shioyama
2024-12-16 20:42:34
2545文字
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ぬるい花火

よもすがらゴーストライト現行未通過×

熱帯夜を溶かした海に浸るような短夜であった。

煙霧は夏夜をそう表現する。炎昼の残骸がしぶとく無形の体躯にまとわりついてくる、温いこの宵のことである。

己は立夏の物の怪であるが、今世に産み落とされてから浴びる初めての夏であった。人間とは違い、そこまで気温の影響をうけない身ではあるものの、周囲の環境からなんとなくどの程度の酷暑なのかは理解している。空気を読むというやつだ。

舗装された道路の先で踊る陽炎、小麦色に焼けた健康的な肌、投げやりになってまかれる打ち水から立ち込める蒸気。あらゆる要素をかいつまんで煙霧は八月の凶悪さを学んでいた。目の前を早足で駆け抜ける少女の汗ばんだTシャツも判断基準の一つだ。

「やばいよ、そろそろ始まっちゃうって」

焦った言葉を漏らしながら人気のない道を行く。そんな生みの親の小さな背中を見下ろしながら煙霧は後を追っていた。

「そう急ぎなさんな。また派手に尻餅ついて子供に指さされて笑われちまうよ」
「あれは足場が悪かっただけだよ。てか嘘、わたし笑われてた?」

たわいのないやり取りをしつつ、煙霧は振り返る。あれだけ騒がしかった喧騒は今や失せ、華やかな提灯や彩り鮮やかな浴衣達は遥か後方へ。ほぼ獣道同然の周囲には、ほんのりとした闇と虫の音だけがあった。特等席への抜け道だとホタルは自信満々に言っていたが、なるほど。たしかにこのあたりを好んで通る連中は少なさそうだ。

「遅れちまったんならそれはそれで仕方ねぇさ。暁月先生の天晴な食い意地を俺ァ恨むつもりはねぇよ」
「食い意地張ってねえって!祭りはね、屋台飯に大いなる価値があるんだから。これでも少ない方だよ」
「林檎飴、焼きそば、ラムネ……そいつはチョコバナナっていうんだったか。それぞれを二人前ずつたぁ、作家先生は懐も胃袋もでかいもんなのかね」

ホタルは両手をふさぐ袋の重みに視線を落とす。ラムネの瓶が触れ合って小さな金属音を立てた。食欲をそそるソースとチョコレートの甘い香りが空腹を誘う。いますぐにでも割り箸を真っ二つにして貪りたい衝動に駆られるが、慌ててかぶりを振った。

「そりゃ煙霧と私の分だからこうなるでしょう。一足す一は、二だよ」
「お気遣い痛み入るが、俺ァにはこいつがあれば十分さ」

煙霧が人差し指で半円を描くと、煙が群れを成しキセルの形をとる。彼は慣れた動作で吸い口を加えた。あの騒動以来、恐らくシーカーとは別の存在として確立された自分に人間の食事は必要ない。彼女もそれはわかっているはず。

「料理って言うのは食べるだけが楽しみじゃないの。目で色や形を楽しんで、鼻で香りを堪能して、そうして最後に口で味わうもの。言ったじゃん、お祭りといえば屋台飯も醍醐味の一つ。目で見て楽しむことぐらいできるでしょう?」

ホタルは指に食い込む重さに耐えながら返事をする。彼女にとって、この友人が食べられるか食べられないかはあまり重要なことではなかった。二人いるから、二つ買う。それだけの話なのである。

煙霧はキセルを吹かしながら、ホタルの言葉を咀嚼し始める。合理的か否かを問われれば、否なのだ、彼女の配慮は。子猫に本を与えるような真似事である。本は知恵の束ではなく、ただの遊び道具となり、子猫が正しい用途で扱うことはない。だが人間とは理にかなえることより、大事なものがあることも知っている。墓に供えるための花と、こうして食事をとらない自分に差し出される林檎飴は、根っこのところがよく似ているのかもしれない。

「暁月先生がそうおっしゃるならそうなんだろうよ」

紫煙を吐き出した煙霧の答えにホタルは満足げに笑い、ずいと更に赤く丸い飴玉を彼へと突き付けた。

「そうそう。難しいこと考えずに、ほら持ってみなって。手紙書けるぐらいなんだからやろうと思えば持てるんでしょ」

じ、と煙霧はそれを見やる。透明な氷のような飴細工が、艶やかな赤色の林檎を包み込んでいる。味は想像できないが、ホタル曰く「食べ終わったら暫くもういいや、ってなるけど次の日には食べたくなる味」らしい。彼女の主観ありきの感想だと思うから参考にはできない。

「ペンとスケッチブックも持ってきてるから、簡単だけど私の食レポなら味わわせてあげれるし。まあ最終的に私が全部食べるから安心して楽しめばいいよ」
「結局食べる気満々じゃねぇか」
「祭りは無礼講じゃい」

立ち止まった二人の足元に、影が落ちる。味気なかった周囲が突如明るくなった。煙霧とホタルは同じタイミングで空を見上げる。木々の隙間から光が弾ける。星が砕けたのかと思った。無数の光彩が群れの如く夜空を我が物顔で埋め尽くす。遠くの方で子供がはしゃぐ声が聞こえた気がするが、遅れてやってきた爆音にかき消された。生緩かった空気が流され、灼熱で夜空を覆った。視界の半分以上は葉に隠されていて見えないが、体の芯を震わすような破裂音とその存在感に、煙霧は感じたことのない熱を覚える。花の火と書いて花火と表すだなんて、名付け親は随分と洒落ている。感心してる間に咲き時を終えた花は炎の尾となり落ちてゆく。

「ぎゃ、やばい!もう始まっちゃったよ!」
「おぉ、こりゃ派手だ。ハナビと縁のある生い立ちだが、こうして目の前で拝むことができるなんて感激さね。言の葉だけじゃあ味わえない風情ってのはこいつのことかい、暁月先生」
「もっと見えやすいところの方が絶対風情浴びれるって!急いで煙霧!あ、でも私を置いていかないように歩幅は合わせてね!ついでに足元にデカい石とかあったらすぐ教えて!転ぶ自信しかないから!」
「要求が多い作家先生だこと」

ゆるりと煙霧は煙を操りながら、林檎飴を受け取る。宝石みたいな飴細工だ。なるほど、こうやって己の手で持ってみると、確かに心持がいくらか変わってくる。これが風情ってやつかい。ついでにホタルからビニール袋を取り上げ、足元がおぼつかない彼女に声をかけながら歩き始める。

ふと、煙霧は一度だけ止まり空を仰ぐ。白と赤が混ざり合った花が木陰越しに咲いた。

「随分と綺麗じゃねぇか、ハナビ。相変わらず目はあわねぇようだが、こっちの世界でも変わらねぇな」