shioyama
2025-01-29 08:16:33
2844文字
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Flop Cook,napolitain

プルガトリウムの夜 現行未通過×

HO1 秘匿あり。前日譚



別に失敗作を食べさせたいわけじゃない。なんだかんだ言いつつも食べてくれるお前たちに、いつか美味しい料理を作ってやりたかった。そう思っている。今でも、ずっと。


ナポリタンを作るにはケチャップの量が重要だ。ケチらずふんだんに使う勇気と経済力が求められる。濃すぎず薄すぎない、絶妙な照り具合が理想である。

油で柔らかくなったパスタを菜箸で手早くかつしっかりと炒める。ケチャップをまんべんなく行きとどかせるためだ。フライパンのふちにへばりついた野菜をつついて戻すことも忘れてはならない。具材はピーマンと玉ねぎ、ベーコンとウインナー。シンプルかつオーソドックスな組み合わせで、ベーコンとウインナーは役割が被っているように思えるが、肉は多ければ多いほどいい。特に若者へ提供する際は顕著によいとすることにしていた。若い世代は肉をたくさん食べるべきだ。

一食分ずつ皿へ盛り、パルメザンチーズを各々の好みの分だけ振りかける。何度も行ってきた作業だ。適量は染みついている。仕上げにバジルを添えると、見た目だけは立派なナポリタンが出来上がる。我ながら今回はいい出来なのではないだろうか。喜びをあからさまに顔に出す年齢でもないが、嬉しいものは嬉しい。表情筋を引き締めつつ、三つの皿を手にとる。カトラリーは既にセットしてある。料理を彼らが待っているテーブルへ運び、それぞれの前に置いた。あとは実食を残すのみ。

俺はテーブルの空いている席に座る。左に座っている蛇原は顔をしかめ、右隣の桃下は薄い笑みを浮かべていた。またダメだったようだ。ピーマンが焦げすぎていると蛇原からクレームが入る。桃下は個性的な味ですね、と小さく笑った。二人に短く謝る。やはりピーマンを入れるタイミングがちょっと早すぎたみたいだ。神経をすり減らす仕事の合間、穏やかなひととき。わずかなしじまを揺らす、食器が触れ合う音。

結果とは裏腹にたいして落ち込んではいない。三人には悪いが、こうした時間を共に過ごしているだけでひそかな幸せを感じていた......三人、ああ、三人だ。もう一人の意見もちゃんと聞かないと。正面の男の反応を窺った俺は言葉を失う。うっすらと緩んでいる彼の口角から血が垂れていた。瞳は何も映していないガラス玉のように濁っている。あっけにとられる間もなく、ぐらりと彼が倒れる姿を目にした俺は反射的に手を伸ばした。重い体を受け止めた瞬間、視界にノイズが走った。キッチンの白い壁が崩れ、カトラリーは周囲に散らばる小石へと変わる。灰色の床を汚していく血液、硝煙の香り、周囲のざわめき、いや静かだった気もしてくる。彼が倒れていたのは冷たいコンクリートですらなかったかもしれない。鮮明な赤と鼻につく硝煙の香りだけが強く記憶にこびりついていた。



心臓をわしづかみにされるような衝撃と共に意識が浮上する。ぼやけた視界は自宅の壁を映している。ベッドにもたれかかる形で眠ってしまっていたようだ。今見た夢が、過去の反芻である事実と、戻らない郷愁の寒さが同時に吹き抜ける。胃袋が逆流する気配を感じ、這いずりながらトイレへと駆け込んだ。道中、床に転がっている缶ビールを勢いよく踏みつぶす。冷えた空気に背中をさすられているが、一向に気持ち悪さは失せず、胃と食道のあたりをグルグル回っている。

……韮澤、が。最後になんと言ったのかを思い出そうとするがダメだった。何も残してやれなかったのだろうか。眼球が淀んでいく韮澤に耐え切れなくなった俺がその場で意気絶したような気もしてきた。ひどく記憶が曖昧で、たった一年前だというのに、海馬の衰えを感じる。

散らかした記憶の断片をなぞれば、元は一つのパズルだったはずだ。一つ一つ丁寧に形を合わせれば、当時の風景を取り戻せるはずなのに、どのピースも歪に歪んでしまってハマらない。不良品になってしまった。無意識に改ざんされた記憶なんてあてにならないが、俺が部下を撃ったということだけは真実だ。ピースをいくつ隠そうが、出来上がる絵に変わりはない。

脳がとどめていることを拒絶するかのように、思い出の輪郭がぼやけていくことが、ひどく悲しい。薄情な自分に吐き気がする。吐きだせるものは胃袋にもう残っていないのに、底にへばりついた残骸が俺に幾度も夢を見せる。韮澤が死んでいく悪夢に殺されそうだ。いっそのこと一思いに殺してほしい。楽になりたかった。だから酒に逃げた。酒はいい。思考がアルコールで浸すと自分がいる場所すら透明になる。ひと時だけでも悪夢の手の届かない場所へと行けることは俺にとっての救いだった。酔いが醒めるとまた元通りではあるが、刹那の逃避行に情けないぐらいに縋っている。

トイレからベッドに戻る途中、ダイニングキッチンが目に入る。買いなおした大鍋やフライパンには埃が積もっていた。コンビニ弁当を温めるための電子レンジだけが我が物顔で座っている。

誰かのためにどころか、自分の食事すら用意するのが億劫になった。よくてコンビニ、悪いときは酒だけを胃袋に流し込む日々が続いている。体調面にも影響は出ていて、慢性的な頭痛と吐き気に悩まされている俺のことを「変わった」と称する同僚もいた。他者を気遣う余裕が持てなくなった自覚はある。上司としてあるまじきことだ。酒をやめなければと何度か決心すても、結局手を伸ばしてしまう。心の弱さにますます嫌気がさした。

アルコールの耐性がついてきたようで、最近はうまく酔えない日がある。比例して度数や量が右肩上がりに増えていった。手先が、特に利き手が震えるから、拳銃なんてろくに構えられない。ペンすら怪しい時がある。悟られないため常にポケットに手を隠す癖がついた。誤魔化してはいるものの、身近な部下にはバレているだろうことは薄々察している。

辞職することも考えた。でも、書き損じて束になった辞職届は自室のくらい場所に押しつめられている。自分を刑事だとは認めていないし、あの事件を知っている人間すべて口をそろえてそういうはずだ。なのに、俺はまだ一課にいる。目的はなんだ。韮澤への贖罪?責任から逃げたくないから?もう自分でも分からない。あの日から何も分からない。部下を殺した俺が班長だなんて笑えない冗談だ。誰か笑ってほしかった。もう俺は笑えない。

よろけた体を支えた四人掛けのダイニングテーブルも、空き缶と弁当の空箱で埋めつくされている。ここで食事をとることもほとんどないため、デッドスペースと化していた。不要なうえに場所も取る。でも、処分する気にはなれない。気の知れた仲間と、再び食卓を囲む日が訪れることを心のどこかで期待しているのだ、未練がましい。アルコール度数一二パーセントの空き缶がいくつも床に空しく落ちる。拾おうと身をかがめた瞬間、強い眩暈に襲われ、床につっ伏す形でそのまま意識を失った。俺は失敗作になってしまった。料理を焦がす前には、もう戻れない。