花塚撫子は優美である。しかもエリート、おまけに足も速い。一粒で二度美味い、一石二鳥、豪華絢爛。ヤマトナデシコ何変化。彼女がヒールを鳴らす度、蕾のコロンが花咲かし、後には静かに花が降る。洗練された立ち振る舞いはその刀身にも宿っていると噂されている。滑らかに、しかし神を斬る速さで薙ぐ太刀と、ぶれない体幹は語らずとも実力の証明だ。ゆえに花塚撫子はすべてが優美であり、また優れた刑事であった。
「四肢漁り、ですか」
自他ともに優秀と名高い彼女は上司の言葉を繰り返す。花塚が首をかしげると、整えられ長髪がさらりと横へ流れた。まっすぐに伸びた背筋と、常に浮かべている微笑みは自信にあふれ、人の目を自然と惹く風体をしている。
四肢漁り。近頃世間を騒がせている猟奇事件。血が流れていることから花塚が属する一課がの担当だとは思っていたが、まだ齢二十四の自分に役職が回ってくるとは。ひとえにこれも花塚撫子の実力がもたらした抜擢であろう。あっぱれエリート。
「一課、三課。鑑識からひとりずつ選出したチームのリーダをやれ、と」
花塚の白魚の如く指先がパララと書類を高速で弾き飛ばす。今からマジック大会が始まるんじゃないかと思うぐらいの速度である。エリートは速読の真似事もできるのだ。なんたって優秀だから。
「……なるほど。なかなか個性的な仲間たち」
絶不調の後輩、サボり癖のある三課、血に魅入られた鑑識。ただでさえ癖があるメンバーなうえ、後輩以外とは初対面。課を超えた合同捜査は少なからず経験はあるが、即席でこの事件に挑むのは難易度が高いと渋るかもしれない。普通の刑事であるならば。
「無論。この花塚に不可能はなし」
しかし、花塚は躊躇いなく頷く。堂々たる視線と、微塵も怖気づかぬ肯定。薄く細めたまなざしは春の日差しのように柔らかい。
「皆様方にご満足いただける結果をお出ししましょう。なぜなら我はエリートであるが故」
そう、エリート。花塚撫子は超優秀な刑事である。ついでに結構な美人。おまけに足も速い。彼女に任せておけば解決しない事件はない、といつか周りに評価される刑事になるために、この事件はきっと良いステップアップになる。花塚は優雅にお辞儀をした後、踵を返す。彼女の軌跡をたどるように花弁が数枚落ちてゆく。去り際まで立派なエリートであった。見たものは皆こう思うだろう。ああ優美、と
「おかーさん、カレー大盛りにしてーあ、ビールもお願いー」
風呂上がりの撫子はキッチンの母へと声を掛ける。頭はふかふかのクッションに預け、身体はカーペットの上でだらしなく横になっている。視線はテレビに向けられているものの、内容がお気に召さないのか焦点があっていない。内容はどうでもいいようだ。黒のタンクトップに下着のみ、というまさしく風呂上りという恰好はいっそ哀愁すら感じられる。昼間の凛々しい顔つきはなりを潜め、今は日曜日夕方のお父さんといった雰囲気を漂わせていた。
「ビールぐらい自分でとりなさい」
寝そべっている娘の姿を見た紫苑はリビングの敷居をまたいだ瞬間、ため息を漏らす。両手に持っているカレーライスの量には歴然とした差があり、天秤へのせれば勢いよく片方へ傾くだろう。
「仕事疲れたんだもん」
文句を返しながらも撫子はむくりと起き上がり、いそいそとカレーが届いた食卓へつく。ライスとルーの境目をスプーンでかき混ぜ、福神漬けをこれでもかと盛り始めた。
「あなたのその姿見たら職場の人たちどう思うかしら」
「職場デビューミスったお陰で完全無欠のエリートって思われてるかもだから、キャラ崩壊かもー」
「だから変なキャラ付けせずにありのままが一番だってあれほど言っていたのに……」
「だってなめられたおしまいじゃん、こういう業界」
撫子はスプーンを咥えながら配属初日のことをぼんやりと思い出した。あの日はいい天気だった。
リクルートスーツに身を包んだ数年前の自分は、どういうテンションでいけばいいのかな、という新社会人ならではの可愛らしい悩みに直面していた。第一印象は全てに勝る。いくら後々かわいこぶってみても「でもこいつ初対面で髪に芋けんぴついてたしな」と思われればすべて台無し。かといってガチガチに真面目をやったとしてもお堅いやつと評されて馴染みづらくなる可能性がある。エリートを目指す撫子として、回避したい未来だ。
もともと真面目と不真面目の間を行ったり来たりしている性格上、猫をかぶれる自信は正直に言うとあまりない。昨晩にでも対策を立てればよかったのだが、盛大に寝落ちして今に至る。警察学校時代の試験でも同じようなミスをしたが、なんやかんやなってしまっているので、今の撫子にも変な余裕が生まれていた。
上司に案内されながらどうしたものかと他人事のように考えていると、ふと最近はまっている漫画が脳裏をよぎる。個性的なキャラクターが人気の漫画だ。その中の一人に、いかにもエリートといった性格をした男がいる。撫子もあのキャラは好きだ。そうだ、あのキャラの台詞や態度を参考にさせてもらおう。取り急ぎとして。初手、ばーんっとかましておけば少なくとも舐められるようなことはないだろう。そうしようそうしよう。うんうんと一人で頷いた撫子は、開かれた扉の奥へと足を運び、アドリブで練り上げられた自己紹介を放った。
「エリート候補生筆頭、花塚撫子。優美、参上……とか言ったんでしょう?戦隊ものの登場シーンみたいじゃないの。そりゃみんな目を点にするわよ」
「でもいま仲良くしてくれてるからいいじゃん」
「本当に職場の方々に感謝の一言に尽きます」
あぐらをかいて甘口カレーを頬張る撫子に、職場での面影はどこにもない。精悍な眼差しは眠そうに緩んでいるうえに、淡い微笑みを讃えていた唇には、カレーが付着している。本人はまだ気づいてなさそうだ。
見ての通り、彼女の本性はエリートには遠い自堕落に染まり切っている。激務かつ厳しそうな警察という環境で、娘がうまくやっていけているのか、母親である紫苑は常に心配していた。この子は能天気すぎるところがある。おまけにマイペース。学生時代は優秀だったものの、時々すっとぼけた発言をするせいで担任の教師を困らせていた。三者面談で「撫子さんは成績もいいし足も速いし、お友達も多い方だとは思うんですが……ねえ?」と気まずげに言葉に詰まられた日がよみがえる。同意を求められても困る。誉められているのかよく分からない妙な気分だ。当本人はケロリとしていて意に介していないようだったが、紫苑は胸が心配で埋め尽くされていた。
大人になった今も心配しかない。尊大な物言いと立ち振る舞いをしているため、部署で浮いていないだろうか。いや確実に浮いている。今度菓子折りでも持たせよう。娘のためにあれやこれと思案を巡らせる紫苑は、冷蔵庫からビールを持ってくるため立ち上がる。ついでに無造作に投げ捨てられているズボンを拾った瞬間、顔が歪んだ。
「またポケットの中花びらでいっぱいにしてきて!しかもこれ、その辺で拾ってきたやつでしょう!小石も入ってる!」
「ごめんなさーい。あ、それ捨てちゃダメーいい感じに花吹雪にするようだから、置いといてね」
「もー、図体だけでかくなって、中身は小学生のままなのかしら。逆名探偵だわ」
「そういえばまたしばらく忙しくなりそーだから、帰り遅くなるかも」
ぶつぶつ言いながら散らばった花びらを回収する母に、撫子は思い出したような一言を漏らした。指先がしなびた花の縁に触れる。
「大きな事件でも入ったの?」
んー、と濁した相槌を返された紫苑は視線をカーペットに落とす。仕事柄、重要な事件についてぼかすのは当然だ。分かっているのにいつも深追いしたくなる。この法治国家において、唯一帯刀を許された存在。中でも特に危険な犯人と相対する機会が多い刑事部捜査一課。本音を言うと刀なんて握ってほしくない。血でだめになったシャツを何枚もこっそり捨てていることだって知っている。本人に問い詰めたら「カレーうどんこぼした」と嘘か本当か読めない表情でごまかされる。たまに本当にカレーのシミがついていて、その時は素直に申告してくるから、後ろめたいことがあれば口を紡ぐ子なのだ。馬鹿正直なだけなのかもしれない。
「無理はしないでね」
家ではぐうたらしている娘ではあったが、彼女なりに考えていることがあるのはちゃんと理解している。だから今日も、いつも口にしている本音をこぼす。ズボンの裾から一枚花が落ちる。
「うん、わかったー」
旦那を早々に亡くし、女手ひとつで自分を育て上げてくれた母親を見つめる。わが母ながら立派な人だと思う。同時に彼女の元に生まれてきてよかったと何度もいるかもわからない神様に感謝していた。
照れくさいから直接伝えたことはないが、母のことを心から愛している。父親の存在が気にならない、といえば嘘にはなるが、父の話をするたびに紫苑の顔が曇るため、いつしか追及することをやめた。触れられたくない過去であるなら、無理に暴く必要はない。
重要なのはたった一つ。母子家庭だから可哀そうだのなんだのと。憐憫の眼差しを大好きな母親に一瞬たりとも向けさせないことだ。幼いころ、純粋な悪意をぶつけてきた同級生へ答えたように。紫苑の元で育った自分は、誰よりも幸せで自信にあふれ、同時に優れていると胸を張って証明し続ける。それが今の自分にできる、最大の親孝行だろう。
「だいじょーぶだよ」
撫子は空になったカレー皿にスプーンを立てかける。からんと乾いた金属音が鳴った。
「お母さんの娘は、これからもずっと、エリートだから」
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