shioyama
2024-06-01 17:39:33
1920文字
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閃光

エールが真夏の空に響く 現行未通過×
HO1の前日譚

夕凪 純の視界にはいつも空が広がっていた。

冴えわたる大空と向き合うたびに、どうしようもなく心が空くような気持になる。真昼の晴天が一番つらい。海と違って、空には鳥以外の生き物は存在していないから、妙に寂しい気持ちになる。

ぼんやりと水面に浮かんでいると、照り付ける太陽と瞳孔が重なってしまい、反射的に目を瞑る。目蓋の裏に瞬く閃光は、視神経に響くような刺激を与えた。暗闇の中にある光は徐々に薄れていき、痛みも落ち着いてくる。

クールダウンしていた夕凪はプールの底に足をついて、周囲を見回した。八月よりも少ないが、まばらに人は入っているようだ。熱さの盛りは超え、九月の穏やかな熱が漂っていた。余暇を楽しむ夏風の微香が肌を撫でる。

スイミングスクール所属の夕凪からすると季節は特に関係ないが、目を閉じればいつだって夏を思い出せる。今年の夏も暑かった。遠くに浮かぶソフトクリームみたいな入道雲、透き通るような青。背中には水、塩素の香り、スタート台を蹴った誰かの飛び込み音、ホイッスルの甲高い声。夕凪にとって夏の思い出の大半は水泳で埋まっていた。ひたすらに練習を重ね、メドレーリレーや大会のために尽力を尽くす。飽きもせず、体力が続くまでずっと。

幼い頃、姉に憧れてこの世界へ踏み込んでから、似た盛夏を繰り返している。だからこそほんの少し期待していた。中学三年生。中学と高校の境目。この夏こそ、現状がガラリと変わってしまうような、大きな変化と巡りあえるのではないか。線香花火のように短いひと夏でも、心に残る九夏が欲しい。

だが、終わってみればなんてことはない、いつも通り炎暑に呻く三か月だった。いや、高校受験が待ち構えていたから、勉強にも精を出した夏休みになった。幼馴染の胡桃百花には迷惑をかけた。彼女に甘えすぎているかもしれない、と自嘲めいた笑いを漏らす。

空を見上げるのともの悲しい気持ちにはなるが、競争とは離れた場所にあるこの市民プールは心の拠り所でもあった。競泳自体が嫌いなわけではないが、肩の荷を下ろしい時もある。何より存分に好きな泳法を楽しむことが出来る。百花を誘う事も考えたが、彼女のいる前で平泳ぎを披露するのは何となく気が引けた。勝手に後ろめたく思っているだけだ。

いつも、そうだ。自分が勝手に遠慮して勝手に我慢して。こうして燻りつづけている。だって、みんなが楽しく泳げるのが一番だと思っているし、実際それでやってきた。軋轢を生まず、みんなのために、仲間のために泳げば丸くおさまる。メドレーリレーはチーム戦だからこそ、自分一人の我儘で調和を乱すわけにはいかない。

ゴールした時、振り返ると誰も来ていないのは、寂しい。でも、誰も一緒に泳いでくれないのはもっと辛いことだから。我慢できる。傲慢だ、と聞いたものは評価するかもしれない。だからこそ口にはしない。姉であるまことにしか話さなかった。平泳ぎへの憧れを捨てれば、円満に物事が進む。自己中心的な子どもではないのだ、私が堪えれば、どうってことは。

先の言葉を飲み込んだ代わりに、大きく息を吸って頭まで沈んだ。俗世と遮断されて、五感が自分だけのものになる。水の中にいると安心する。私にとって邪念が入ってこられない神聖な場所。身体にかかる負荷が心地よい。イヤホンのコードみたいに絡まっていた思考が解けていく。汚くなった心までも洗い流してくれる気がした。うっすらと目を開けると、美しい世界がある。屈折した晩夏光がゆらゆらと海藻みたいに揺れている。軽く息を吐くと、泡となって酸素が浮かんでいった。何も考えられない、募る息苦しさに意識を委ねて再び瞼を下す。呼吸が続くまで底にいた。ずっとここに居たいとすら思った。

ゆっくりと浮上すると、心配そうな監視員と目が合う。視線で謝り、額に張り付いた前髪をかきあげる。だいぶ思考がクリアになった。できるならもっと顔を水で浸したい。なのに視線は自然と上へ向く。いい天気だ、憎々しいぐらいに、青くて美しい。

来年から汐見台北高校の生徒となる。姉のまこともいる水泳部に入部する予定だ。お姉ちゃんが私を待っていてくれるから、百花が追いかけてきてくれているから、チームメンバーが求めてくれるなら。私は泳ぐことをやめずにすむ。

誰かの期待にずっと応えていたい。誰かの視線を奪う閃光でありたい。百花にずっと見られていたい、ずっと私をあきらめないでいてほしい。そうすれば一人にならなくてすむから。新しい仲間とも巡り合えるだろう。楽しみだ、本当に。

平泳ぎ、できたらいいなぁ。羨望めいた葛藤は心中だけに流して、夏の熱に浮かされたことにしよう。