kaede
2025-11-05 14:05:34
3491文字
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クッキーをあーんしてほしがる一彩くんとニキのはなし

ニキひい
⚠️付き合ってるので下の名前で呼ぶことがあります

「椎名さん!」
 と、遠くまで照らす光みたいな声で呼ばれて、僕の中のあらゆる感情が一斉に跳ね上がった。
 どうどう。落ち着いて。僕の心臓。
「弟さん」
 本当は下の名前で呼びたかったけれど、誰が聞いているかもわからないのでそれは我慢する。周りに人の気配はなくても、今の僕らは逃げ場のない空の上で、何十、何百、時には何千人の目に常にさらされている状態なのだから。いくら馬鹿な僕でも、迂闊な言動は控えるべきだ、ということくらいの判断はつく。
 じゃあ今しているこれは迂闊じゃないのか、と問われたら、笑ってごまかすしかないのだけれど。
 でも、画面越しの声や姿では我慢できなくて本物に会いたくなる、のは、とても普通のことだと思う。一応、料理配信でつくったお菓子をお裾分けする、という立派な目的はあるし。というかそれを口実にするためにあえてレモンクッキーをつくったのだけれど。一彩くんのレモン好きは雑誌なんかでも公表されているし、ルームメイトだということも周知の事実だ。だから、余ったそれを一彩くんに食べてもらう、というシナリオに不自然なところはない。はずだ。多分。
 久しぶりに見る生の一彩くんは、画面越しに見るより何百倍も輝いていた。もし僕が吸血鬼か何かだったら、確実に灰になって消えていただろう。うーん、消えるのは困るなあ。いや、僕は厄介な体質を持ってる以外は普通の人間なんで、困りはしないけど。
 かわいいなあ。
 こんなところじゃなきゃ、君に
「椎名さん? どうかした? ぼうっとして」
「え? あ、何でもないっす!」
 君に見惚れてました、なんて言えるわけがない。
「何か悩み事でもあるのかな。僕でよければ出来る限りのことはするよ」
「いやいや、燐音くんに振り回されること以上に解決したい悩みなんてないですし、解決できないことはわかってるんで」
「いつも兄さんがごめんね」
「弟さんが謝ることじゃないっすよ」
 一彩くんのぴかぴかの顔を曇らせた上に気遣いまでさせるなんて、情けない。それもこれも燐音くんのせいっす。
「ごめんなさい。心配かけちゃって。久しぶりに弟さんに会えたからうるぇ」
「うるえ?」
「えーっと! メールでも伝えたんすけど、クッキーをつくったんで、よかったら食べてください」
 強制終了させたせいで噛んでしまったけど、返って助かった。何せ、僕らの会話の一部始終、映像は、今この瞬間も、全世界に垂れ流されているのだから。
 嬉しい、なんて、聞かれでもしたら……うん? 聞かれたところで特に問題ないんじゃ? それを特別な意味に感じるのは僕自身の気持ちの問題でしかなくて、普通の人には言葉通りの意味しかないし。

『久しぶりに会えて嬉しい』

 うん、大袈裟だと笑う人はいるかもしれないけれど、それ以外に特におかしなところはない。うう、さらっと言ってしまえばよかった。でも今からねじ込むには無理があるし。
 そんな生産性のない自問自答を振り払いつつ容器の蓋を開けると、甘い匂いと一緒に一彩くんの綿菓子みたいにふわふわの歓声が香った。
「わあ! とても美味しそうだね!」
「たくさんあるんで、部屋のみんなにもどうぞ」
「ありがとう! 大好きだよ」
「え!?」
「椎名さんのつくるお菓子も料理も。みんなも大好きだから、きっと喜ぶと思う」
「あ、ありがとうございます……なはは……
 びっっっっくりした。
 公開告白されたのかと思った。
 いやまあ、僕自身に直接向けた言葉ではなかったわけだし、そこだけ切り取ったとしても、告白だと本気で思う人もいないだろうけど。僕と彼は単なるルームメイトに過ぎないわけだし。
 世間的には。

 ……でも。
 僕と君は。
 一彩くんと僕は、本当は……

 ……

「どうしたんすか? 口開けて。口内炎でもできちゃったっすか?」
「ん、食べさせてほしいなと思って」
「ああ、なるほど…………なるほど!?」
 全然なるほどじゃないっす。
 僕らがいちゃついてるところを全世界に配信するとか、何考えてんすか。
 と、言えたら良かったけど、誰の耳に入るかもわからないのだから、やっぱりリスクは極力減らしたい。から、伝えるにしても、ぼかして、遠回しにする必要がある。
 ただそれには二つ問題があって、一つは、賢いのに妙なところで鈍感な一彩くんに伝わるか、ということ。二つ目は、僕にそんな器用なことができるわけない、ということだ。
 けれど、やらないわけにはいかない。このままだと僕は彼の圧に負けてしまう。
 そりゃ僕だっていちゃつけるならそうしたいのだから。
「あー、えーっと」
「昨日、ユニットのみんなでお菓子を食べながらおしゃべりする、ゆるい配信?をしたんだけどね」
「雑談配信っすね」
「ウム。それだよ。それで、その時にみんなでお菓子の食べさせ合いをしたのだけれど、その瞬間のナイスがすごいことになっていてね。だから」
 なるほど。
 意図はわかった。
 わかったけど。
「意外っすね」
「意外?」
 言葉の意味……真意がわからないみたいで、一彩くんがきょとんとした顔で僕を見つめる。
 うーん、やっぱり意外だ。
「そういうの、燐音くんはやりそうですけど、弟さんは興味ないと思ってたんで」
 興味ない、というか、わからない、というか。
「そういうの、とは?」
「数字を稼ぐのに露骨な手段を使うことっていうか……いやまあ、それだって戦略の一つと言えばそうですからね。悪いわけじゃないですけど。でも、ノリでやるならともかく、あからさまなのはマイナスのイメージがつきかねないっていうか」
「なるほど……そういう考え方はなかったよ。ありがとう、勉強になるね」
 ふむ、と頷く一彩くんを見る限り、やっぱり、自分の発した言葉の威力というか効果について、あまりわかっていなかったらしい。それならそれで、天然、という彼の魅力が輝く場面、という考え方もできるけれど。
「僕というよりは、椎名さんにとって良かれと思っての提案だったのだけど、確かに品位を欠く行為だった。ありがとう、教えてくれて」
「いや……僕の方こそ、早とちりしちゃってごめんなさい」
「ううん。謝らないでほしいよ」
 短く相槌を打って、一彩くんが笑う。
 その言動はいつもと特に変わらないように見えたけれど、何だか違和感を覚えたと思ったら急に視界が明るくなったみたいにひらめいた。
 僕は頭が良くないから、これは多分、僕が特等席で一彩くんと過ごしてきた時間のおかげだ。
 いつもの一彩くんならもっと張りのある声で謝るし、そもそも、自分が食べさせてもらうより先に、僕に食べさせようとしたはずだ。
 でも彼はそうしなかった。
 それはつまり。

……でもまあ、種明かしはしちゃってるわけですし、ここまで聞いてたみんななら、期待しちゃってますよねー」
「椎名さん?」
 突然肩を抱き寄せたかと思ったらカメラに、配信の向こうにいるだろうファンに話しかけ始めた僕に、一彩くんが首を傾げる。少し、驚いたように。僕が理解不能なことを言ったから、さすがの一彩くんも驚いた、と画面の向こうの人間は、そう思っただろう。
 でも僕は、多分僕だけは、彼のそれが何から発生した感情なのか、知っている。
 何せ、僕は彼の彼氏なんで。

 今は僕が加減したから、少し、に収まってますけど。
 一彩くんって普段は堂々としてて滅多なことでは動じないのに、僕と距離が近くなると、わりとわかりやすく動揺するんですよね。
 
「ってなわけで、はい、弟さん。あーん」
「んぅ」
 僕がクッキーをまあまあ強引に口元へ押し付けたから、一彩くんはそれを食べるしかなくなる。さく、と、かわいらしい音を立ててそれを咀嚼した一彩くんは、クッキーよりも甘く、うっとりと微笑んだ。
「ありがとう。椎名さん」
「なはは〜、お口に合って何よりっす」

 賢いのに妙なところで鈍感な君のことだから、多分自分でもわかってなかったんでしょうけど。
 君が本当に欲しかったものを、僕はちゃんとあげられましたかね。

「というわけで、みんなどんどんナイスしちゃってくださいねー。ほら、弟さんも」
「う、ウム! よろしくお願いするよ!」

 僕に倣って、ひらひらと手を振る一彩くんを横目に、僕はこのあとどうしたら、誰にも邪魔されず彼と二人だけで過ごせるか必死に算段していた。

 もう充分、世界中に僕の恋人をお裾分けしたのだから、あとは全部僕のものっす。