ながひさありか
2025-11-09 02:20:41
5583文字
Public STR-Phaidei
 

夜に在る

3.7後/「トラウマにならないでね」
ひとりで眠れない話

「寝室に寝台をひとつ増やしておいた。が、それを使うかどうかはお前の自由だ。お前もよく知っている通り、同衾したところで狭くはない。新しいものはお前一人用だがな」
「話が見えないんだけど、なんだって?」

   *

 子どもたちにせがまれて一緒に花冠を編んでいると、子どもを二人両腕に抱え、一人を肩車しているモーディスが現れた。モーディスは「運ぶのはここまでだ」と子どもたちを下ろすと、僕の手から殆ど出来上がっていた青と白の花で出来た花冠を取り上げ、最後の結び目を結ぶと、当然のように自分の頭へと乗せる。午後の穏やかな陽光も合わさり、妙にその姿がしっくりくるから不思議だ。
 モーディスに連れられてきた子どもたちも花冠を編み始めたかと思うと、「こいつを借りるぞ」とモーディスが僕の手を引く。花冠を乗せたまま真剣な顔をしているモーディスに、「またね王子さま〜」と子どもたちが手を振り、モーディスも神妙そうに頷いていた。
 何か約束でもしてたっけな、と思いつつモーディスに手を引かれていると、「午後の休憩の時間だ」とそんなことを言う。そんな習慣は今ままで特になかったが、かと言って別段やることもないので、大人しくついて行く。
「僕とデートがしたいなら素直にそう言えばいいのに、なんだって『借りる』なんて言うんだ?」
「デート」
 僕の手を引いていたモーディスが立ち止まり、不思議そうな顔で振り返る。
「クレムノス人の辞書には『デート』は載ってなかったみたいだね」
 手を握り直して、と言うより指を絡め直し、デート、とはじめて聞いた言葉のように繰り返しているモーディスの手を引き、タベルナのオーナーが運営している飲食店へ足を向けた。オクヘイマで開いていた店より少し小さいけれど、メニューは以前より豊富になっている。オクヘイマの店は若手に任せているとかなんとか言っていた。
 気を遣われたのか、店員は僕たちを見るなり、店の奥にあるテラス席を案内した。澄んだ水面が陽光を反射し、蓮が大きく花を咲かせている美しい庭を眺めながらおやつを食べることにした。
「君はハニーケーキ? それとも最近流行ってるらしい新作?」
 虹色のケーキの上に何故か魚が乗っている写真を指差せば、モーディスは少し眉を寄せながら「それは昨日試した」と口にする。どうやら舌に合わなかったらしい。
「黄金のハニーケーキを二つとモーディスにはメーレ、僕は水で。あああと羊乳も追加で。——それで、僕に何か話したいことがあるんだろ?」
 注文を終え、池を眺めていたモーディスに尋ねる。きらきらと光を反射する水面の輝きが、モーディスの髪や肌に映っているのが綺麗だった。花冠を乗せたままの姿が妙に絵になる。
 モーディスは三つ編みがやや緩んでいるのが気になるのか、「ああ」と僕には視線を向けず、束ねていた髪留めを外し、良く手入れされた美しい髪を編み直している。
 あの髪に何度も指を通したっけ。なのに、そういえば平和になってからまだ触れてなかったな、と思い出した。モーディスにも先日ちょっと詰められたけど、確かに僕は村のみんなや父さん、母さんとの再会のことで少し頭がいっぱいになっていたらしい。
「寝室に寝台をひとつ増やしておいた。が、それを使うかどうかはお前の自由だ。お前もよく知っている通り、同衾したところで狭くはない。新しいものはお前一人用だがな」
 三つ編みを結い直したモーディスは満足そうに僕に向き直ると、真顔でそんなことを言う。
……話が見えないんだけど、なんだって?」
「俺の寝室だ。広さは知っているだろう?」
「いやそこじゃない。えーと…………もしかして誘ってる?」
 思わず声を潜め、まだハニーケーキは来ないよな、とガラス向こうの店内へ視線を向ける。
「? お前がしたいならしても構わないが、先にきちんとした休息を取るべきだ。まだ疲れた顔をしている」
「微妙に話が噛み合わないけど、するわけでもなく……
 いやでも同衾って言ってたよな、と怪訝そうな顔をしているモーディスに僕も首を捻った。
「もしかして一緒に寝たいってことか?」
「そうではない。眠るのが怖いと漏らしていたと聞いた」
………………誰から?」
 と口にした瞬間、犯人に気づく。十中八九相棒だ。あまりにも今が平和すぎて、目を覚ますとまだ終わりのない地獄が続く気がする、とかなんとか溢してしまった記憶があった。
「それで君の部屋に来いってことか」
 そうだ、とモーディスが頷くと店員が飲み物を運んで来てくれる。
「俺がお前の家に通ってやっても良いが、今まで散々俺をバルネアへ引きずって行ったのはお前だろう。であればお前が来るのが道理だ」
 話を中断するだろうと思っていたのに、モーディスは事実確認をするようなことを言い、杯に口をつけると羊乳を少し追加して中身をかき混ぜている。なんとなく気まずそうな顔をする店員がちらちらと僕とモーディスに交互に視線を送ってから、そそくさと店内へ戻って行く。
「あまり論は通ってない気がするけど、君が添い寝をしてくれるっていうならまあ行ってもいいよ」
「だからそうだと言っている。ようやく平穏を手に入れたと言うのに、お前がいつまでも妙な妄想に囚われていると聞いてはな。家の者と両親には話を通してあるから、好きな時間に来い」
 思わず、水を吹き出しそうになって咳き込んだ。なんだって?
「そ、げほっ、え、な、君、なんて言ったんだ?」
「しばらくお前が俺の部屋に寝に来ると言っただけだが、何か問題があるのか?」
「寝るって、いやその……
「お前がしたいなら構わないと言った筈だが?」
 まずい、このままじゃ話が堂々巡りになる気がしてきた。
 平和になってから、モーディスの妙にあっけらかんとした対応にどうも気後れ気味だ。
「でも今の君はご両親と同居だろ……
「? 妙なことを気にするようになったな。オクヘイマでも俺の部屋の前には常に侍者がいたはずだが。とは言え聞こえてはいないだろうし、聞こえていたところで問題もない」
 そう言えば、「初夜でもあるまいし、閨でのやり取りを盗み聞きされるのは不愉快だ」とモーディスは僕が部屋へ行くたびに防音装置だかなんだかを発動していた。オクヘイマの貴族たちの間ではそれが常識だったらしいけど、もちろん庶民の僕の部屋にはそんなものはない。あまり気にしたことはなかったが、稀にモーディスが部屋に来るとちょっとだけ居心地悪そうにしていたのは、そう言う事情もあったのかもしれない、と今更思う。
「ともかく、今夜から暫く部屋に来い。お前のそのくだらん妄想はもう現実にはならない」

   *

 そう言うわけで、日もすっかり落ち、オクヘイマ暮らしの頃であれば二度目のバニオにモーディスを誘っていた時間に家の門を叩き、部屋まで案内してもらう。
 モーディスはバニオをしたばっかりなのか、来訪した僕に「来たな」と嬉しそうな顔を見せる。まだしっとりと濡れた髪が首筋や肌に張り付いている姿に思わず目を逸らしてしまい、頭を抱えて小さく唸る。
「なんでそんな格好なんだ!?」
「バニオをしたからだ。俺の体など今までに何度も見てきただろう。それともその気になったか?」
 確かに今まで数えきれないくらいモーディスと床を共にしてきた事実記憶はあるが、何故だろう、今世では一度もしていないからか、心臓がばくばくと脈打って落ち着かない。ふわりと鼻先を香る石鹸と香油の香りにも落ち着かない。
「しかし暫くはやめておけ。今はお前を休ませるのが目的だ」
 濡れた髪を右肩側に流したモーディスはゆったりとした布を体に巻きつけたままのような姿でベッドに腰を下ろし、「来い」と足を開いた姿で僕を招く。
「お前に仕上げをさせてやる」
「はいはい、君の仰せのままに」
 テーブルに置かれていた木箱には爪やすりや髪やボディ用のオイルがいくつも入っていた。モーディスから香る匂いからして肌は塗っているはずだ、と妙な気分のまま髪用のオイルを手に取る。
 今まで何千回とモーディスにさせられたり、自主的にやってきた日々を思い出して数滴手のひらに垂らすと、隣に腰を下ろし、片側に流されていた髪に触れる。あれだけ血に塗れて戦ってきたモーディスの髪だったが、今も指通りが良い。毛先を中心にオイルを馴染ませていると、ふと、口角を持ち上げているモーディスと視線が合う。
……なんだよ」
 微笑するモーディスの、少し火照った肌に見惚れていたのは事実だ。それはそうだろう。だって彼はオンパロスで美貌ランキングを作ったらTOP10に入る男で、半分面白がりつつ二つ名として推薦したのは僕だからその事実もよく知っている。普段より布地が多いはずなのに、胸許から覗く赤い刺青が波のようで綺麗だった。それが鎖骨から胸、腰から太腿へと続いているのを知っている。
「何も言っていない。が、」
「うわっ、」
 モーディスとばちっ、と視線があった瞬間、胸ぐらを掴まれていた。バランスを崩して思わず肩を掴むと、その間にもう、モーディスに唇を塞がれている。モーディスの足の間に片膝をつくような形で。
……………………
 触れるだけの口付けを何度か繰り返していると、焦れたようにモーディスが僕の下唇を甘噛みする。
 しないんじゃなかったっけ? と思いつつ、その気になったらしいモーディスを押し倒した。
 服で拭いたら怒られるかも、と思いつつまだ少しオイルで濡れていた手をモーディスの服と言うより布で拭い、両腕を肩の脇について見下ろした。物欲しそうに僕を見上げているモーディスの瞳がちかちかと瞬いたような気がし、綺麗だ、と頭の中でその言葉が紙に火をつけて燃え上がるように巡る。
 唇を重ねているうちに、いざなうように開かれていたモーディスの口腔内に舌を差し入れ、舐めて欲しそうに触れた舌先をぢゅっ、と吸い上げてやる。
 モーディスの片手が僕の後頭部に回り、もっと、とねだるようにぐっと引き寄せられた。角度を変えながら何度もキスをしているうちに、段々と体の感覚が現実のものとして捉えられるようになった気がした。モーディスが乱雑に僕の髪をぐしゃぐしゃにしながら、キスの合間に悩ましく吐息している。
 低く濡れたその声にぶわりと全身に鳥肌が立つような感覚がし、一気に体温が上がる。目の前が微かに滲み、これって現実だよな、と瞬間的に疑念が走った。
 モーディス、と確かめるように名前を呼び、そっと彼の下肢に手を伸ば——、そうとしたところで、「こら」と聞き分けの悪い子どもを叱るように、小さく笑ったモーディスが僕の手首を掴む。
 ハ、と鼻で笑うモーディスに感傷的な気分は霧散していたが、それでも眼前の君の美貌に翳りはない。
 しっかりと合わせられていた胸許の布は乱れていて、鍛え上げられた肌はバニオを終えたばかりだからか、火照りが微かに残ったままで、どうしようもなく色香があった。室内の灯りを反射したモーディスの金色が眩しい。濡れているせいで、いつもより少し色の濃い赤毛の毛先も綺麗だった。さっき僕が舐めたせいで濡れた唇と、そこから覗く赤いシタに体の内側から焼かれるような高揚感を覚えている。
 君とオクヘイマで夜を過ごしたのってどのくらいの期間だったっけな。どの輪廻でも、君がはじめて僕を受け入れてくれた瞬間はいつでも心臓が破裂しそうなほど緊張していたような気がする。
……今のは君が悪くないか?」
 わざと長い溜息を吐き、恐る恐る、モーディスの体を抱きしめた。触るな、とは言われない。そう言えば、冷たくなった体を何時間も呆然と抱きしめていたこともあったっけな。何度も。僕が君の背中を刺し貫いたのに。
 罪悪感で気が遠くなりかけていると、モーディスが笑いながら僕の背中を優しく撫でてくれる。手のひらの暖かさに痛みがほどけて行く感覚がし、ふーっ、と息を吐いて脱力する。
 かっこ悪いところを悟られたくなかった。もうあれは過去のことだった。やってしまったことは消えないけれど、とっくに赦しは得ている。それを僕は受け入れるべきだ。
「ふ……、添い寝までだ。暫くはな」
「なら僕にも触るなよ。興奮する」
 モーディスの手が僕の腰を撫でている。なんだか嬉しそうな顔をしているその表情を見下ろしているうちに、胸に鋭い痛みが走ったのは、君をこの手で何千万回も殺してきたからか?
「ファイノン」
 モーディスは僕の頬に手を添え、優しく眦を緩めて僕を見つめている。君に愛されている。それを感じる瞬間はいつだって、幸福と緊張が混ざり合うのか、胸が苦しくなる。
「お前に既に言った通り、例えあと何億回輪廻を繰り返そうと俺の弱点を教えてやる。だが、もうそんなことは起こらない。今はお前が眠りにつくまで俺が傍にいてやることも、お前が目を覚ますまでいてやることもできる。だからゆっくり休め」
 気づけば、もう寝ろ、とモーディスに頭を抱えられるように抱き寄せられて、優しく腕の中に拘束されている。
 逆じゃないか? 僕がそうしたいのに。そう文句を言いたいのはやまやまだったが、モーディスの腕の中から抜け出すのは結構大変なことだ。
 諦めて目を閉じ、モーディスの体温に意識を集中させる。
「寝台を増やす必要なんてなかったんじゃないか?」
「増やしたように見えたか?」
 ぼそ、と呟いた言葉に、モーディスが喉の奥で笑っているのが触れ合った肌の震えから感じた。
 あれ? と部屋に入ってからの景色を思い出してみる。
……なかった」
 そんな意味のわからない嘘を君につかれるとは思わなかった。


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