景生
5293文字
Public 主足
 

共朽

※R-15 ※出所後同棲 ※主に女性関係描写有り


 容姿を褒められることがある。彼に。足立透に。「また女の子を取っ替え引っ替えしているの」潔白そうな見た目に騙されて可哀想に、と彼は語る。彼曰く、鳴上悠という男は『女たらし』なんだそうな。
「あのですね。誤解です」
 誤解ですからと。鳴上は何度も否定した。それは謂れのない悪名だ。現実は一人の女性と長続きしないだけにあり、いつも女性の方から去っていく。俺の甲斐性が無いだけですからと、鳴上は度々説明した。
「呆れたね。きみの謙遜は全て嫌味に聞こえる」足立はそう言ってやれやれと溜め息を吐いた。「原因は僕でしょうに」と、彼は決め付ける。それは彼と暮らし始めてから何度も聞いた言葉だった。
「幽霊みたいなおっさんを飼っているせいだ」
 彼はそう自嘲する。こんな前科者の男を引き取ってしまったばかりに、まともな女が寄り付かないのだと、僕のような居候を抱えた身で真面目な付き合いが出来るものかと、呆れたように鳴上を叱ってくる。彼はいつもそのように自分を卑下していた。まるで家に棲み付く地縛霊のように身を語って、このような忌々しい陰気なものを、お前はさっさと追い祓え、追い祓えと。何度も鳴上を唆してくるのだ。
「僕から出て行きたいのは山々なんだけど」と、足立。しかし、そうして勝手に出て行ったら、きっとまたきみに殴られるだろうからと彼は言った。「殴られるのは痛いから」
 昔の話だった。それは彼と暮らし始めて間もない時期で、あの頃の彼は今よりも酷く精神的に不安定だった。目を離せばすぐに消えてしまいそうな気配を宿していて、ある日、彼は実際に無断で家を離れようとした。その後ろ姿は、どこに行くのですか、死にに行くのですか。そう訊ねたくなるほど危うげな姿だった。鳴上はそれを殴って止めたのだ。涙ながらに必死に。やむを得ず。
「あの時は仕方無かったんですよ。人を暴力男みたいに言わないでください」鳴上は言った。「あれはそういうものじゃないですよ。何というか、もっとこう。厳かで、情緒的な——あの、分かりますよね。足立さん。だって俺達、そういうのって初めてじゃないですよね。昔、そうやって俺達は。そうですよね」
 過去を振り返るように問い掛ければ、足立は難しそうに顔をしかめた。納得のいかない顔付きだった。
「何のことは分からないけど」彼はとぼけて見せる。「そういう屁理屈を言って、暴力に正当性を結び付けるのは良くないよ、鳴上くん。それは詭弁だよ」
 きみのような男が僕を言いくるめようとするだなんて。まさか女の子にも普段からそういうことを言っているのではなかろうかと、彼は少し不安そうに訊ねてきた。恋人と長続きしない原因が、他にあるのでは無いのかと怪しんでいるようだった。
「才色兼備の、恵まれたきみが」足立はじろりと見つめた。
 どうやら他人を束縛し、詐欺師のように振る舞う傾向があるのかもしれないと勘違いされている。勿論そのようなことは決して無いと鳴上は否定するものの、足立は信じ切れないようで、疑いの眼差しを向けて「きみは嘘を言わないけど、無意識は多いからね」と勝手な憶測を続けるのだった。酷い言い掛かりに過ぎない。
「足立さん。俺と一緒に居るのが気に食わないのは分かりますけど、今回の話は、それとこれとは無関係ですから。俺が振られてばかりなのは、単に俺が不甲斐ないだけです。情けないだけです」
 鳴上はきっぱりと答えるのだった。
「いやいや。どう考えても、僕に要因はあるでしょう」足立は言った。「例えば親と同居しているだけでも気を使うだろうに、そこに現れるのが身内でも何でもない、この僕だよ。きみの彼女からしてみたら、いや誰だよ、この男。誰だよ、このおっさん? って不審に思うでしょう。まさか誰々です、なんて自己紹介が出来るわけないし」
「この家に女性を連れて来たことなんて、一度も無いじゃないですか」
「それも問題なんだよ、鳴上くん」足立は鳴上を指差した。「きみ一体、これからどうやって結婚するのさ」
「結婚?」結婚、と鳴上は不意打ちを喰らったように聞き返した。「結婚って。どういう意味ですか、足立さん。俺、結婚なんてしませんよ」
「いや。今すぐというわけじゃなくて」今後の話だよ、と足立は話す。「長く付き合っていくなら、家のような居場所は不可欠でしょう。その過程に僕みたいな男が存在していたら、弊害になるのは目に見えているでしょう。当たり前だよね? こんなこと、言わなくたって分かるでしょうに」
「いえ、全く」鳴上は首を横に振った。「女性とは一緒に出掛けて、食事をして、夜が長ければホテルに赴くだけです。ここは俺と貴方の家です。他の誰かを呼ぶつもりは毛頭ありません」
「ええと。きみ、他に家を借りてるの」足立は訊ねる。
「ここだけですよ」鳴上は答えた。
 足立はその返事が不可解だとでも言うかのように、頭を抱え出した。
「あのさ。何言ってるの、きみ」
 足立はあからさまに困っていた。
 鳴上は、自分の発言が彼を悩ませていることに当然ながら気付いていた。彼は恐らく、ずっと勘違いしているのだ。鳴上はその噛み合わない二人の齟齬を、明確に口にした。
「分からないんですか、足立さん。俺には結婚願望というものが無いんですよ。誰かと結婚するために女性と付き合っているわけではないんです」
 そう伝えると、足立の詰め寄られた眉根から力が抜けた。しかめていた顔を一転して、きょとんと目を丸くする。少し幼くなったような表情で、彼は首を傾げた。「結婚しないなら、何で」足立は不思議そうに訊ねた。「何で熱心に恋人を? どうして」
「どうしてって。それは」
 鳴上は言い淀んだ。まるで彼と反射するかのように、今度は自分が困ったような顔を浮かべる。
 口に出しづらいが、ここで誤魔化すのも苦しいので、
「必要なことを解消しているだけです」
 と、端的に言って何とか済ますのだった。
「きみが? そんな馬鹿な」
 心底驚いたような足立の表情を見て、鳴上は彼が自分に抱いている、妙な理想像をようやく感じ取った。
 彼にとって鳴上悠という男は、どこか立派で完璧で、誠実な男であるという印象を持っているようで。ついさっきまで女たらしと揶揄いながらも、束縛男と疑いながらも、心の中では本気でそう思っていなかった——それらはただの冗談だったのだと顕著に出るような、彼らしからぬ露骨な態度だった。
「だから貴方のせいじゃあないんですって。本当にただ俺が不真面目なだけで。あの、というか俺って。ええと、何で? 俺ってどうして足立さんから変に、そう思われているのか分からないんですけど」
「きみのことはいつだって変だと思ってるけど」
「違います、そうじゃなくて」鳴上は言葉に詰まった。「そうじゃなくて」それから躊躇って何も言えず、どうしたものかと考え込んだ。しかし何も浮かばないので、むしゃくしゃと頭を掻きむしるようにして「ああ、もう。何だよ」と、もどかしさに唸るのだった。
「俺は」鳴上は足立を見た。「そうじゃなくて」
 乱れた髪の毛を直しながら、目を逸らす。
 何を話そうか。どう伝えようか。
 悩みで頭がこんがらがる。
 しかし、こうして狼狽えていても埒が明かないので、ここで正直になる他無いのであった。
「俺は貴方が思っているよりも、大人しい男じゃないってことです」自暴自棄になるように、鳴上は続けた。「浅ましい男なんですよ、俺は」
 彼が信じるような人物像ではない。もっと私欲的で狡賢い卑怯な、煩悩に溺れる自堕落者なのだと、鳴上は足立の怪訝そうな顔を前にしてそう告げた。
「貴方と暮らしてるのだって、別に善意とかじゃないんです。下心があるんです。汚い感情があるんです」
「前に言ってた、僕を好きだってこと? 呆れた。もうそんなの、とっくに諦めてるんだと思ってた」
「そんなわけないじゃないですか」鳴上は白状した。「貴方と居ると邪なことばかり浮かんでしまって、どうしようもないんですよ」
 付き合っていた女性達が離れていったのは、この厄介な感情のせいなのだと鳴上は説明する。貴方に対して馬鹿なことをしないように自分を抑制させてきたのだと赤裸々に伝えると、そのまま足立ににじり寄り、彼を壁に追い込んだ。
「今、俺が」鳴上は彼を見下ろした。「貴方のことを抱きたいと言えば、貴方はきっとそれを受け入れますよね」
 足立は鳴上の影に覆われながら、薄暗くなった顔を見上げた。
「まあ。そうだね」足立は大きな丸い目で平然と答えた。「衣食住の借りがあるし。それで良いなら」
「じゃあ俺が付き合ってくださいと頼めば?」
「ううんと、それは嫌だ」
 嫌だね、と足立は当然のように拒むのだった。
 鳴上は自分の気持ちを拒絶されるのが分かっていたので、案の定である彼の返事に落胆することは無かった。
 しかし、そうだとしてもやるせないような苦しさが消えるわけではない。この好いている男を目の前にして、今はどんな顔を見せれば良いのか鳴上にはよく分からなかった。
 未練がましく涙でも流そうか。諦めたように笑ってしまおうか。軽薄な彼の態度に怒ろうか。それとも彼が差し出すものを喜んで受け取ってしまおうか。
 様々な喜怒哀楽の感情が押し寄せる。
 その混ざり切った複雑な表情を足立に見つめられていた。彼は暫しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「きみさ。言ったばかりじゃない」足立はそっと手を伸ばして鳴上の重い前髪を掻き上げると、剥き出しになった瞳に向かってこう話した。「自分は浅ましい男だと、そう言ったよね。それなら都合が良いんじゃあないかな」
 彼はそう言って口元に笑みを浮かべると、鳴上に触れていたその手を自分に引き寄せて、鳴上の視界を奪うのだった。
 唇に触れる柔らかな温もり。しかしそれは生温かいのに冷たいような、柔らかいのに弾まないような、どこか不明瞭な遠い接触に感じた。だのに鳴上の意識は、彼から与えられるものを待ち望んでたかのように受け入れてしまう。嬉々としてそれを求めて、衝動のままに彼を引き寄せる。次第に腹の中で湧き起こる熱はみるみる増長していき、その素直でぞっとするような己の反応に、ああ、やはり俺は自分という男の下劣さの認識を間違っていなかったのだろうなと、鳴上は欲に崩れながら腑に落ちるのであった。
 そうして物事が曖昧なまま、二人は夜を迎えた。それは一方的な愛情をぶつけるだけの偏った時間に過ぎなかったが、鳴上の愛の囁きを微笑で受け流す足立の姿は、ずっと彼を見てきた鳴上にとって、まさしく恋い慕う彼の姿だった。欲求に応えるだけの虚しい行為も、欲情に歪んだ熱が現実を忘れさせてくれる。その薄ぼんやりとした都合の良い意識は、事後も後遺症のように続いた。
 足立はベッドの上に居た。枕元の小さな明かりに照らされながら、裸のまま気怠げに座っている。身体を横にしている鳴上を見下ろして、彼は唐突にこう告げた。
「きみは自分が思っているより、悪人になり切れてはいないよ」
 それは慰めの言葉ではなく、彼らしい皮肉だった。
「〝良い人〟を捨て切れないきみにとって、こういう体験は苦痛にもなり得ると思う。でもそんな気持ちに反して、これがどこか心地良いという感覚を呼び起こしてしまうことも、僕はよくよく知っている」
 彼はそう語って、鳴上を見つめ続けた。彼の両目は薄暗く広がり、傍の明かりを通していなかった。
「それってさ。僕にとっては美味しい話なんだよね」正直な所、と彼は続ける。「だって僕、きみのこと嫌いだし」
 大嫌いだからさ、と彼は素直に口にした。
「きみのような恵まれた奴が、僕みたいなのに人生台無しにされるなんて。本当、可哀想だよね。馬鹿らしいよね。でも、それとしてさ。面白いよね」
 足手纏いを引き摺って、無様に転落していくきみを見るのは愉快だよ、と嘘か真かそうやって彼は言う。
 鳴上は彼を上目遣いに、彼の肌に刻まれた赤色を目に焼き付けながら、告げられる言葉に耳を傾けた。
「鳴上くん」足立は鳴上を見下ろしながら「悠くん」と名前を呼び直すと、その下瞼をとびきり嬉しそうに膨らませた。「ざまあみろ」
 それは揶揄うような笑顔だった。そしてどこか生き生きとした声でもあり、彼の顔は嘲笑に意地悪く滲みながら、懐かしい姿を垣間見せた。
 昔の彼はこうやって、いつもあの家で——叔父の家の居間で自分を見下すように、楽しそうに笑っていたなあと、鳴上は過ぎ去った日々を思い出すのだった。
 この偏屈な片想いが報われることは、もう無いだろう。現状の二人の関係は、褒められたものでも誠実なものでもない。けれど今は、それで充分だと。鳴上は、彼の久々に見せた穏やかな表情に、そう納得するのだった。
 その皮肉めいた笑顔と共に過ごす日々の中で、彼は自分には見えない景色を見せてくれる。
 それは、昔からよく知る——恋焦がれた彼の姿だった。