えたギリでもない」
「ええ~?自分にも厳しいねぇ、センセ。そんな気負わなくていいだろ、俺以外はさ」
「
…
気負わせろ、せめて俺たちくらいは」
「ふふ、そうだな。だからやれてるさ」
「器用貧乏め」
「ねぇ
…
悪口ひどいんだけど」
信一がぶす、っと拗ねた顔をした。四仔は良い気分だった。表情が豊かだったかつての彼が顔をのぞかせたようで、笑顔の時と同じように安心する。怒らせては元も子もないと思うものの、感情を押し殺す場面が多すぎるのも今は問題だと考えていた。
何でもかんでも心配になってしまうものだから、信一に杞憂だと煩わしく思われてもしかたがない。言葉にせずともそんな風に考えていれば、信一が自分をジッと見つめていることに気がついた。
「俺はさ、ちょっと嬉しいよ」
「何がだ」
「お前に心配されてることが。そしてそれを自分がちゃんと気づけていることが」
余裕のない状況に振り回されて、周りが見えなくなり闇雲に飲み込まれる。
大事なものが見えなくなってることにも気がつかないで、これ以上何かを失うとか。
そんな風になりたくはねぇからさ。
「四仔が
…
洛軍とか十二とかもだけど、なんかもぅ目を離さねぇぞっていうあからさまな気合を俺に隠しもせず向けてくるし、言う内容も遠慮がなくなってきたからさぁ」
信一はクスクスと笑った。少しだけ目尻が光っているように見えるのは、笑い過ぎたためと言うわけではないだろう。
「だから俺は、自分を見失うヒマもねぇや」
キッパリとした声は芯を持っていた。信一がまた景色の方に顔を向けてしまったので四仔はその横顔を眺め続ける。
「だからお前の心配は伝わってる。それに俺だってお前らが心配だし、よく見るようにしてるんだ。十二は何でもソツなく出来ちまう器用すぎるヤツだからさぁ、だからこそ逆に気をつけてやんなきゃなぁとか。洛軍は不器用そうに見えて実は要領も得ているし優秀なやつだから、お節介は控えて、洛軍のやりたいことを応援してやりたいなぁ、とか」
仲間のことを話す時はいつも親し気で楽し気だった。気軽に気を紛らわすのに彼らの名前は有効だ。しかしもう短くなってきたタバコを吐き出せば、トーンの落ち着いた深刻で悲しみの色を漂わせる息が信一から漏れた。
「タバコかぁ
…
。あんなに近くで見てたのに、近すぎるとどうして逆に目をつぶっちまうもんかねぇ」
変な咳してんなぁ、とか。
変な寝落ちすること多いなぁ、とか。
最近、疲れ気味かなぁ、とか。
隠しごとがあるんじゃないか、とか。
思っていたんだけどな。
傍にいすぎて、気持ちが強すぎて、盲目になってたのかなぁ。
「悪かったな、四仔。兄貴のこと黙ってるの辛かっただろ」
「医者の義務だ」
「そうか」
「それに
…
」
「うん?」
「俺の言葉なんかじゃ、あの人のお前に対する想いは揺るがなかった」
「
…
そっか」
信一がいっとう優しく愛しい表情をして笑う。その顔に見惚れるのは不謹慎だろうか
…
と四仔は思った。喪失を抱えて信一はいっそう美しくなった気がした。悲劇だ、と四仔は思う。それなのに心は揺さぶられてしまう。その頬に手を伸ばしたいと、触れることで喪失を埋める何かを与えてやることはできないかと、浅ましく考えてしまうのだ。喪失を代替えで埋めることなどできやしないと、自分が一番よく知っているというのに。
「だが」
四仔は信一の頬に手を伸ばす代わりに、口元に手を伸ばした。
「悪いがあんな思いをするのはもう御免だ。一本にしとけ」
「あ!」
ちゃっかり2本目を取り出した指から小さな巻物を奪った。信一は声を上げたものの抵抗せず、目の前で堂々と吸おうとしたくせに「ばれたか」というようにおどけた目をした。
「一本の約束だ」
「はいはい、俺のお医者さま」
「
…
そうじゃない」
医者だからじゃない。
お前が大切だからだ。
そう言おうとして四仔は飲み込んだ。
さすがに自分の気持ちが色濃く出すぎやしないかと言い淀む。言葉にありのままの重みを乗せ過ぎのような気がした。
ましてや好きだから、愛しているからだ、などどは。
信一の中に色恋沙汰が芽生えている様子はない。この大変な状況下で自分の気持ちを伝える気もなかった。ただ近くにいて支えてやれればいい。それで十分であるのに変に意識させてはいらぬストレスを与えてしまうだけ。
しばし黙り込んでしまった四仔を信一が不思議そうな顔をして見つめていた。少しだけ首を傾げた様子がやけに幼気にも見えたので、自分の気持ちに対して余計に気が引けていった。
「なに?四仔」
「
……
お前は」
「
…
うん」
信一の目が潤んだままにきゅぅと細まった。真っすぐな眼差しでその後に続く言葉を待っている。頬がほんのり蒸気しているように見えるのは、陽光のせいだろうかと四仔は思った。それがどうにも艶やかだったので、四仔は目を逸らそうにも逸らせず言葉を捻り出すしかなかった。
「友だちだろう」
まるで拙い回答だ、と四仔は他人事のように自分の声を聞く。それでも信一の表情がかすかに揺れ動いた。
「ともだち
…
」
信一が同じ言葉を繰り返す。放った言葉はそのまま地面にポトリと落ちたように静かに消え失せた。感情が乗っていなかったようにも思えるし、まるで愛しさを滲ませた切ない色を帯びているようにも聞こえた。
四仔が僅かな違和感を覚えた時、ふいにゆっくりと、屋上に風が吹き始めた。
パーマが取れかかってきた信一の髪が風によって揺れる。自分の頬にかかる髪にそっとふれて耳にかけると、信一は長い睫毛をゆっくりと伏せてフンワリと優しく笑った。信一を今だ茜色に染め上げる夕陽はまるでスポットライトのように彼に降り注ぐ。その眩さに一瞬、時を止められたような錯覚が起きた。儚気にも綺麗に想い人が笑う。目が釘付けになったままの四仔の感情は全てをかっさらわれてしまった。
「そうだな、四仔」
信一が顔を綻ばせて、もの柔らか口調で言う。
「心配してくれてありがとう」
本当に嬉しそうに言う姿がいじらしくて、四仔は思わずその体に手を伸ばして抱きしめたい衝動にかられた。実行に移すまで本当にあと少しだった。もしもこの時、夕暮れの時刻を知らせる鐘が街に響き渡らなければ抑えられなかっただろう。まるで四仔と信一だけの世界を作り出していた静かな屋上は、鐘の音色で一気に現実へと雰囲気を戻した。
「
……
夕刻の診療時間が始まる」
「だな。じゃぁな四仔。俺はもうちょっとだけ風に当たろうかな」
「
…
体を冷やすなよ」
「ちょっとしたら戻るよ。だいじょーぶ、今日はもう吸わないから」
ほら、行った行った!
信一はそう明るい調子で手をヒラヒラと振り四仔を他所へ追いやる仕草をした。それからクルリと背中を見せてしまう。その背中から「話はオシマイ!」という意志を読み取った四仔は踵を返した。
そうして帰ろうと屋上のドアに手をかけた時だった。
びゅぅ、と一際強い風が吹いた。
驚いて動きを止める。
まるで風に乗ってきたように、四仔の耳にまたポトリと、そっと消えてしまう声が届いたからだ。
好き。
ドアノブを掴んだまま動きを止める。
先ほどまで聞いていた、散々耳に馴染んでいるような、大切な人間の声だった。
いや、この距離で信一の声が自分の耳に届くわけがない。顔だって外を向けているだろう。それに
…
そんな言葉だなんて。
頭は冷静に否定している。でも心の方は大きな感情に揺さぶられ、困惑する体がドアノブを掴んだまま動こうとはしなかった。
「おーい?四仔。どうした」
ドアが開く音がしないため不審に思ったのだろう。信一の声がした。距離のためか声を少し張り上げて呼びかけている。
「なんかあったか?」
四仔は勢いよく振り返った。遠い距離。真っすぐに相手を見る。
”あんなに近くで見てたのに、近すぎるとどうして逆に目をつぶっちまうもんかねぇ”
”傍にいすぎて、気持ちが強すぎて、盲目になっていたんだろうか”
いくつかの信一の言葉が四仔の頭の中でリフレインした。四仔は思った。違和感はあった。それならば直観に従うべき時もあるかもしれない。
四仔を見つめたまま、再び小首を傾げた信一が「ん?」と微笑んでいる。
まずは手を伸ばそう。
それから。
先ほど声に出せなかった本当の理由を
…
。
心臓が激しくなる。喉はカラカラだった。
でも先ほどから風が体や気持ちを押すような気もする。
四仔は足を一歩、前へ踏み出した。
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