ルシファーはベルゼブフとサタンがくっついてから、意図的に距離を取るようにしつつ自分に類が及びそうな懸念があるものは先んじて潰すよう努力していた。意味があるかはともかくとして。
なにせ彼らは単体で見ればこれ以上ないスペックを持った男子大学生であるが、揃うと大変にアホになるからである。たった二人で船を山に登らせられるし、寄った三人のうち二人がカップルだったらその場の総IQは文殊どころかマイナスに突っ込むのだなあ、というどうでもいい気づきをルシファーは身をもって得ていた。
彼女は法学部に在籍しており、法曹界に羽ばたいたOBの話や過去の判例から民事刑事問わず色恋がトラブルの元になることはよく理解していたがさもありなんである。
恋愛感情の他に厄介事を招く要素はいろいろとあるが、とりわけ酒もその一つとして数えられる。
彼女は人生の先達として酔った大学生の奇行奇癖はそれなりに見聞きしていたので──そして自分自身慣れない酒での後悔も一回くらいは経験していたので──内心無駄だろうと分かっていながらベルゼブフとサタンそれぞれに「二人で飲む前に別々に酒の失敗をしておいてくれ」と頼んだ。
いきなり二人でアルコールを入れると勢いで飲み比べをやりかねないからである。そしてどちらも驚くほどの負けず嫌いなので、アルコール許容量に極端な差がない限りは泥沼の勝負になってあたり一面吐瀉物まみれとかが予想できるし、何らかの形で自身に被弾しかねないとルシファーは予想していた。
さて、本日はベルゼブフに遅れること数ヶ月、サタンが二十歳の誕生日を迎えてから一週間が経った夜だった。
既にプレゼントと祝いの言葉を贈っていたルシファーは、彼らの新居で生まれた子猫二匹を猫じゃらしで遊ばせていた。余談だが「猫の名前はロクスとドラギナッツォにしようと思う」という渾身のジョークはサタンが顔を引き攣らせ、ベルゼブフは首を傾げて終わったのであいにくと不発だった。真面目な人間にこの手の加減は難しいのである。
スマホから通知音がしたので、手だけを動かしながらロック画面を覗き込んだルシファーは訝しげに眉根を寄せた。
サタンから送られてきた『信じらんねえ! ベルのやつあんなに口説いといて何もしなかった!』というやや際どいメッセージを受け取ったためである。そちらに気を取られたので玩具は子猫達に持ち去られてしまった。
彼はあれで奥ゆかしいので、恋人からどんな形の愛を受け取ってきたのかを秘めようとするところがある。ベルゼブフも似たようなものだが、あちらは基本的に他者に対して恋人とのやり取りを明かすという選択肢自体を持たないので結果は同じでも考えは異なっているようだ、とルシファーは感じていた。
そのサタンが『俺の顔が魅力的だとか言ったくせに』『あんないかがわしい触り方してきたのに』といった恨み言を次から次へと送りつけてくるのだ。長い長い溜息をついたルシファーは、スマホの向こう側にいるサタンが忠告を無視してベルゼブフと飲み比べをした挙げ句、ぐでんぐでんに酔っ払ってぷりぷりと怒りながら直接ぶつけられない──あるいはぶつけきった後でなお収まらないハッピーな愚痴をフリック入力している様子が浮かんだ。
まだ直接的なワードは出てきていないが、放っておけば性的な単語がポンポン飛び出てきそうな流れにルシファーは身構えた。
選択肢は二つある。一つはベルゼブフもろともブロックして頭を冷やせと言外に伝え、この先のダメージを減らすことである。もう一つは、というところで新たな通知が来た。
『サタンを落胆させてしまった。恋人失格だ』
ベルゼブフ、オマエもか。
ルシファーのスマホはほんの数分にして嘆きと怒りが交互に再生される呪いのステレオじみた代物になってしまった。今すぐ投棄したいのだが物が物だけにそうもいかない。
なによりベルゼブフも『サタンの魅力に抗えなかった』『努力に応えられない自分が情けない』といったギリギリ直接的ではない言葉を送ってくるが、既に送られてきていたサタンのものと合わせれば今夜二人の間でどんなすったもんだが起こったかルシファーは大体想像がついてしまった。何が悲しくて異性の友人の性事情に思いを馳せなくてはならないのか。酒と恋は大いに人間を惑わせるが、その相乗効果は凄まじい。人はここまで愚かになれるのだ。
腕を組み、天を仰いだルシファーはたっぷり十秒かけて現実逃避したが、ハイスペックな男どもの将来性に賭けて流れてきた全てのメッセージを残さずスクショして弱味とすることにした。これで二人は一生彼女に頭が上がらなくなることが確定した。
一回そうと決めてしまえば頭の茹だったセンシティブな失言も金脈に見えてくるもので、ド直球な単語が現れる頃にはルシファーの頭の中には「もし弁護士として開業することにでもなったら、サタンの会社で顧問にしてもらえるな」などという皮算用が弾かれていた。
* * *
翌朝、広々としたベッドで孤独に起床したサタンは、時計の針が九時をとっくに回っていることとものすごい頭痛と吐き気に襲われたことで自分の身に何が起こったのかすぐには理解できなかった。
なんとはなしに握りしめたままのスマホのロックを外すと、恋人との性生活の赤裸々なあれこれをルシファーに対して送りつけていた上にその全てに既読がついていたので、既にブロックされて縁を切られていることを覚悟の上で取引先に粗相をしたビジネスマンみたいな謝罪文を送り、さらに詫びの品を持って伺う許可を得ようとした。
顔から火が出るところではない。
ちょっと酒が入って情熱的な夜を過ごしたとかそういう内容だったらまだいい、いや全く良くはないが、少なくとも二人の間で秘されるべきだった恋人の不名誉を勝手に明かした重罪に比べたらお釣りが来る。
間もなくして『バラバラに来られると面倒くさいから一緒に来い』という返事が来たので、どうやらベルゼブフはベルゼブフで同じようになにかやらかしていたことを察したが、少なくとも自分の方が度合いとしては酷いだろうと思った。
ガンガンと響く頭を抱えて起き上がり、着替えをしようとしたところでサタンははたと気がついた。
上を着ていないのはいい。確か盛り上がってそのまま脱ぎ捨てたとかだった気がする。問題は下がデニムのままで、昨晩風呂に入った形跡が見られないことだ。
風呂に入っていないということは、大した準備もしなかったということで。男同士のセックスは大層な準備がいるわけで。そのせいでサタンの体を気遣う心優しいベルゼブフが「肌を火照らせたオマエを見ていると昂りが抑えられない。今すぐ抱かせてほしい」なんて自ら積極的に誘ってくることはそうそうないし、だからこそ強引に腰を引き寄せられたサタンは絶対にこの勢いのまま抱かれたいと躍起になってそれが叶わなかったから怒りが爆発したのであって。
二日酔いとは全く違う理由でサタンの顔色がさーっと青くなる。
「ベルが勃たなくて良かった……」
本人には絶対に聞かせるわけにはいかないしみじみとした呟きが広い寝室で溶けていった。
* * *
その後、のろのろとリビングに向かったサタンは同じくグロッキー状態のまま散乱していた酒瓶やら缶やらを片していたベルゼブフに土下座する勢いで昨晩の失態を謝罪され、既にロクサーヌの散歩や猫の餌やりといった世話を一通り終わらせたことを告げられたので、おそらく一生この男と暮らすのだろうなと根拠もなく思った。
サタンはベルゼブフの肩を抱いて男にはどうしようもないことで感情的になった己の思いやりのなさを詫び、それはそれとして積極的に求められて嬉しかったと素直に伝えた。
今後は何かしらの合図を決めて、それをサタンが示した場合はいくらなんでもないふりを決め込んでも体の準備は万端なので、ベルゼブフが心のままに情熱的な誘いをかけてその勢いでベッドになだれ込んでもいいルールにするのはどうだろうという提案と共に。
結局のところサタンの方からアピールしている事実に変わりはないのだが、そのように振る舞うだけで心というものは結構簡単に騙されてしまうものなのだ。
ベルゼブフの方もその発想はなかったとばかりに頷いた。彼は恋人の肉体に対する負い目があるから青臭い下心を露わにするのはサタンに比べれば二割くらいの頻度になるし、出すにしてもオブラートを何枚か被せているので自分の意思を表明するというよりは下手に出て対等なはずの相手にお伺いを立てるような形になる。
そのことに燻ぶりを覚えていたからこそアルコールによって本性として暴かれてしまったのだから、形だけでも好きなように想いを伝えられるというのは魅力的だった。サタンがそうと意識しないでも、ベルゼブフの心をときめかせて下半身を刺激するちょっとした仕草や表情は彼が満足に伝えきれていないと感じるほどにたくさんあるのだ。
二日酔いというバッドステータスは何一つ改善していないが、想いを通じ合わせた二人はボロボロの体を引きずって百貨店に赴き、最高級の贈答品をそれぞれ購入してルシファー宅の玄関で揃って土下座した。
彼らは「分かったからもういい、次から酒を飲む時は気をつけろ」という彼女の許しの言葉が全部弱味として握り込んだからだとは露も思わなかったので、情けで差し出された緑茶を啜り譲渡した子猫二匹──あんことみたらしと命名されていた──とひとしきり遊んでから帰宅した。
一週間後、ほぼ毎日の勢いで合図を出しまくるサタンのせいでまたも一悶着起こるとは全く予想もしないままに。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.