何処を歩いても金木犀が香る神無月の終わり、とある一室にキザミとブレイドはいた。何か言葉を交わすことない、傍に居るだけで心地よい一時。
ただ、ブレイドは手持ち無沙汰であった。風丸の手入れは先週行った。刀鬼に渡された書類の山は当たり前に目を通していないが、仕事を片付けるやる気もない。戦の予定もない。
背中合わせで枝毛を探していたブレイドは、平和ボケしてしまいそうだと背を伸ばした。そのまま身体を翻し、行き場を失った腕をキザミの肩に落とす。
「ヴッ」
「く、ははっ」
少し睨まれてはいるものの、刀の手入れ途中にちょっかいを掛けても怒られない。極楽天女の下拭いを辞めないのを良いことに、ブレイドはそのままキザミの首に抱きついた。
目の前で無造作に跳ねる髪に堪らず顔を埋める。キザミ本来の匂いに混ざる、お揃いの石鹸と、仄かに香る金木犀。幸せが肺を満たし、ブレイドは顔を綻ばせた。
「なぁ、きざみぃ」
「んー?」
その顔に王の風格は微塵もなく、ただ一人の青年として恋人と接している。将軍として王を護る鬼もまた然り。
「黒子に纏わる噂、知ってっか?」
「んー…知らねぇけど」
「教えてやろう」
「偉そうに、どうせまたツルギだろ」
「ふはっ!ご明察~」
上機嫌なブレイドの下でキザミは嘆息を漏らした。ブレイドが持ってくる噂の仕入元は九割方ツルギからである。満月の夜の同衾は相手を一層乱れさせれるだとか、桜の木の下で接吻をすると二人の関係は永に隔つことがないだとか、大半は素っ頓狂な色恋話なのだが。なんなら困ったことに、前半の艶話に至っては訳も分からぬまま広げている。
聞く者皆が呆れる中でただ一人、ブレイドだけは面白そうだと全て試すのである。
「ったく、今度はなんだ?」
「実はな…」
2人だけの空間で声を潜める。
童のように楽しそうなブレイドが前だと、最終的にどんな噂話も付き合ってやろうと絆されてしまうのだ。
「黒子がある場所は、前世で恋人に接吻された所らしいぞ!」
「……嘘くせぇ」
「あー、信じてねぇな?」
「…だったらよ」
極楽天女を畳に置いたキザミがブレイドに向き直り、ちょんちょんと自分の唇を指し示した。
「それが本当なら、お前のせいで来世の唇は真っ黒だ!」
「ぶっ、あっははは!なんなら全身真っ黒にしてやってもいいぞ!」
「妖怪かよ!」
ぎゃいのぎゃいのと騒ぎながらキザミは赤くなった顔を隠すためブレイドに背を向けた。見られたくないのなら距離を取ればいいものを、そのまま背を預ける愛おしさについ表情が緩む。お互いに見せられない顔をしていた。
込み上げる愛おしさを溢れさせ強く抱き締めれば、白く滑らかな項が目に入った。
来世まで届く不思議な印。
来世で会えたら巡り逢える目印。
「ぅわッ…」
気付けばブレイドは本能の赴くままに口付けをしていた。舌触りのいい肌は何処か甘美であり、二人の纏う空気も甘く溶けかけていたのだが、
「……ぶれ、イ゙っ!?」
痛いほどに吸い上げるブレイドによって、その空気は壊された。
「ぅ、あと!痕付く!」
「見へふけりゃいいじゃねーか」
「ひっ、そこで喋んな!」
再びぎゃいのぎゃいのと暴れだすキザミ。ブレイドが宥めるように吸い痕に舌を這わせると、小さく身体を跳ねさせてから腕の中で大人しく縮こまった。項垂れる姿ではより一層痕が目立っている。
「来世で会えたら、これが目印」
赤く映えるそれを満足そうに見つめるブレイドは慈しむ声色で語った。
「絶対に見つけるから。な、キザミ」
「…そんな、」
先の話を今してどうするのか。
なんて、全てを言う前に思考が追いついて口を閉ざした。刀を交えて戦う世界で、明日の太陽を共に見る確証はどこにもない。共に過ごすこの時間が次もあるとは限らない。
ブレイドが強いことは知っている。ただ自分はどうなのかとキザミは影を落とした。匁に負けたあの日から、情けなくみっともない己の弱さを痛感してばかりだ。
「あー…そんな顔させたかったわけじゃなくて」
俯いたまま黙ってしまったキザミを見て、ブレイドは頭を搔いた。
「天寿を全うして、来世でも愛し合って、そんな限りなく長い間ずっと…ずっと、キザミの隣にいたいんだ。…いさせてくれ」
暖かな日差しのようにブレイドは笑う。
瞳が奪われて逸らせない。呼吸を忘れるほどに見蕩れていた。熱くなる目頭と溢れ出す多幸感を紛らわせようと、なんとか言葉を振り絞って返事をする。
「は、歯痒い」
「おい」
「恥ぃ、離せ。見んな」
「キザミ」
「…んだよ」
「耳真っ赤なの丸見えだぞ」
「見んな! …ぉわっ」
ブレイドの手によりキザミの身体はくるりと向きを変えられ、あっという間に対面状態へ。熟れた顔が目と鼻の先で赤裸々に慌てふためく。
「……見んなよ」
添えた手から熱が伝わる。
秋口の冷えた指先は熱を求め、一方は熱を逃すため冷たさに擦り寄った。
「口付けた所、全部覚えとく。生まれ変わっても」
「流石に多いだろ」
「むしろ少ねぇけどな」
「こえ~」
困り顔で、だけど幸せそうにキザミは笑う。
「…俺も隣にいたい」
先程まで逸らしていた視線をゆったりと持ち上げ、自身と同じ赤い瞳を捉える。包み込む手に己のを重ね、余った手で項を彩る小さな痕を撫でた。
「きっとまた、いつか、俺を見つけてくれ」
信じる信じないではない。確かな愛を感じたいが為に二人は約束を交わす。
「あぁ! 絶対に」
頬、首筋、鎖骨と口付けをするブレイドの頭上で、キザミは「マジで真っ黒んなる」と擽ったそうに身を捩った。
(……俺も)
最愛の者に印を刻みたい。
ただひたすらに愛おしく腕の中で揺らめいている赤髪を撫でながら、頂点に唇を落とした。
○
舞台東京ブレイドは千秋楽を迎え、張り裂けんばかりのスタンディングオベーションと共に幕を下ろした。
ほっと一息付いたのも束の間、「打ち上げよりもメルトの飯が食いたい」と手を引く姫川に、メルトは真っ赤になりながら二つ返事で頷いた。
手を繋いだままあれよあれよと家に招かれ、夕飯を作り、二人で食べ、どうせなら今夜放送の東京ブレイドをリアタイしようということで、メルトは姫川の腕の中で縮こまりながら座っていた。
(手が早すぎる……)
メルトはこれが大人の恋愛か…と、チャラ男の肩書きを微塵も感じない感想を抱く。
「メルトさ」
「な、ナンスカ」
「今日泊まってく?」
「エッ!!?」
「…冗談」
少ししょぼくれているのを見るあたり、半分は本気だったのだろう。どこかいたたまれない。だからといって心の準備が出来ているわけではない。
罪悪感と少しの甘えから、メルトは姫川に身体を凭れさせた。
「いつまでいれるの、今日」
「東ブレ見たら帰るっす。明日学校だし」
「すぐじゃん」
「そっすね」
「えー…」
「…ちょっと、延長するかも、っす」
「まじか、やった」
嬉しそうに肩口に顔を埋める姫川。艶のいい黒髪が首筋を撫でて擽ったい。メルトだって、どうしようもないほどの幸せを長く感じていたかった。
「あ、」
幸せの最中、何かを見つけた姫川が顔を上げた。
「ホクロある」
「え、どこっすか」
「ここ」
「へぇ、知らなかった」
ちょんちょんと指差す先に、メルトすら覚えのない黒子が一つ。白い項に色濃く存在するそれはかなり目立っていた。
「キスしたとこだわ、ここ」
「キス?…あ!」
「お、覚えてる?」
「覚えっ…え? あれマジでホクロになってんすか?」
「めっちゃなってる」
「へぇ…」
愛し合った日々が可視化され目の前にある。
幸せだったのに、愛し合っていたのに、別の人生を歩んでいる姫川とメルトの口調はどこか他人事になってしまう。
「…なんかやだな」
「……うん」
ブレイドはキザミを、キザミはブレイドを愛したように、姫川もメルトもお互いだけを愛している。ただそれだけの事なのに、胸を巣食う寂寞が冷たくて仕方がない。
行き場のない複雑な罪悪感をどう受け止めたらいいのかメルトには分からなかった。
「なんて言うか、」
「……」
姫川も同じ気持ちなのだろうか。神妙な面持ちで口を開く姿に息を飲んだ。
「メルトに俺以外の印付いてんの、イヤ」
「……………ん?」
愁いを帯びた空気の中、聞こえてきた言葉にメルトは耳を疑った。
「なんでメルトにブレイドが付けた印残ってんの、俺のメルトなのに」
「自分でやっといて何言ってんすか」
「俺じゃない、やったのはブレイドだ」
「ブレイドは姫川さんの前世でしょ!」
「そうだけど……いや大体は目印口実にイチャイチャしようと目論んでたブレイドのせいだろ。目印なくても俺は見つけたし。口実なんて無くてもメルトと愛し合えるし」
普段は淡々と喋る姫川の口から、次々と出てくる妬みと威張り。「これ上書きしたいんだけどブレイドと間接キスなる?」と真面目に聞いてくる姫川に、罪悪感も忘れ堪らず吹き出してしまう。
「ぶふっ!なんすかそれっ…く、あははは!」
「こっちは真剣なんだけど」
「なんっ、んふ、ふっはははっ!」
腹を抱えて笑うと、陽だまりに似たあたたかさが胸を満たした。
「んふ、間接キスす、するんすかっ…自分と」
「覚悟はある」
「あっははは!けほっ、んははっ」
寂寞なんて感じなくていいと言われているような優しい温もり。笑い話として思い出した方が、あの二人も喜ぶに決まっている。
「はあ~…はぁ、ふふっ…どうぞ?」
息を整えてから、髪をかきあげ項を晒した。
メルトだって最愛の者に印を刻まれたい。
「姫川さんのって印、付けてください」
そして来世、その先でも、同じよう笑い愛し合えたら。限りなく長い時をずっと隣にいられたなら。
そんな思いを込めながら姫川の口付けに身を委ねた。
身体の向きを変えられ頬、首筋、鎖骨へとキスが降り注ぐ中、黒髪の下に隠れていたホクロにメルトはキスを重ねた。
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