【一】 顕現
長い長い河のほとりを龍捲風は歩いていた。たゆたう水の音をかたわらに、しっかりとした足取りで砂利を踏む。
身体が軽い。胸のつかえも息苦しさもなく、散々刺された痛みも消えている。腕もある。深く呼吸をしてみれば、ここ数年味わったことのないような爽快さが身体の隅々までを満たした。
ああ、そうか。俺は死んだのだった。つまりはここが地獄かとすんなり納得してみたものの、思い描いていた風景とは随分と違っていた。死ねばすぐさま業火に焼かれるか、あるいは先に逝った誰かが迎えに現れるだとかそんな想像をしていたが、どうやらそれもないらしい。
河原はどこまで行っても先が見えなかった。目を凝らしてみてもなにもなく、ただ靄がかかるばかりだ。
それでも他にやるべきこともないのでただひたすら歩く。
歩きながら、あの子は無事に生き延びただろうかとふと思う。
天命を受け入れ幕を下ろした生に未練はないが、願わくば───
「もし、そこのお方」
声がした。頭の中に直接語りかけてくるような不思議な声だった。確かにそんな感覚だったが、不意に現れた小さな気配に足もとを見下ろせば、一匹の獣が前足をそろえて龍捲風を見つめていた。
どこから湧いてきたのか、地獄の使いにしては珍妙な様子だった。ただの猫にしては顔の模様も面妖だ。
獣は、今度ははっきりと口を動かした。
「わたくし、こんのすけと申します」
そう名乗りを上げ、さらに続ける。
「歴史に、もしくは刀剣に興味はないですか?」
「
……ないな」
獣の上を跨いで通りすぎようとすると、太い尻尾が踵に巻きついた。
「そ、そんなこと言わずに! せめて話だけでも」
踏みつぶすわけにもいかず、足を止める。縋るような訴えにはつい耳を傾けようとしてしまう。長年の習性だ。
さらに聞けば獣はクダギツネという妖の類であること、二百年ほど先の未来から来たこと、歴史修正主義者と戦うべく、刀の付喪神を統べる審神者なる者の適合者を探していること、などを語った。
「どうやら刃物の扱いにも長けていらっしゃるご様子。なんといっても人の上に立つ才覚がおありです。とにかく人手が足りなくてですね、どうかお力を借していただきたく」
「死人を駆り出さなければならないほど人手不足なのか」
とっくに手に負えない状況なのではと思ったが、そういうことではないと言う。
「そこは人外の方も普通にいますし、たいした問題ではございません。就任後もわたくしや政府から手厚くサポートさせていただきますし、そうそう、今ならオプションでそちらの方もご一緒にお迎えさせていただくことも可能ですが、いかがです?」
そう言うと、獣は前足で龍捲風の胸のあたりを指した。
胸ポケットに触れる。そこには見覚えのあるかたちの三本の指がころんと収まっていて、龍捲風は苦笑した。
ついて来たのか。あるいは連れてきてしまったか。
だからといってあの子まで巻き込む理由はない。ここにこの指しかないことが、まだ生きている証拠でもあるのだ。
すると獣はしたり顔で黒い鼻をすんと鳴らした。
「ご安心を。もちろん現世にいらっしゃるご本人とは別に顕現する形となります」
「そんなことが
……?」
「ええ、なんでもありですこの際。その三本の指を依代にして、つまりは刀剣男士と同じように考えていただければ。本霊・分霊方式といえば皆納得してしまう便利なシステムがありまして」
なにひとつわからない状態ではあったが、これもまた天命かと腹を括った。そんな龍捲風を察したのか、獣は次々と話を進めていく。
「お望みとあれば居住地となる本丸もお好きにカスタマイズできます。リゾート地やタワマンなどの現世風、はたまた歴史的建造物のレプリカも」
「いや、」
龍捲風は言葉を切ると首を振ってほほ笑んだ。
「普通でいい」
***
「へえー、日本の家ってこんな感じなんだ。あれって庭? すっげえ広いね」
物珍しさにきょろきょろと首を動かす信一の足もとには例の獣、こんのすけが案内をして回り、やがて奥の間に通された。緑に蔽われた広い池がよく見える。
「すぐに仲間が増えて手狭になりますよ。さあ、審神者の最初のお仕事です。はじまりの一振りを選んでいただきます」
「どれでもいいんだが」
「大佬、そういうこと言わないの。最初が肝心って言うだろ?」
信一に肘でつつかれ、目の前に並べられた五振りの刀から真ん中のものを手に取った。たちまち薄紅色の花弁が舞い、若い青年の姿をとって現れた。
「あー。川の下の子です。加州清光。扱いづらいけど、性能はいい感じってね。
……え、俺がはじまりの刀じゃないの?」
顕現したばかりの刀の付喪神はあきらかに困惑した表情で、龍捲風とその隣にいる信一をぽかんと見つめている。
「ああ、この子は
……」
どう説明したものかと口を開きかけると、笑みを浮かべた信一がつ、と一歩前へ踏みだした。
「龍城第一刀、藍信一だ」
「第一刀? ってなに!?!?!?」
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