どっかりと斑が腰を下ろしたベッドのその後ろ。美丈夫の巨体を抱えるようにして、背中から抱きしめているのはこはく。斑の肩に顎を乗せたまま、その心地好い体温を堪能するのが好きなのは、きっと二人ともだ。そうしてゆっくり、なんでもない平和で少し退屈な夜をすごす。
「そういえば」
「んん?」
このまったりとした甘ったるい空気に話題をねじ込んだのはこはくだった。
「今日な、これ買ってきたんよ」
こはくは素早く斑の背を離れると、壁にかけられたままのサコッシュとコンビニのビニール袋の中を漁る。あった、と唇が動き、やがて斑に向き直る。
「これ、やろ! ポッキーゲーム!」
それはそれはあどけない満面の笑みで。
「これも外の世界を広げる勉強っちわけや」
「もっともらしい理由をつけたなあ?」
あれよあれよと向き直った斑とこはく。ベッドの上で赤い直方体の菓子箱を誇らしげに抱えたこはくの指が、細長いチョコがけのビスケット摘んでいる。そして誇らしげに笑った。
呆れたように眉を寄せて大袈裟に肩を竦める斑は、
「君、もうこんなこと知ってるだろう」
いつか来るであろう、俗な娯楽に染まったこはくを見やった。そうやって幾分過保護になった、否、こはくに理想を抱きすぎている面には目を瞑っておくことにする。
「ラブはんに聞いただけや。ぬしはん以外に実践するやつなんぞおらん」
「ご指名ってわけかあ」
「ふふ、せやで? 安心しぃ」
「安心もなにもなあ」
くだらないと言いつつ、斑が乗ってくれる確信はこはくの胸に確かに存在する。見聞を広げたいといえば斑は必ず手を貸してくれる男だ。こはくはよく知っているし、おそらく斑自身も多少の自覚はあるだろう。温かいその関係性は、いつの間にか二人の間でできあがっている。
「ほな、いこか」
「そんなに改まってするものでもないが
……」
こはくは、律儀に開戦の合図を告げた。菓子を口に銜える。呆れ半分の斑はその向かい側で少しだけ口角を上げる。
「はよせんかい」
「おお、怖!」
促すこはくの目は厳しく真剣そのもので、斑は勘づかれないようにしてため息を吐いた。
いつの間にか正座したこはくがその両の拳を膝に置き、きつく目を瞑り、首を斑に向けて上げる。そのまま頬を桜色に染めて斑を待つのだ。まるで母鳥を待つ雛鳥のように。
斑は少し思案する。記憶に新しい春先のことだ。〝斑はんが好きや〟と力強く真っ直ぐに放ったこはくと歩むことを決めてから少しの時を経て、初めてのキスをした。内心では怯み、しかし鼓動は踊ってはやり、どんな顔をしてリードしたらいいのか斑にはちっともわからなかった。
そんな時に見た顔だ。頬を染めて少し震えて斑を見つめていたこはくが目を開き、〝これって一人でするもんでもないし〟と。〝初めてやし無理ならやめるか?〟と。まるで少女に告げるようなことをその甘い声で告げるから。あまりに全てが愛おしくなって、斑から唇を寄せた。まだ恐れはあった。それでも、二人して感動と照れくささに胸を打たれ、〝斑はんでも失敗するんやな〟と、ぶつかってまだ痛む歯を指して笑ったこはく。〝一人でするものじゃないと言ったのは君だろう〟。思わず早口で告げた斑へ、〝共犯やな〟と
――こはくは笑った。
そんな彼と手を繋いで歩み、キスをして、身体を重ねてしばらく経つ。そんな日の、ふとしたこと。
相変わらずこはくは斑へ顔を向けていて、いい加減、咥えたビスケットがふにゃふにゃに湿気ってしまうだろう。そのぐらい斑の思考は浮遊して、
「おっと! それじゃあ失礼しまああああす☆」
出てきた言葉はこれだった。初めてのキスを待つかの如く覚悟を決めたこはくのポッキーを力強い指で半分折って笑う。
「ご馳走さまでしたあああ! 指を使っても折ってしまっても負け! 俺の完敗だ! 勝者こはくさん! よかったなあ!」
捲し立てれば、
「なんやごら!」
案の定目を吊り上げてご立腹の恋人がそこに。
「景品は用意してないのかあ?」
そう言ってこはくの頭を撫でようと左手を上げたその時だ。
「んっ
……!?」
こはくの唇が、斑のそれに触れる。勢いよくぶつかって、
「ん゛っ!」
あまりのことに斑はこはくの肩を掴んだ。流れ込むふやけたビスケットに溶けたチョコレートの甘い味。唾液と混ざってしまえばお世辞にも美味しいなんて言えない。それを、こはくが執拗に舌を絡めてねだる。
「こはっ
……く、さ」
本当は引き剥がしたい。一刻も早く。それでもこはくの体格を考えれば、どれだけの力加減で抵抗すればいいものかとあと一歩で振り払えない。そんな斑の葛藤を知ってか知らずか、苦虫を噛み潰したような顔のこはくは、ようやく斑の唇を解放した。
「君っ
……最悪だぞ!? なんだこっ
……うぇ
……!」
舌を絡められるうちに飲み込んでしまった最悪な味と感触にへ辟易とした。しかし、それはこはくも同じだ。一人ですることではないのだから。
「
……いや
……こればっかりはわしが悪かったわ
……」
顔をしわしわにして謝るこはく。
それでも斑の胸のつかえは取れない。取れるわけがない。
「こんなことでロマンティックにでもなると思ったのか? それともそんなにゲームがしたかったのかなあ? 君、自分で思ってるよりずっと子供だし」
思わず冷たい声と舌がよく回る。もはや味や衛生観念がどうこうではなかったが、斑の胸の内は冷えて冷えて仕方がない。もう十一月だ。それ以上に冷えて冷えて仕方なく、
「
……なぁ」
再び真剣な顔で口を開いたこはくを視界の隅に追いやった。
「どうしたあ? ゲーム大好き駄々っ子なこはくさん?」
それでも饒舌なそれは留まることなく溢れ出て、こはくは視界の隅で気まずそうにしている
――と、思った。その瞬間だ。
「っ
……!?」
再びだ。やられた。こはくの唇は斑の唇を奪い、抵抗しかけた舌を、よく動く薄い舌に絡め取られる。
「君っ
……」
その乱暴な舌が、徐々に徐々に甘くあまく、斑をあやすように動くからたまらない。
〝気持ちが、気分が、わるい。俺は今、とても怒っていて、こはくさんとは顔を合わせたくない。だからキスもしたくない〟
言語化できなかった胸のつかえ。
それごと溶かして柔らかく愛されてしまっては、言語化されかけた言葉が再びキスに飲み込まれた。
悔しい。悔しくて悔しくて、きもちが、いい。
「
……っ」
ようやく離れた唇と唇の間にかかる銀の橋。それを指で舐めとったこはくが、笑った。
「
……要するに。ゲームでするのが嫌やったんやろ?」
こはくが笑う。そして告げる、〝堪忍な〟の声。
言葉に詰まる。
斑自身すら自覚できないでいたそれを、こはくは気づいていて。挙句、胸のつかえは半分までに溶かされて。
「コッコッコッ♪ 案外ロマンティックな子供やなぁ斑はん」
そんな風に揶揄うのは、斑の専売特許だったはずなのに。
「いい趣味してるじゃあないか、こはくさん」
胸が詰まる。でも、
「その言葉、そっくりそのまま斑はんに返すわ」
その応酬こそがそのつかえを溶かしてしまう。
――悔しい、悔しい、悔しい。
「買い言葉が大好きなこはくさん、嫌な買い方ばかりするよなあ?」
悔しい。
「あん? またそっくりそのまま返してええか?」
悔しい。
「はっはっは! 返品は受けつけません」
「
……で?」
「まだなにか?」
悔しい。
「しなくてええの? 寂しがりの天邪鬼はん?」
悔しくて、悔しくて、
「そういう言い方、モテない典型だなあ」
「ほぉん? あんまり素直やないのもモテへんで?
……まぁ、わしにはそれでも可愛ええお人やねんけどな」
悔しくて。
「そろそもお口にチャックしようなあ!」
「ほら!」
――溶かされて。
半分はわかっていた。
避けられない距離でもない。それでも近づくこはくの肩をいつの間にかそっと掴んで、縋るように甘えるように引き寄せるしかできない。
「
……っ、んっ
……!」
唇と唇が触れたあとにやさしく歯列をなぞる舌先。やわやわと、決して無理にこじあけることはしないそのやわらかな感触。胸が震える。
悔しい。
「ふふ
……ほら、」
甘いあまい、こはくの声に促され、ついに斑の口はこはくの進入を許した。
「
……ぁ
……っ」
ぬるぬると滑る感触。唾液の絡まる音。目の前は真っ暗で、少しだけ薄目を開ければ、自分と同じ顔をしているだろうこはくの顔。扇情的で少し間抜けでピントのぼけたその顔。
悔しい。溶ける。溶かされる
――。
やがて離れた唇が、悔しいほどに胸を膨らませるから仕方がない。
「お口チャック、開いてくれておおきに」
年よりも妖艶に笑うこはくを前に、肩で息をした。二人ともだ。
「本当に悪趣味だ」
その声が終わる前に、
「んっ!? まだら、は
……っ」
斑の唇がこはくに噛みついた。仕返しだ。だから仕方がないのだ。売られた喧嘩を買っただけで、
「
……こはくさん
……っ」
すっかり溶かされてしまったとか、本当はまだまだ足りないだとか、やはり悔しいだとか。そんな気持ちは微塵もないのだ。これは喧嘩をしているのだ。
そうとでも言わなければ、斑は人の形を保っていられなかっただろう。ぐちゃりと官能的な音をたてて唇は再び離れ、
「
……好きやで。ほんまに愛らしいわ」
降り注ぐのはこはくの甘い声。斑を溶かしてしまう、チョコレートよりビスケットより甘い唯一のその声が、悔しい。
「その顔、他所様に見せたらあかんよ?」
「
……君こそ」
もう何度目かわからない唇が重なって、重なって貪って止まらなくて、悔しい。悔しいぐらい、斑の胸が叫ぶ。
〝
――ああ。俺の完敗だ〟
fin.
こは斑ワンドロワンライ
【ポッキー】
60min+20min
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