光る薄い液晶に浮き足立つ。遅れたバイブ音。すぐに出る。その名前からの呼び出しは黎明にとって大抵楽しいことだったし、魅せてくれるものに黎明は少々寛容だった。だから時間構わず内容すら不明で来いとしか言われなくても、居住地の教会に嬉々として踏み込んだ。
この間は、死体の処理の手伝いになった。本当は黎明にくれるはずだったらしいが、来た時には壊れかけていてなにか天堂の低い沸点を超えたのだろうと思った。易々と手に入るものでもないしすこし勿体無い。
あの時の天堂はずっとずっと怒っていた。釣り上げた相手はもう死んでいるのに。
ひどく無意味なこと、が行われているより、黎明を呼び出したのも忘れたのか、何の反応もないただのひとがたに悪態づいて、損壊していて、その視線も感情も黎明に向けられていないのだけが腹立たしかった。腹立たしいけど面白い。そして安心する。
どんな綺麗なことで飾り立てたって、高尚な理想を心から信じていたって、人殺しという結果を己で決めてその線を超えている神様と黎明に差異なんてない。
一瞬で頭が冷えたのか、口紅がはみ出たように赤い色を頬につけたままようやく思い出したようにこちらを見る天堂はあの友人たちと過ごす時と変わらず、あまりにいつもどおりだったから黎明も同じように笑った。
仄暗い私室に入った時、その高揚が蘇って、満面の笑みで顔を合わせた瞬間、腹に拳が沈んだ。
そうきたか。
ああでもその想定外の行動が可笑しくて、息が詰まるような苦しさなのに口角は上がったままでそれに手加減されているなあくらいはわかるので余計、どきどきした。
迫り上がる空気が喉を鳴らす。くの字に折れた体を立て直して、視線を上げれば、綺麗で無感情な貌がある。暴力を行使しておきながら何もわからない。怒りも喜びも。この観測者に読み取らせてくれないなんて、腹立たしくて、嬉しくて、じくじくと痛む肌がやけに熱い。
「おい、黎明、これはなんだ……?」
整った赤い色が指差したモニターの一つ。再生された映像に見覚えがある。それを意味もなく知らんぷりしながら、へらへらとした笑みのまま眺める。
「ユミピコったらさっすが〜この辺の監視カメラハッキングしたわけ?」
「そんなことを聞いているわけではないとわかっているだろう」
黎明のファンと並ぶ自分。上気した頬と熱っぽい視線を思い出す。彼女は何か捲し立てて、そして、いきなり黎明に唇を重ねた。
「いやあ、ちょっと油断しちゃってさあ、こんなの事故だろ事故」
すこしだけ空気が変わった。
わかるように読ませている、のかもしれない。がそんなことどうでもよかった。怒りの色が一つしかない瞳を染めていて、それを観測して喜びかけた黎明は、しかし、冷静な声色に笑みを引っ込める。
「ちょうどカメラに映るように誘導、避ける気もない。その上、この角度、神の目に止まるような作為を感じる。わざとさせたな」
騙されてくれない。それは別にいい。見破られる前提でその黎明の不誠実な行いに対して伴う感情が見たかった。そう、ただただ妬いて欲しかった、のに、どう見ても目の前の神様の怒りは違う部分に向いている
「え〜、何だよそれ、ユミピコ、怒ってるだろ、それ嫉妬じゃねーの? じゃあオレなんで殴られたわけ」
「あまりの浅はかな行いに天罰をくだしただけだ。神に悋気を抱かせようなど傲慢だと思わないか」
嫉妬、させようとしたことにキレている、らしい。舌打ちが勝手に出た。
「はあ? すこしぐらい妬けよ、オレがおまえ以外の人間にキスされてるんだぞ。神様は嫉妬しないわけ?」
「当然だ。神だぞ。そのような罪に煩わされるわけがない。
それよりも何を勝手に神のものに触らせている。人のものを勝手に与えるのは悪いことだ。
もう一度、殴らせろ。慈悲をやる。顔は避けてやろう」
嫉妬の末の暴力ならまあ、かわいいのでいいけど、そうじゃないなら痛いだけのそんな理不尽なものは欲しくない。天堂が振りかぶる前に思わず手首を掴む。勝っているのが身長と脚の長さくらいしかないので一時凌ぎにすぎない。エナドリが主食な不健康なアラサー、に対して罪人を吊り上げる上腕筋の逞しさをよくよく知っている。それが可愛いのは潰さないようにそっと黎明の腰に回った時だけである。
そもそもだ。
「ユミピコが悪い。なんだよ、あいつ。最近毎日毎日、ここにきておまえと話して見て、俺より一緒にいないか?」
教会の前に設置されたカメラを自宅で確認するたびに天堂と並ぶ奴がいる。近所に住む、一人暮らし。善良で正常であって平凡で、黎明にとって見る価値のない、存在。
「あれはただ敬虔な信者だろう。悪人でもない」
天堂の言う通りである。現時点、信者として逸脱したわけでもないし、毎日通っているといっても神父を見る目に邪なものもない。本当に祈りに来ているだけ。糾弾すべき疵がないのでこれはただただ黎明の言いがかりである。が気に入らないものは気に入らない。
天堂を最も黎明が見ているのだから、最もその目に映るべきは黎明でなければならない。
「なあ、他のやつのこと見るな、聞くな、話すな、俺だけでいいだろ、俺だけ見て、俺の話だけ耳に入れて、俺とだけ言葉を交わせば良い」
愛おしさにも哀れみにも似た目線が言葉より饒舌に黎明の望みを拒絶する。
口に出したところで自身の意思を絶対に変えるわけのない神様相手に無理難題を突きつけている自覚はあるので、嫉妬されたい気持ちでも叶えて相殺するつもりが結局、ただ余計なことを思いだすだけで苛々してくる。
閉じ込めたい。綺麗な硝子の中で叶黎明だけ見て縋って生きればいい。無理だ。もっと入念に準備しないと失敗する。失敗したら吊り上げられるだろうか。咎人へ向けるような表情を見てみたいから殺されるなら、その一瞬は黎明だけのものだから別にいいけど意外と神様の寵愛は深い気がするので赦してくれるかもしれない。その胸が躍るような、賭けを、してみるのもいい。
ああ、だけど、この神様を箱の中だけに置くのもつまらない気がする。観察するだけなんて勿体無い。隣で一緒に良いことも悪いことも混ぜて深淵の縁で遊びたい。でも他の見る価値もないやつが天堂の視界の中に大きく彷徨くのもやっぱり我慢ならないのだ。
隠す気もないから全部見透かした瞳が黎明を写し込んでいる。ずっとこのままだったらいいなあなんて思って、それはでも一瞬すぐに終わった。逸れた視線。
なるほど、とその口元が動いた。今度は読めない。
「まあいい……神を謀ったのは赦してやろう」
突然機嫌の良くなった天堂は、優しく黎明の肩に触れてにっこりと歪めた唇を同じところに押し付けてくるものだから虚をつかれて、一瞬、怒りを忘れた。
眼前で長いまつ毛が揺れている。離れていく吐息がまだ近くにあった。
「……薄い、つまらん」
形良く作られた爪先が唇をなぞる。薄らと伸引きって赤、は消えた。
「……最近のは落ちないよな」
黎明に触れたばかりの紅は完全なままそこにあって、いつもと同じ色なのにやけに艶やかに見えた。
「なあ、別の痕でもいいだろ」
「やっぱり殴られたいのか?」
「……それ、分かって言ってるよな、ユミピコ」
一日経って余計悪化した青あざが腹部に残っている。触ると痛い。長椅子に体を投げだしている黎明を村雨はちらりと見て触診して判断をあっという間に下した。
「骨までいかない絶妙な加減だな……」
お医者さまはさすがの診察である。
「だろ〜、ユミピコの愛を感じるよな」
「おいおい、何処がだ、ひでえ色だぞ」
「うわあ、痛そうだね、叶さん」
集まってきた面々が口々に感想を呟いた。怪我の元凶は、人の家だとか全く意に介さず颯爽と一番風呂に向かったので不在である。ので訊かれてもいない理由を説明する。視線の集中。いい気分だ。六つの目玉、その全てが呆れ返っていても。
浮気者、自業自得、痴話喧嘩、惚気、マヌケ、等々、若干の罵倒が飛んできたが一応話には乗ってくれる。
「それってすげー信頼されてるってことじゃねーの? いいじゃねえか、それなら」
「違うな、あのマヌケ神は自分に絶対の自信があって、叶が自分だけを見ているのは当然だと思っているだけだ」
その傲慢さに魅せられているのも確かだが納得はしない。なんとかその神様の戒律をすり抜けられないものだろうか。
「もっと過激なことしたら妬いてくれるかな、他のやつと寝るとか」
「最低だな、殺されるんじゃねーか」
「しかも別に悋気故の行いではないな……あのマヌケ神の所有物が不貞という行為に接触した裁きだな」
「礼二くん、ユミピコのことよく見てるな、まあ、オレもそれくらいわかってるけど」
「なんでおめーが妬いてんだよ……」
「叶さん、めんどくさいね〜」
「神の居ぬ間に密談か?」
頭上から降る声と共に黎明を覗き込む目。頬に垂れた白い髪が他者からの視界を遮る。二人きり、のように錯覚する。
「黎明、二度としないと約束したはずだが」
約束させられた。が正しい。
いい思いはしたけれどあれはずるくないか。寝台の上、強請るのも脅すのも上手な天堂の相手は優位に立っているのか立たされているのか時折わからなくなる。柔らかに甘えた、目が恐いような、ぞくりとした興奮を呼び覚ますような。ひとつだけ赦された今にも消えそうな痕、が髪の隙間からのぞいていた。
絡みつく熱と記憶を振り払って、不満げに鼻を鳴らす。
「約束、ね、なんだったっけ」
紅のとれた薄い唇が緩やかに弧を描いた。珍しいことでもないのだけど色のない口元を自分以外が見るのも嫌だなあと思う。
「真経津」
呼ばれた本人は愉快そうに瞳を細めた。
意図を察しても行動の方が早い。
近づく、顔と顔。口、の端、ぎりぎりだった。触れてはいない、と思いたい。
「ストップ! 覚えてるからやめろ!」
「やだなあ、天堂さんが本気じゃないってわかってるでしょ」
「わかってるけど! なあ! 近い! 近いって!」
「……まあ次はないかもね」
「そうだな、次は三人に神の祝福を与えてやろう」
ものすごく嫌そうに顔を見合わせた二人と何処か面白がるように真経津は双眸をひそめていた。
一番、厭な相手を分かって選んだ天堂は神様のくせに悪魔みたいにわらっている。
嫌だ。嫌なことしかない。相変わらず天堂はあの信者を教会に招き入れているし、それは当然のことなのでいくら黎明が近しい位置にいたって口出しできる領分を超えているのを分かっているからこそ、苛々する。
そこの線は跨いではいけない。想ってくれるなら愛してくれるなら黎明には存在しないものだが。神様の領域を犯すと天罰が下る。今はそんな気分じゃない。
いくつものモニター。こちらを見る目を眺めながら教会前のカメラに切り替える。
最悪だ。またあの、信者。にこやかに対応する天堂、はいつも通りだ。本当に、そうだろうか。
何か、違うような気がして、画面を大きく拡大する。ほんの些細なことのようでけれど観測者の目にいやに引っかかる。
そうだ、距離が近い。今にも触れそうな、触れられそうな指先と顔。その二人はひどく親しげなように画面の中で動く。
一瞬、頭に上った血を認識して、深く沈み込ませた。スマホを取り出して、手癖のままいつもの番号を呼び出した。
「ユミピコ」
「なんだ、指一本、触れさせていないぞ」
開口一番。見ているのをわかっている返答が薄い電子機器から届く。
「はあ? そういう問題じゃ」
「神は忙しい。切るぞ」
ぶつ、と黎明が声を上げる前に通信は呆気なく切れた。それから何度かけても繋がらない。電源を落としている。百、くらいでやめた。直接行った方が早いし、教会内でのカメラに切り替えて、動向を追っていたが、天堂は信者を招き入れていて、部屋にまで赦している。
ただでさえ、神様の心の内は突拍子もないのにさすがに映像越しだと何を考えているか読めない。
部屋を飛び出し向かった夕方の教会は薄暗かった。
乱暴に扉を開けると何かを蹴飛ばした。よく聞く口を塞がれたうめき声。
まだ吊り上げられていない人間が足元に転がっていた。
興味のない人間を見たくもないが見るしかなかったそれ。
「敬虔な信者じゃなかったのか?」
長椅子に座っている天堂はもう取り返しのつかないものを見る目をしている。
「いや敬虔な信者だった、咎人だ」
神様はただの人なんて簡単に堕とせる。何か、気に入らなかったのか。
「唆したの、ユミピコだろ」
肯定も否定もしない。ただ嗤う。
「その信仰が確かなものであるなら神の気まぐれに惑わされるわけがないだろう? 神を愛するのは構わんが赦してもいないのにその身に触れるなら、相応の罰を受けるべきだ」
「へえ、さっき指一本触れさせてないって言ってなかったっけ、どこ? どこ触られた?」
ちょうど投げ出されている掌を踏みつける。くぐもった悲鳴。うるさい。一本、二本、三本。骨の砕ける音くらいではすこしも苛立ちはおさまらない。
指、ぜんぶ切り落とすか。それでほっといたらどれくらい生きるんだろ。この無価値なひとがたでもすこしは面白いものをみせてくれるだろうか。
大体。そんなに簡単に触らせるこの神様も悪くないか。触れることを赦されている、その特権があるから見逃していてあげたのに。
振り返って気づいた。
その黎明を見て天堂は微笑んでいた。何処かで見た慈愛に満ちた神様の像を思い出す。
天堂はやけに楽しそうだった。咎人を処せるからではなくて、この間の、機嫌の良さに似ている。
「……ユミピコ、オレと同じことしてる?」
嫉妬に膿んだ黎明を天堂は鑑賞している。
「ああ、おまえと同じことをしている。黎明、おまえが悋気に駆られているのを見るのは悪くない気分だと気づいた」
あの夜からもっとそれが見たいと思った、黎明。
大きく嘆息して、屈んだ。なんだかぜんぶどうでもよくなってくる。それと、頬に熱を、覚えた。
「俺もすっげー悪くない気分だけど最悪だ。ほんっと面白いな、ユミピコは」
それで、これ、どうするんだ。行き着く先は決まっているが、一応、聞いた。言われなくてもわかるけど。
「神は何もしない。指一本触れて欲しくないのだろう?」
やっぱり、そうだよな。
誘導されたのだろうが、選んだのはこいつでむかつくのはむかつくし、もはや害虫と同等のものを飼う気は最初からない。
「おまえが私のために人を殺すのも気分が良いな」
「オレもだよ、こいつはおまえのせいで死ぬんだから」
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