shioyama
2025-08-03 12:45:27
4618文字
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Christmas Will End Someday

シャンゼリゼ 現行未通過× 自陣×
HO長男 秘匿あり。

最初に殴られたのは顔だった。ああ、今日は機嫌が最悪だな、なんて。あの夜を思い返すたび、胃の奥がぐるぐるとかき乱される。

父は腹をよく殴る人だった。内臓が強く打たれた振動と、臓器が破裂していないかの不安がフラッシュバックして、じっとりと首筋を這いまわる。息を吸おうとしても肺が拒否した。呼吸の仕方をどこかに置き忘れてきたみたいだったことを思い出す。腹周りにこぶし大の青あざができたこともあった。弟や妹にバレないよう長袖ばかり着ていた名残か、地肌が隠れる服だと安心する。

母は背中。か弱い人だったからそこまで痛くはないものの、怒号入り混じる説教を至近距離で浴びせられるのは辛い。小さな木材に錐きりで穴をあけるように心を穿たれる。不意に背を叩かれると今でも体が縮む。求められるタイミングで返事をしないと嵐は激しさを増すから、いつの間にか空気は吸うものじゃなくて読むものになっていた。

父と母、どちらも痣が見えにくい場所を集中的に虐げてきた。服を着れば隠れる個所ばかりだったから、金切り声をあげながらも世間体を気にするだけの理性はまだ残っていたのかもしれない。それすらもあの夜には亡くしてしまっていた。サンタさんが奪っていったのか?違うか、俺のせいだ。俺が悪い子だったから、あんなことを。


携帯ゲーム機から電子音が鳴った。暗い海に浸っていた聖園柊一は手元へ視線を落とす。ゲームオーバーのドットフォントが浮かんでいる。去年のクリスマスを振り返っている間に、手元も意識もおろそかになっていたようだ。公園内の街灯が自動でついてから数時間が経過していた。昼間は賑わっていたであろう公園には、現在ベンチに座る柊一以外の影すら見えない。街灯の内側から覗くあっち側の暗がりは、ただ静かに蠢いていた。頭上からが光が軋むような音が聞こえる度、その下にいる自分だけが世界から切り離されたように錯覚する。何かに責められている気分になり、右目をゲーム画面へと向ける。

ボタンを押すと、プレイヤーキャラクターがドットになって砕け散っていく。そういえば昔、試合でシュートを外したのを見に来ていた両親に見られて、後でみっちり嫌味を言われたな。躾の範囲だと言いながら叩かれた頬を温くなったペットボトルで冷やしていた頬をつい抑える。勿論いまは腫れていない。

長く息を吐き出し、背中を伸ばす。大きく伸びをすると、固まっていた背筋が伸びてスッキリした。今日は客が多く、テーブルを回すのが大変だった。本当はゆっくり食べてほしいが、ラーメン屋は回転数が重要視される。せめて気持ちよく過ごしてほしいという思いで、明るい接客を心がけていたが上手に笑えていただろうか。昼間のバイトの反省会をしつつ、あと数十分後にはピザ屋のバイトに行かなければならない。時間つぶしと休憩を兼ねて、この公園でゲームをするのが習慣となっていた。

未成年だから遅くまでは働けないが、時間ギリギリまで働かせてくれるバイト先には感謝している。高校を中退した自分なんかを雇ってくれているのだから、恩に報いるぐらいの働きはしたい。昨年のクリスマスをきっかけに、柊一はあっさりと高校を辞めた。あと一年後に控える卒業や友人たちよりも、家族を優先したのは当然の選択だと捉えている。俺は長男だし、四人の幸せを奪ったのだから。

あの夜はやけに両親の機嫌が悪かった。恐らく柊一の言葉が気に入らなかったとか、スプーンを落としてしまったとか。些細なことが引き金になったのだろう。もはや理由すらなかったのかもしれない。圧倒的な暴力を突き付けられ、なすすべもなく尻もちをついた。テーブルの角に肩を思い切りぶつけると、食器や皿がいくつか床に落ちる。何枚か割れた気配がする。耳まで遠くなってきた。馬乗りになって胸倉をつかまれるが、抵抗する気力は全くない。

あ、このままだと俺死ぬかも。他人事のような考えが浮かぶ。感覚が鈍くなり、意識と視界が霞む。左目がぼやけている。ひどく腫れているのかもしれない。眼球破裂とまでは多分いかないけれど、二人の恐ろしい顔をもう見たくはないから、このままでいい。いっそ、その方が俺にとっては幸せだったのでは、とすら思う。十七歳まで育ててくれたお母さんとお父さんが、己の死を望むなら受け入れるのが最後の親孝行なのではないか。ケーキ、今日は食べれそうにないかもな。ケーキを切り分けるためのナイフも用意していたのに。妹の様子も後で見に行きたかったな。熱がやけに高いから心配なんだ。まぁ弟がちゃんと面倒見てくれているだろうから、安心だ。俺の弟とは思えないぐらいしっかりしてるし―――思考がどんどん柔らくなる。水を吸い過ぎたガーゼのようにふやけて、そのままゴミ箱へポイ。俺の身体もきっと捨てられる。そうなったとき、もう辛いことは起こらない……次は?

突然、意識が明瞭になる。心臓が強く脈打って、強い感情に支配された。それを殺意だと理解する間もなく、思考が廻る。次は、誰だ。俺が死んだら、今度はだれが殴られる。弟か、妹か。どっちでも最悪だ。それだけは絶対に許すことはできない。例え俺が死んだとしても、彼彼女は絶対に守らなければならない。俺だけ楽になるなんて、絶対に違う。なによりも自分が許せなかった。だって俺は長男だ。俺が守らなきゃ、誰が二人を守れるんだ!

血が巡った指先が、硬いナニかに触れた。血潮とは真逆の、無機質な冷たさ。皮膚に這わせると、指の腹に亀裂が入った。感覚がある。熱が零れ落ちる。これは生きるための痛みだ。死ぬための暴力ではなく、命より大事な物を守るための活力だった。そのままナイフを手に取り、父の首元に突き刺した。躊躇いのない一撃に、父親の身体がぐらついた。その隙を見逃さず、思いっきり突き飛ばして今度はこちらから馬乗りになった。刺さった凶器を引き抜く。血が噴き出して顔にかかる。火傷しそうなほどに熱い。落ち着いている暇はなく、煮え立つ感情は立ち尽くす母親へ矛先を変えた。大股で近づいて口をふさぎ、彼女の喉にも腕を振り下ろす。振り絞るような悲鳴が強烈な生温かさとなって、掌に吹きかかった。何もかもが熱い。顔も掌も、脳すらも全てが脈打って柊一を突き動かす。のたうち回っていた四肢はやがて痙攣して崩れ落ちる。動かなくなった後に残ったのは柊一の荒い息遣いだけだった。暖炉から薪が弾ける音だけが彼を現実に繋ぎとめる。

あっという間の犯行であり、一瞬で終わった反抗期のひとまくであった。衝動的にやらかした惨状を見下ろしながら息を整える。この後、どうしよう。さっきまでの爆発的なエネルギーはすっかり霧散してしまい、後始末の事すら考えられない程に憔悴していた。手からするりとナイフが落ちる。生クリームではなく、真っ赤な鮮血がべっとりと付いている。絨毯が汚れてしまうと、ふわふわしている頭で考えた柊一はしゃがんでそれを拾う。視界の隅に誰かのスリッパがうつった。顔をあげると弟が怯えた顔でこちらを見ていた。

そこからの記憶はハッキリしている。弟とは一言も会話を交わさず、一緒に遺体をバラバラにした。こんなことさせていいわけがないと今なら思うが、あの時は抵抗する気力もなかった。燃え尽きていたのだと思う。

細切れにした両親だったモノを暖炉の炎で燃やす。肉が焦げる異臭で妹が起きないか不安だった。数日後、残った灰は柊一が埋めにいった。流石にこれは弟の手を借りる心持にもならなかったのだ。自転車でバレないように山へ向かうと、あの人に見つかった。何を考えているのかは分からないが、あれから碓氷の事務所や孤児院の手伝いをさせられている。虚ろな目の子供たちを相手にするのは苦ではなかった。時々任される怪しい仕事にだって不本意ながら手を貸している。自分が逮捕されるのは仕方がないとはいえ、弟にまで火の粉がかかってしまったらと思うと、強く反抗する気持ちも失せる。俺より賢くて聡明な子だから、いい大学に進学して人生を楽しんでほしい。長男が殺人犯だなんて世間に知られると、キャリアは閉ざされる。妹もだ。あの子もまだまだ若く、この世の暗いところを知るには早すぎる齢だ。何も知らない彼女には明るい世界だけ見ていてほしい。たとえ長男が殺人犯だとしても今は知らなくてもいいことだろう。いつか覚めてしまう夢なのかもしれない。先延ばしにした偽りの優しさでもある。正論を突き付けられようが、ここまできたならバレるまでやるしかないと覚悟はとっくに決まっている。

二人とも、普段は優しい人たちだった。両親の顔を思い浮かべながらゲーム機の電源を落とす。ちょっとだけ気分が変わりやすいだけで、それ以外は普通の親だった。優しい時はとことん優しいし頭も撫でてくれたこともあった。このレトロゲーム機を買ってくれたし、他の二人にだってプレゼントや美味しい食事を与えてくれていた。結局、他者の機嫌をいくら取り繕ったところで、まだまだ子供な俺のやっていることは唯のおままごとに他ならなかったのだろう。大好きだよ、大丈夫だよ。殴られて痛む身体で抱きしめて慰めたとしても、数日後にはまた不安になっている。互いに限界だった。たくさん水が注がれているグラスを、俺が揺らして零してしまった。右目がズキリと痛む。命すら奪った俺がきっと、いちばん悪い子なんだ。どんな理由があれ、人殺しなんて絶対にダメなんていうことは誰だって知っている。

気分が落ち込んで、あの夜に引き戻されそうになった柊一は首を振った。楽しい事考えよう。来週は弟妹と一緒に、遊園地だ。二人にはこれまでたくさん苦労をかけてしまった。せめてその時だけでも辛い事は全部忘れて、思いっきり楽しんでほしい。財布を開いて、大型テーマパークのチケットを3枚分取り出す。彼にとって頭上の街灯より、よっぽどキラキラ輝いて映る。大きなぬいぐるみや美味しいポップコーンに、楽しいアトラクションたち。このために一生懸命バイトをして貯金してきた。その日ばかりは碓氷から貰っている報酬にはなるべく手をつけたくない。せめて今年のクリスマスぐらいは、自分の稼いだお金で二人に笑顔を届けたい。お金に汚いも綺麗もないかもしれないが、柊一なりのプライドであり長男としての誇りでもあった。

「よっし、いくか」

柊一はベンチから腰をあげて、再度背伸びをする。鞄を手に取り、足取り軽く暗い世界へと足を踏み入れた。自転車置き場まで急ぐ。その顔には憂いはなく、明るい彼らしい表情が浮かんでいる。

怒られないように、弟妹達に心配を掛けたくないから、ずっと笑顔を作り続けていた。それがいつの間にか癖になっていた。笑っていないと不安がどんどん膨れ上がり、脆い部分が浮き彫りになってしまう。火を絶やさぬように、目尻を和らげて口角を緩ませる。それが、彼なりの生きる術だった。でも、このチケットを見ると自然に笑える。人の嬉しそうな顔を想像するだけで頑張っていこうって奮い立つことができる。作り笑いなんかじゃなくて、心からのやつ。二

あの夜ナイフを握った理由を、あの二人のせいにすることがどれほど残酷なのか。わかってる。だから、すべて墓場まで持っていくつもりけれど、またバレてしまうだろう――だって、悪い子の願いは、いつだって叶わないものだから。