春は誘惑が多い。心地よい風に後押しされて気づけばここにたどり着いていた。華やかな香りを纏うデパートのワンフロア。磨き上げられた商品棚の上には、新作コスメがずらりと並んでいる。春めかしいカラーリングが多いそれらを見ていると、心に花が咲いていくのだ。
夕凪はハイブランドコーナーの隙間を縫いながら、軽い足取りでショッピングを楽しんでいた。気になるものが目に入れば、腰を丸くして興味津々に眺める。時にはショップ店員に声をかけられるも、人のいい笑顔で丁寧にアドバイスを受け取っていた。あわよくば試供品を貰ったりもしている。まだ学生である身からすると有難いプレゼントだ。
部活が休みになった夕凪はひとりでデパートを散策していた。今日は他の部員たちは傍にいない。みんなを誘っても楽しいのはわかっているが、こうして一人で黙々と品定めをする時間も彼女は好きだった。また、それ以外の理由もある。
あ、と短く声が漏れる。淡いピンクのチークが目に入る。花をモチーフにしたデザインのチーク。ところどころに蝶を象った水色の装飾があしらわれていた。
「モモに似合いそうだ」
脳裏に彼女の顔がよぎる。白い肌、血色のいい頬。パッチリとした空色の瞳、長いまつ毛、いつも潤っている唇。幼馴染贔屓と揶揄されたとしても、胡桃百花は間違いなく美少女だった。紫外線なんて弾き飛ばしているであろう顔にメイクを施すのが好きだった。元々化粧が好きだった夕凪からの頼みを快く引き受けてくれた百花に甘えて、長年練習台になってくれている。そのためだろうか、新しいコスメを買う時は、彼女に似合うかどうかが基準になったのは。
一人で買い物に来る理由のひとつは、この癖だ。百花とショッピングをするのはもちろん楽しい。だが、百花のためにコスメを見繕ってしまう夕凪を見れば、きっと彼女は夕凪に似合うものをと考える。自惚れかもしれないが、何となくわかるのだ。幼馴染だから。百花のことが大好きだから。
チークは、彼女の頬を彩ってくれる。朝の海に似たラメで百花の輝きを後押しするのもいい。新作のグロスリップに目が惹かれる。さくらんぼみたいな艶を出せるかな。このカラーリングのアイシャドウは愛嬌のある瞳を更に魅力的にするだろう。ビューラーを新調するのもいい。長く生え揃ったまつ毛を痛めたくないから。
すべて買い物かごに入れて持って帰りたい。お財布事情が厳しい彼女にとって叶わない夢だ。だが、一つや二つなら手が届く。どれを見ても、彼女の顔がよぎる。百花は本当に整った顔立ちをしている。だからこそ化粧品を選ぶ審美眼にも気合いが入るというもの。彼女の肌に触れるのであれば、なるべく質のいいものを選びたい。
と、考えているものの全てをハイブランドで揃えてしまうと夕凪の財布が崩壊してしまう。そうすると次は新作に手が届かなくなる。百花に似合うコスメなんてものは毎月続々出ているのだ。ジレンマに追われている夕凪は、自分へのご褒美も兼ねて時々デパコスへ訪れる。とびきり可愛い彼女を、とびきり可愛いコスメで彩ることが至福だ。
「すみません、これください」
近くにいる店員に声をかけながら、グロスを摘む。ほんのり桜の香りがした。
「ご自宅用ですか?」
「自宅用ですけど。大好きな子に付けるものなので、包んでいただいてもいいですか?」
テンプレートと化した言葉に、やんわりとそう返すのにも随分と慣れたものだ。
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