父は、親よりも技術者としての役割を優先していた人だった。それでも父親であることに変わりはなく、アムロを愛してくれていたのも確かである。
テム・レイは軍属の技術者として家にいる時間の方が少なかった。近くに住む幼馴染家族が、一人で過ごすアムロに何かと世話を焼いてくれていたから、その甘えもあったのかもしれない。その成果としてガンダムが完成し、アムロが搭乗することになったのは今考えても不思議な因果だ。
一見息子を放置しているようなテムだが、必ずアムロの誕生日には帰ってきてくれていた。切り分けられたショートケーキがふたつ収められた小洒落た箱。機械弄りが趣味になった息子へ工具やら機材やらを包装したプレゼント。それらを小脇に抱えて玄関先に立つ父の姿は、今でもよく覚えている。アムロの大切な思い出だからだ。
最近の話をしながら食事をして、ケーキを食べる。「誕生日おめでとう」と静かに祝う声。そうして、父はいつもアムロの写真を撮った。それは彼が思春期を迎えてからも変わらない。恥ずかしさもあって上手く笑えないアムロの、その成長記録みたいに味気ない写真を、テムはいつも目尻を和らげて見ていた。
だからアムロは父のことは好きだった。寂しさや、なかなか帰って来ないことへの怒りがないわけではなかったけれど、確かに親として不器用ながらも愛してくれていたと薄々察していたからだ。
急に父のことを思い出したのは、街中を歩いていた際、ショーウィンドウに並んだケーキが見えたからだった。宝石のように美しく彩られた数種類のケーキ。自然と視線が吸い寄せられたのは、一番シンプルで、定番のショートケーキだった。白いクリームが輝くようだ。
11月4日――今日は、アムロの誕生日だった。連鎖するように誕生日の記憶と、父の姿を思い出してしまう。
アムロは数瞬迷ってから、ケーキ屋のドアを潜った。からんからんと軽快なドアベルの音と、来店を感謝する言葉が響く。
「このショートケーキを……ふたつ、ください」
時は宇宙世紀0095――第二次ネオ・ジオン抗争と名付けられた事件からすでに2年の月日が経っていた。
アクシズは地球に落ちなかったものの、代わりとばかりにアムロとシャアは地球に落ち、奇跡的に五体満足で生きている。いろいろとすったもんだはあったけれど、なんだかんだと収まるところに落ち着いて、二人は地球に隠れ住んでいた。互いの監視というギスギスした関係から始まった同居生活も、いつの間にか板について、もはやそれが当たり前になっている。
現在の拠点である年季の入ったアパートメントの扉を開くと、ぎしぎしと築年数を感じさせる悲鳴を上げた。インターホンより余程わかりやすいな、と苦笑していれば、案の定、扉の開閉に気付いたシャアが奥から顔を出す。
「帰ったのか。おかえり」
「……ただいま」
ここ2年で当たり前に交わしていた言葉に、今日ばかりはなんだかむず痒くなる。
食料品や日用品などの買い出しはアムロが担当することが多い。かつて大々的にネオ・ジオン軍のトップとして動いていたシャアは、美丈夫であることも含めて何かと目立つのだ。立ち振る舞いが一般人のそれではないので変装してもあまり意味がない。
袋詰めされた品々を差し出せば、心得たようにシャアが受け取る。
「なあ、シャア。甘いもの食べられるか?」
「甘いもの?」
「ケーキ買ってきたんだ。ショートケーキ」
本来の買い出しリストに含まれない、アムロの個人的な購入品。反対の手に提げていたシンプルな白い箱を軽く揺らして見せると、シャアは不思議そうな顔をした。
「どうしてまた、急に」
「……別にいいだろ、たまには」
そそくさとキッチンの冷蔵庫に箱を押し込む。自分の誕生日だからと口にするのは気恥ずかしかった。
「では夕飯後にでもいただくか。ケーキなら、紅茶の方がいいかな」
「紅茶なんて買ってたか?」
「この前取引先から貰ったのさ」
「……あなたってほんと、人脈を築くのが上手いよね」
アムロのどこか呆れたような感想に、金髪の美丈夫は意味深に笑うだけだった。
身も蓋もなく言ってしまえば、二人は脱走兵と戦犯である。公にはMIAと発表されているものの、生死不明なので生きている可能性もあるわけだ。特にシャアの方は彼の生存を信じて未だ探している者もいる。
アムロもシャアも、生還時のすったもんだの際に古巣との繋がりは断ち切る決意を固めている。そんな背景から、二人はひとつの場所に長く留まり続けることはせず、転々と拠点を移していた。
そんな逃亡生活でも、いつもシャアはどこからか仕事を見つけてきてはそれなりに稼いでくる。根無草に近い二人がそこそこ安定した暮らしが出来るのも彼の手腕が大きい。本当に何でも出来る人だなあ、とハイスペックな同居人に毎回感心しているアムロである。
正面のローテーブルには皿にちょこんと飾られたショートケーキがふたつ。ナパージュの塗られた苺がつやつやと光を反射している。やがて湯気のたつ紅茶も置かれて、アムロの隣にシャアが座った。
ぎしりと鳴るスプリング。中古で安く買ったソファは二人掛けだ。同居開始当初は隣り合って座るなんて出来なかったのに、今では当たり前のように二人並んで腰掛けている。
今日は感慨に耽ることが多い。アムロはデザートフォークを手に取りながらなんとなしにそう思った。それはきっと、在りし日の父を思い出したからなのだろう。
「アムロ」
呼びかけられて隣を見やる。青い眼差しと目が合った。
「……誕生日おめでとう、アムロ」
かちん、とフォークが皿を突く高い音がした。アムロの動揺を表す音だ。「おっと、当たりか」と男が微笑む。
「なんで…」
アムロの誕生日など、彼は知らないはずだ。そんな雑談をした覚えはないし、共に暮らした期間中も関心はなかった。アムロもまた、シャアの誕生日を知らない。
「昨年のこの時期は……ああ、拠点を変えていた頃か……確かに誕生日どころじゃなかったな」
アムロの動揺に気付いているだろうに、シャアは飄々と続ける。
「急にケーキを買ってくるから何事かと思っていたが……君、気付いていたか。帰って来てからずっと上の空だ。ただの気まぐれにしては、なにやらケーキに思い入れがありそうだったからな」
本当に誕生日だったとは、と締め括り、シャアはあたたかい紅茶を口に含む。
上の空だったことは、アムロに自覚はない。確かに父のことを思い出してはいたけれど。食べようとしていたケーキを見つめたまま、アムロはむっつりと黙り込む。
「良ければ聞かせてくれないか。私は君の誕生日すら知らなかった。……君のことを知りたい」
シャアの言葉に戸惑うのはアムロの方だった。
思えば二人は共に暮らしているけれど、過去の話をすることは少なかった。特に一年戦争よりも前、二人が出会う前の人生のことは。戦争を通じて知った互いの姿だけを見ている。あるいは文面上の素っ気ない来歴を記録として知っているだけだった。
知りたいのか、とアムロは驚く。シャアは、ニュータイプとしてのアムロの強さや結ばれた因縁だけに執心していると思っていた。ガンダムに乗る以前の、何の変哲もないただの子供だったアムロのことを、この人は知りたいと思えるのか……彼は見つめる青い瞳に促されるように口を開いた。
「俺の父が連邦の技術士官だったのは……あなたのことだから知っているだろうけど。なかなか家に帰って来ない人でね。でも誕生日には必ず帰って来てくれたんだ。ケーキとプレゼントを持ってさ」
街中で思い出した父の姿。テムもまた、こうしてケーキをふたつ買っていたのだろうか、と自分の行動を重ねて見ていた。
「歳を重ねていくと、自分の誕生日なんて気にならなくなるだろ。買い出しの帰りにケーキ屋が見えて、急に、今日が誕生日だって思い出したんだ。父さんのことも……それで、どうせだからって、買ったんだ」
特別ケーキが食べたかったわけではない。同居人に祝ってほしかったわけでもない。ただの感傷で、衝動的な行動だった。
「別に……あなたに祝って欲しかったわけじゃない。そこまで厚かましくはないさ。これは俺の自己満足なんだ」
「私は祝いたいよ」
「えっ……」
間髪入れずに返された肯定的な言葉に、アムロの目が丸くなる。
「プレゼントの用意もしていないし、ケーキも君が買って来たものだが……今年は許してくれ。来年からは盛大に祝おう」
「……来年……」
「ああ」
シャアは当たり前のように未来を語る。来年も、再来年も、アムロを祝うと言う。共に暮らしている生活を疑いもせずに。
「君にめちゃくちゃにされた人生だが、……それも悪くなかったと、今なら思える」
彼の指先が肩に触れる。その端正なかんばせが近付いて、アムロの頬にくっついた。
「――アムロ・レイ。生まれてきてくれて、ありがとう」
ちゅ、っとささやかなリップ音が響く。男の薄い唇の感触。熱い吐息と共に、万感の思いを込めた言葉が耳に届く。
それはシャアからアムロに贈る、まっすぐな言祝ぎだった。
「言葉だけだと格好つかないな。ひとつ君の言うことを聞く権利をやろう。あっ、無茶振りは駄目だぞ。そうだな……明日の家事は私がすべてやろうか? フフ、君は機械弄りに没頭してもいい」
「……ハグ」
どうする? と微笑む彼に、まろび出るように口をついたのは、子供みたいな願いだった。シャアの言う通りに明日の家事を任せてしまえばいいと頭の片隅で思うのに、――今まさに欲しいものが、目の前にあったのだ。
「ハグしてくれ」
予想外の願いだったのか、ぱちぱちと青い目を瞬かせるシャアの表情は少し幼さが滲む。明らかに戸惑っていた。頬に祝福のキスをしておきながら何を今更、とアムロは気恥ずかしさに口を引き結ぶ。
彼らは共に暮らしていたけれど、身体的な接触はほとんどなかった。挨拶のような親愛のキスだって、今が初めてなのだ。ハグより余程キスの方が難易度が高いだろうに、と言ってしまった願いの現実逃避のように思考をあちこちに飛ばしながらも、アムロはシャアを見つめた。その頬は赤い。
やがて恐る恐ると開かれた腕の中に、顔を見られまいとばかりに飛び込む。衣服越しに感じるシャアの体温。アムロよりもあたたかいのは筋肉量の違いだろうか。これまた恐る恐ると腕が閉じられ、彼の手のひらが背中に触れる。促すようにアムロが彼の背に腕を回すと、シャアもぎゅっとアムロの体を抱え込んだ。
「あなたの……あなたの誕生日も教えて。俺もあなたのことを、知りたいと思う」
「……祝ってくれるのか? 君が?」
「祝うよ。ずっと、祝いたかった」
厚い胸板にぐっと頭を押し付ける。シャアの心臓の音が聞こえた。あたたかい。生きている。
思い出すのは、最後のオーロラのような光だ。そして次に、重力の井戸の中で見上げた高く青い空。
あの時、死んだと思っていた。シャアも、アムロも。もう二度と会うこともなければ、話すこともなく、ぶん殴ることもできないと思っていた。そんな宿敵は、今もアムロの隣で生きている。
アムロとて、戦争に巻き込まれ、この男に関わったことでめちゃくちゃになった人生だが、それでも。
「――あなたが生きていてくれて、よかった」
ぼそりとこぼれた言葉は、男の耳に届いたらしい。痛いほどに強く、強く抱き込まれる。
「その言葉だけで、十分すぎるさ……」
優しかった父の記憶。祝ってくれた幼馴染たち。誕生日の思い出は、きっとこれから増えていくのだろう。
シャアが笑っている気配がする。彼は秘密を打ち明けるように、自分の誕生日を教えてくれた。意外と近くて驚く。ああ、ならばアムロも盛大に祝ってやろう。ちょっと良い酒を買ってこようか。アムロがそうであるように、シャアにも誕生日の思い出が増えてくれれば良い。
食べ損ねたケーキが見える。もう少しだけ、とアムロは目を閉じた。もう少しだけこの腕の中で、彼の命のぬくもりを感じていたかった。
やがてすっかり紅茶が冷めるまで、二人は抱き締めあっていた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.