モーディスの部屋で朝を迎えるようになって数週間も経っていた。目が覚めた時にはまた長い徒労が始まっているかもしれない、なんて悪い考え(モーディスに言わせれば「妄想」だ)はもう殆ど起こらなくなっていて、一瞬それが頭をよぎってもすぐに気分を切り替えられるようになっている。
来週には一度家族や村のみんなとエリュシオンに帰って、妖精たちに挨拶をしたり、懐かしの我が家や村の風車の修繕を手伝ったりしてから、モーディスと暮らす場所を探しにオンパロスを旅するつもりだった。
モーディスも同様に、クレムノスへ戻って両親と共に内城や城下の整備をして、都市再開発計画だのなんだのに一通り口を挟んでから、王権をオーリパン王に戻すつもりらしい。農民の僕とは違う次元で大変そうなモーディスに、果たして旅をする余裕なんてあるのかとか、そもそもクレムノスを離れて僕と一緒になっても平気なのか甚だ疑問だったが、両親が存命の間は私人として人生を謳歌させてもらう、なんて笑っていた。
「勿論お前が《王の翼》として俺の傍で仕えると言うのであれば、いつでも席は用意してやる」
それもいいかもな、とは正直なところ思ったけれど、戦いは権力争いも含めてしばらくごめんだった。
「今まで君と僕は対等だとばかり思ってたのに、実際のところは僕を優秀な駒として見てたってことか?」
「お前ほど扱いにくい駒もない。そもそも俺を王だと思ったこともないだろうに、よく言う」
健康に悪いが今夜くらいはいい、と珍しくメーレをがぶ飲みしていた昨晩のモーディスは(「少しだけだ」と言いながら数時間をかけて三樽は空けていたので、もしかして「健康に悪い」と言うのは量の話だったのかもしれない)、ほろ酔いの顔で、あくまでも上機嫌にそんなことを口にした。
ゆったりしている時のモーディスは、体に布を巻き付けただけだとしか思えない服を愛用している。いくら隣で引き上げても両肩から布がずり落ちているし、胸許も足の付け根もがばがばの姿に困り果てていた。
もうそろそろ飲むのはやめておいた方がいいんじゃないか? とグラスを取り上げてせめてベッドに行ってくれ、と寝かせようとする僕にムッとして、「《救世主》のお前はこんな無粋な真似はしなかった」と溜息をついて嘆くふりをする。
「君が王に相応しくないと思ったことなんてない。君みたいに威厳のある指導者にならなきゃと思った瞬間だってあったしね。……君がここにいたらもっと適切に人々を導けたんだろうな、とか、そんなことを考えたよ。君が一人でクレムノスに行ってしまった後はよくね」
僕からグラスを取り返したモーディスはメーレを注ぎ直すと、「お前も少しは付き合え」と僕のグラスに残っていた水を勝手に飲み干し、そこにメーレを注いでしまう。
「お前は確かに指導者としては俺より経験が浅いが、己を卑下する必要はない。天外の神……ナヌークとやらと戦ったのだろう。人の身で神に傷をつけた偉業について、丹恒が熱心に話してくれた。それでなくとも、お前が三千万を超える輪廻を耐えなければ、今の俺たちの生活はない。お前はそのままでいいし、自身を誇りに思え」
モーディスは僕にグラスを持たせると、乾杯、と口にし、中身を一気に呷る。
モーディスは物事をよくわかっているし、彼の口から出てくる言葉は全て本心だ。
子どもの頃の僕はよくクレムノスで剣の修行をしたいと考えていたけれど、大人になって、まさかクレムノスの王であるモーディスとこんな風に親しく話すようになるなんて思わなかった。僕が君に対してこんな風になってしまうのは、憧れていた時間が長いのもあるんだろう、きっと。
「そうだね、君も含めてみんなのおかげだと分かってる。それに、いつ出会っても君はいつだって僕に勝てと祈ってくれたし。しょうがない、飲みたい気分じゃなかったけど、王から賜った一杯くらいは付き合うか」
作法にならって中身を一気に呷り、また注がれる前にグラスを遠くへやる。
「どうせなら褒美は酒じゃなくて違うものが欲しいな」
まだ飲み足りなそうな顔をしているモーディスの手からもグラスを奪い、足の付け根まで見えそうになっている隙間からそっと手を滑らせる。内腿のやわらかい肌をそっと撫でながら、まんざらでもなさそうなモーディスの唇を塞ぐ。酒精の香るキスはあまりしたことがないな、と考えていると、「したくなったのか?」とじゃれてきたモーディスが僕の太腿の上に座り、頬や首筋に次々とキスをしながら言う。
「……もしかして、僕に言って欲しくてずっと試すようなことをしてたんじゃないよな」
最近の僕は寝つきがいいのをモーディスは知っているし、「お前はまず休息をとるのが先だ」とも言われていない。モーディスの部屋の傍を誰かが通る生活にもかなり慣れて来た、と言うかオクヘイマでもそうだったな、と思い出したし、そもそもモーディスの両親を含めて、僕がモーディスと親しくしていることを誰も気にしていない。僕たちが結婚する話はとうにしているからだろう。
「そうだが?」
モーディスの両腕が首に回り、こういう時ばかり鈍いやつめ、と笑いながら唇に嚙みついてくる。
「何度か君に拒絶されたから、まだ気分じゃないけどくっついていたいのかと思ってた」
「耐えているお前の顔もそれはそれで見ものだったが、忍耐強さが仇となったな」
どうりでここ数日妙に仕草が色っぽいと思ったんだよな、と舌打ちしそうになり、どうにかそれを耐える。モーディスの思惑通りムラついているのはちょっと癪だったからだ。好きな人に対してそうなるのは自然だと言われればそれはそうなんだろうけど。
モーディスは楽しそうに僕の眉間に寄った皺を指でつついたり、空いている方の手で僕の手に指を絡めたりしている。
「君がしたいって素直に言ってくれれば三日三晩してあげたのに」
金色の瞳にいたずらっぽい色を浮かべているモーディスの腰をぐっと引き寄せ、指を絡まされていた手をそっと振り払う。目を見開いたモーディスの後頭部をガッと押え込み、さっきからいらいらするほど触れるだけのキスをしていた唇を塞ぐ。
「っ……、………………、ふ、……っ」
メーレの香りが強く鼻腔を擽るのを感じながら、口腔内を逃げ回るモーディスの舌を追いかける。キスをするのが好きなくせに逃げているのは、吸われるとすぐに負けてしまうのがわかっているからだろう。
キスをしながらもう一度腰を抱きよせ、モーディスの腹に熱くなっているものを押し付ける。モーディスがぴくりと体を震わせて、小さく声を上げる。
「入れて欲しくないのか?」
濡れた唇を舐めて、輪郭を辿りながらピアスの留め具をそっと唇で食む。ピアス穴に舌をねじ込むように舐めようとすると、おいっ、と擽ったそうにモーディスが暴れて首を捻る。逃げ出そうとする腰をがっしり腕で拘束し、輪郭を唇で辿ってもう一度キスをする。ベッドに行きたい。今度こそ舌を捕まえて、濡れた熱いそれを思いっきり吸い上げる。モーディスが鼻から甘ったるい声を上げるのが腰に響いてたまらない気分だった。一秒でも早くせめて触って欲しい。
キスの合間にモーディスの手を取り、とっくに布地を押し上げているそこに導く。
「手でいいのか?」
「まさか。全部だろ」
肩からずり落ちた布が邪魔そうなモーディスをキスで塞ぎながら、軽く腰を揺する。かく、とモーディスの腰が揺れて震えているのが可愛いかった。
「久々だからベッドでしたいな」
モーディスの腰を掴んで立たせようとすると、ここでしろ、とモーディスが前を寛げながらそんなことを言う。指先をわざと触れるか触れないかの距離で滑らせているモーディスの顔をじっと見つめながら、もしかして、と後ろに手を回す。
「準備してた?」
「それを聞けとは言っていない」
「いつから?」
「黙れ」
「いやいや、大事なことだ、」
ろ、と言う前に、怒ったモーディスに唇を塞がれて、いいからさっさとしろ、とムードのかけらもない言葉が落ちる。やっぱり君がしたかったんじゃないか、と僕もムードのない言葉を返すのは簡単だったけれど、本格的に拗ねられて「しない」と言われる方が困る。
それに、君に触れられるのは久々だったから、そもそも我慢なんてできるはずもない。
*
以前は僕よりモーディスが目を覚ます方が早かった気がしていたけれど、今は僕より起きるのが遅い朝のことが多い。今朝もそうだが、今朝に関してはまあ、理由はわかっている。
散々飲んでから触れ合っていたせいなのか、最後のほうのモーディスは随分と酒が回ってぐずぐずになっていた。
以前は朝になれば消えていたキスマークが信じられないほど残っている体を見下ろしてやりすぎたな、と思いつつ、「嚙んでもいい」とかなんとか言っていた昨晩のモーディスを思い出し、口許がにやつくのが分かった。噛まないよ、と言いつつ肩に噛みつくふりをすると、興奮したのか思いっきり締め付けられた上に、息ができなくなるほど抱きしめられていた。触りたいのはわかったけど興奮しすぎだろ、と宥めても言うことを聞いてくれないモーディスをベッドに寝かせ、後ろから抱きしめて散々キスをしながらくっついていると、ようやく満足してくれたらしかった。
汗を流して二人でベッドに横になった後も、モーディスは少し眠たそうな顔で僕を見つめながら、何かを言いたそうな顔をしていた。昼間の君は案外饒舌になったのにな、と考えながら「言いたいことがあるんじゃないか?」と聞けば、ない、と口にして幸福そうに笑う。
いつ出会ってもモーディスは紛争の神らしく神々しかく雄々しかった。それ同じくらい、ずっとかみさまみたいに美人だった。だけど、幸福そうに笑う顔を見せてくれたことは、実はそれほどない。それは、どれほど幸福な瞬間が訪れようとも、あの頃は仮初のその瞬間だけの幸福だったと分かっていたからだろう。
だけど、新世界でのモーディスは穏やかで幸福そうな顔を良くするようになった。その要因のひとつが僕であればいいなと思う。
眠っているモーディスの穏やかな寝顔を隠すように乱れた髪をそっと指で払う。ベッドに広がるモーディスの髪は、長年編まれていた三つ編みの部分にだけ癖がついていて、ゆるやかな波のようになっている。
どうしてモーディスが髪を編んでいたのかずっと気になっていたが、ゴルゴー王妃を見てその理由に気が付いた。王妃の長い赤毛の両サイドはモーディスと同じように編まれていたからだ。モーディスの朝焼けの髪と金の瞳は彼の両親からの贈り物なのだと気づいた瞬間、なんだか妙に幸福な気持ちになった。
僕が知る限り、ほとんどの輪廻でモーディスは父親によってステュクスに投げ込まれているし、彼の母親は父親に殺されていた。
それでもきっと君は父親を恨んでいないんだろうな、と尋ねれば、「恨んでいない」と穏やかな微笑を浮かべながら教えてくれた。その話をしていた時のモーディスは両親のために夕食を作っていて、「お前と違って父上は料理の注文がうるさくない」と小さな声で口にした。遠回しに「僕も君のお父さんみたいに、君が食べたいものでいいよ」って言えってことか? と思ったが、別段そういうわけでもないらしい。
モーディスとオーリパン王はまだやりとりがちょっとぎこちなく、僕からすると父親とそんなに気を張って相対する必要なんてないだろ、と思ってしまうけれど、そこがまさに王族である彼らの大変なところなのかもしれない。
モーディスは以前より随分と感情を表に出すようになったが、よほど気の知れた身内の前以外では、今でもかなり言葉に気を使っている様子がある。俺の言葉ひとつで何千もの民を動かしてきたからな、といつかの輪廻でそう口にしたのを知っている。モーディスが言葉を口にする前に一拍挟みがちなのは、相手に及ぼす影響を考えてのことだろう。
反面、僕に対してはわりとずけずけ物を言う瞬間があるわけだが、
「それって君にとって僕が特別だからだよな?」
眠っているモーディスに尋ねたところで、帰って来るのは静かな寝息だけだった。
モーディスはこんな風に寝顔を見つめられていることも知らずに、平和そうに眠っている。こんな時間が永遠に続けばいいのに、とかつての僕が願った際、モーディスは少しだけ考える顔をしてから僕に向き直り、「俺もお前も優秀な戦士だからこそ、戦場で死ぬことになるだろう」と、笑いもせずに現実を叩きつけてきた。
あの時代を生きていた僕に覚悟の話をするのはむしろモーディスの優しさなのだとわかってはいたが、ベッドの中でくらい優しい話をしてくれたっていいじゃないか、と思うこともあった。だけどきっと、今ならモーディスも同意をしてくれるだろう。
君とこんな幸福な日々を永遠に繰り返したいと口にしても、否定はされない筈だ。
髪を梳いても目を覚まさなかったモーディスの美しく穏やかな寝顔を十分堪能し、ベッドを下りると、さて今朝はどうしようかな、とピュエロスに湯を張りながら考えた。
キッチンを借りて朝食を作ることもあるし、モーディスを起こしてから朝の鍛錬をして、そのまま父さんたちの手伝いをしに行くこともある。剣を振る機会なんて今後は起きなければいいけれど、なにかあった時のことを考えて腕は落ちないようにしておきたい。……と言うのは建前で、体を動かしていないと落ち着かないと言うだけの話だった。
モーディスもそうなのか、近頃は仕事がなくなったと嘆いていたキメラたちを集めて、子どもたちも巻き込んで追いかけっこをしている。鍛錬前のウォーミングアップだと本人は大真面目に言っていたが、実際は可愛い(とモーディスはよく言っている)生き物に朝から囲まれると嬉しい、と言うだけだろう。
汗を流して服を着替えると、まだ起きてこないモーディスを軽く揺さぶり、おはよう、と声をかける。
寝かせろ、お前のせいだ、とむにゃむにゃ不鮮明な声で零すモーディスに「そうとも言い切れないと思うけどな」と苦笑しながら髪を撫でていると、そのままモーディスは見事に二度目してしまっていた。
このまま眠っているモーディスを放って今日の用事を片付けに行くと、後でものすごく拗ねられそうな予感がする。
「朝食を作ったら戻ってくるよ」
すうすうと寝息を立てているモーディスにそう伝え、念のため石板にも同じ内容を送っておく。
薪割を手伝う話を父さんにしていたけれど、今日はできそうにない話もしに一度家に戻る必要があった。オクヘイマで暮らしていなかった人々の間にはまだ端末が行き渡っていないから、メッセージで伝えることはできないからだ。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.