haru_haru0704
2025-11-04 21:49:46
5229文字
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ひと匙の情

仇遠と伍長の哥舒臨(CP未満) 全年齢

おしゃべりしたり、ご飯を食べたりする話です

伏波陣地より西方の岩場にて。滝の音を近くに聞きながら、仇遠は倒木に腰を下ろして休息を取っていた。
彼の手には、ほとんど乾いた血液が付着している。一仕事、終えた後だった。
岩場に吹く風は冷たい。既に陽が落ちてしまったことも相まって、少し肌寒く感じる。
仇遠は腰に提げた袋から大きな外套を取り出し、羽織った。それは薄くて軽い生地で作られているにも関わらず、纏うととても温かい優れものである。
さて、今日はこのままここで夜を明かそうか?それとも、今州城を目指して夜道を歩こうか?
仇遠が思案していると、不意に微かな物音が耳に届いた。動物・・・否、人間の足音だ。覚えのある周波数がひとつ、ゆっくりと背後から近づいてくる。
「こんなところで何をしている」
警戒の滲む声が背に浴びせられる。仇遠が振り返ると、その人物──哥舒臨は警戒を解き、腰の迅刀から手を離した。
彼と会うのは、3ヶ月ぶりだ。
「なんだ、お前か。こんなところで静かに座り込むな、この不審者め」
「・・・・・・」
仇遠は小さく溜息をついた。哥舒臨の言い草に思うところはあるが、わざわざ言い返すほどでもない。それに彼の立場からすれば、己は不審者以外の何者でもないだろう。
・・・やはり、早々に立ち去るべきであったな。
仇遠は立ち上がろうとしたが、哥舒臨が機先を制した。すとん、と仇遠の左に座ったのだ。
「・・・なにゆえ、座したのだ」
「折角だし、“お喋り”でもしようぜ。いいだろ?」
哥舒臨の声には、挑発的な響きが含まれている。しかし、強い嫌悪や怒りは感じられない。ある種、この状況を楽しんでいるようでもあった。
このまま腰を上げて去るというのも少し憚られ、座したまま黙り込む。その沈黙を肯定と捉えたのか、哥舒臨は機嫌の上向いた声で尋ねた。
「今日も仕事の帰りか?誰を殺った?」
「・・・伏波陣地に詰めておった、黄という男を」
「ああ、あの軍曹か!あいつはクズだった。殺ってくれて助かったぞ」
「そうか」
仇遠は無感情に頷いた。
彼にとって重要なのは『罪人を逃さずに殺せたか否か』だけであり、それ以外についてはさして興味がない。いちいち興味を持っていては、続けていけぬ仕事だとも思っている。
「あ!お前、手が汚れたままじゃないか。こんなに近くに川があるんだから、洗うくらいしろよ」
「構わぬ」
「いや構えよ。仕方ないな・・・水持ってきてやる」
「いらぬ」
いらないと言ったのに、哥舒臨は立ち上がって川の方へと歩いていった。その隙に逃げてしまおうかとも思ったが・・・折角の親切を無下にするのは、やはり憚られる。
大人しく座って待っていると、哥舒臨はすぐに戻ってきた。
「ほら、手出せ」
言われるがままに手を出す。哥舒臨は水筒か何かに水を汲んできたらしく、上からとぷとぷと水が落ちてきた。掌を擦り合わせ、汚れを落としていく。
「何やってんだ。汚れてるのそこじゃないだろ」
頭上から、呆れたような声が降ってくる。そこではないと言われても、仇遠には見えないのだから仕方がない。触覚は常人よりも鋭敏であると自負しているが、それでも全てが分かるわけではないのだ。
仇遠は、血液で手が汚れることに慣れきってしまっていた。むしろ、汚れている方が常であるとすら言える。
「・・・某は盲目ゆえ、見えぬ」
「は?盲目?・・・見えないのか?嘘だろ!?見えてないのに、あれだけ強いのか!?」
哥舒臨の声に驚愕が滲み、それが段々と大きくなっていくのを仇遠は感じ取った。
普段であれば、そういった賞賛の言葉に心が動くことはないのだが──なぜか、今この時ばかりは彼の表情が見えぬことを口惜しく思った。彼はきっと、目を大きく見開いた愛らしい顔をしているに違いない。
「・・・?」
仇遠は己の思考の甘ったるさに気付き、眉根を寄せる。この男の顔など、見てどうするというのか。
「ふん、せっかく褒めてやってるのに澄ました顔しやがって。・・・俺が洗ってやる。手貸せ」
ひた、と哥舒臨の指が手の甲に触れる。そのままごしごしと擦られ、仇遠はぴくりと手を震わせた。
こうして誰かに触れられるなど、何年ぶりのことであろうか。いささか、こそばゆい。
「・・・ん。綺麗になったぞ」
「感謝する」
哥舒臨は仇遠の手を清め終わると、柔らかな布で水気を拭った。案外、細やかな気配りのできる男である。
哥舒臨は再び仇遠の横に座った。少しの沈黙の後、また口を開く。
「お前、晩飯は食ったのか?」
「・・・いや」
「なら、俺の缶詰をやる。豆と肉を煮込んだやつだ。なかなか美味いぞ」
「いらぬ」
「遠慮するなって。それとも、好き嫌いが激しくて食べられないか?」
哥舒臨は揶揄うように言った。おそらく、笑んでいるのだろうと思う。
やはり、その顔が見られぬのは惜しい。ころころと移り変わる表情を、この目に確と映すことができたならば。
「・・・では、有難く頂戴するとしよう」
仇遠が折れると、哥舒臨は更に機嫌を良くしたようだった。「温めるから少し待ってろ」と言いつつ足元の小枝を集め、手際よく火を起こしていく。
やがて、パチパチと枝の爆ぜる音が耳に届き、炎の熱が足を温め始めた。
「さすがに夜は冷えるな・・・ふぁ、はっ・・・へっくし!」
哥舒臨は大きなくしゃみをした。寒さからだろうか。すんすんと鼻をすすっている。
「寒いのか」
「昼に、負傷兵にコートを貸してやったんだ。見回りに出る前に、誰かのを借りてくるべきだったな・・・」
哥舒臨は焚き火に手をかざした。それでもまだ寒いのだろう、身体を小さく丸めている。
「・・・・・・」
仇遠は外套の前を開くと、左側の袖から腕を引き抜いた。そして哥舒臨の身体をぐっと引き寄せ、包み込むようにして外套を被せてやる。
仇遠の行動に驚いたのか、哥舒臨は身体を硬くしていた。左手で冷えた肩をさすってやると、次第にその強張りが解けていく。
何か文句でも言うかと思ったが、予想に反して哥舒臨はじっと黙り込んでいた。時折手を動かして、静かに焚き火を整えている。

「・・・ほら、できたぞ」
しばしの沈黙の後、哥舒臨は口を開いた。
彼は缶詰の上部に布のようなものを巻いて持ち、ぱかりと蓋を開けた。それを仇遠の左手に持たせ、右手には匙を持たせる。
仇遠は缶詰の中身を軽く混ぜると、中身を掬って哥舒臨の口元に差し出した。
「あ?」
小さく開いた口に、半ば無理矢理に匙を突っ込む。「んぐ!」と驚いた声が上がるが、構わない。匙を傾けつつ口から引き抜くと、彼はむぐむぐと咀嚼を始めた。
不満げな視線をよそに、もうひと匙掬って今度は自分の口に運ぶ。
よく煮込まれた豆は、口内で柔らかく蕩けた。味付けは甘辛く、出汁がよく出ており美味い。
「いきなり何するんだこの野郎」
「毒味だ」
「缶詰に毒が入ってるわけないだろ・・・」
お主が入れた可能性がある。
・・・とは、流石に口には出さなかった。好意で食物を分け与えてくれた彼に対し、無礼にあたると思ったからだ。
この『毒味』はあくまで、鎮撫司として働く上での最低限の用心。どれほど信用に足る人物であろうと、一通りこなしておく必要はある。つまるところ、職業病のようなものだ。
「で?美味いか?」
「美味い。重ねて感謝する」
「はっ、どういたしまして」
仇遠は何度か自分の口に匙を運んだ後、再び哥舒臨の口元に差し出した。今度は無理矢理に押し込むような真似はしない。
哥舒臨はそれをぱくりと食べた後、「・・・俺はさっき晩飯を食った。腹は減ってない」と呟いた。
「そうか」
哥舒臨は自ら外套を被り直すと、もそもそと仇遠の懐に潜り込んだ。まるで猫のような仕草である。
仇遠は左腕を上げ、哥舒臨が入り込む隙間を作ってやった。不自然な体勢だが、特に問題はない。
「・・・なんかお前、草っぽい匂いがするな。薬膳料理みたいな・・・」
「竹筒の中の薬液の香りであろう」
「怪我でもしてるのか?」
「怪我というよりは、病という方が近い。どちらにせよ命を脅かすようなものでもないゆえ、心配無用」
「ふーん・・・」
哥舒臨は興味なさげな反応を返した。そして、ふわわ・・・と大きな欠伸をする。
仇遠はもはや語らず、ただ規則的な動作で匙を口に運んだ。

空になった缶詰と匙を片手に持ち、口元を軽く拭う。温かい食事を摂ったのは数日ぶりのことで、その温かさは身体だけでなく心まで染み渡っていくようであった。
「馳走になった」
「・・・・・・」
「・・・哥舒臨?」
哥舒臨は反応を示さない。耳を澄ませると、すぅ・・・すぅ・・・と深く呼吸をしているのが聞こえた。
どうやら、寝入ってしまったようだ。
「哥舒臨。起きよ」
こつんと缶の底で額を叩く。すると彼は顔を顰め、うっすらと目を開けた。
「ぁ・・・?」
「このような場所で寝入っては、風邪を引く」
「・・・んん・・・そう、だな・・・」
哥舒臨はぱちぱちと何度か瞬くと、腰からデバイスを取った。そして何やら操作をしている。
「今から伏波に戻るのも面倒だ・・・すぐ近くに秘密基地があるから、そこで寝る」
「秘密基地?」
「夜帰の下士官だけが使える小さな部屋だ。どうしても1人になりたい時だとか、しっぽりとしけ込みたい時だとかに使う奴が多い。上官たちも存在は知っているはずだが、見て見ぬフリをしてくれているらしい」
「成程」
「面白いことに、予約システムまであるんだぜ。ほら」
哥舒臨は仇遠にデバイスの投影画面を見せようとした。そこには『伏波西、滝の裏:予約済(哥舒臨)』という文字列と、秘密基地内部の写真が写っている。
「某には見えぬ」
「そうだった。まあ、つまり・・・たった今予約を取ったから大丈夫だ」
「そうか」
「ついでにお前も泊まっていくか?狭い部屋だがシャワーはあるし、ベッドもある。食糧も多少はあるはずだ」
その言葉に、仇遠はやや考え込んだ。
任務中、満足に身を清められないことは往々にしてある。寝床も食事も同様だ。彼にとって、それはもはや苦痛ではない。
だが──
「俺は構わないぞ。お前の隣は、なんだか落ち着くからな」
今すぐ彼に別れを告げ、この地を立ち去るのは・・・惜しい。
離れ難いと、そう思ってしまったのだ。
「・・・うむ。では、言葉に甘えよう」
利用できるものは利用する。それだけだ。己の行動は間違ってはいない。そのはずだ。
だというのに。何ゆえ、こうも疚しく感じるのであろうか。

*
2人は滝の裏にある秘密基地に移動した。小さなシャワーブースとベッド、それから食糧保管用の木箱が置かれているだけの狭い部屋だが、一晩過ごすだけであれば上等な部屋と言えるだろう。
お互いに身を清め、早々にベッドに入る。哥舒臨は上機嫌でくつくつと笑っていた。
「さすがに、デカい男2人だと狭いな」
「・・・寝台から落ちるやもしれぬ」
哥舒臨は壁側に寝ているため問題ないが、仇遠のすぐ後ろには何もない。ベッドの端である。
「幾ばくか奥に詰めよ」と言うと、哥舒臨は壁にぴたりと背をつけた。
「これでいいか?」
「うむ」
仇遠は哥舒臨の顔の上あたりの壁に手をつき、ぐっと距離を詰める。その衝撃にベッドはギシリと音を立てた。ふ、と哥舒臨の吐息が頬に触れる。
・・・距離を詰めすぎたか?
「はは、近いな」
「・・・・・・」
無言で距離を取ろうとした仇遠の後頭部に、哥舒臨の手が触れる。
「いい。不快ではない」
「・・・そうか」
彼の手は、わしゃわしゃと仇遠の頭を撫でた。何とも言えぬ心持ちになりつつ、仇遠も彼の肩を抱くように腕を回す。
これは、やむを得ぬ行動だ。こうでもせねば寝台から落ちてしまう、ゆえ。
「・・・・・・」
・・・否、欺瞞だ。欺瞞だが、構わぬ。
仇遠は軽く溜息を吐き、目を閉じた。他人の温もりを感じながら眠りにつくなど、いったい何年ぶりのことであろうか。
遠い昔、まだ童であった頃。父母とこうして眠ったことがあったやもしれぬ。だが、今となっては全てが朧げだ。

*
翌日。まだ陽の上らぬ内に、仇遠はベッドを抜け出した。
音を立てぬように服を纏い、装備を整え、そして何も告げずに立ち去る。そのつもりであった。
しかし。
「もう行くのか」
いつの間に目を覚ましたのか、哥舒臨の声が背後から聞こえた。仇遠は振り返らずに頷く。
「・・・今後、もし近くを通りがかることがあったら、連絡をよこせ」
「お主の連絡先など知らぬ」
「お前なら、どうとでもなるだろ。その気になれば調べられるはずだ」
「・・・・・・」
仇遠は無言のまま扉を押し開ける。途端、ひやりと冷たい風が吹き込んできた。同時に、ざああという滝の音が耳に届く。
「またな」
その言葉は、滝の音に掻き消されて聞こえなかった。そういう事に、しておこう。