現在、乱太郎は絶賛大ピンチに陥っている最中であった。目の前には笑顔でこちらを見て怒っている年上の恋人の顔が見えており、この場から逃げたいのだが、残念ながら乱太郎の後ろにあるのは逃げ道…ではなく壁で背中に壁のひんやりとした冷たさが乱太郎に伝っている。乱太郎が冷たさを感じるのは壁からだけでなく、目の前にいる恋人から発される冷気のようなものからも来ており、乱太郎は恋人から必死に目を背けるしかなかった。
「…ほう、だんまりか。」
ふふ、悪い子にはどうしてやろうなあ。と笑いながら目の前にいる彼からまた冷気のようなものが発されたと同時に乱太郎はどうしてこうなったんだろう…。と軽く現実逃避をすることにした。
ことの発端は文化祭当日の今日、乱太郎のクラスで模擬店の欠員が出たことが始まりだった。乱太郎のクラスでは男女逆転メイド執事カフェをコンセプトにした模擬店を出すことになっており、名前の通り逆転なので男子がメイド服を、女子が執事服を着て接客をする模擬店を出店しており、乱太郎は男子全員で引いたくじの結果、メイドになることを回避してこうして裏方として働く手はずだったのだが…。
「乱太郎くん、お願い!このメイド服は乱太郎君にしか似合わないの!」
「えっと…。拒否権は…?」
「私たちの装備見て言える…?」
「あはは…。」
裏方として材料の準備と飲料の確認をしている乱太郎の前に現れたのはメイド服とウィッグ、そしてもろもろのメイク道具を持って現れた彼と同じクラスの女子たちであった。乱太郎の前に立っている女子たちはみんな接客係ということで執事服を着ており、なんだか男の自分より幾分かかっこよく見える。
そんな彼女たちから詰められている冴えない男の自分の虚しさを肌で感じていると、さ、行くよ~!とあれよこれよという間に控室に連れて行かされて、ウィッグをかぶらされたかと思えばすぐにメイド服に着替えさせられ、今メイクを施されている最中である。
「乱太郎くん、もうちょっと目線を上に向けられる?」
「…はあい。」
ウィッグを被せられ、そしてメイド服を着た乱太郎のSAN値はとっくにゼロであり、メイクはいいよ。時間もかかるし…開園までもう時間もないよね?と彼女たちの機嫌を損ねることは避けたいし、そこまでされるのはちょっと…。と遠慮気味の乱太郎の言葉に、女子たちはニッコリと笑って乱太郎くん、顔が整ってるからいつかメイクしてみたいと思ってたんだよねえ。と死刑宣告ともとれる発言をされたことで、こうしてやむなくメイクを受け入れることになったのだ。
「うん、できた。目開けていいよ。」
メイクが終わったようなので現実逃避をしていて一度も見ていなかった自分の目の前にある鏡を見つめると、そこに映っているのは本当に自分なのか…?と思うほど別人のような自分が映っていた。自分の特徴的な赤茶色の癖っ毛な髪の毛が、黒髪ロングのウィッグを被らされていることによってより自分ではない感覚を際立たせている。
自分の姿を見て驚いている乱太郎を見た女子たちはやっぱり、私たちの見立て通りだったね…。と乱太郎の後ろでグータッチをしあっていた。唯一救いだったのはメイド服のスカート丈が長かったことだろうか。本当にtheメイドというような恰好をしている今の乱太郎。
黒髪のウィッグの上には白色のヘッドドレスをして、いつもかけてる乱太郎の丸眼鏡が余計にメイド感を際立たせているようだった。もうすぐ開園のチャイムが鳴るから持ち場に行こっか。と執事服を着ているクラスメイトに案内されて乱太郎は模擬店へと足を踏み出す。
(せめて、先輩が来るまでには…。)
この格好をやめられていると良いけれど…。と文化祭に来る予定の年上の恋人を思い浮かべたのだった。
(お、終わらない…。)
そんな乱太郎の考えも虚しく、乱太郎が出店している男女逆転メイド執事カフェでは予想以上の盛り上がりを見せており、開園してからずっと客が途切れることがないという大盛況を見せていた。こんなにも大盛況なことにこれは売り上げ一位もいけるかも…!とクラスメイト達は売り上げ一位の景品であるギフトカード五千円分のことを考えてにっこにこで接客をしているのだが、乱太郎はそれどころでなかった。この場所に恋人がいつ来るだろうという不安で胸がいっぱいになっていた。
どうしてこんなにも乱太郎が不安に駆られているのかというと、クラスの出し物で男女逆転メイド執事カフェをやることになって自分は裏方なのでメイド服を着ないんですよ!と高らかに恋人に宣言をしてしまっており、その時の乱太郎の口から男女逆転メイド執事という言葉が出た時の恋人の顔がなんとも不満そうであったということを思い出していたからだ。
裏方をやると言うと、その不満顔は鳴りを潜めていつもの微笑んでいる顔に戻ったのだが、あの不満顔を見るに今来られてしまったら自分の身がどうなるかわからないことに対してこうして不安感を募らせているというわけだ。
裏方だったのは本当だからやましい嘘はついていないし、何ならメイド服を着たくないので裏方に回りました。と言ったのも本当のことなのだが、まさか偶然にもこのような展開になってしまうとは思わず、乱太郎は今着ているメイド服もかぶっているウィッグもすべて脱ぎたい衝動に何度も駆られているがそんなこともできず、接客をしている。
そんな乱太郎の心の葛藤を知らずに次々と注文が入り、何回も客を店内に入れて席に通すを繰り返しているうちに目の前に立っている客を見て乱太郎はぴしり、と動きを止めた。
「…随分とかわいらしい格好をしているじゃないか。」
「あ、あはは……」
とうとう来てしまった……。そう、ずっと乱太郎の不安の種であった彼の恋人である仙蔵がニコニコ笑顔で乱太郎のことを見下ろしていた。乱太郎が着ているメイド服のレースやフリル部分をつんつん、と触りながらジロジロと乱太郎の全体を見ては先ほどと表情は変わらず、ニコと乱太郎に目線を向けているだけで、その表情からは彼が今、どんな心境であるかを感じ取れなかった。
やっぱり怒ってるのかな、そりゃあ怒るよなあ。と冷や汗をかきながら、他のお客様の邪魔になりますのでそろそろご案内しても……。と乱太郎が仙蔵の腕を掴もうとした瞬間、パシリ。と乱太郎の腕が掴まれてしまい、あ、と思った時には乱太郎の腕をぐいっと引っ張られたと思った瞬間には所謂お姫様抱っこをされていた。
乱太郎の降ろしてください!という静止も聞かずに、乱太郎の横にいたクラスメイトにうちの、借りていく。とニコっと笑って相手の反応も聞かないまま、そのまま廊下を進んでいく。
「お、おろしてっんぐ…。」
「…静かにしていなさい。」
周りからの視線も気になってやめてほしいのに一向に止まる気配がない仙蔵に乱太郎はさらに焦燥感を募らせながらも静止を試みるが、彼の笑って怒っている顔が至近距離に近づいたので口を噤むしかなかった。
一体どこに行くつもりなんだ…?と乱太郎が混乱している中、仙蔵は迷うことなく階段を上り、とある部屋に入った瞬間、乱太郎のことを下ろして逃げないようにと窓側の壁に追いやった。バン!と大きな音が乱太郎の後ろで鳴り響き、壁ドン状態になったことで冒頭に戻る。
「……私に隠していたことは?」
「隠してるも何も、私がこの恰好しているなんて先輩は知らないわけですし…。そもそも今日急に言われただけですもん…。」
「だから、悪くないと?」
「そ、そうですけど…」
ふふ、と笑いながら乱太郎が被っているウィッグの髪の毛をツー、となぞったかと思えば、つぎは頬を撫でられて顔を近づけられる。急な近距離での恋人の色気に耐えきれず、慌てて仙蔵から離れようと身体を動かそうとした乱太郎であったが、残念ながらいつの間にか自由になっていた両腕の片方の腕は仙蔵によって抑えられており、乱太郎はこれ以上どうすることもできなくなってしまった。
すると、突然フッと顔に影がかかり、唇に何か柔らかいものが当たった気がした。それが仙蔵の唇だと理解するのには時間はかからず、ちゅ、というリップ音が止まったかと思えば、仙蔵の顔が離れていく。
キスをされた。そう乱太郎の脳がそう認識すると、自分の顔に熱が集まっていくのを感じながら乱太郎は今あったことを整理するために脳内で繰り返すが、全く状況整理ができない。
仙蔵からキスをされるのは初めてではないのにこんなにも興奮しているのは、人気の少ないところとはいえど、ここが学校であり、ましてや今日は文化祭真っ只中ということで学校内には大勢の人がいるということで、誰か来たらどうしようという背徳感が乱太郎の脳を掻き乱している。
そんな背徳感でぐるぐるになってボーっとしている乱太郎に、今度はぱくりと食べるように仙蔵は彼の唇を己の口で塞いで舌を乱太郎の口の中に入れ込んでしまう。ぬるぬると絡められる舌とくちゅくちゅとなる卑猥な水音と舌が絡む音で鼓膜が犯されてしまいそうで、乱太郎の耳が敏感になりそうなほどで、乱太郎は頭をぐちゃぐちゃに掻き回されているような感覚に陥ってしまう。
「んっ、ふぅ……ぁ」
こんなところでやめてください!と訴えたいのに目の前にいる彼は息継ぎもさせてくれない。仙蔵から深い口付けをされるたびに自分の口内の酸素がだんだんと不足していくのがわかった。意識が朦朧としながらも必死に空気を取り込もうとするが、うまくいかず苦しい。
そんな乱太郎を見兼ねたのか仙蔵の方から口を離してくれた。ぷはっという声と共に二人の間に銀色の糸が引いていくのを見つめていると、なんどもその光景を見たはずであるのに学校というだけで乱太郎の中に背徳感が駆けずり回って興奮してしまうようで無意識のうちに喉がゴクリと上下する。
乱太郎は口元についた唾液を拭う余裕もなく肩で大きく呼吸をしながら仙蔵を見ると、乱太郎と同様に乱れている吐息を整えながら自分の濡れた唇をぺろりと舐めていて、その艶めかしい光景に思わず釘付けになってしまう。その光景に釘付けになっているといつの間にか息を整えていた仙蔵が近づいて、乱太郎の耳に囁く。
「乱太郎。」
「…ひゃいっ。」
急に近くで低音ボイスを流し込まれてしまったらひとたまりもなく、乱太郎は恥ずかしい声で返事をしてしまい、その可愛すぎる反応を聞いた仙蔵は笑みを浮かべながら、そんな乱太郎の様子に満足したのか顔を離し、最後に乱太郎の口にまたちゅ、とリップ音を鳴らすだけのキスを落とす。先ほどの深い口付けはなく、ただ軽く触れ合うだけのキス。それなのに乱太郎の心臓はどくどくと脈打っていて、それがとても恥ずかしくて顔を覆いたくなるほどだった。
「今回はお前の不運ということで流してやるが…。」
次からはこんなかわいらしい格好は私の前だけでするように。と耳元で甘い声で囁かれた乱太郎は、顔を真っ赤にして小さく震えることしかできなかったのだった。
了
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