ugatuno
2025-11-14 19:00:00
3456文字
Public 二次小説
 

その心臓は世界のかたち 18話

キュウ+ジン。

ベッドの上で、ジンペイは身動きもせず、ただスマホを握っていた。
ロックを解除する。
何をするでもなく、指が勝手に動いて……チャットアプリを開く。
ホーム画面には、何人もの名前。
YSPクラブのグループ。
コマくんとの個人チャットも。
トーク欄を何度もスクロールする。
読み返してるわけじゃないのに、指が止まらない。
未読はついていない。
そりゃそうだ。誰にも何も送っていないんだから。
昨日、マタロウがくれたメッセージ。
一昨日、フブキが一言だけ送ってくれたスタンプ。
その前にコマくんが送ってくれた、写真付きの差し入れ報告。
全部が眩しくて、全部が、遠い。
…………
何か打とうとして、止まる。
……元気?』
『迷惑かけてごめん』
『会いたい』
『助けて』
どれもしっくり来ない。『ジンペイ』はこんなこと言わないはずだ。
指が震える。
なんでもない文章を打っては消して、また打って、また消す。
『あー……
ジンペイはうめいた。
「なんだこれ……
虚しさが喉を突き上げる。
この指の動きだけで、誰かがこの胸の重さを分かってくれたら、と思っている。
……でも、そんな魔法はない。
結局、トーク画面を閉じて、スマホを胸元に握った。
それでも、少しだけ呼吸が楽になった気がした。

 
——病室の灯りはすでに落とされ、枕元のスタンドだけがぼんやりと灯っていた。
カーテン越しの窓からは、月明かりが静かに差し込んでいる。
ジンペイはひとり、ベッドに横たわったまま、じっと天井を見つめていた。目は冴えていた。でも、どこか遠くを見ているような虚ろさを帯びていた。
……ちょっとくらい……動けんだろ……
ぼそりと呟いて、そっと毛布を押しのける。力の入らない手で、ゆっくりとベッドの縁に手を伸ばす。
——ギシ
身体を起こそうとしたその瞬間、胸の奥がぎゅうっと絞られるような圧迫感に襲われた。
……っ、ぐ…………
思わず片手で胸を押さえる。脈が不規則に跳ねるたび、頭の奥が揺れるような感覚が襲ってくる。
……クソ……また……かよ…………
声はかすれて、息も絶え絶え。無理に呼吸を深くしようとすると、胸の痛みが鋭く広がる。
——それでも、ジンペイは、動こうとした。
……ちょっとぐらい……動けなきゃ……何がヒーローだよ……
震える指でベッドの柵を掴もうとする。でも、握力が足りず、指がすべって離れていく。
……ちくしょう……
小さく、でも刺すような声。歯を食いしばりながら、もう一度手を伸ばそうとしたとき——
視界がぐらりと揺れる。
——目の前が、白く、霞んだ。
……っあ……
ベッドの端に手をつく前に、身体がそのまま崩れ落ちる。布団の上に倒れ込んで、呼吸が荒くなる。
「っ………………くそ……
胸を押さえたまま、うずくまるように体を丸める。痛みも苦しさも、そして、どうにもならない自分自身への苛立ちも、すべてがいっしょくたになって胸を締めつけた。
……なんで……俺の体なのに……俺の言うこと……聞いてくれねぇんだよ……
涙ではなかった。でも、喉の奥に詰まった何かが、言葉にならずに震えていた。
——しばらくして、ジンペイは息を整えるように、ゆっくりと仰向けになる。
天井は、さっきと何ひとつ変わらないまま、そこにあった。
……はぁ……
情けなさと無力感と、悔しさが渦巻くなかで、ジンペイはかすれた声でひとことだけつぶやいた。
……もうちょい……かっこよく……いきたかったな……
その言葉は誰に届くでもなく、ただ、静かな夜に溶けていった。


眠りに落ちたジンペイの意識の底に、懐かしい声が響いた。
……泣くなジンペイ。父さんの怪我は、名誉の負傷だ」
ああ——この声、覚えてる。
もう何年も前の、病院のベッドサイドで聞いたやつ。
父さんが言ったあの言葉。冗談みたいに笑って、真面目に語ってた背中。
「母さんのように戦える男になったら、母さんが会いに来てくれるかもな」
あれは、冗談だったって知ってる。
でも——あのときの自分には、その言葉だけが、世界を照らす光だった。
「助けなきゃいけないんだよ、ジンペイ。誰かを助けるためなら、泣いてる暇なんかない」
——うるさいな、父さん。
もうそれで、ずっと走ってきたんだよ。
泣かないように、強い人になれるように——誰かのヒーローになれるように。
ずっと、ずっと、頑張ってきたんだ。
……なのに、今さらなんで、そんな顔で現れるんだよ。
やめろよ。
そんな顔で見るなよ。
ベッドの中で、ジンペイのまぶたから、涙が一粒落ちた。


廊下の蛍光灯は、夜間照明で薄暗い。
足音を立てないように、九尾はゆっくりと歩を進めた。
ジンペイの病室の前で、ふと立ち止まる。
目の前の扉——
その奥には、誰にも見せられない顔をして眠るジンペイ君がいる。
……
ノックはしなかった。
彼のことだから、きっと起きていたとしても、無理をして平気な顔をする。
「大丈夫だって」なんて、また心にもないことを言うに決まってる。
その想いを、壊したくなかった。
けれど同時に。その奥に、どんな苦しさを抱えているのか。
——ドアの前に、しばらく立ち尽くしていた。
迷っていたわけじゃない。
ただ、どう声をかけるべきか分からなかった。
彼に対して、「頑張れ」とも「休め」とも言えない自分が情けなかった。
九尾は静かに扉に手をかける。
カチャッ──
ドアが数センチ、開く。
薄暗い室内。点滴の機械が、静かに電子音を鳴らしている。
その音にまぎれて、微かに——
ジンペイの寝息じゃない、押し殺した「しゃくり上げ」が聞こえた。
泣いているのだと、すぐに分かった。
……
それを見た瞬間、九尾は扉を、そっと閉じた。
開きかけた口が、何も言えずに固まる。
……言葉なんて、もう意味を持たないだろう)
(僕が今、慰めの言葉を投げかけたところで——彼は、きっと“もう十分に頑張っている”自分を責めてしまう)
彼の人助けにかけるこだわり。それを、どれだけ苦しくても手放さない姿。
……ずっと見てきた。
でも、いざこうして無防備な姿を目の当たりにしてしまうと——
自分の言葉が、どれほど無力なのかを痛感する。
それでも、何もせずにはいられなくて。
せめてと、差し入れの袋をそっとドアの前に置く。
中には、白湯のポットと、甘いゼリー飲料。
そして——手書きのメモ。
「また来るよ。何かあったら、いつでも呼んでくれ。……今は、ゆっくり眠るといい。」
筆跡は丁寧だったが、どこか震えていた。
九尾は立ち去る前に、もう一度だけ病室に目をやった。
扉の奥に、必死で泣き声を抑える気配が、痛いほど伝わってくる。
——そんなときでも、彼はきっと「誰かのヒーロー」であろうとするのだろう。
……君は、本当に、どうしようもないね」
呟きながら、九尾は薄暗い廊下を背にして去っていった。
その背中は、誰よりも優しい諦めをまとっていた。


喉の奥が、焼けるように痛い。
唇もカサついて、うまく呼吸ができない。
点滴が流れてるはずなのに、体の芯は、ずっと乾いてる気がする。
どこかで誰かの気配を感じたような気がしたけど、
ドアが開く音も、声もなかった。
気のせいか——
そう思って、ひとりで泣いていた。
声を出さないように、震えを殺して、
ただ、何度も何度も、「大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
けど——朝になって、看護師さんがドアを開けたとき。
——そこに、「差し入れ」と手書きの紙が置かれていた。
「また来るよ。何かあったら、いつでも呼んでくれ。
……今は、ゆっくり眠るといい。」
……見ただけで、誰からか分かった。
九尾先輩の字だった。
じわりと、目の奥が熱くなる。
「呼んでくれ」なんて、そんな言い方はずるい——
誰にも頼れないでいたこと、見透かされてたみたいで。
自分で選んだことだった。誰にも心配かけないって。
笑ってごまかせるうちは、まだ大丈夫だって。
……でも。この手紙ひとつで、全部ばれてた気がして。
……うん。ありがとな、先輩……
声にならない声をこぼして、目を閉じた。
何日かぶりに、涙じゃなくて——少しだけあたたかい感情で、眠気がやってきた。
そして夢の中で、遠く誰かの背中を見た。
それだけで、今夜は少しだけ、ヒーローじゃない自分のままで、眠れた気がした。