シノハラ
2025-11-11 12:19:30
5062文字
Public
 

ルアンがいると聞いて大慌てでアベンチュリンがお菓子を連れてステーションに行く話


 珍しく本社にいるからとぎゅうぎゅうに詰め込まれた会議が一通り終わり、議事録を読み返しつつ資料を再確認していた時だった。
 仕事中は触る暇もない私用のスマートフォンに緊急の通知が入り、濃いめに作ってもらったコーヒーを喉に押し込む。
 一体何事かと思いながら持ち上げながら通話のボタンを押せば、お菓子達が画面いっぱいに映し出された。

「ステーションに帰らなきゃ!」
「え?」

 彼らが言うステーションとは即ち、宇宙ステーション『ヘルタ』を指す。
 あんまりに急な要望に目を丸めると、じれったそうにお菓子達が騒ぎ始めた。

「ルアンが来てる!」
「会いたい!」
「アベンチュリン、帰ってきて!」
「ええと……

 共感覚ビーコンにお菓子生命体用の辞書をダウンロードしているのは、この部屋に限ってはアベンチュリンのみだった。
 にゃあにゃあと聞こえる画面に人語で返す上司を目の当たりにして、突如アベンチュリンが狂ったのではないかと危ぶんでいるだろう秘書に視線をやる。
 騒がしくなったアベンチュリンの様子を窺っていたのか視線がすぐ合うが、表情はいつも通りのすまし顔だったので見事なものである。

「今日はもう帰っても大丈夫かな?」
……はい、この後対面の予定はございません。お疲れさまでした、総監。ゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう、それじゃあまた来週!」

 ちらりとアベンチュリンのカレンダーに目を落とした秘書が小さく頷いてから、帰宅の許可を出してくれる。
 それ幸いとタブレットを持ち運び用のケースに放り込んで、帰り支度をしてアベンチュリンは自分の執務室から飛び出した。
 やっぱり精神を不安視されていたのだと気がついたのは早足でビルの外に出た辺りで、週明けの出社で弁明をしようと心に誓う。

 ――お菓子達とレイシオ曰く、彼らはルアン・メェイに作られた種族らしい。
 まるで想像上の神様に愛を求めるように、お菓子達はルアンを慕っていると聞く。

 アベンチュリンはお菓子達からも度々ルアン・メェイの話を聞くが、彼らにとって彼女はまず絶対的な存在であるようだった。
 しかし彼らの語り口は畏敬ではなく、子供が親に無条件に向ける愛情に等しいものをアベンチュリンは感じてしまう。

 彼らにはそういう人がいる。
 それなのに小さな体に好奇心をいっぱいに詰めて、この子達はアベンチュリンの下にやって来てくれた。
 けれどそれが、お菓子達の中で彼らのルアンへの気持ちが弱い事を示しているわけではないのだ。

 ルアン・メェイは宇宙を自由に旅している。
 アベンチュリンもたくさん、色んな星を訪ねる仕事をしている。
 様々な星の話をアベンチュリンが彼らに語って聞かせることで、彼らはルアン・メェイの旅路を少しだけ思い描く事ができるのだ。

 それが彼らがアベンチュリンの家にやってきた、一番初めの動機だった。
 その発想が彼らの内から自然に生じたものだったのか、提案を持ち掛けたレイシオの入れ知恵によるものだったのかアベンチュリンは知らない。

 そのルアン・メェイが宇宙ステーション『ヘルタ』に姿を見せた。
 どうやらマダム・ヘルタが所有している模擬宇宙の様子を見に来たのが主な動機らしく、滞在は短期の予定らしい。

 あるスタッフが予定を確認したところ、あまりはっきりした目標ではないものの、とルアンが告げた時間はピアポイントから最速で移動して何とか間に合うかどうかと言ったところだった。
 運がいいのか悪いのか、ちょっと判断に悩むところである。

 一番早い便の一般席は既に満員で、職権乱用を自覚しながら高級幹部用に押さえられているファーストクラスの席を取らせて貰うことにした。
 こんなぎりぎりまで空席なのだから後から団体が押さえるはずもないと言い聞かせながら、アベンチュリンはタブレットを片手に乗り換え先の席のために申請作業を再開する。

 お菓子達は動物運搬用のスペース送りになるため少しばかり不満そうではあったものの、プライベートシャトルを使う猶予などどこにもないと彼らも承知していた。
 アキヴィリの引いた星軌は有限であり、秩序立てて運用しなければ宇宙船同士の衝突事故が頻発してしまう。
 その辺りの調整の煩わしさや順番待ちを回避したいのであれば、定期便となっている公共交通機関を使用するしかないのだ。

 シャトルを乗り継いでいるうちに日付が変わり、朝食を食べた後に目的地に着いた。
 旅立つのであればちょうどいい塩梅の時間に慌てて宇宙ステーションに降り立ち、お菓子達の快適性を無視してキャリーを引っ張る。

「開けて! アベンチュリン!」

 ひとまずお菓子達の管理者のスマートフォンに電話をかけようとした瞬間、キャリーの子達がわあわあと騒ぎ出した。
 人々が行き交うステーションでアベンチュリンはルアン・メェイの姿を見つけられていなかったが、おそらく匂いか何かでお菓子達は創造主を見つけたのだろう。

 こんな所で動物を外に出したら叱られてしまうかもしれないが、緊急事態だから甘んじて叱られようと覚悟してアベンチュリンはキャリーの蓋を開け放つ。
 そうすれば我先にと出ようとして詰まりかかったお菓子達が無理やり外に飛び出して、ゆっくりと進む搭乗列に向かって一目散に駆け出した。

 お菓子達が声を上げながら走っていくので、搭乗待ちらしい乗客達が慌てて道を空けてくれる。
 アベンチュリンは一応謝罪をしつつ、三匹の小さな姿を追いかけた。
 そうして最後に、ヒールのある靴の周りで翠を基調にした服をゆらゆらと遊ばせる女性が視界に飛び込んでくる。

 ルアン、と叫んだのがどの子だったのか、アベンチュリンは分からなかった。
 もしかしたら全員だったのかもしれない。
 その声に気がついたらしいルアン・メェイが振り返り、お菓子達は一斉に歓声を上げた。

    *    *    *    *

 急ぐような用事でもないのです。
 そう、お菓子達の生みの親は口にして、自分が乗るはずだったシャトルを見送ってくれた。
 追加でかかるだろう交通費の補填を申し出たものの、私はあなたよりもお金持ちだと思いますよと断られてしまった。
 そういうのってお金の問題だろうか、とは思ったが、受け取る気持ちがないのはよく分かった。
 アベンチュリンよりもお金持ちなのも事実だろう。

 ステーションの片隅の、大きな窓の傍で一人と三匹は語らっていた。
 どうして自分達がステーションの外で暮らすことを選んだのかと説明する子供達に、ルアンはたまに相槌を打ちながらその判断の価値を認めたらしい。

 お菓子達の暮らしぶりの説明をしているうちに自分の家の間取りやら最近訪れた星やらの情報がだだ漏れになっているが、仕事の機密情報を彼らに話しているわけでもないので許されるだろう。
 それに彼女の専門分野を考えればアベンチュリンの仕事内容など、うっかり多少漏れたところでなんの価値もないもののはずである。

 そう、お菓子達とアベンチュリンの近況など研究には全く価値がないだろうに、ルアン・メェイは予定を遅らせてまで三匹の話を聞いてくれているのだ。
 ルアン・メェイの創造物は決して得られない創造主からの愛を求めていると聞いていたものの、その情報が正しかったのか疑わしくなってくる。

 確かに親から子に注がれるそれとはかけ離れているのかもしれないが、天才の人生としては無価値な浪費でしかないこの瞬間が愛ではないとはアベンチュリンには思えない。
 それが密やかなものであったとしても、その感情に名前を付けるのであれば暖かな色をしているべきだろう。

 種族としても歴史が浅いどころの話ではない彼らはきっと、これからも多くの事を学んでいく必要があるのだろう。
 その一つの中に、創造主が彼らに向ける思いがある。

 彼女が抱く静かな愛情に今の彼らが気づけないのなら、誰かがその存在を指し示してやらねばならない。
 そうでなければ、そこにたしかにあるはずの温かな感情があんまりにも浮かばれないではないか。

 とはいえ、その役割は誰が担えばいいのだろう、とアベンチュリンは考える。
 こんなことがあったからには、彼らはアベンチュリンの家に帰るつもりはなくなってしまっているだろう。

 アベンチュリンが仕事のためにピアポイントに帰るまでの時間で彼らに理解してもらえるかというと、実際のところかなり難しいのではないかと思わずにはいられない。
 知識として知っている段階にまではもちろん持っていけるだろうが、その仄かな温もりに気づけるまでは相応の時間が必要なはずだった。

「この後はアベンチュリンさんの家に帰るのですか?」

 お菓子達に問われて遠い遠い星の名を次の目的地として上げてから、ルアン・メェイは礼儀とばかりにお菓子達へ尋ねた。
 落ち着いていながらも雑踏に紛れ切らない声音がアベンチュリンの鼓膜を撫でてから、ほんの少しだけ心臓をひやりとさせる。

「うん!」

 お菓子達がぽよんと跳ねながら肯定したものだから、アベンチュリンはびっくりしてしまった。
 同時に何にも考えずに言ってしまったのではないかと、思わず心配になってしまう。
 今回こうやってお菓子達を創造主に会わせられたのは、本当にただの幸運でしかなかったのだから。

 それからすぐに一匹があ、と声を上げながらぴょんと弾んで、アベンチュリンの下に駆け寄ってくる。

「アベンチュリン! みんなと挨拶がしたいから、もう少しだけいられる?」
「大丈夫だよ。明日の朝まではいられるかな。それよりも本当に良いのかい?」

 なあに、と尋ねてくるお菓子を抱き上げて、アベンチュリンは頭を撫でてやりながらルアン・メェイの方に近寄った。
 それからアベンチュリンを待っていたらしい二匹の下に一匹を返してやって、しゃがみ込んでお菓子達と視線が近づくようにする。

「次は間に合うか分からないよ。僕がどこかの星に出張していたら、連絡がついてもどうしようもないかもしれない。それでもいいのかい?」

 撤回しても構わないのだと、なるべく優しく聞こえるように気をつけながらアベンチュリンは彼らを諭す。
 アベンチュリンだってお菓子達との生活は気に入っているけれど、だからこそ本当に大切な事を見失わないでほしいのだ。

……アベンチュリンと一緒にいるの楽しい。アベンチュリンは違う?」
「違わないよ。ありがとう。でも、生きていくには優先順位を付けないと、いつか後悔してしまう。君達が一番大事にしないといけないのは何だい?」

 これはアベンチュリンが生きていく上で一番大事にしている事だった。
 その指標を聞いて、お菓子達はお互いに目配せをし合って考え込んでしまう。
 どうやら、随分と難しい判断だと思ってくれているようで、嬉しくもあり心苦しくもあった。

「アベンチュリンさん」
「へ、あ、はい」

 急に上から降ってきた言葉に慌てて返事をして、アベンチュリンは立ち上がってルアン・メェイに向き直る。
 さすがに天才と会話をする体勢ではない。

「事前に連絡があれば、他の人に移動をお願いすることは可能ですか?」
「ええ、もちろん」

 天才と言えば自由気ままの代名詞だと思っていたので、青天の霹靂とも言える提案だった。
 彼の場合は別の事情もあるだろうが、紳士の名をほしいままにしているスクリューガム一世ですら、神出鬼没でまさかこんなところにいるまいと思う場所に出没するほどあちこちを飛び回っている者達なのだ。
 そういう人がたった三匹の創造物のために労力を割いてくれるとは、失礼ながら露とも思っていなかった。

「では、これからはそうしましょう」

 ね、と最後に自分の創造物に視線を落として告げれば、元々大きな目を更にまんまるにしたお菓子達がきゃあきゃあ言いながら跳ね回る。
 しばらくは落ち着かないだろうお菓子達を眺めてから、礼が足りていないと気がついてアベンチュリンはルアン・メェイに視線を向けて、結局口を噤むことにした。

 ほんの少しだけ柔らかくなった口角と、微かに色づいた眼差し。
 きっとお菓子達は気づかないだろうそれを少しでも彼らに独占してほしいと願いながら。