ひと匙、グラム千円。金箔をまぶした高級はちみつ、透かし箱に眠る透明な飴細工。ハッカ飴、ドロップス缶、瓶に詰められたソフトキャンディ。至高の逸品から、幼子の小遣いで手が届く市販品まで。
品質や値段に違いこそあれど、飴は幸福を運ぶものであらねばならない。雨が天からの恵みであるならば、飴は吉兆の象徴と呼ぶにふさわしい。数多の商品を買い入れ、売りさばいてきた震 飴李の思想は昔から変わらない。と、胸を張っていいたいところではあった。今はその昔を思い出せないのだから誇張表現になってしまうのか。ならば言い直そう。
昔から自分は変わらないポリシーを背負って歩いている……きっと、そうだ。
「そうであってほしいアル、マジのマジに」
なんの気なしに呟いた声が、ぴたりと止んだ足元に吸い込まれていく。静まり返った廊下には己の足音だけが響いていた。振り返っても人気はなく、冷えた空気が漂っている。途端に心細さが増して、ぎゅっと眉間に皺が寄る。濃いサングラスの奥に隠れているとはいえ、幼子が見たら逃げ出しそうな形相である。
孤独というのは、とても寒い。がらんどうの空間でそれを覚える度、うすら寒いものが背中を撫でる。寂しさを通り越して恐ろしさすら湧いてくる。たとえばこの廊下は異世界に繋がっていて。知らぬうちに迷い込んでしまった自分は、永久にここから出られないのではないか。陳腐な妄想がとぐろを巻いて、背筋に走る冷や汗すら凍てつくそうと北風を吹かすのだ。
歪んだ空想と静寂を振り払うように背負子を下ろした。思いのほか音が響いてびくりと肩が跳ねる。自分で出した音に驚くだなんて何をやっているんだろうか。我ながら情けない。大体の人や物を見下ろせるぐらいまで背丈は立派に育っているのに、性根だけは小心者のままだ。
箱を開けて中を覗くと、多種多様な飴玉が入っていた。多少の衝撃で砕けたりするような杜撰な管理はしていないが、手早くチェックを済ませる。忘れたとしても商品の保管方法だけは覚えていたのだから不思議だ。いや、覚えているというより体に染みついているのかもしれない。
商品の無事を確認した震は胸をなでおろしながら透明な瓶を取り出す。色とりどりの飴玉が詰め込まれている。彼にとっては宝石箱と同等の輝きだ。
蓋をあけて一番上にのっていた緑の飴玉をつまみあげて宙にかざす。廊下の鈍い照明が反射していた。微細な光を通して天井を見上げる。翡翠のきらめきを見ていると、遠い記憶の断片に、ほんのすこしだけ触れることができたような心地になった。
「悲しくなったらやっぱり甘いキャンディが一番ヨ」
艶やかにコーティングされたそれを口に入れて転がす。からん。歯にあたり小気味のいい音が口内に響く。じわりと外側の甘さがしみ込んできた。唾液でどろつき液状になったものを嚥下し、また舌先で転がし始める。頬の内側にピタリと寄せると、偏った糖分がじわじわと広がってゆく。どれだけ気持ちが沈もうが、一粒食べるだけで心が軽くなる、幸せの味。やっぱり飴を楽しむ全人類はそうやってこの小さな球体を楽しむべきだ。
過去を忘れてもポリシーは覚えていると言いたかったが、本当に何も覚えていないので、いまいち強く言い切れずにいる。ここに来る前の自分はどういった人間だったのだろうか。両親は?友人は?学歴は?二留するぐらいだからそこまでよくなったろうな……不安だ。
人は過去の積み重ねの上に生きている。それを奪われた今、透明な床を歩かされているような寒気がずっと背筋をつたっていた。改めて振り返ってみても誰もいない。閑散とした廊下がぱっくりと口を開けて佇んでいる。この学園には自分含め十二人の仲間たちがいるが、思い思いに過ごしているため偶然を装わないとなかなかに会えない。用事もないのに二十歳の男に話しかけられてもみんな迷惑だろう。だから、今日も装うことにする。
震はそっと瞼をおろした。意識を一点に集中させると、ぼんやりと脳内に地図が浮かびあがった。この学園内のマップだ。展開させると、さまざまなシルエットが浮かぶ。視界の代わりに頭の中に広がりゆく光景。脳裏に浮かんだ人物の気配を辿るように糸を手繰り寄せてゆく。何度か繰り返すと、少し離れた部屋にまとまった気配があることに気づいた。談話室だ。みんなが集まっている。面白いことに、この能力は思い浮かんだ人物がどこにいるか分かる。案外便利で、さみしがり屋の自分にはちょうどいい。
恐らくの話になるが、この感知能力を活かして行商人としての活動に取り組んでいたのではないだろうか。店を構える小売店とは違い、行商人は足で稼ぐ。自ら出向いて品を売るには忍耐力と勘が必要となる。誰もいない場所に行ったとしても無意味であるし、甘味を求めていない者に声を掛けてもあしらわれるだけだ。需要を嗅ぎあて、供給を運ぶ。飴を取り扱う自分のターゲット層は、幼い人たちが主体だったはず。漢方薬などを混ぜた飴も箱に入っていたため、もしかすると滋養強壮を求めて壮年の方々も来ていたかもしれない。とにかく幅広い購買層へと飴を配るにはこの能力はうってつけだ。最初に誰を探すか決めなければならないので、新規開拓にはあまり向かないが……工夫次第でいくらでも利用できる。
やり方は簡単で意識を集中すれだけ……ついでに皆がどこにいるのかも感知してみる。あれ、あの二人が顔を突き合わせてるなんて珍しい。そこまで考えた後、慌てて瞼を開けた。プライバシーを侵害してはいけない。類まれなるこの才能は、学園に閉じ込められてしまった今でもこうして役立ってくれていた。
飴は幸福を運ぶもの。口に入れた瞬間、誰もが少しだけ笑顔になれる。震のポリシーはいつだって変わらない。
過去の記憶は失われても、飴を配ることだけは体に染みついているのがきっとその証明だ。何よりの救いだ。己にとって飴を配る行為はただの商売ではなく、幸せを分け与える行為であり、記憶を無くした今でも、震にとって唯一の確かなものだった。
だが、これが「本当に自分のやり方だったのか」は分からない。恐らくだとか多分だとか。そういう仮定の話はできるが、確証はない。そう考えた瞬間、微かな不安がまた首をもたげる。もしこの商売すらも、自分のものではなかったのだとしたら?プログラミングされたロボットのように誰かに操られているのだとしたら……また負のループに入ろうとしている。大きく深呼吸をして箱を肩に担ぎ直す。
「今日は何が売れるカナ。新作のストロベリースパイシーバナナホットミルク味。みんな喜んでくれたら嬉しいヨ」
同じ境遇、運命共同体である皆を楽しませるために、日々新しいフレーバー作りに取り組んだりもしていた。震はこの学園で暮らす仲間のことを好いている。理由としては単純である。年齢に関係なく、同学年と後輩たちのことを友達だと思っているからだ。
閉じ込められて不安を覚えているかもしれない誰かの心を、少しでも軽くできればいい。そんな些細な願いを込めて。商売人としての癖が無意識に出ているせいで、料金を求めるような言葉をつい言ってしまうが本気ではなかった。ここで過ごす以上、金は無用の長物であるし、持っていないものにはツケだヨなどと返している。勿論ここから無事に出られたら綺麗さっぱり帳簿ごと忘れるつもりである。
足取り軽く談話室へと向かう。そうして彼は己にとっての幸せを運び歩く。歩を進めるたびに背負子の中で瓶がかすかに揺れ、カラリと小さな音を立てる。彼にとっての、吉兆の音である。
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