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2025-11-10 23:46:52
5309文字
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燭鶴「正装」

光忠くんにネクタイを締めてもらいながら、いつもよりフォーマルな光忠くんを格好良いと思ってる鶴さんの話。
光忠くんもフォーマルな鶴さんをいいな〜と思ってる。なんか鶴さんは光忠くんのこと格好良いともちゃんと思ってるんだけど、本人にそれを伝えるのは照れがありそうだな〜と勝手に感じている。

「光坊、ちょっといいか?助けてくれ」
 鶴丸は隣室である光忠の部屋の前で呼びかけた。気配があるので、たぶん彼は在室しているだろう。

 今日の鶴丸は、政府の式典に出席するために、いつもと違う正装をしている。端的に言えば、フォーマルスーツを着ているのであった。普段は和装なので、シャツに袖を通すのは新鮮だ。そして慣れない。
 慣れない洋装とはいえ、自分は器用なほうだから着付けに手間取ることはない、すぐに着替えられるだろうと、思っていたのだが。

 どうにもネクタイが上手く結べないのだ。普段から戦装束でネクタイを締めている者たちは、もっとビシッと締めているような気がするのだが、鶴丸が自分で締めるとどうにも締まりがない。何が悪いのか、なんだか間抜けだ。そこで、光忠を頼ることにしたのだった。

「鶴さん?どうしたのかな、入って大丈夫だよ」
 部屋の中から返事があったので、戸を開けて入室する。
 部屋に入ると、光忠はあとは正装のジャケットを羽織るだけという格好で、姿見の前に立っていた。どうやら髪のセットをしていたようだ。

 こちらを見た彼が、わぁ、鶴さんスーツ似合ってるね、と感嘆の声を漏らし、そして鶴丸がネクタイを手に持っていることに気がついて、すべてを理解したように微笑んだ。

「あぁ、鶴さん、ネクタイが上手くいかなかったんだね?僕もちょうど、鶴さんは上手く結べたかなって心配してたところだんだ」
「別に初めからきみを頼ろうとしていたわけじゃないぞ。ただ式典だからビシッと決めておかないとだめだろうと思ってプロに任せようと思ったわけだ」

 まるで自分がネクタイを上手く結べない子供みたいな扱いをされた気がして、鶴丸は口を尖らせた。本当なのだ、ちゃんと自分でやろうとした。上手くいかなかったけれど。

「ごめん、鶴さんができないだろうって決めつけてたわけじゃないよ。ほら、前に僕が和装をした時に鶴さんが手伝ってくれたから、僕も手伝えたらいいなって思ってて。だから僕に任せてもらえるのは嬉しいよ」

 ワックスを手に取ってしまったので、先に髪をセットしてもいいか、と光忠は断りを入れた。

「もちろん、光坊が手が空いてからで構わないぜ。あとでまた来たほうがいいか?」
「ううん、大丈夫。そんなに時間はかからないから、よかったらそこで待ってて」

 光忠はそう言って、鏡に向きなおった。

 指先ですくったワックスを手のひら全体に伸ばしている。手早くワックスを伸ばしている所作を見ていると、この男は手が大きいな、と改めて思った。普段、手袋の中に秘されている素手があらわになっているから、余計にそう感じるのかもしれない。指も長い。あの指先が、とても繊細なことを、鶴丸は知っている。

 彼の手を見ていると、何か良からぬ煩悩が頭をよぎったので、鶴丸はそれを振り払うために手の甲をもう一方の手でつねった。

 ワックスを手全体に伸ばし終えた光忠は、髪に手櫛を通し、一旦、前髪をすべて後ろに流した。額がすべてあらわになっているのはめずらしい。綺麗な額の形をしている、と思った。
 いや、綺麗なのは額の形だけではない。横顔そのものが綺麗だった。鼻が高く、美しい彫刻が動いているようだ。
 鶴丸はそれにぼんやりと見入ってしまった。

 前髪を改めて下ろして、微調整を終えてセットが完了したのか、光忠はタオルで手を拭いている。普段の髪型に比べて、前髪が上がっていて、フォーマルな印象だ。

「お待たせ、鶴さん。結ぼうね、ネクタイ貸してくれる?」
 光忠が正面にやってきたので、ネクタイを差し出した。ちなみに、このネクタイは光忠が選んで贈ってくれたものだ。とても気に入っている。
 シャツの襟を立てられて、首にネクタイがかけられた。

「じゃあ、ちょっと失礼するよ」
 光忠がネクタイを結びはじめる。彼は少し下を向いた状態になって、鶴丸はその少し俯いた頭を眺めた。

 思っているよりも、睫毛が長い。先ほどの髪をセットしていた横顔が思い出される。鼻筋の通った、彫刻のような、そう、とても精悍な男性。
 そうだ、この男は一等、格好良いのだ、と鶴丸の頭が急に理解して、そしてその事実にとても驚いた。

 普段、鶴丸は、光忠のことをかわいいと思っている。実際、朗らかに自分を慕ってきたり、はにかんだ表情を見せる様子はかわいいと思う。ただ、そうだ、忘れていた。光忠はかわいいの前に、格好良いのだ。

 格好良く感じられるのはいつもと違う格好、髪のセットをしているせいもあるかも――どちらも彼によく似合っていると思う――しれない。とにかく、鶴丸は急に落ち着かなくなった。容姿端麗な、精悍な男に、こうしてかしずかれているようなこの状況に。

 落ち着かなくて、少し身じろいだ。身じろいだというか、後ずさったというか。

「あ、鶴さん、動かないで」
――すまん、」
 光忠にたしなめられて、鶴丸はきちんと立ちなおした。先ほどから光忠は、ネクタイを結んでは解いてを繰り返している。

「あれ?いつも自分のを結んでるのに、こっちの向きからだとなんか上手くいかないな……。ごめん、後ろからやってもいい?」
……?」

 後ろから?と鶴丸が首を傾げているあいだに、光忠が背後に回って、両手を鶴丸の前に回した。どうやら普段、彼が自分のネクタイを結んでいるときと同じ方向の目線で結ぶことにしたようだ。

「あはは……、恋人のネクタイ一つ上手く結べないなんて格好悪いね」

 光忠がそう言って苦笑しながら鶴丸の首元で手を動かしている。状況としてはほとんど背後から抱きしめられている状況で、背中に光忠の厚い胸板の体温を感じて鶴丸はいよいよ落ち着かなくなった。彼はどんな表情でこちらの首元を、彼自身の手元を、覗き込んでいるのだろう。

 覗き込んでいる体勢の問題で、彼の顔が自分の顔のすぐそばにあるから、瞬きの気配さえ感じられるような気がする。ネクタイを結んでもらっているのだからじっとしていなければ、と思うのだけれど、なんだかこの場から逃げ出したくなる。とても落ち着かなくて。

「あれ、ちょっと待ってね……、あっ、なんか変になっちゃった。ごめんね、もうちょっとだけじっとしててね」

 光忠が手を動かしながら、耳元で囁くように言う。その声音は妙に吐息を孕んでいる上に甘くて、鶴丸の鼓膜をくすぐった。脳に染みていくような糖度の高さ。二人きりのときはいつもこの調子の声だけれど、鶴丸は余計に落ち着かなくなった。

 先ほど髪をセットしていた光忠の横顔が脳裏をよぎる。あの精悍な顔立ちの上にこんな声音を持っているなんて、反則ではないか?

 普段の彼はあんなに純朴な少年のようなかわいらしさなのに、今日はなんだか違うように感じられた。成熟した男性の色気のようなものをそこかしこに感じる。正装に、フォーマルな髪のセットに、剥き出しの素手に、甘い声音に、背中に感じる胸板に、色気がある。

 光忠に色気を感じるとき、基本的には情事の場であることが多いから、今はこういうなんでもない健全なタイミングなのに鶴丸の中のどこかが「そういう」ことを期待してしまっている。そのことに、自分で戸惑う。じわりと上がった心拍数に、熱を帯びはじめているうなじや耳に、彼が気づいてしまっていないといいのだけれど。

「よし、できたよ。苦しくないかな?」
 光忠の声で我に返った鶴丸は、自分の首元を見た。先ほど自分で結ぼうとしたときよりもはるかにきっちりとした見た目で、ネクタイが締められている。
「お、おぉ、大丈夫だ。ありがとうな」
 鶴丸は内心の落ち着かなさをあらわにしてしまわないように、努めて普段どおりの声音を保って礼を言った。

「どういたしまして」
 光忠は微笑んだ声で言ってから、背後からこちらに両腕を回した状態のままで鶴丸のネクタイを指先でそっと撫でた。その指先に、またも色気を感じてしまい、鶴丸は動揺した。そんな鶴丸の様子には気づかずに、光忠が続ける。
「うん、やっぱり鶴さんはこの色がよく似合うね。とても綺麗だよ」
……そう、か」

 耳元でその声で話すのをやめてくれないか、と思うのだけれど、それをはっきり言ってしまうと自分の動揺を告白してしまうことになるので、言い出せない。落ち着かなさの置き場がなくて、困る。

 鶴丸が困っていると、不意に光忠がはっきりと意志を持ってぎゅっと鶴丸を抱きしめた。そして、こちらの肩口に頭を預けた。どうしたんだろう。

……もう、鶴さん、」
 急にしっかりと抱きしめられて鶴丸が戸惑っていると、どうやら光忠は困っているようだ。どうして困っているんだろう。困っているのはこちらだが。
「だめだよ、そんなに期待してる顔をしたら……。キスしたくなっちゃうし、その先も――
「な、」

 鶴丸は光忠の言葉に驚いて、思わず口元を手で押さえた。どうやら光忠の色気にあてられて落ち着かなくなっていることが顔に出ていたらしい。耳とうなじがさらに熱を帯びた。物欲しそうに見えていたなんて、恥ずかしい。
 光忠は鶴丸を抱きしめたまま、顔を上げてこちらを見た。困ったようにも照れたようにも見える顔で彼が問う。

「もしかして、いつもと違う僕を格好良いと思ってくれて、それで鶴さんは、そういう感じなのかな」
「う、……

 図星だったので、鶴丸は言葉に詰まった。目をそらす。まさしく、まさしくそのとおりである。いつもと違う彼を見て、そのことによって彼が格好良い男であることを再認識したので、どきどきしている。

「ふふ、そうなんだね」
 光忠はこちらの反応を見て、図星を突いたことを理解したのか嬉しそうにしている。

……あのさ、よかったら、格好良いって、言ってほしいな。鶴さんが格好良いって思ってくれるの、めずらしいから」
 いつもかわいいと思われていることは不服ではないけれど、というような補足を添えつつ、光忠は上目遣いでこちらを見た。かわいいおねだりだ。格好良いことは間違いないから、伝えてあげようと思う。

「光坊、」
「うん」
「か、……、」

 格好良いぞ、と言ってやろうとして、急に照れてしまって言葉が続けられなくなった。
……?」
 光忠が期待した目でこちらを見る。かわいい、ならすんなり口から出てくるのに、なぜか照れてしまう。けれど、格好良いのは本当だから。
「か、っこいい、ぞ、光坊、きみは」
 しばらく鶴丸は視線を泳がせてからようやく口にした。なんだか片言になってしまった。照れくさくて。

「ふふ、ありがとう。鶴さんにそう言ってもらえると嬉しいな」
 鶴丸の片言の賛辞はちゃんと光忠に伝わって、彼が笑ってかわいらしかった。格好良い、けれど、やっぱりかわいい。たぶんそういうところに自分は惹かれているのだろうなと鶴丸は思った。
「じゃあ、格好良いって言ってくれたお礼に、」

 軽く頬に口づけられた。それはほんの一瞬だったので、それだけでは当然物足りない。鶴丸は抱きしめられている身体をよじって、光忠と正面で向き合った。人差し指で彼の唇に触れる。

「あれ、足りなかった?」
「分かってて言ってるんだろう?きみ、」
「ふふ、ごめんね」

 光忠が微笑んで、今度こそ唇同士が触れ合った。交換される互いの体温。鶴丸の温度はいつもより高いと思うけれど、触れた光忠の唇もいつもよりも熱を持っている。もしかしたら、格好良いと鶴丸に言ってもらって照れているのかもしれない。あるいは――、?

 やっぱり、かわいい男。

 唇を離してから鶴丸は、人差し指でとん、と光忠の胸元を突いた。

「結んでもらったこのネクタイ、解くのも、光坊、きみがやってくれるかい?今夜、」
 そう言って扇情的に彼を上目遣いで見たら、光忠は初心な少年のような表情で照れた。
「それ、って、……、お誘いってこといい?」
「はは、じゃなかったらなんなんだ」
「鶴さんって本当に……

 照れた表情で彼は何かを言い淀んでいる。

「だめかい?光坊、俺は今夜きみと寝たい」
「それは、僕も、そうしたい、けど……
「けど?」
「僕からスマートにお誘いしようと思ってたんだけどな……、格好つかないや」

 光忠は困ったように笑っている。やっぱり、どちらかと言えばこの年下の恋人はかわいいという形容が似合うかもしれない。

「格好ついてなくてもきみは十分魅力的だぜ?かわいいしな」
「本当?」
「もちろん、本当だとも」

 ありがとう、とはにかんで笑う光忠は、軽く再びこちらを抱きしめた。

 抱きしめられながら鶴丸は考えた。今夜、彼はどんな表情で自分を抱くのだろう。きっとかわいくもあり、格好良くもあるだろう。そして何より、いつものようにとびきり優しくて甘いに違いない。

 だから、かわいくて格好良い彼のことを自分がどれだけ好きか、今夜も教えてやりたいのだ。