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2025-11-08 20:46:28
5917文字
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ラスト・ラリー(「21g」より)

悠アキセックスドキュメンタリー。🏹が死ぬ描写が含まれますのでご注意ください。同シリーズ「memento mori」の前夜にあたります。
前略&中略&後略。製作中のため、いきさつは想像で補完してどうぞ。完成版では色々書き換えます。

空調が効いている。
均一に管理され、どこへ行っても温度差のない病院内の空気は、まるで患者を“保存”しているみたいだと思った。完璧なんかではない隙間だらけの檻の中、あるいはケースの中、あるいは、保育器の、中。
けれどそれは、新鮮、と表現するにはどことなく違う、ねとりとした重いまろみと独特の匂いを帯びている。例えるのなら、厚くて柔らかいビニールの中に閉じ込めた空気。ここにいると、無性に外の乾いた冷たい空気が恋しくなる。誰にも管理調整されていない、吹き渡るままの自由な風が運んでくる酸素で肺を満たさなければ、なんとなく気分が落ちてしまうようで。

ガヤガヤ。ガヤガヤ。
そんな妙に繊細な感想を抱く自分をよそに、面会する大人達の取り止めのない話に飽き飽きして病室を抜け出し、ぴこぴこと空気の抜ける靴音を鳴らしながら廊下を駆け回る小さな足音たち。それらを追って、同じくどこか手持ち無沙汰そうに病室から出てくる中学生くらいの男の子。物珍しそうに背丈より高い手摺を見上げてぶら下がったり、突然立ち止まって、何か持ち帰れる“宝物”がありやしないかとじっと吹き抜けの中庭を見つめたり。楕円形に仕切られた区画に白い玉砂利が敷き詰められ、見る人にリラックスした感情をもたらすよう濃淡さまざまな緑が植え設えられたそこに、その旺盛な好奇心に響くものはまだ何一つないとは思うけれど。
彼らはきっと親戚同士なんだろう。おそらく普段頻繁には訪れることのない世界に興味津々な幼い子供達を、何か声を掛けるわけでもなく、少年は黙って、少しだけつまらなさそうに遠巻きに見守っている。

それぞれの人生。各々の日常。ここに患者としてある人々の明日や遠い未来の行き先など、他人である僕が知ることはない。少なくとも、必要があってここにいる人達を大切に(あるいは別な事情もあるだろうが)思う人達がここを訪れていて、この夢に滞在する今日の僕も、きっとそのうちの一人であるというだけだった。
誰かを思うそれら優しいざわめきを横目に、目的地である病室へと静かに足を踏み入れ扉を閉じた途端、他人事であった穏やかな喧騒が、僕の耳から全てするりと遠のいて消えた。

「アキラくん?」
……やあ、調子は」
「あはは、笑っちゃうよね、今やこれが僕の本業」

「作戦中に突然意識を失って倒れちゃったみたいでさー……。特段打ち所が悪かったとかでもないらしいんだけど。起きたらこれ。もう動かなくなっちゃった」
……悠真……?」
「あは、う〜ん……怒ってる?じゃあ……、僕を思いっきり叩いてくれないかな。少しは、痛いと嬉しいんだけど」
「きみ……、もしかして」
「外の風は冷たかった?……ああ、そんなもこもこ厚着して来たんじゃあ、さぞ寒かったんだろうね。もしかして雪でも降ってたのかな。昨日はそんなことなかったけど……

彼がここでの時間の殆どを過ごしているであろうベッドのすぐそばにはカーテンを開けた見晴らしの良い窓があるのに、つらつらと疑問符を並べる不確定的な言い方に、薄らと嫌な予感がよぎる。

……ここはさ、ぬるくて、白くって……どこ見てもおんなじみたいな殺風景でさあ。ま……僕の家に似てるっていえばそうだし、ここにいたらエーテリアスに襲われて擦り傷を作ることもないんだけど、なんていうか……
「悠真……きみ、もう、感覚が、ないのか」
「うん?……うん。……ねえ、ごめん。もう少しだけこっちに来てくれる?こんな体たらくだけど……あんたの気配はわかるんだ、ちゃんとそこにいるって。でもそんな離れたところに突っ立ってちゃあ、よく聞こえないし、あんたのきれいな目とも、合わせらんないからさ」

そぞろに、地面に貼り付いてしまった足を引き摺るみたいにして、病室の奥へ進む。うまく持ち上がらないスニーカーの底が床に擦れて、キュ、と小さな摩擦音が鳴った。
よろめきそうな情けない足取りを気取られないよう、ゆっくりと悠真の座る車椅子に歩み寄る。心拍数を示すモニターにも、たくさんの管にも身体を繋がれていながら彼がベッドにいないのは、どこかへ行きたかったからなのだろうか。けれどこの様子では、病室から出ることも叶わないだろう。最期の時を迎えるのが白いシーツの中か椅子の背もたれの中か、それだけの違いのように思えた。

数日前見た夢の中の夜の海辺みたいに、不思議とこの一室の外に、もう何の生命の存在も感じなかった。夕陽が差し込むこの部屋には僕と悠真のほか誰一人だっていないし、廊下を走り回る子供らの声も聞こえない。このナースコールだってきっとどこにも繋がることはない、僕と彼がここで何かを交わすためだけの、概念的な場所としての“病室”。

「ありがと……、来てくれて。こうして、あんたの顔が見られて嬉しいよ」
「悠真、」
…………悔しいなあ……
「悠真、僕、……
……、ああ……あんたの……手の感触もわからないなんて、参っちゃうね。……最後にアキラくんの、体温を……感じていたかったんだけど。……。無い物ねだりは、よくないか。そうだね、こうして目と耳がまだ少し利いてるのは、ずっと幸いかな」

あんたと話せる、のもね。
両手で頬を掬って、じっと悠真の目を見る。白い肌の縁は朱に染まる夕焼けを透かして見せていて、

「きれい……

そう言って僕を見て、細めた目で淡やかに笑う。力はない。ほんの少し口角が持ち上がった気がするだけ。
つい先ほどと比べても声量は控えめで、呼吸を荒げてはいないものの少しだけ息苦しそうに見える。長年激しく使い古された電池のようだと思った。最大まで充電してももう上限がわずか数パーセントしか残されていないみたいに、満ちているけれど少ない、完全だけれど足りない。それがもう一度息を吹き返すことは、ない。

「うれしいな」
……っなにが……?なにが、嬉しいって、いうんだ」
「ん……?ずっと……考えてたんだよね。命の期限がいよいよ間近に迫ったら、自分じゃ達観してたつもりでも大好きなものでも、突然この世界の何もかもが……羨ましく、妬ましく……憎く思えたりするのかなって……

少し続けて言葉を紡いだだけで、悠真はふう、とゆっくり一度整息した。

……でも、違った。だからだよ。もうすぐ死ぬとわかっていても……きれいなものをきれいと思えることが、うれしい、って」

言ったんだ、そう続けた悠真の身体を、反射的にしがみつくように抱き締めた。ぎゅっと歯を食いしばった顎が、硬直してしまったように何も話せなくなる。ただこの腕の内にある小さな火に消えないでくれと願うばかりで。

「や……と、こんな、ちかく……に、」

はぁ……と弱々しく、けれど確かに喜びの滲んだ吐息を押し出されるようにこぼす声を耳にして、それでも離してやることができずに、「ごめん、ごめん、」 と何度も繰り返した。
つい昨日まで戦場にあって、これまでと変わらず任務をこなしていた体。こうして僕と並べて「病人はどっちだ?」なんてクイズをしたって、その一目瞭然な体つきの差で、票が集まるのは間違いなく僕のほうだろうのに。普段とどこも変わらなく見えるのに。
これが終わりなのか。もう、動かないのか。

「あきらくん」

名前を呼ばれて身体を離し、悠真と目を合わせる。視線で、近くに呼び寄せられた。彼の背が微かに傾いで、ゆっくりと、唇の感触だけのキスが降ってくる。一度きり。

息をするのもやっとな現状では、こうした少しの不規則な息づかいや身じろぎすら、今の悠真にはほんの数秒でめまいを起こすほど苦しいのかもしれない。
意地悪に僕の頭を押さえつけて、互いに快楽を逃がさないように舌を絡めて。貪欲に求め合って腰が重くなるような甘ったるいキスをしていたのに、おわりはこんなにもあっさりと味気ない。
ぬるくて、ぎこちなくて、たったの一瞬だけ。別に気持ち良くなんてない。それでも、この感触を生涯忘れることはできないだろう。

深く、深く、長い時間をかけて、悠真が息をした。
けれどその肺を満たした空気は、きっと、ほんのわずかだ。

「僕らは……あんたは……最後に、何を思い出す、かなあ」

蜂蜜色を覆う薄い目蓋が降りて来て、斜陽が彼の長い睫毛の影を頬に落とす。朱色に焼ける西空の光が差し入る余地もないほど、目を開けていられずに夜を迎えようとする左右で色の違う瞳が、昏くなっていく。
動いているのかいないのか判別出来ないほどの微かな、瞬きなのかわからない震えをゆっくり数度だけ繰り返して。眼差しと呼ぶには淡すぎる視線をぴくりとも彷徨わせることなく、今にも眠ってしまいそうな気配が、けれど確かに僕の目を捉えて、そうしてぽつりと言葉を落とした。

「笑って」



いつかのポート・エルピスで彼が言った言葉が蘇る。

「撮るよ、アキラくん」

だって人生の終わりにそれがあるなら、まるで全部が上手く収まったハッピーエンドの映画みたい。配役も天命も選べない、台詞をやり直すことだってできない。そんな一発勝負がなに?そんなの何度も掻い潜ってきた。僕が生前どんなに弱気になってくよくよしたり、沈んだ挙句に「あ〜何もかも投げ出したいかも」って自棄になったり……したところは見せてないよね?ともかく、なったりしてたとしても、あんたがそばで笑っててくれれば全然オッケー。辛かったけどとか、悲しかったけどとか。それまでの何もかも、よくて最後に残った一番大事な言葉の、修飾にしかならないんだから。

その苦しみは“僕”じゃない。あらすじに一、二行、何も知らない観衆へ向けた説明のために登場するだけ。不運や不幸って言葉はそれがそこで終わっちゃう時にしか名前のつかないものだから、本編も結末も幸運だった僕に、それが相応しいはずがないでしょ?

だって、「世界最高の歌姫の声すら心に届かない人が存在しうる一方で、世界にたった一つの星が僕を捉えて瞬いてくれた」だっけ?永久歯が揃って家出するくらい歯の浮く台詞だよ、これが僕にも実在するってのが、もう奇跡じゃなくて何だって?

さぁ、僕の幸福の立役者。

「アキラくん、笑って」

喧しい花がいいな。
見てたら思わず笑顔になっちゃうものってあるじゃない?そんな感じ。
元気な色がいいな。
目を開けている間、いつだってぴんとお日様の方を見てるようなさ。しょげて背を曲げてる姿なんて、みんなが家に帰って寝静まった後だけで十分だ。それなら誰の目にも残らずに済むよね。

いつかそれが咲くところで、ひらりと自由に溶けてしまって。
ひとすじの風になって、あんたの頬を撫でに来るから。




平坦な機械音が。
抜け殻みたいに動かなくなった僕のからだをすり抜けて、わん、とその喚きを室内に拡げていく。

車椅子の上で背を折って眠った彼の、置き去りにされた色彩だけが物言わず心を揺らした。両頬に深くかぶるやわらかな濃紺の横髪を「ふわり」と形容するのが、命をなくした今となっては正しいのか分からなくなるほど、その淵から滑り落ちたそれは、一瞬であまりに生から遠のいた物体のように見えた。

………………ぁ」

────21グラム。とある医師によれば、それはちょうど魂の重さなのだという。
日没よりも一足早い逆光の中でその重みを失った身体はもう動くことはなく、その眼窩に静かに止まった時を湛えている。僕を見つめてついに瞬くことのなかった目が、願いを叶えてもらえないまま薄らと開いて僕を見ていた。それに気づいた瞬間、彼の脚に縋る僕の背の内を、一斉にとめどない罪悪感がぞわぞわと駆け上り喉を絞め上げる。

「ぁ…………っ、──────っ……!」

間に合わなかったんだ、僕は。
ここにいたのに。彼の最期の一瞬に。

……ごめん、ごめん、ごめん、悠真……!!」

白い膝掛けをぐしゃぐしゃに握りしめて、脚の上に置かれたままの手を包む。
人が“温度を感じる”というのは、“熱の移動を感じ取っている”ということらしい。高いほうから、低いほうへと。熱いと感じる時はあちらからこちらへ、冷たいと感じる時はこちらからあちらへ。そして両者が同じ温度になった時、熱の移動は止まる。

……冷たい……

移しても、移しても流れ落ちていく温度。もう、二度と自分と同じ体温に留まってくれることはない。




────────。
どうやら、そうしたまま気を失っていたようだ。
赤茶色に錆びた夕焼けはなく、気付けば真っ白な空間にいた。
手に受けていた感触がなくなっている。はっとして目を見開いた。いない。悠真がどこにも。

「ッ待って……!」

もがくようにして立ち上がると、そこには白い花で飾られた祭壇があった。葬儀場の中だった。
僕は喪服を着て、会場の中心に立っている。その部屋には僕の他に誰もいない。生きている人間は、誰も。

何も飲み込むことができずに、はあ、はあ、と不安定な短い呼吸を繰り返す。瞬きするたびふらふらと目がさまよって、うまくピントが合わない。そうしてしばらく立ち尽くしたあと、自分の呼吸音だけが聞こえる音のない空間で、そろそろと目を、首を動かして周りを見た。
何も、無い。向かうべき目的地はひとつ。この夢の終着点は、目の前のただ一人。

バクバクと、握り潰され行き場を無くしたように心臓が無尽に跳ねている。意を決したわけではない。けれど他にどうすることもできなくて、一歩ずつ棺に歩み寄る。
そうして、其処に眠る者の顔を見た。
敷き詰められた花は、横たわる青年の髪と真逆のコントラストで彼を包む。潔く、寂しく、呪わしいほどの純白。

……なんで…………っ」

膝をついて頽れる。
棺に手を添えて、静かに誓う。

「約束する……

次に君と最後に別れる時には、必ず笑っていると。
それが内心どんな心持ちなのか僕には想像もつかないけれども、確かなことがひとつある。病室で見た、僕を見つめる彼の最後の眼差し。君はあんな虚無を抱えてこの世を去るべきではないはずだ。この結末を退けるためであれば、どんな理屈、万難を排してでも、最後に僕は必ず君の前で笑っていると約束しよう。

白い死装束を着せられた胸を撫でる。
彼に僕の肺をあげたら、心臓をあげたら、もう少しだけでも長く生きられたんだろうか。僕のあげたもので、この先も生きていってくれたんだろうか。





君は思い出を蘇らせるが、思い出は君を蘇らせてはくれない