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溶けかけ。
2025-11-08 23:29:06
2936文字
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ほぼ日刊
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ナルキッソスの告解
花吐き病なヌフ
僕は今日も花を吐く。
もう何度吐いたか分からないそれらは雪のように僕の部屋に降り積もる。
……
降り積もる、なんてそんなロマンチックなものでは決してないけれど。
「ゔ
……
ゔぉぇ
……
」
胃液や唾液と共に吐き出されたのは色とりどりのアネモネ。フリーナは足元の花を見下ろすと唇を歪に撓ませた。
「悲劇のヒロインでも気取ってるつもりかい?」
青いヒールでアネモネを踏みつぶす。
──朝から不快なものを見せられた。
フリーナは苛立ちを隠そうともせず舌打ちをすると、ベッドの上に大の字に寝転がった。スプリングが軋む耳障りな音がして僅かに眉を寄せる。寝返りをうった視線の先ではピッチャーの中の水が小刻みに揺れてさざ波を立てていた。
「アネモネ
……
ヒヤシンス
……
パンジー
……
」
床の上で幅を利かせる花々を視線だけで追いかけては、その名を口にしながら、枕元に置かれたボロボロの本を捲る。黄みがかった頁は、ぱらぱらと音を立てながら背表紙までたどり着いた。
「くだらない」
フリーナは吐き捨てると手足を折りたたんで小さくなった。花吐き病──正式名称を嘔吐中枢花被性疾患というらしい──は原因不明の奇病として古くからテイワットの物語に登場する。特効薬も明確な治療法も確立されておらず、医者にかかろうと症状を緩和させる薬を処方されるのが精々だと言えるだろう。伝承では白銀の百合を吐くことで完治するとも聞くが眉唾物だ、とフォンテーヌ医学会ではまともに相手にもされていないという。
(花を吐くだけだ。命の危険もないのだから
……
)
痛みを訴える心臓を無視して、フリーナは唇を噛みしめた。
フリーナの花吐き病の治療は困難を極めた。そもそも、罹患率も症例も少ない病だ。医者たちは早々に匙を投げた。フォンテーヌ廷内、個人の医者、学術院
……
最終的に投げられた匙を拾ったのがメロピデ要塞の看護婦長シグウィンであった。盥回しにされ続けてきたフリーナにシグウィンは「大変だったのね。もう大丈夫」と優しい言葉をかけて受け入れると早速治療を開始した。とはいえ、吐き気止めや精神を落ち着かせる薬など、どれも対症療法の域を出ないものであったが、フリーナには一定の効果があった。シグウィンの調合した薬が身体に合ったのか、吐気を催す頻度も花を吐く回数も激減したのだ。一日に数度吐いていた花は数日に一回程度になり、少しずつ仕事を再開出来るようになってきていた矢先のことだった。
「フリーナ殿?」
「ヌヴィレット
……
」
何故、こんなところに
……
。フリーナは顔色を青くさせた。
「君は何故ここに
……
」
来たのか──言いかけたヌヴィレットはフリーナの腕の中にある薬の袋を見つけると目を眇めた。
「何の病だ」
「何の話?」
フリーナは鋭い視線から薬の袋を逃がすと取り繕った笑みを浮かべた。背中に冷たい汗が滴る。
「君の手にあるそれはシグウィン殿が患者に渡すものだ。
……
尤も、何らかの病に侵されているのではないというのなら素直にそう言えばいい
……
だが、君は咄嗟に隠した──ならば、君自身の身体に関するものなのだろう
……
?」
ヌヴィレットの言っていることは正しかった。フリーナは何も言えずに黙りこむ。
だって、言えるはずもないだろう? 病の対象はキミだなんて。
言ってしまったら最後、ヌヴィレットはフリーナの恋心を叶えるために尽力するであろうことは予想が出来た。手を繋いで欲しい、キスをして欲しい
……
欲望は留まるところを知らない。だが、彼はその全てを受け入れて、フリーナにとっての「理想の恋人」を演じることだろう。身体が欲しい、と言えばきっと、躊躇いつつも応じてくれるかもしれない。
(それではダメなんだ
……
! 僕は確かに彼に懸想しているけれど、この醜い欲望の捌け口にするなんて
……
そんなの暴力と変わらない)
フリーナはヌヴィレットに向き直ると瞳を吊り上げて睨みつけた。
「だから?」
「だから、だと?」
ヌヴィレットが眉の端を吊り上げる。ああ、そうだ。助けて欲しいなんて思っちゃいない。僕は僕の地獄にいればいい。
「キミは僕の恋人でも親兄弟でもない、赤の他人だろう?病なんてプライベートなことを教えてやらなきゃいけない義理はない。それに、聞いてどうするのさ? キミはシグウィンや医者より医学に精通しているとでも?」
シグウィンのことを引き合いに出すことにしたのは、彼女の実力を一番理解しているのが彼だと知っていたからだ。僕が原始胎海に手を入れたとき、医者として真っ先に挙がったのがシグウィンであったことがそれを裏付ける証拠となっている。
「
……
確かに私はシグウィンや専門家たちに比べれば医学に関する知識に乏しいだろう。だが
……
」
「だが? まだ認めない気かい? キミは何の役にも立たないんだ。僕のことなんて
……
ッ!」
猛烈な吐き気に襲われて、フリーナは口元を手で覆って座り込む。
立っていられないくらい気持ちが悪い。口いっぱいに広がる青臭い香りに、花々が喉の奥にまでせり上がって来ているのが分かった。
「フリーナ殿!」
ヌヴィレットが目を大きく見開いてこちらに駆け寄ってくる。狭い背中に黒い革手袋が触れるか触れないか、というところでフリーナはその手を振り払う。
「キミの助けは必要ない」
花を飲み込み、汚れた唇を袖口で拭うとふらつきながらも立ち上がる。
「じゃあね、ヌヴィレット」
込み上げてくる吐き気に歯を食いしばりながら、フリーナは逃げるようにその場を早足で離れていった。一人残されたヌヴィレットの足元には見落としてしまうほど小さな紫色の四片の花が落ちていた。
この時期には咲かないはずの花だ。辺りを見回すも四片の花はヌヴィレットの視界には一切映り込まなかった。ならば、この花には何らかの意図があるのではないだろうか。それは恐らく、先程のフリーナの態度にも関係しているはず──ヌヴィレットは徐に花を拾い上げると、口の中へと放り込んだ。
「──ぐっ
……
!」
突如として、口内が苦味に満たされていく。口に手を当て、吐き出すのを堪えて咀嚼する。苦しみ、悲しみ、怒り──負の感情の奔流がヌヴィレットの口内で暴れ出す。
「うっ
……
」
胃から迫り上がってくる感覚に耐えきれず、ヌヴィレットは咳き込んだ。咳と一緒に口から飛び出てきたのは──、
「
……
花
……
?」
星のような花弁の花だった。黄色い花筒が白い六枚の花弁の真ん中に突き出している。
「ナルキッソス
……
か
……
?」
ヌヴィレットは吐き出した花を掬い上げる。春先にしか咲かない花が、何故ここにあるのか。ヌヴィレットの聡明な脳はすぐさま答えにたどり着いた。
「嘔吐中枢花被性疾患か
……
」
別名、花吐き病。恋心を発端としたこの病は罹患者の嘔吐した花に触れることで感染することが確認されている。だからといって、感染してからすぐに花を吐くようにはならないはずだ。一般的には長い潜伏期間を経て、恋に触れるような経験をした際に症状が表れると言われている。
「私には彼女に関わる資格すらないということか
……
」
自惚れるな、とその花は告げていた。
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